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第三話 蒼の離宮
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真理衣は近衛兵に両脇を固められたまま、離宮の一室へと押し込まれた。
淡いピンク色の壁紙に白いレリーフが施されている可愛らしい部屋であったが、今の真理衣にそんな物を眺める余裕など無い。
「ふざけんな!!私の子はどうなるの?!返してよ!!」
「喚くな。我々に知らされている訳がないだろう!」
体格の良い男に対して臆せず怒鳴る真理衣に、近衛兵は内心動揺していた。丸腰の女が剣を持った相手に対して出来る態度ではなかったからである。
もう1人の近衛兵が諭すように真理衣に話しかける。
「今ここで暴れたとしても、貴女の状況は変わらないだろう。あまり目立たない事を勧める」
真理衣にとって幸運だったのは、この2人の近衛兵が心から王族に忠誠を誓っていなかった事である。そうでなければ今頃乱暴に拘束され、床に転がされていたであろう。
近衛兵は真理衣を無理矢理椅子に座らせると、部屋を出て行った。代わりに見張りを命じられた別の騎士が部屋の扉の外へ立った。
ぽつんと部屋に残された真理衣は直ぐに部屋から飛び出そうと、扉に飛びついた。
「何で開かないんだよ!開けて!開けろよ!!」
扉はガタガタと音を立てるだけで一寸の隙間も開かなかった。外から鎖で施錠されていたのである。
真理衣はどうしようもない苛立ちを豪華な椅子へ向け、蹴り飛ばす。椅子はガタンと大きな音を立てて倒れた。
しかしそんな行為も虚しくなった彼女は力無く床へへたり込み天を仰ぐ。
「私たちが何をしたって言うのよ…」
***
「そこのメイド」
「はい、如何されましたでしょうか?」
メイドを呼び止めたエドヴァルドは、手のひらサイズの小瓶を彼女に手渡した。恐る恐る受け取ったメイドはそれが何か分からず小首を傾げる。
「ティーセットを用意しろ。そしてポットの中にそれを入れるんだ。蒼の離宮に居る客人へ届けろ」
「あの…これは一体…」
「お前が知る必要はない」
「失礼致しましたっ」
「客人が飲み干すのを見届けたら俺の元へ来い」
「承りましてございます」
メイドは頭を下げて、厨房へと足早に向かった。小瓶の中で無色透明な液体が不気味に揺れる。
エドヴァルドはメイドの背中が消えると嘲笑を浮かべ、離宮にいる真理衣に向け囁いた。
「最初で最後の贈り物だ…精々苦しんで死ぬがいい」
小瓶の中身は毒であった。
一度口に入れれば、凄まじい苦しみに襲われ息絶える代物である。
そんな事を知らないメイドは、命じられたままにティーセットを用意する。
「そういえば何人分か聞いていなかったわ…二人分で良かったかしら…」
メイドは磨き上げられた銀のティーポットと、花柄の可愛らしいティーカップを見て困ったように呟いた。命じられた通り、ティーポットの中へ小瓶の中身を注ぎ入れてある。
少し覗き見て人数を確認しようと、ティーセットの乗ったトレイを手にメイドは離宮へと向かう。
「止まれ。何用だ?」
「お客人に出すようにと。王太子殿下のご命令で参りました」
メイドはちょうど離宮から歩いて来た近衛兵に呼び止められ歩みを止めた。彼女は頭を下げ答える。近衛兵は大抵が貴族であり、不興を買わぬ言動を取るよう教育されていた。
「入れ」
「失礼いたします」
離宮に入り、一つの部屋の前に騎士が立っているのを見たメイドはその顔に見覚えがあった。平民出身の騎士で知り合いである。
「あ?何しに離宮まで来たんだ?」
「仕事よ。王太子殿下からお客人にお茶を出すように言われたの。お客様って何人なの?」
「どうやら一人みたいだぜ。にしても厳重に鎖で封鎖してあるからな…たぶん訳ありだぜ」
二人は客人に聞こえないように小さな声でひそひそと会話した。戻ってティーセットを追加する手間が省けたとメイドは安心する。しかし、どんな人間が監禁されているのだろうか。
「失礼致します。お茶をご用意致しました」
騎士が鎖を外し、扉を開けると同時に頭を下げたメイドが客人、真理衣へ向け声をかけた。
「…お茶?」
真理衣は床に座ったまま、部屋に入って来たメイドをゆっくりと見上げた。メイドはまず真理衣が床に直接座っていた事に驚き、次にその服装に首を傾げた。真理衣の来ているものはジーパンとTシャツというシンプルな物であったが、この世界では見たことのない服装である。更に女性がパンツスタイルである事が異質であった。
「お茶なんて飲む気にならないんだけど。それよりもここから出して私の子を返してよ」
真理衣はイライラとした口調でメイドへ要望を伝えたが、明らかに下っ端であろう人間に言っても無駄だろうとも思った。メイドはメイドで困惑した表情を浮かべている。王太子の命令を遂行せねば、自身がどんな罰を受けるか分からない。
「お、お子とは…?あ、失礼いたしました。で、では。お飲みになりたい時にお召し上がり下されば…えっと…」
真理衣は何も知らされていない様子のメイドを見てため息をつく。関係の無い人間にまで八つ当たりするつもりは無かったが、苛立ちと焦燥感がそうさせたのだ。過剰なまでに萎縮してしまったメイドに、真理衣はほんの少しだけ目元を和らげてみせた。
「悪かったね、八つ当たりよ。お茶も飲むから安心して」
「はい!ではお淹れ致します」
明らかに安堵した様子のメイドに、真理衣は苦笑した。ティーポットから金茶色の液体がキラキラと光を柔らかく反射しながらカップへと注がれていく。
程なくして部屋に紅茶の良い香りが漂い始める。
「どうぞお召し上がり下さい」
「頂きます」
真理衣はそっとティーカップに口をつけた。
***
王太子の居室。
エドヴァルドは離宮へ閉じ込めた真理衣の最期を想像し、これで母も目障りな人間が消えて満足だろうと思った。メイドは女が死んでさぞかし慌てて戻ってくるに違いないと彼はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる。
「殿下、嬉しそうですわね。何か良い事がありまして?」
エドヴァルドに身体を密着させて侍っていた女がうっとりと彼を見上げ囁く。たわわに実った胸と、くびれた細い腰はエドヴァルドのお気に入りだ。婚約者には無いそれらを堪能しようと、エドヴァルドは舌舐めずりをする。
「いや、何でもない。それよりもベッドへ行こうか」
「まぁ!今日も素敵な時間を過ごせるのですね」
貪り合う様に女と口付けを交わすエドヴァルドの元へ、近衛兵が訪れた。エドヴァルドは鬱陶しそうに訊ねる。
「何だ?」
「メイドが謁見を望んでおります。何でも離宮の客人の件だとか」
「ああ、来るように言ったな。通せ」
エドヴァルドは女に先にベッドへ行っているように伝えると、入室してきたメイドに向き合った。慌てた様子も無いメイドに、彼は怪訝そうに眉根を寄せた。
「客人に茶は飲ませただろうな?」
「はい、勿論でございます。美味しそうに三杯ほど飲まれてらっしゃいました」
「なに?!一杯でも飲めば死ぬ筈だぞ!?」
「…え?し……死ぬとは?」
「おい、そこのお前着いて来い!」
エドヴァルドは近衛兵に命じると、蒼の離宮へと足早に向かった。何の力もない女に王家が秘匿する猛毒が効かない筈がない、エドヴァルドは険しい表情を浮かべ考える。もしや、異世界人は抗体があるのだろうか。
真理衣が居る部屋の前まで来たエドヴァルドに、平民の騎士が姿勢を正し礼をとる。
「開けろ」
険しい表情の王太子にビクビクと怯えながら、平民騎士は素早く開錠する。待たせて不興を買うわけにいかないのだ。
大きな音を立てて開いた扉から、ドカドカと足音を響かせ入室したエドヴァルドを真理衣は睨み付けた。
「…私の子を返してくれる気になったの?」
「何故生きている!!こんなのは間違っている!!お前が死なないと母上の機嫌を損ねるだろう!さっさと死ね!」
「はぁ?!何言ってるか分からないけど、悠を置いて死ぬわけないだろ!このクソ野郎!悠を返せ!」
「王太子である俺に対して何たる侮辱だ!おい!この女を切り捨てろ!」
激昂したエドヴァルドの様子に、真理衣はまずいと後ずさり後悔した。売り言葉に買い言葉でうっかりと悪態をついてしまった真理衣だったが、彼女は丸腰で更には愛する我が子が人質になっているのだ。
完全に対応を間違えた。
エドヴァルドの命令を聞き、近衛兵が動き出す。その顔は心苦しそうな表情を浮かべていた。しかし、命令には背けず、真理衣に向け剣を向け振り上げた。
思わず目を瞑った真理衣の脳裏に愛する我が子の寝顔が浮かぶ。あぁ、これが走馬灯かと彼女は私を覚悟した。
しかし、
「うわっ」
ドタンと音を立てて、近衛兵が転倒した。何も無い所で。
淡いピンク色の壁紙に白いレリーフが施されている可愛らしい部屋であったが、今の真理衣にそんな物を眺める余裕など無い。
「ふざけんな!!私の子はどうなるの?!返してよ!!」
「喚くな。我々に知らされている訳がないだろう!」
体格の良い男に対して臆せず怒鳴る真理衣に、近衛兵は内心動揺していた。丸腰の女が剣を持った相手に対して出来る態度ではなかったからである。
もう1人の近衛兵が諭すように真理衣に話しかける。
「今ここで暴れたとしても、貴女の状況は変わらないだろう。あまり目立たない事を勧める」
真理衣にとって幸運だったのは、この2人の近衛兵が心から王族に忠誠を誓っていなかった事である。そうでなければ今頃乱暴に拘束され、床に転がされていたであろう。
近衛兵は真理衣を無理矢理椅子に座らせると、部屋を出て行った。代わりに見張りを命じられた別の騎士が部屋の扉の外へ立った。
ぽつんと部屋に残された真理衣は直ぐに部屋から飛び出そうと、扉に飛びついた。
「何で開かないんだよ!開けて!開けろよ!!」
扉はガタガタと音を立てるだけで一寸の隙間も開かなかった。外から鎖で施錠されていたのである。
真理衣はどうしようもない苛立ちを豪華な椅子へ向け、蹴り飛ばす。椅子はガタンと大きな音を立てて倒れた。
しかしそんな行為も虚しくなった彼女は力無く床へへたり込み天を仰ぐ。
「私たちが何をしたって言うのよ…」
***
「そこのメイド」
「はい、如何されましたでしょうか?」
メイドを呼び止めたエドヴァルドは、手のひらサイズの小瓶を彼女に手渡した。恐る恐る受け取ったメイドはそれが何か分からず小首を傾げる。
「ティーセットを用意しろ。そしてポットの中にそれを入れるんだ。蒼の離宮に居る客人へ届けろ」
「あの…これは一体…」
「お前が知る必要はない」
「失礼致しましたっ」
「客人が飲み干すのを見届けたら俺の元へ来い」
「承りましてございます」
メイドは頭を下げて、厨房へと足早に向かった。小瓶の中で無色透明な液体が不気味に揺れる。
エドヴァルドはメイドの背中が消えると嘲笑を浮かべ、離宮にいる真理衣に向け囁いた。
「最初で最後の贈り物だ…精々苦しんで死ぬがいい」
小瓶の中身は毒であった。
一度口に入れれば、凄まじい苦しみに襲われ息絶える代物である。
そんな事を知らないメイドは、命じられたままにティーセットを用意する。
「そういえば何人分か聞いていなかったわ…二人分で良かったかしら…」
メイドは磨き上げられた銀のティーポットと、花柄の可愛らしいティーカップを見て困ったように呟いた。命じられた通り、ティーポットの中へ小瓶の中身を注ぎ入れてある。
少し覗き見て人数を確認しようと、ティーセットの乗ったトレイを手にメイドは離宮へと向かう。
「止まれ。何用だ?」
「お客人に出すようにと。王太子殿下のご命令で参りました」
メイドはちょうど離宮から歩いて来た近衛兵に呼び止められ歩みを止めた。彼女は頭を下げ答える。近衛兵は大抵が貴族であり、不興を買わぬ言動を取るよう教育されていた。
「入れ」
「失礼いたします」
離宮に入り、一つの部屋の前に騎士が立っているのを見たメイドはその顔に見覚えがあった。平民出身の騎士で知り合いである。
「あ?何しに離宮まで来たんだ?」
「仕事よ。王太子殿下からお客人にお茶を出すように言われたの。お客様って何人なの?」
「どうやら一人みたいだぜ。にしても厳重に鎖で封鎖してあるからな…たぶん訳ありだぜ」
二人は客人に聞こえないように小さな声でひそひそと会話した。戻ってティーセットを追加する手間が省けたとメイドは安心する。しかし、どんな人間が監禁されているのだろうか。
「失礼致します。お茶をご用意致しました」
騎士が鎖を外し、扉を開けると同時に頭を下げたメイドが客人、真理衣へ向け声をかけた。
「…お茶?」
真理衣は床に座ったまま、部屋に入って来たメイドをゆっくりと見上げた。メイドはまず真理衣が床に直接座っていた事に驚き、次にその服装に首を傾げた。真理衣の来ているものはジーパンとTシャツというシンプルな物であったが、この世界では見たことのない服装である。更に女性がパンツスタイルである事が異質であった。
「お茶なんて飲む気にならないんだけど。それよりもここから出して私の子を返してよ」
真理衣はイライラとした口調でメイドへ要望を伝えたが、明らかに下っ端であろう人間に言っても無駄だろうとも思った。メイドはメイドで困惑した表情を浮かべている。王太子の命令を遂行せねば、自身がどんな罰を受けるか分からない。
「お、お子とは…?あ、失礼いたしました。で、では。お飲みになりたい時にお召し上がり下されば…えっと…」
真理衣は何も知らされていない様子のメイドを見てため息をつく。関係の無い人間にまで八つ当たりするつもりは無かったが、苛立ちと焦燥感がそうさせたのだ。過剰なまでに萎縮してしまったメイドに、真理衣はほんの少しだけ目元を和らげてみせた。
「悪かったね、八つ当たりよ。お茶も飲むから安心して」
「はい!ではお淹れ致します」
明らかに安堵した様子のメイドに、真理衣は苦笑した。ティーポットから金茶色の液体がキラキラと光を柔らかく反射しながらカップへと注がれていく。
程なくして部屋に紅茶の良い香りが漂い始める。
「どうぞお召し上がり下さい」
「頂きます」
真理衣はそっとティーカップに口をつけた。
***
王太子の居室。
エドヴァルドは離宮へ閉じ込めた真理衣の最期を想像し、これで母も目障りな人間が消えて満足だろうと思った。メイドは女が死んでさぞかし慌てて戻ってくるに違いないと彼はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる。
「殿下、嬉しそうですわね。何か良い事がありまして?」
エドヴァルドに身体を密着させて侍っていた女がうっとりと彼を見上げ囁く。たわわに実った胸と、くびれた細い腰はエドヴァルドのお気に入りだ。婚約者には無いそれらを堪能しようと、エドヴァルドは舌舐めずりをする。
「いや、何でもない。それよりもベッドへ行こうか」
「まぁ!今日も素敵な時間を過ごせるのですね」
貪り合う様に女と口付けを交わすエドヴァルドの元へ、近衛兵が訪れた。エドヴァルドは鬱陶しそうに訊ねる。
「何だ?」
「メイドが謁見を望んでおります。何でも離宮の客人の件だとか」
「ああ、来るように言ったな。通せ」
エドヴァルドは女に先にベッドへ行っているように伝えると、入室してきたメイドに向き合った。慌てた様子も無いメイドに、彼は怪訝そうに眉根を寄せた。
「客人に茶は飲ませただろうな?」
「はい、勿論でございます。美味しそうに三杯ほど飲まれてらっしゃいました」
「なに?!一杯でも飲めば死ぬ筈だぞ!?」
「…え?し……死ぬとは?」
「おい、そこのお前着いて来い!」
エドヴァルドは近衛兵に命じると、蒼の離宮へと足早に向かった。何の力もない女に王家が秘匿する猛毒が効かない筈がない、エドヴァルドは険しい表情を浮かべ考える。もしや、異世界人は抗体があるのだろうか。
真理衣が居る部屋の前まで来たエドヴァルドに、平民の騎士が姿勢を正し礼をとる。
「開けろ」
険しい表情の王太子にビクビクと怯えながら、平民騎士は素早く開錠する。待たせて不興を買うわけにいかないのだ。
大きな音を立てて開いた扉から、ドカドカと足音を響かせ入室したエドヴァルドを真理衣は睨み付けた。
「…私の子を返してくれる気になったの?」
「何故生きている!!こんなのは間違っている!!お前が死なないと母上の機嫌を損ねるだろう!さっさと死ね!」
「はぁ?!何言ってるか分からないけど、悠を置いて死ぬわけないだろ!このクソ野郎!悠を返せ!」
「王太子である俺に対して何たる侮辱だ!おい!この女を切り捨てろ!」
激昂したエドヴァルドの様子に、真理衣はまずいと後ずさり後悔した。売り言葉に買い言葉でうっかりと悪態をついてしまった真理衣だったが、彼女は丸腰で更には愛する我が子が人質になっているのだ。
完全に対応を間違えた。
エドヴァルドの命令を聞き、近衛兵が動き出す。その顔は心苦しそうな表情を浮かべていた。しかし、命令には背けず、真理衣に向け剣を向け振り上げた。
思わず目を瞑った真理衣の脳裏に愛する我が子の寝顔が浮かぶ。あぁ、これが走馬灯かと彼女は私を覚悟した。
しかし、
「うわっ」
ドタンと音を立てて、近衛兵が転倒した。何も無い所で。
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