電車で眠っただけなのに

加藤羊大

文字の大きさ
上 下
15 / 52

第14話 言葉の壁

しおりを挟む
 アラム先生に言葉を習い始めた。共通語とアグダン語の2種類があるらしい。
高齢者はアグダン語を主に喋るが、今は皆共通語の方が多いという。
なので共通語を習う事になった。共通語ならば他の国の人間とも会話できる。
「おはようございます、は『スマイザゴウヨハオ』」
「スマイザゴウヨハオ」
繰り返し真似して練習する。合わせて紙に楔形文字のような文字が並ぶ。
曲線が少なく直線で表現されているものが多い。覚えるのに苦戦しそうだ。
ペンは、葦のような植物を削って作られていた。ボールペンとは違い都度インクに浸しながら書く為、書道のような気持ちで書いている。
「あいうえお表みたいな物はないのかしら?」
ふと疑問に思って尋ねると、なるほどとアラムはスラスラと紙に書きだした。
「音は日本語と同じようなものなんだ。形さえ覚えれば何とかなるかも」
アラムが一覧表にしてくれた。しかしひらがなと違い線が複雑で覚えられるか不安になる。
これは長期戦になると覚悟した。
「僕らの国では文字は右から左へ読むんだよ」
「何行も文字があったら、一行目は右から、二行目は左から、三行目は右からってジグザグに読んでね」
なるほど右から左に読むのはアラビア語と共通している。元の世界のアラビア語がジグザグに読むのかどうかは分からないが。
この国は衣装といい文字の読み方といい、アラビア寄りの要素が多いように感じた。
これで魔法のランプが出てくれば完璧である。
「こんにちは、『ハチニンコ』」
「今晩は、『ハンバンコ』」
挨拶から習得していく。
挨拶は非常に大事だ、コミュニケーションの一歩目といっても過言ではない。
パルマと会話するために、そしてシャヌと文通するために。
おやつの時間まで勉強は続いた。
「ごめんねアラム君、勉強につきっきりで」
「気にしないで、僕も先生やるの何だか楽しいし」
焼き菓子を食べながら2人でぼんやりと窓の外を眺める。
太陽は高く上り、建物の真っ黒な影と光のコントラストが眩しい。
ここに風鈴でもあれば涼やかなのだが。
「お茶も入れようか」
アラムは長細いティーポットとカップを片手に微笑む。
彼が手を振ると宙に水の塊が現れ、もう一度手を振ると炎がその周りに絡まるように現れた。
轟々と燃える炎の中で、水の塊がブクブクと沸騰したように泡を吹き出し始める。
「熱湯が跳ねるから気を付けてね」
炎だけが消え、アラムはそう言い、柄杓のような金物を突っ込み、熱湯をすくい上げる。
茶葉の入ったポットの中にそのまま注ぎ込む。
こぽこぽと音を立てながら中の茶葉が躍った。
「いいなぁ魔法って」
「リツの国も便利なもので溢れていたよ?」
確かにそうなのだが、便利さだけでなく憧れのようなものである。
「私も使えたらよかったのにな」
「適性が無かったからね、残念だけど」
私は少々むくれた。
神様、大変な思いをしたのだから…魔法を使えるようにしてくれても良いのでは。
「こちらでは学校ってあるの?」
ふと私の勉強を見ている彼がずっと家に籠っていて良いのか気になった。
「この国では15歳から男は武官学校に入るんだ。18歳で軍に所属するか、別の職に就くか決めるんだ」
僕はまだ13歳だからね、と笑う。13歳に勉強を教えてもらうアラサー、少し笑える。
武官は適正さえあればなれるが、文官は貴族しかなれないらしい。
貴族は別の学校があり、そちらで様々な事を習得するのだとか。
「ん?そうすると、サージェさんとイデアさんって…」
「二人とも貴族だよ、母さんが貴族だったから面識があるんだ」
「私知らずにさん付けで呼んでたけど…気軽すぎて、まずかったよね?」
「大丈夫だよ、言葉通じてないし」
サージェは貴族と言っても没落した家の最後の生き残りだという。けれど古くから続く血筋らしく無下にはできない立ち位置らしい。イデアの方は家格でいうとサージェよりも今は上らしく様付けした方が無難だ、とアラムは付け足した。文官としてはサージェの方が上司らしいが、身分制度があると中々ややこしい事例もあるようで。だが私には馴染みのないもので、ぼんやりとしか理解していない。
何にせよ私は元奴隷の平民の上に日本人、方や貴族のお偉いさん達、もう二度と会うことも無いだろう。あの時もっと、しっかりとお礼を述べればよかったと後悔した。

 私は一人、文字の書き取り練習を続けている。アラムは友達に誘われ遊びに出て行った。
ごめんねリツ、というアラムは申し訳なさそうに眉を下げていた。私は教えてもらっている立場であるし、アラムは遊び盛りの子供だ、止める理由はなかった。
「やっぱり難しいなこの文字」
楔形文字をじとりと睨む。こんな調子では手紙を書く事など夢のまた夢に違いない。
ため息を吐く、もっと覚えやすい方法はないのだろうか。
日がやや傾きかけた頃、アラムが帰って来た。
「少し夕食の下準備、やってみる?」
文字と睨めっこしていた私にアラムが声をかける。
私は思わず目を輝かせ立ち上がった。
「教えてくれるの?」
笑って頷くアラムの後に続き、台所へ向かう。
彼はよくパルマが帰って来るまでに下準備だけをやっているらしい。
出来た息子である。
「昨日出たブージの下処理を教えるね」
紫とオレンジ色のマーブル模様が目の前に差し出された。
続いて木の棒も渡される。
「軽く叩いて、黄色い汁が出てきたら水で洗い流してね」
言われたとおりに叩いていると黄色く粘り気のある液体がにじみ出てくる。
少し嗅いでみると、渋みのありそうな独特な臭いがした。
アラムが出現させた水に突っ込んで洗う。黄色い汁が葉野菜から抜けきったようだ。
次の指示を待った。
アラムは竈の上に鍋を置き、魔法で炎を出しながらお湯を沸騰させていた。
「リツ、それ鍋に入れていいよ」
ほうれん草の要領で、茎の方から徐々に入れていった。
くつくつとブージが鍋の中で揺れる。取り出して絞れば、下準備が完了した。
「これでブージはおしまい、次はこれを刻むよ」
黄色いかぶの様な植物を見せられた。細かく刻み、アラムの反応を伺う。
「ばっちりだよ!」
子供レベルの手伝いだが、褒められて悪い気はしない。
口元が綻ぶ。
夕焼けが窓から差し込む頃、パルマが帰宅した。
覚えたての挨拶を口にする。
「イサナリエカオ」
パルマは目を真ん丸にし、目元をくしゃくしゃにして微笑んだ。
「マイダタ」
これがパルマとの共通語でのはじめての会話である。
じんわりと温かいものが胸にこみあげる。
 パルマが料理する様子を、アラムと一緒に見ている。料理の仕方を覚えようと思ったのだ。
私が刻んだ植物と肉を一緒に焼いている。ジュワジュワと良い音を響かせながら肉は芳ばしい香りを広げている。この国は肉というと、鶏肉なのだそう。「ルフ」は食べることを禁じられているが、その眷属とされる他の鳥たちは食糧とされている。もっとも「ルフ」を食べようとしても、こちらが餌になってしまうだろう。赤い香辛料と黄色い香辛料が入って、スパイシーな香りが部屋に漂う。
すんすんと嗅いでいるとお腹がきゅるると鳴いた。
定番メニューらしい鶏の香辛料焼き、ブージの卵和えがあっという間に出来上がった。
アラム曰く、国民的人気食らしい。日本でいうカレーのような位置づけだ。
今日は細長い米のような穀物もあり、肉と一緒に食べるのが最高らしい。
3人で食事を囲む。
「リツ、ウトガリア」
パルマさんが私にお礼を言った。お返しになんと言えばよいのか一瞬詰まる。
「掃除と下準備のお礼だよ、さっき教えてあげた言葉いってみて」
アラムが横から教えてくれた。
「テシマシ…タイウド?」
つっかえながらも言えた事に満足する。パルマも微笑んでいるので概ね正解なのだろう。
明日も頑張って勉強しよう、そう思った。
 トイレに行こうと思い、アラムに一応一言声をかけ外に出る。
空を見上げれば星が美しく瞬いていた。都会の空では見られないような細かい星もいくつか見える。
この国は夜になると灯りがほぼ消される。街灯もないため星がよく見えるのだ。
例外として、女王が住むとされる宮殿と私が事情聴取を受けた建物だけは今も灯りがついていた。
遠くに見える建物を眺める。白く輝く宮殿は夜の黒にとても映えた。
「あ、トイレに行くんだった」
思い出し慌てて向かう、真っ暗な中で用を足すのは存外怖いのだ。
 家に戻ると2人は寝る準備をしていた。私もその中に加わり、また一日が終わった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

理不尽に抗議して逆ギレ婚約破棄されたら、高嶺の皇子様に超絶執着されています!?

鳴田るな
恋愛
男爵令嬢シャリーアンナは、格下であるため、婚約者の侯爵令息に長い間虐げられていた。 耐え続けていたが、ついには殺されかけ、黙ってやり過ごすだけな態度を改めることにする。 婚約者は逆ギレし、シャリーアンナに婚約破棄を言い放つ。 するとなぜか、隣国の皇子様に言い寄られるようになって!? 地味で平凡な令嬢(※ただし秘密持ち)が、婚約破棄されたら隣国からやってきた皇子殿下に猛烈アタックされてしまうようになる話。

美しい公爵様の、凄まじい独占欲と溺れるほどの愛

らがまふぃん
恋愛
 こちらは以前投稿いたしました、 美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛 の続編となっております。前作よりマイルドな作品に仕上がっておりますが、内面のダークさが前作よりはあるのではなかろうかと。こちらのみでも楽しめるとは思いますが、わかりづらいかもしれません。よろしかったら前作をお読みいただいた方が、より楽しんでいただけるかと思いますので、お時間の都合のつく方は、是非。時々予告なく残酷な表現が入りますので、苦手な方はお控えください。 *早速のお気に入り登録、しおり、エールをありがとうございます。とても励みになります。前作もお読みくださっている方々にも、多大なる感謝を! ※R5.7/23本編完結いたしました。たくさんの方々に支えられ、ここまで続けることが出来ました。本当にありがとうございます。ばんがいへんを数話投稿いたしますので、引き続きお付き合いくださるとありがたいです。この作品の前作が、お気に入り登録をしてくださった方が、ありがたいことに200を超えておりました。感謝を込めて、前作の方に一話、近日中にお届けいたします。よろしかったらお付き合いください。 ※R5.8/6ばんがいへん終了いたしました。長い間お付き合いくださり、また、たくさんのお気に入り登録、しおり、エールを、本当にありがとうございました。 ※R5.9/3お気に入り登録200になっていました。本当にありがとうございます(泣)。嬉しかったので、一話書いてみました。 ※R5.10/30らがまふぃん活動一周年記念として、一話お届けいたします。 ※R6.1/27美しく残酷な公爵令息様の、一途で不器用な愛(前作) と、こちらの作品の間のお話し 美しく冷酷な公爵令息様の、狂おしい熱情に彩られた愛 始めました。お時間の都合のつく方は、是非ご一読くださると嬉しいです。 *らがまふぃん活動二周年記念として、R6.11/4に一話お届けいたします。少しでも楽しんでいただけますように。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

踏み台令嬢はへこたれない

三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」  公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。  春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。  そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?  これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。 「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」  ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。  なろうでも投稿しています。

婚約破棄してくださって結構です

二位関りをん
恋愛
伯爵家の令嬢イヴには同じく伯爵家令息のバトラーという婚約者がいる。しかしバトラーにはユミアという子爵令嬢がいつもべったりくっついており、イヴよりもユミアを優先している。そんなイヴを公爵家次期当主のコーディが優しく包み込む……。 ※表紙にはAIピクターズで生成した画像を使用しています

【完結】愛を知らない伯爵令嬢は執着激重王太子の愛を一身に受ける。

扇 レンナ
恋愛
スパダリ系執着王太子×愛を知らない純情令嬢――婚約破棄から始まる、極上の恋 伯爵令嬢テレジアは小さな頃から両親に《次期公爵閣下の婚約者》という価値しか見出してもらえなかった。 それでもその利用価値に縋っていたテレジアだが、努力も虚しく婚約破棄を突きつけられる。 途方に暮れるテレジアを助けたのは、留学中だったはずの王太子ラインヴァルト。彼は何故かテレジアに「好きだ」と告げて、熱烈に愛してくれる。 その真意が、テレジアにはわからなくて……。 *hotランキング 最高68位ありがとうございます♡ ▼掲載先→ベリーズカフェ、エブリスタ、アルファポリス

処理中です...