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第26話  王の帰還

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「おや、藍音。お客さんが来ていたのか」

 声の主が僕を見て言った。

「お父様。この人は坂下真一さん。ガレージセールのお手伝いをしてくださるの」

「ああ……お前が頼まれていたあれだね?」

 神宮司さんは、ガレージセールのことは既に知っているようだ。
 いけない。まだ、挨拶が済んでいない。

「はじめまして」

 慌てて頭を下げた後、

 あれ?
 なんだろう。この既視感デジャブ
 神宮司グループの会長。40代半ばほど。穏やかで親しみ深い風貌。
 それでいて風格がある。

「お父様。おかえりなさい」

 彼らは神宮司グループの王と王女なのだ。
 二人並ぶと、圧倒されるものがある。

 何だろう。
 『はじめまして』
 自分の言葉に違和感を覚える。

 確かにホビーフェスティバルで会っている。でも、あのときは人に囲まれていて、この人の顔は見ていないんだ。

 相手もそれを感じているようだ。
 僕を見ながら記憶をたどっているのがわかる。

「ああ! 坂下さんの息子さんだね!」

 親戚のおじさんのような、親しみ深さで話しかけられる。
 部長が目の前の光景を不思議そうに眺めていた。

 僕も記憶をたどる。
 たどり、そして……。

「あ!」

 思わず声が出た。

 そして、

「すみません!」

 即座に謝罪をした。

「あら?」

 部長が怪訝そうに眉をひそめる。

 そうなんだ。
 そうなんだ。

 去年、父さんの会社の新商品のお披露目パーティーが、公式発表される前に、内々で行われた。そこに来ていたんだ!
 あの時、あまりにも気さくに話しかけてきたんで、父さんの友だちかなんかと思ってしまった。
 まさか、あの親戚のおじさんみたいな人が、神宮司グループの会長だったなんて! 零細企業の経営者にあんなにフレンドリーに話しかけるなんて!
 って、言うか。まず来るなんて思わないよ! 天下の神宮司グループ会長だよ!!
 やたらと恐縮していた父さんの顔が、今さらになって目に浮かぶ。
 今さらだよ! 本当に!

 神宮司さんは、僕らが初対面ではないことを部長に説明すると、部長はようやくことの次第を呑み込んだようだ。

「あのときは、坂下さんには、いい跡取りがいて安心だって思ったよ」

 にこやかな表情で神宮司さんが言った。

 『いい跡取り』

 その言葉に、一瞬、僕は沈黙する。
 無理に否定することもない。肯定しなきゃいいだけだ。
 いずれ明らかになることなのだから。

 だが、

「どうかしたかい?」

 神宮司さんが尋ねてきた。
 口調は柔らかいけれど、黙秘権の行使を許さない厳粛さがある。

「あの、僕は後を継ぎません。もともと伯父の会社なんです。僕の従弟が継ぎます」

 なんでもないことのように、精一杯爽やかさを装う。
 ほんと、こんなところで爽やかさを発揮したくないよ。
 公式コメント。言いなれたセリフ。
 それをいつも通りに言う。
 でも、この表面的な態度が、この人には失礼なような気がした。

「そうなのかい?」

 神宮司さんは残念そうに言う。

「はい。それに周りもそれを望んでいます。なんというか、デキが違うんです」

 がんばれ!
 僕の爽やかさ!
 
「ふーん」

 神宮司さんは少し考えてから、

「まぁ、まだ先の話だからね。気の早い話をしてしまったね」

 そう言って、人のよさそうな笑顔を向けた。

「では、失礼します。おじゃましました」

 再び頭を下げる。

「そうかい? また遊びにおいで。いつでも歓迎するよ」

「ありがとうございます」

 僕は、部長と神宮司さんに送り出されて家を出た。





 その日の夕食のことだった。

 神宮司修じんぐうじおさむは、娘に話しかける機会を伺っていた。
 この話題を口にしていいものかどうか? 相手は年頃の少女だ。彼女の上の兄たちとは事情が違うのだ。
 
 ――娘がボーフレンドを家に連れてきた。
 
 これは一大事だ。しかも、決して悪い相手ではない。誠実で思慮深い少年だ。
 修は、娘の人を見る目に驚かされる。
 
 どんな風に切り出そうか? 考え続けえ、まずは、今、娘が取り組んでいる問題を糸口にしようと思いついた。

「上手くいきそうかい? ガレージセールは」

 妥当な話題だろう。

「協力を得ることができましたので、思ったよりは成果が上げられそうです。ですが、宣伝ができないなどの制約があるので、不安な部分はあります」

 娘は淡々と報告をする。

「どうだい……? その、坂下君は? 役に立ってくれそうかい?」

 本当のところ、『彼をどう思っているのか?』。そう尋ねたいところをぐっと堪える。

「そうですね……。出展者、それ以外の美容院の顧客、オーナー、近隣住民、作品の購入者。関わる人すべてとそれを取り囲む状況を把握し、考慮することができる人間ですし、物事の本質を見抜く力もあります」

 少年のことを話す娘の口調は、まるで部下を査定する人事部長のようで、恋する少女のそれではなかった。
 
 藍音は話を続ける。
 
「“たかがガレージセール” などとは考えず、慎重に物事を進めようとしてくれています。自分にはメリットがないにもかかわらず……」

 藍音は見た目は十六歳の少女だが、内面は年に合わないほどの賢く理性的な人間だ。いつもと変わりはない。だが、本当に変わってないのだろうか?
 もし……母親が生きていれば、変化に気づくのだろうか? 

「なるほどね……素養のよさそうな少年だ。坂下さんの親族には、人を見る目がなかったわけだ。嘆かわしいことだ。だけどね、本人がそれに気づかないことが一番の問題なんだよ」

 「そうですね」と、藍音が同意する。

 だが……修が気がかりなのは、藍音の気持ちなのだ。
 “本人がそれに気づかないことが一番の問題”
 それは、藍音自身のことでもあるのだ。
 気づいてからでは遅い。
 娘にそんな思いをさせたくはない。
 
 もし、妻が生きていたら……。
 詮無せんないことを考えずにはいられない。
 
 二人の息子は有能でだが、優れた人材は一人でも多い方がいい。これから事業の規模はますます拡大するのだから。
 藍音がそれを考慮し、役立とうとしてくれることは有難い。
 
 だが、藍音には、自分自身の幸せを掴んで欲しい。そのためには、良い相手に巡り合い、その縁をはぐくむことが大切なのだ。
 
 今はまだ、それを口にするのは時期尚早だろう。【急いては事を仕損じる】というものだ。
 頃合いを図らなくてはならない。そのためには、娘と少年の動向に、これからも気を配るべきだろう。

(藍音のためだ)
 
 修は一人心に決めた。




「お父様?」

 藍音は、父の心を慮る。父は、何を思いわずらっているのか。
 父は坂下慎一を気に入ったのだろうか?

 坂下真一。
 彼には、他のクラスメイト達とは、比べもようもない優れた資質がある。
 初めて会った日、慎一はテーブルクロスに目を付けた。彼には偏りのない公平さがある。
 そして、物事の本質を見抜く洞察力。それは、見込みのないことに見切りをつける潔さに表れている。
彼が父親の会社を継ぐことをあきらめたのは、冷静な判断力からくるものだ。決して、性格の弱さや、考えの甘さが所以ではない。
 確かに、甘っちょろいところがないわけではない。だが、そんなものは自分が矯正して見せる。
 人間というものは、関わる人間と状況次第なのだ。しかも、彼はまだ若い。いくらでも成長できるだろう。

 彼に対し、時には苛立ち、時には期待を寄せた。からかいたいと思うことさえある。
 フランから画像が送られたときは無性に腹が立ち、図案を消去してしまった。なぜそんなことをしてしまったのか? あの時の衝動は自分でも理解できずにいる。
 
 『何かがしたい』 と言ったときには、慎一が輝いて見えた。

 ―― この気持ちは何なのか?
 
 経験のない感情に、藍音は戸惑う。

 が、

 顧みる価値はない。そう判断した。

 利用できるものは利用する。自分はいつもそうしてきたのだから。

 それよりも、今気がかりなことは別にあるのだ。

「お父様? お顔の色がすぐれませんよ? お加減でも悪いのですか?」

 父には何か憂いごとがあるようだ。こんな父を見るのは久しぶりだ。
 何とかして気持ちを和らげて差し上げたい。自分に何かできることはないだろうか?
 
 ――そうだ!
 ささやかだが、素晴らしい考えが藍音の頭に閃いた。

「お父様。ダージリンの春摘みファーストフラッシュが手に入りました。シンブーリ茶園のものです。香りも味も素晴らしく、とても良い品です。淹れて参りましょうか?」

 手に入ったばかりの旬の茶葉だ。父は、この爽やかな青々しさを愛している。きっと、喜んでくれるにちがいない。
 
 藍音は優しく父に微笑みかけた。


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