有涯おわすれもの市

竹原 穂

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さがしわすれ 〜自転車の鍵〜

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 お姉さんの周りだけ、時間が止まったように切り取られた。
 触れようとすることはもちろんできないし、お姉さんの髪や服もピクリとも反応しない。

「……えっ? あれっ? ど、どうしたんですか?」
「わ、わかんない……。えーっと……」

 黒いキャップを外して、焦るハツカちゃん。
 スカートのポケットから小さなメモ帳を取り出してページをめくる。でもそこに答えはないのか、壁に並べられた本棚をひっくり返して解決の糸口を探そうとする。
 私はどの本棚に手をつけていいのかわからなかったので、地面に落ちたハツカちゃんのメモ帳を拾い上げてもう一度丁寧にページをめくる。
 有涯おわすれもの市についての説明……御座布のしくみ……お別れの際の言葉……最初の名前……。

「えっ!?」
「なんでだろ……今までこんなことなかったのに……。なんでお兄ちゃんやおばあちゃんみたいにできないんだろ……」
「ちょ、ちょっとこのページ見てください!」

 泣きそうになりながら本棚を漁っているハツカちゃんの肩を叩いて呼び止める。

「ホラ、ここ!」
「なになに……必ず最初に名前を書くこと……万が一怠った場合、名前を聞かずに御忘物に触れた場合……死者は、正気を保てなく、なる……」
「私たち、由香里ちゃんのお姉さんの名前、聞きましたっけ?」
「聞いて……ない」
「正気を保てなくなる、って……どういうことですか?」
「わから……ない」

 サアッとハツカちゃんの顔から血の気が引く。
 もともと色白の肌が、さらに青く透き通った。
 おそるおそるお姉さんの方向を振り返ると、鍵を抱いたまま口元だけがブツブツと動いているのが分かった。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……わたしが、わたしが……わたしがおかあさんもゆかりもころしてしまった……おとうさんごめんなさいおかあさんごめんなさいゆかりごめんなさい……わたしが、わたしだけがいきのこってずっとずっといきてしまって、ごめんなさいごめんなさい……」

 お姉さんの髪が伸びて、どんどん白く変わっていく。
 ブレザーの色が落ちて、擦り切れていく。
 おねえさんのスカートから伸びる二本の足の輪郭が薄れて、途切れて、それを繰り返す。表情も皺が増えていき、急激に年齢を重ねているようだった。

「は、ハツカちゃん、これはこのあと、どうなるんでしょうか……」
「し、知らない……」

 どうみても、放っておいて良い状態には見えない。
 はやくなんとかしないと、お姉さんだけではなく私たちも危ない気がする。

「あっ! おばあさんに連絡を取ってみたらどうですか?」
「おばあちゃん……スマホ持ち歩かないから……」
「そ、それでも電話して聞いてみましょう! 私たちだけじゃこれはどうにも……」
「やっぱり……アタシには無理だったんだ……学校にも行けないアタシなんて……志穂さんに助けてもらっても、決まったことすらできないなんて……アタシ……」
「ハツカちゃん!」

 自分の無力感に苛まれて現実逃避をしそうになっていたハツカちゃんの両頬を叩いてしっかり目を合わす。

「しっかりしてください! いま、このお店の店主はハツカちゃんなんですよ!」

 ハツカちゃんの色素の薄い瞳は涙で揺れていた。
 ぎゅっと抱きしめたい気持ちを抑えて、小さくなった勇気を鼓舞する。

「だけど……」
「ハツカちゃんは今まで、お兄さんやおばあさんの仕事ぶりをちゃんと見ていたじゃないですか! それを思い出してください! こんなとき、お兄さんやおばあさんならどうしていましたか!?」
「お兄ちゃんや、おばあちゃんなら……? ……む、無理だよ、だって二人とも、いつもあっという間にお客さんを帰せるんだもん……」
「じゃあ、やっぱり電話してみましょう! 私がおばあさんのところまで走って聞いてきても良いですから」
「う、うん……」

 心苦しいけど、今はハツカちゃんの不登校への罪悪感を思い出している場合ではない。
 自分の力が及ばないときに、それにつられて似た記憶も芋蔓式に掘り起こされてしまうことは私も身に覚えがある。
 その記憶に向き合う時間も大事だけれど、今はその時じゃない。
 スマホを取り出して、電話帳の中のおばあさんの番号に電話をかける。

「……ダメだ、やっぱり出ないよ……」
「大丈夫です! あと少しで気がつきますよ!」

 もう半分以上泣いているハツカちゃんをなんとか励まして、私も手当たり次第に目に付いた書類に目を通す。
 お姉さんは、もう完全に老婆の姿になっていた。
 だけど御忘物である自転車の鍵を握りしめている手だけは若々しいままで、うつろな目でなにもない虚空を眺めている。
 どれだけ時間が残されているのかわからないけれど……とても楽観的でいられる状況じゃない。

「志穂さん、どうしよぉ……おばあちゃん……」
「しっかりしてください! 私も、どうしたらいいのか探していますから!」

 書類に書かれている内容は、過去にお兄さんやおばあさんが出会った御忘物たちの記録だった。
 鉄道のおわすれもの市でおなじみの傘、本、服、靴はもちろん、クッション、ピアノ、おたま、まくら、花束、湯飲み、パソコン、アイスの棒、通勤鞄、犬の首輪、ネックレス、バスタオル……なんでもあった。どうしてそんなものが、人生をかけた御忘物になるのだろう?と首を傾げるものがほとんどだったけれど、物の価値は誰かとの関わりの中で生まれるのだから、どんなものにも縁が生まれ得るのだろう。
 今回の自転車の鍵だって、事故の背景を知らなければきっと生涯をかけた御忘物であるなんて想像もしなかっただろう。
 由香里ちゃんが、鍵を御忘物にしてしまったのはわかる。さがしわすれたものを取りに来たのだ。
 じゃあ、お姉さんは?
 お姉さんも、きっと当時は一緒に鍵を探したはずだ。なのに、見つからなかった。じゃあ、お姉さんもさがしわすれ?
 それなら、なんで……。

「ねぇ、ひおきさん」

 そうだ、私は名乗っていた。
 名前を呼ばれて、自分の意志とは関係なく、操られるように否応なしに目が合う。
 由香里ちゃんのお姉さんだった老婆の瞳は黒く空洞で、今にも飲みこまれそうだった。

「ここに鍵があるのだから、わたし、ゆかりにわたさないといけないの。ゆかりのところに、つれていってくださる?」

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