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たべわすれ 〜かずのこ〜
2-12
しおりを挟むご自身だって、旦那さんを亡くして傷ついているはずなのに、千絵さんはどこまでも優しかった。
その優しさが、私の乾いた心におもしろいように染み込んだ。
この先の私の人生は、抱えきれない罪を背負って、どう償えばいいのかを考えるだけの時間になると思っていたのに……。
償い以外に、自分の感情を省みる時間があってもいいのだろうか。
「わたし、最後に立ち寄るお店がここで良かったわ」
千絵さんは、片づけ忘れたお皿を大事そうに胸に抱えて満足そうに微笑んだ。
「折角のご来店でしたのに、お騒がせしてしまって申し訳ありません」
「いいえ、静かすぎるよりも賑やかなほうが性にあってますわ。最後に、かわいらしいお嬢さんに出会えましたし。昔の私を思い出す……なんて、言ってしまうと失礼かもしれませんけれども」
「決してそのようなことはございません」
「あら、それなら、ありがとう。ねぇ、このお皿……、何かが乗っていなかったかしら?」
ナユタさんがハツカちゃんを視線で促す。
「……あ、えっと……先ほど、誠二さまが来られまして、御食べ忘れになられていた数の子を受け取って帰られまし、た」
ナユタさんほどの流暢さはないけれど、ハツカちゃんはたどたどしくも誠二さんが来店された時のことを真剣に語った。
「誠二さまは、千絵さまのお気遣いに気づけず、家を飛び出してしまったことをひどく後悔しておいででした。ですが、ご葬儀の場や墓前でご家族のお気持ちを見聞致しまして、えーっと……その、ご自身の生と死、つまり有涯の終着を十二分に受け入れることができたご様子で、有るべき場所へ還られました……と、思います」
「そう……やっぱり、あの人も来ていたのね。お皿の上のものを、まずは片づけないといけないと思っていたのに、綺麗になくなっていたから少し驚いたの。あの人、六本も一気に食べて、お腹を壊さないかしら」
「ご安心ください。死者様はそのような、生者の理には縛れませんから。本日は、変則的なおもてなしになってしまいましたが、ご満足いただけたでしょうか?」
最後はナユタさんが締めくくって、千絵さんは返事の代わりにその姿を消す。
誠二さんの時と同じく、瞬きの一瞬の間の出来事だった。
「どうぞ、良き次の有涯を」
千絵さんがいなくなった途端、一筋の風がお店を通り抜けた。
「かえられた……の、でしょうか」
「たぶんね。……って、志穂さん、顔ヤバいよ?」
ハツカちゃんに指摘されるまでもなく、私の化粧とも呼べないような肌に乗せた色たちが涙で全部落ちていることは自覚していた。
「はい、コレ。結婚指輪、大事なものなんだよね」
私の手に、ハツカちゃんはそっと指輪を乗せる。
とても優しくて繊細な手つきだった。
「あ、ありがとう」
そういえば、さっきは誠二さんについてかなり辛辣な感想を述べていたハツカちゃんのことだから、きっと私のことについてもなかなかに手厳しい意見をくれそうな気がする……。
指輪を受け取った後、おそるおそるハツカちゃんの表情を伺う。
「………」
だけど、ハツカちゃんは何も言わなかった。
眉毛をハの字に曲げて、唇もへの字に曲げているから、綺麗な顔がどこか愛嬌を含んだ可愛らしい印象に変わった。
「日置さん、お話の途中で来客がありまして、重ね重ね失礼致しました。通常ならば、同日に複数人の来客などあり得ないのですけど……」
「おばあちゃん、志穂さんはここの机も椅子も見えるし触れるし座れるんだよ」
ハツカちゃんの言葉に、ナユタさんは上品な雰囲気を大幅に崩して目を丸くした。
そ、そんなに座っちゃダメだったのかな……?
「あ、すいません……勝手に座ってしまって……」
「いいえ、謝罪には及びません。それより、まずは状況の整理を致しましょう。こちらが理解している事柄は、日置さんのお名前のみですので。……ハツカ」
「はい。あのね、おばあちゃん……」
ハツカちゃんは、私が迷い込んだときの様子を事細かに説明してくれた。
私との会話の一言一句までそのままだったから、私は横で聞いていて驚く。
すごい記憶力だなぁ……。
もしかして、店主代理として振る舞っている時はお兄さんの口調をそのまま真似ているのかもしれない。だから、不測の事態や自分で考えて発言する場面で言いよどんでしまうのかな。
本当は、おばあさんの前で少々幼い印象を残したままあどけなく喋る彼女の方が、本当の姿なのかもしれない。
「……なるほど、理解致しました」
ナユタさんはひとつ、誰に向けるでもなく頷いてからまた私に向き直った。
「日置さん」
「は、はいっ……」
やっぱり、勝手にあがりこんで好き勝手したことを怒られてしまうのだろうか。
それとも、このまま怪しい壷でも買わされてしまうのだろうか。
お客様は全て死者ということは……もしかして、私もすでに死んでいたってオチだったりして……。
「時給、千円でいかがですか?」
「へっ? あの……」
「社員寮あり、水道光熱費負担、家賃0円です」
「よろしくお願いします!!」
条件反射だった。
悲しいかな、この『有涯御忘物市』に対して数多くの疑問はあれども、無職・無縁・無定住の私は定職と家賃ゼロ円につられて即答してしまった。
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