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第四話 境界標騒動
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しおりを挟む「いやぁ、俺自身があやうく事故物件になるところだったぜ」
数日の検査入院を経て、所長は遺志留支店に戻ってきた。
まだ包帯がぐるぐる巻きになっている細い首が痛々しい。
……今日、僕には所長に言わなければならないことがある。
「絞殺されかけたんですから立派に傷害事件ですし、死体遺棄かつ隠匿だから余裕であそこは事故物件ですって」
「本当に怖いのは、生きてる人間だってことで、オチがついたかな?」
「そんなオチのつけかたはやめてくださいよ……」
いつもの軽口がなんだか懐かしい。
あれから、番場さんによる通報のおかげですぐに警察と救急車が来て、僕たちはしかるべきところに運ばれた。
番場さんへの電話は通じなかったと思っていたけれど、履歴が残っていたらしくそこから霊力を辿って分かったのだとか。
……霊感って、ほんとなんでもアリだなぁ。
「あの奥さん、どうなった? 冷凍保存されてたから、身体から出てこられなかったんだな。かわいそうに」
志田さんは数々の容疑で警察に収容され、死後二週間が経過していたアイリスさんは病院を経由して家族の元へ戻った。
アイリスさんと志田さんは何度も不妊治療をしていて、妊娠はするけれどすぐに流産するという状態が続いていたらしい。
そして、とうとう子供が作れなくなる致命的な病気になってしまった。
それを知った志田さんが……アイリスさんを、という顛末だった。
志田さんは子供に固執していた。
所長の妹さんみたいな、金髪の可愛い子供が欲しかったと言う志田さん。
金髪に異常なまでの執着をみせていたけれど、警察では容疑を全面的に黙秘しているのだとか。所長が録音した音声があれば、罪からは逃れられないと思うけど。
「奥さんは、やっぱりダメでした。もう葬儀は済みましたよ。グッドバイの名前で香典出しておきました」
「ありがとな。……助けてやれなかったか」
「仕方ないですよ、所長」
奥さんを殺してしまったことで、志田さんの箍が外れてしまったのだろうか。
今となっては、本当のところは分からない。
「お茶、入れましょうか」
「おぅ、頼むわ~」
所長のために丁寧に緑茶を入れる。
まだ本調子じゃないのか、目を離すとボーッとしてしまう所長の目の前に湯飲みを置くと、ハッとしたように我に返った。
「悪いな」
「いえいえ。おかえりなさい、所長」
「おう~。入院生活は退屈だったぜ。マスコミはうるさいし、番場ちゃんもうるさいし」
「そりゃ、あんな事件を起こしたらそうでしょうね……」
「そういや、朝くん全然お見舞いにきてくれなかったな? どうしたんだ? キミのことだから、毎日でも来ると思ったのに」
冗談っぽく聞かれたけれど、あからさまに動揺した僕を見て所長も顔色を変える。
「……なに? 何かあったのか?」
「えっと……その、実はですね……」
所長が入院していた間、ずっと、どう伝えればいいのか考えていた。
ああでもないこうでもないと言葉を捏ねているうちになんだかよく分からなってきて、うまく伝えれるかどうか自信がない。
……だけど、やらないといけない。
「あの……」
所長の前のダイニングテーブルに座った。
この位置は、はじめて遺志留支店に来たときと同じ配置だ。
まるで昨日のことのように思い出せる。
「僕、あの時……所長を助けるためにお願いをしたんです」
「おぅ。誰にだ?」
「所長の妹さん……です」
「………」
「僕の耳には、あのオモチャから妹さんの笑い声が聞こえたんです。その時に、『なんでもするから所長を助けて下さい』……って」
「………」
「妹さんは、僕の願いを叶えてくれました。だから、僕は義務を果たさないといけないんです。だって、『なんでもする』って言ってしまったから」
「………」
妹さんの名前を出した途端、所長は余計な茶々を入れなくなった。
ただ黙って僕の話を聞いてくれる。
「だからその……言伝を預かっているんです。妹さんから、所長に」
「………俺、に?」
「もういいよ、って……」
「………」
「所長が霊能力をすべて使ってまで私を留めてくれようとしてくれたことは嬉しかったし、いつでもお兄ちゃんの心に私の場所を作ってくれてありがとう……って」
「………」
「でも、私は実体のない身体だから、もうお兄ちゃんとは違うところにいるから……」
「………」
「だから、えーっと、その……」
普段は聞いていないことまでベラベラとよく喋る所長が神妙な顔をして大人しく聞いている。そんな姿に是非とも報いたいと色々考えるけれど……やっぱり纏まらない。ぐちゃぐちゃのまま話してしまう。
「もう、私を忘れてください……って」
「………」
「私が現世に留まれているのはお兄ちゃんのおかげだから……お兄ちゃんが私を忘れてくれれば、私はもう旅立てる。今までありがとう。だから、さよならしよう……って」
「………」
「……との、こと、です……」
「………」
「……所長?」
あまりにも反応がなかったので、俯いておでこを押さえる所長に声を掛ける。
でも小さく鼻をすする音がしたから、もうそれ以上はそっとしておくことにした。
テーブルの上にポタポタと丸い水滴が次々に落ちていく。
「………」
「………」
「……あのさ」
「はい……」
「俺って、ズルしてたよな」
「えっ?」
「普通の人間は、死者に関与なんてできないんだ。皆、愛する人との別れは辛く悲しいのに、ちゃんと乗り越えてる。俺は乗り越えられる気が……しなかったから……っ! だから、駄々こねて妹を縛り付けちまったんだな」
「そ、そんなことないですよ……。お兄ちゃんに留めてもらったから、二十年分この世で余計に遊べて楽しかったって言ってましたよ」
「そっか……本当にそう言ってるんだな」
「はい。お兄ちゃんが必要以上に気にしているせいで、話しかけても全然通じないって拗ねてました」
「はは……。そりゃ、悪いことしたなぁ」
手の甲で流れる涙をグイッと拭って、顔を上げる。
「忘れるなんて、できない。したくない。……だけど、もうお兄ちゃんワガママ言うのやめるわ。お前のためなら、俺は変わるよ。何にだってなる。何にだってなれる」
所長は顔全体をクシャッと歪めるいつもの笑い方で、僕とその後ろにいる妹さんに笑いかけた。
「ごめんな、ナユナ」
「ありがとう、お兄ちゃん……って言ってます」
「朝くんもありがとな。でも、朝くんの顔で『お兄ちゃん』を連呼するのやめてくれない?」
あはは、と所長は僕を指さしておちょくるように笑う。
それにつられて、僕も笑った。
僕の耳には、微かにだけれど確かに妹さんの声も届いていた。
※※※
「……あら。髪を切ったのね」
「はい。ようやく、散髪に行けました」
伸びすぎた前髪が自然と真ん中で分かれるセンター分けはもうやめたのだ。久しぶりの短髪でなんだか気恥ずかしいけれど、気持ちは軽い。
久しぶりに依頼を持って事務所を訪れた番場さんにお茶を出しながら話をする。
「朝くん、番場ちゃんのところから誘われてるみたいじゃん?」
番場さんが来ると聞いて、いつもよりちょっとだけ身嗜みに気をつけた所長が横から茶々を入れた。
「そうね。最近の活躍を聞いた社長が、是非一緒に働きたいって言ってたわよ」
「おいおい、堂々と引き抜きしないでよ~」
「人材は平等に配置するべきよ」
所長と番場さんの距離は、いつもと変わらない。
所長は妹さんの乳歯らしき歯と靴を玄関先に置くのをやめた。キチンと然るべき場所に仕舞って、普段の会話でも妹さんの話をほとんど出さない。仮に出ることがあっても、それはちゃんと故人として扱っている。決して忘れたわけではないけれど、所長は所長なりの速度で進んでいるんだと思う。
「番場さん、ありがとうございます」
妹さんの気配は最近めっきり感じなくなった。
花が綺麗に保つようになり、掃除も捗る。
「でも、僕はここが……グッドバイが好きなんです」
自信をなくして消えそうだった僕を救ってくれた場所。大事なことを教えてくれた場所。
「だから、ここで頑張ります!」
ホドホドにね、と年長者らしい助言をしてくれた番場さんとは対照的に、所長はニヤニヤと笑うばかりでなにも言ってこなかった。
でもそれが、所長らしいと思う。
「里見くんも何かコメントしてあげたら?」
「えー? 俺はいいよ」
「そうですね。だってこれは、自分で決めたことですから」
ハッキリと言い切った僕に、二人とも少しだけ驚いた顔をする。な、なにかおかしなことを言ったのだろか……。
「……朝くんさ、自分のこと好き?」
「昔は嫌いでしたけど……今は、少しずつでも好きになっていきたいです」
この厄介な霊感も、体質も、ぽんこつ具合も、全て。
「ま、人生に近道はないってことだな! 番場ちゃん、今回の無特記物件はどんな感じ? 仕事しようぜ。仕事!」
番場さんはハイハイと封筒から書類を取り出す。
さて、今日はどんな訳あり物件だろうか。
了
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