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第四話 境界標騒動

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「なーにが、『独自に調べところ……』だよ! デタラメもいいところだぜ」
「えっ? そうなんですか?」

 車に乗り込むなり、悪態をつきだした所長に戸惑う。あんなにニコニコしてたのに……。

「たがだか数十年前のこと、俺だって調べたっての。でもそんなの一言もなかったぜ。おおかた、アイツがいつも頼むインチキ素行調査の奴らの情報を鵜呑みにしたんだ」
「インチキ……?」
「どこの業界にもいるだろ? 楽して儲けようとする奴ら。そんな奴らが一番嫌がるのは、白黒はっきりつけられることだ。霊感業界っていうのは、そういうインチキして儲けたい奴らの格好の狩り場なんだよ。志田は自分の足で調べたり探したりっていうことを嫌うからな。いつも金に任せて業者を雇うんだよ」

 結局、あの後は「なにも分かりません」という無様な真実を伝えるしかなくて、そう言ったら志田さんは途端に僕に興味をなくしたらしく、また所長との会話に戻ってしまった。

「……所長、どうしてあんなにも志田さんに話を合わせるんですか?」

 運転席のシートベルトを締めながら聞いてみる。
 所長は「もう大丈夫だ」と言うけれど、志田さんのことになると様子がおかしいから、強く主張してまた運転手をすることにした。

「そっちのほうが、油断するだろ? 俺はもっとアイツに調子に乗ってもらって、その上でボロをだしてもらいたいんだよ」
「……かかなくていい恥もかきましたし」
「気にすんなよ! あれぐらい盛大に滑った方が、朝くんのためだって」
「どういうことですか?」
「アイツは霊感を自分の都合のいいように解釈しているからな。もしも朝くんが取り憑かれ体質の霊感レーダービンビンだってことを知ったら、きっと色々利用されるぜ?」
「り、利用……」

 濡れ衣だったら非常に申し訳ないけれど、所長の妹さんがうけた仕打ちを思い出してゾッとしてしまう。

「俺らはポンコツだって思われている方がいいんだって。その方がなにかと動きやすいからな」
「そうでしょうか……」
「そうだぜ。飛び降り団地でちょっとやりすぎちまったからな。そのせいで探りを入れに来たんだよ、アイツは」

 所長もシートベルトを締めたことを確認して、車を発進させる。
 バックミラーを見ると、まだ志田さんが立っていて僕たちに手を振るものだから、僕は慌てて窓をあけてお辞儀をした。
 変色した境界標についてパッと見てわかることはなかったのでまた調査します、ということで解放してもらえたのに、まだ蛇に巻き付かれているみたいだ。
 志田さんは終始友好的だったけれど、どうにも時々蛇のような鋭さで僕を射抜いた。
 その意味はよく分からなかったけれど、ロクな理由ではないことだけは確かだと思う。

「……所長は、あの境界標を見てなにか感じましたか?」
「まぁな。でも、朝くんが感じないってことは大丈夫だろ。隣人に害を及ぼすもんじゃない」
「じゃ、じゃあなんで動いていたんですかか?」
「そりゃ、動かしてる奴が居るからだろ」
「え?」
「志田サンが、俺たちを呼び出す口実欲しさに連日夜な夜なコンクリートを剥がしていたんだろ」
「ええ!?」

 運転途中に衝撃的な内容を話すときは、一言断って欲しい。
 やっと走り慣れた広い田舎道を蛇行しそうになってしまった。

「だって、それしか考えられないじゃん。仮に怨念うんぬんがあったとしても、これまで大丈夫だったのにどうして半年前からなんだ? おかしいだろ。隣り合う二軒にも特に変わった様子はなかったし」
「飛び降り団地のときみたいに、室内に遺骨や位牌があるとか……?」
「そうだとしても、タイミングが良すぎるんだ。ま、別に気にしなくてもいいだろ。アイツとは、これからも長いつき合いになるだろうし」
「はぁ……」

 所長がそう言うのなら……と僕はこの件に関していったん解決したものだと思ってしまった。
 あと数分で事務所に帰れるというのに、なぜか車内に備え付けてあるプレーヤーをイジる所長。

「どうしたんですか? もうすぐ着きますよ」
「いや、前にこの車使った時、お気に入りのAVを忘れちまったような気がしてな……」
「車内でなんてもの見ているんですか。そういうのには反応しないんじゃなかったんですか?」
「それはそれ、これはこれだよ。俺じゃなくて、幽霊向けに流してんの。んで、どうせ見るなら自分の好みの姿形の女の子のほうがいいじゃん」

 所長はそう言いながらガチャガチャとプレーヤーのボタンを押し続けている。
 ……ん? そういえば、確か所長はワードすら僕が補助しないと使えないぐらいの機械音痴じゃなかったっけ?

「しょ、所長。もうすぐ着くんで、僕が……」
「おっ! これだな?」

 所長が押したボタンは、ラジオ切り替えのボタンだった。
 数秒のノイズの後、平坦な口調でキャスターが喋り出す。



【……市、遺志留町において隣人同士による傷害事件が起きました。警察と救急車が出動する騒ぎになり、事態は……】



「へっ? 所長、これ、さっきの……!」

 聞き慣れた地名に思わずよそ見をしてしまう。

「………」

 ハンドルから目を離した隙に、所長に主導権を奪われてしまった。

「うわぁあっ!? な、なにするんですか!?」

 交通量ゼロの田舎道とはいえ、公道のど真ん中での強制Uターンは止めて欲しかった……!!

「戻れ」
「えっ?」
「朝くん、さっきの場所に……志田のところに戻ってくれ!」

 ほんの数分前まで閑静な住宅街だったのに、今や事態は騒然としていた。
 立ち入り禁止のテープが貼られ、辺りには警察官と救急隊、それに野次馬とマスコミに根拠のない噂話や憶測が飛び交う……イヤな景色だと思った。
 さすがに近づけなくて、適当な駐車場に車を停める。
 所長は戻ってくる間、ずっと何かに焦るような貧乏揺すりを繰り返していた。

「くっそ……やられた……俺のせいだ、俺の……」
「そ、そんなことないですよ! ニュースによると、隣人同士喧嘩しちゃっただけじゃないですか……」

 基本的に「自分のことが好き」と公言して憚らない所長が自分を責めるようなことを言うなんて驚きだ。

「ただの喧嘩なら、俺だって気にとめないさ。でもな、これは防げた事態なんだ。アイツを野放しにするかわりに、その尻拭いだけはちゃんとするつもりだったのに……」
「飛び降り団地の時みたいに、ですか?」
「そうだ。アイツもそれを楽しんでいるみたいなところがあったからな。変にひっかき回して、俺がどう動くか見てやがるんだ」

 ふぅー、とため息にしか聞こえない深呼吸を三回繰り返した後、所長は震える指で煙草に火をつけようとする。

「ライター、つけましょうか?」
「どっちに指をかけたらいいのかも分からないのに?」
「も、もう分かりますよ……」
「冗談だよ、冗談。頼むわ」


 一度失敗したから、二回目は大丈夫だ。
 噴出口の位置をしっかり確かめて、グッと指に力を込める。
 至近距離で吹き出す炎に多少の恐怖心はあったけれど、志田さんの生霊に苦しめられているらしい所長の姿を見ていると自分の恐怖心なんてどうでもよくなった。

「はぁ~、キツい……」

 肺の中に煙をしっかりと入れて、所長は弱音を吐き出す。

「大丈夫ですか? 僕には相変わらず、何も感じなくて申し訳ないんですけど」
「いや、それがキミの役割だからな。大丈夫だ」
「全然、そんなふうには見えませんけど」
「どっちの話? 朝くんは自分に取り憑こうとしている幽霊しか分からないだろ? と、いうことはつまりある程度幽霊の可視化ができるってことなんだよ」
「可視化……ですか」
「そうだ。例えば、キミがくたばってて俺がピンピンしてるなら、無差別な雑多霊だろ? セオリー通りの除霊が通じる。逆に俺がくたばっててキミがピンピンしてるなら、俺目当ての執着霊だってことだ。それだけ分かれば、もう十分だよ。キミは取り憑かれ体質だけど、流れ弾でダメージ受けるようなタイプじゃないから、イザとなったらキミだけでも逃げて……」
「………」

 僕はライターを背広のポケットに仕舞ってから、ありったけの力で所長の両頬を叩いた。

「……ッ痛!?」
「所長! いっ、いい加減にして下さい!!」

 何が起きたのか分からない、といった眼で所長は僕を見ている。
 いつもは僕が所長の立場なのに、なんだか変な感じだ。

「な、なんだよ、朝くん……」
「まだ、僕だけ逃がそうとかそんなことを考えているんですか? 僕は協力したいって言っているじゃないですか! 一人だけ助かりたいなんて、そんなことは思っていません! そりゃ、進んでやられたいとも思っていませんが……」
「………」
「所長は僕に色々なことを教えてくれました。僕はこれでも、所長に感謝しているんです。全然、その、頼りないとは思うんですが……僕も、頭数に入れて下さいよ」

 こんなこと思うのは、まだ生意気かもしれませんけど……と、語尾がゴニョゴニョになってしまう。だめだ、やっぱり格好つかないや、僕は。

「……わかった」

 火がついたままの煙草から再び煙を吸い込んで、僕が叩いてしまった頬をさする所長。

「気合い、ありがとな。おかげでちょっと思い出せたぜ」
「えっ?」
「俺が、何のためにグッドバイで働いてるかってことをな!」

 携帯灰皿に残った煙草を勢いよく擦り付けて、所長は一足先に助手席から外に出た。
 僕も後を追おうと思ったけれど、車から出た所長はぐるりと車の前を回って僕の側の運転席を開けてくれた。

「……へ?」
「なんでビックリしてんだよ。キミが言ったんだろ?」

 今まで、僕は所長の後ろをついて行くだけだった。
 立ち止まって待ってくれるなんて、初めてのことだ。

「さて、一緒に行くぞ!」
「はい……!」

 すごくバカなことをしているのかもしれない。
 霊感なんて曖昧なものだ。
 わざわざ狼の群れに飛び込む必要なんてない。
 知らんぷりして通り過ぎるのもひとつの方法だろう。
 でも。
 曖昧だけれど、僕にとってはこれが紛れもない現実として傍にあるんだ。
 これが間違った選択だとしても構わないと思う。
 自分で選んだことなら、きっとどんなことでも受け入れられる。
 そんな気持ちで、僕は安全な車内から外に出た。







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