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第三話 特定街区の飛び降り団地

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 頭の中に呪いの言葉が木霊する。
 また少し意味合いが違うけれど、きっとこれこそが真に言いたいことなのだろう。
 そう理解した途端、今度は身体を強く引っ張られる。
 か、風ぐらいでこんなに動かされるものなのか……!

「おい! 絶対振り向くな!」

 所長の声が遠く前方から聞こえる。
 言われなくても、振り向きたくない。
 なにがそこにいるのか、目で見て存在を認めてしまったらもう二度と戻ってこられないような気がする。
 所長はまだなにか叫んでいるけれど、途切れ途切れになってうまく聞き取れない。
 アドバイスはいいから、そろそろ助けに来て欲しいんですけど……!

「………」

 後ろに引っ張られるだけだった風圧が、今度は身体全体にのしかかる。
 なんとか状況を打破するきっかけになればと、保冷剤に伸ばしていた手も地面に落ちた。
 視界に霞がかかる。
 身体中が痛くてだるい。
 最近慣れ親しんだ『取り憑かれる』感覚だ。
 ここの幽霊たちは取り憑くタイプじゃないって、所長、言ってたじゃないですか……。
 
「危ない!!!」

 遠のく意識に身を任せそうになっていたら、いきなり首根っこを掴まれた。
 驚いて顔を上げると、所長が鬼気迫る表情で僕を掴んでいる。

「しょ、所長……」
「振り向かなかったのは偉いけど、今度は下を見るなよ……っ!」

 そう言われると見たくなるって、所長は知らないのだろうか。
 足下が非常に心許なく宙に浮いている今の状況に悪い予感を抱きながら、言いつけを破ってチラリと盗み見てしまう。

「ばか、見るなって!」
「ひぇ……」

 いつの間にか、フェンスの切れ目から身体が半分以上でていた。
 その先は、十階下の地面だ。
 何メートルあるだろう。
 たぶん、落ちたら死ぬ。

「………」

 死、というキーワードが実感を持って頭に浮かんでから、頭の中に木霊する呪詛がさらに大きくなった。
 所長に首根っこを掴んでもらってよかったと思う。
 手や足にはもう力が入らないから、握り返せない。

「おいおい、こんなところで終わるのかよ。まだまだ異動になったばかりだろ?」
「………」
「このまま取り憑かれ体質で利用され続けてもいいのか?」
「………」
「やられっぱなしはイヤだろ? おい」

 所長の軽口も今は遠く感じる。
 本当に、取り憑かれている感覚なんて全くなかったのに……どうしてこんな、急に来たんだろう。

「……ッ、なんとか言えよっ!! バカ野郎!!!」
「ぅわ……!?」

 いよいよ思考を飛ばしかけたら、すごい力で屋上に引き上げられた。
 グキッ、と明らかに首筋を痛めた音がする。

「あ。あれ……」

 足下に地面の感覚が戻ってくると、急に脳が働き出した。
 体の自由がきかないほどの体調不良も消えて、改めて屋上を観察すると見渡す限り不法投棄の山。
 どこをどうしても、爽やかな風なんて吹きようがない。

「いや~……久々に肝が冷えたぜ」

 所長は尻餅をついてその場に座り込む。
 肩で息をしているのは、たぶん僕のせいだ。

「フェンス伝いじゃないと歩けないほどいろんな不法投棄物で屋上中ごった返してるってのに、『なにもない』なんて言うから一体どうしちまったのかと思った」
「すいません、めっ、迷惑ばかりかけて……!」
「あー……気にすんな。おかげで良いデータが取れたぜ」

 平謝りする僕に、所長は手をヒラヒラと振って「もういいよ」と言う。

「……に、しても今回は危なかったな。霊感が強いからこそ、気づけないモンもあるってことか」
「な、なんだったんでしょうか……」
「朝くんの霊感は特に敏感だからな。油断させたところで、一気に叩くつもりだったんだろ。最後の一押しをするために取り憑こうとしたけど、今一歩及ばずってところか。まぁ及んだら俺が困るけど。幽霊達も手をかえ品をかえ、日々努力してるってことだ! あはははははは、あはははは!」

 な、なにがおかしいのかよく分からなかったけど、所長の笑いがあまりにも長く続くから僕も愛想笑いをしてしまう。

「そうだ。今度から、保冷剤投げるときも一言あったほうが良いか?」

 僕の返事は分かり切っているくせに、所長はわざと冗談だとわかる調子で聞いてくる。

「……もう、無くても良いですよ。助けてくれて、ありがとうございました」

 いつもと変わらない所長を見ていると、ついさっきまでの恐怖が薄れていくから不思議だ。
 屋上の調査をするために、一足先に立ち上がる。

「所長、どこから手をつけましょうか」

 尻餅をついたまま、所長の息はまだ荒い。

「所長?」


 心配になって肩に触れようとすると、鋭く「やめろ!」と制される。

「えっ……、あの……」
「言ったじゃん、俺、もうほとんど霊感残ってないって。一般人と同じなのに、あんな近くでヤベーの見たら、ちょっとキツいって……いま動かされたら全部出そう」
「で、出るって何が……?」
「理性とか、意識とか」

 僕の後ろに居たナニカを、結局僕は見ていない。でも、僕を助けようとした所長は正面から見ていたのだ。

「本体は遠くにいるみたいだから取り憑かれちゃいないが……身体動かねぇわ……」
「ど、どうしたら良いでしょうか」
「………」

 所長の返事は返ってこない。
 時間が解決してくれるのだろうか。それとも、今こそ番場さんに助けを求めるべき? いや、なにか僕にできることがあれば……。
 でもさっき考えたとき、結局なにも思いつかなかったじゃないか……。

「……あ」

 所長の上着を探って、煙草とライターを取り出す。
 よくある百円ライターと、なんだかよくわからない言葉の書かれた煙草。

「これっ……! これでどうですか!?」

 急いで火をつけようとする。
 でもライターなんて使ったことがないのと、焦りで出火部分に指を置いたままスイッチを押してしまった。

「熱っ!?」

 それでもなんとか、二回目のチャレンジで火をつけることができた。
 何度も咽せた匂いが屋上中に広がる。
 気のせいかもしれないけれど、煙草の煙が巡るうちに屋上の暴風が少しずつやさしくなっていくように感じた。
 改めて見渡すと、屋上には地上から見上げた時の清潔さなんてどこにもなかった。
 不法投棄の山だ。それも、かなり年季が入っている。

「……げほっ」

 吸い方が分からないので、所長の傍でおっかなびっくり煙草を持っていた手をグイと払われる。

「も、いいぜ……」

 顔色は最悪だったけれど、喋れるようになった所長にホッとする。

「良かった……」

 僕だけじゃ、幽霊相手に何もできないし分からない。
 結局まだ、所長に教えてもらうことが多すぎるのだ。

「あの、今回はすいませんでした……足を引っ張ってばかりで……」
「そんなこと、何度も謝るなよ。後輩を育てるのは先輩の役目だし。俺だって、朝くんが育ってくれたら助かると思ってるからな。ちゃんと教えたことを覚えて実践して、偉いよ。やればできるじゃん」
「所長……」

 就職してからずっと役立たずのレッテルを貼られ続けてきた身には所長の「やればできる」が心に沁みる。

「今度は、なにか聞こえたか?」
「えっと、今度はまた少し違う言葉が聞こえました」
「なんだ?」
「おまえもしねばいいのに……って」
「そうか。それが、本当に言いたかったことなんだろう。……だいぶ、正確に聞こえるようになったな」
「え?」

 疲れているせいか、最後の言葉は掠れてうまく聞き取れなかった。

「……これで、朝くんは幽霊が見えるし聞こえるようになったわけだ。あとは話せるようになれば完璧だな!」
「か、完璧になるってどういうことですか……」
「霊感って言ってもそれぞれタイプがあるだろ? 朝くんみたいなビビりには、見えるだけだったり聞こえるだけだったりすると余計に恐怖が増幅されてしまうんだ。見えて、聞こえて、話せるようになれば幽霊の全貌を掴んだと言えるから、そうなったらもう怖いもんなしだぜ~」

 そんなことよりも、僕個人としてはこの厄介な個性をどうにかしてほしい気持ちでいっぱいだけれど……番場さんの言葉を思い出してなんとか前向きになる。
 僕のこの霊感は、黒子のように望むと望まざるとに関わらずただそこにあるものなのだから、必要以上に悩んだり嫌ったりするのはやめようと思う。
 それに、この能力のおかげで遺志留支店に雇ってもらっているようなものなのだから、なくなったらそれはそれで困るのかもしれない。

「取り憑かれるだけなんて、もうイヤだろ?」
「もっ、もちろん! あっ、でも幽霊と話をするのって良くないんじゃ……」
「それはそれ、これはこれ。全部が全部悪霊じゃないからな。ダメな神格をもった奴と話すのがいけないんだって。まっ、その辺りの塩梅は俺に任せておいてくれたらいいからさ」

 所長はゆっくりと立ち上がる。
 よろけそうになっていたので肩を貸そうとしたけれど、やんわりと断られてしまった。

「やっぱり、朝くんが居てくれてホントに助かるわ」
「お、お世辞じゃないですよね……」

 とてもそうは思えないんだけどな……。

「ンなこと気にするなって! ……キミのおかげで、ここの団地の仕組みも分かったしな」
「えっ?」
「ちょいと複雑だけど……タネがわかればどうってことないぜ」

 フラツきながらもしっかり立ち上がった所長は、団地を取り囲む高層ビル達を眺めながら言った。



 
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