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第三話 特定街区の飛び降り団地

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「恐怖を感じる心中、深く共感いたします。幽霊がいるのかいないのか? その問いに私どもは明確な答えを用意することはできません。感じる者は感じるし、感じない者は感じない。さながらそれは、生まれ持った個性なのです。右利きの人間に、左利きの人間の気持ちは一生分からない。でもそれは決して狂っているのでも、ましてや妄想に囚われているのでもないでしょう? まぁ、たまに両利きの人間もいます。それが私や部下のような霊感もちだと思って下さい」
「は、はい……」

 立て板に水を流すような調子で所長はまくし立てる。
 内坂ないさかさんはちょっと困惑気味だ。

「今、不安にまみれているであろう奥さんに一番大事なことは、自分を強く持つことなんですよ」
「自分を……です、か」

 ん? ……どこかで聞いたような台詞だな。
 あの口上は、所長の持ちネタの一つなのかもしれない。

空子くうこちゃんが一番頼りにしているのは母親である内坂ないさかさんなんですから、しっかりしないといけませんよね? 足音や怪奇現象は私たちに任せて、ここで一休みしていて下さい。そして、まずは帰ってきた空子くうこちゃんを抱きしめてあげて下さい。それだけで、いや、それだけが母親の仕事ですよ。お互い、仕事の役割分担をしましょう。私たちが来たからには、もう怪奇現象に悩まなくてもいいんです」

 所長はいつも僕に向けるような顔全体を歪める笑い方じゃなくて、口の端だけを結んで引き上げて微笑んだ。
 スーツを着て髪型も整えている上に、所長には外国の血も入っているから、人によってはその微笑みはかっこよく見えただろう。
 内坂ないさかさんは一瞬だけ顔を赤くして、そのあとすぐに微笑み返す。
 その表情からはさっきまでの不安や恐怖、それに自信のなさが拭い取られた、母親らしい頼もしいものだった。

「ありがとう、ございます……」

 僕はその一連の流れを、一歩引いたところで白けながら見ていた。
 な、何を見せられているんだ僕は……。
 


***



「……問題の解決までは請け負わないんじゃなかったんですか?」
「人妻との危険な関係って、アドレナリン出そうだろ? 朝くんは寝取られ系AVキライ?」
「いっ、依頼主をそんな目で見たことなんてありません!」

 内坂ないさかさんの部屋を出た僕たちは、再び外階段を使って屋上を目指す。
 一回休憩を挟んだおかげでまた上れそうだ。

「これからヤバそうなのに挑むからさ、ちょっと景気付けにヤっとこうかと思ったんだけど」
「……本気で言ってるんですか?」
「そんなわけないじゃん! 軽い冗談! も~、所長をそんなに軽蔑した目で見るなって!」
「所長はどこまで本気なのかよく分からないんです……」
「簡単だろ? いつも本気だから」
「……じゃあ、さっき冗談だって言ったのはなんなんですか」
「嘘も誠も話の手管……ってところだな」

 所長はポケットの中からクシャクシャになった残り本数の少ない煙草とライターを取り出して火をつけた。

「一応、自衛のために」
 
 肺いっぱいに吸い込んだ煙を、至近距離で顔に吹きかけられる。

「げほっ、げほ!」
 
 油断していたから煙が全部鼻と口に入った。
 咽せてせき込む僕に、追い打ちをかけるようにまた煙がやってくる。

「ほ、頬を叩く前は一言下さいと言いましたけど、煙を吹きかける前に一言下さいとは言ってませんでしたね……!」
「そうだなぁ」

 だめだ。
 僕が所長に嫌味を言うなんて十年早いらしい。

「着いたぞ」

 無事、階段を上りきってたどり着いたのは屋上へ続く扉の前。
 所長は鞄の中から鍵を取り出して、鍵穴に差し込んだ。

「なぁ、どうして依頼主はここが飛び降り団地だって知らないんだろうな」
「えっ? 知らないんですか?」

 鍵を回す前に、所長が僕に問いかける。

「あれ……でも、ここは徹底した危機管理のおかげで自殺者ゼロなんですよね? 外階段にだって格子が嵌まっているし、今だって屋上へは鍵がかかっていて……」
「その通り。ここは、飛び降りなんてゼロだ。でも残っている二つは立派な飛び降り団地で、今はもう誰も住んでない。それなのに取り壊しが進まない。取り壊そうとすると、何が起きると思う?」
「またナゾナゾですか? えっと……ありがちですけど、工事の人が怪我をするとか?」

 なげやりな回答をしたら、所長はチッチッチと芝居かかった調子で指を振る。

「違うなぁ。まだまだ甘いぜ。これぐらいは予知できるようにならないと」
「はぁ……すいません」
「正解はな……取り壊しをしようとすると、ここの住民の誰かが死ぬんだ」
「……え?」
「もちろん最初は分からなかったんだが、飛び降り団地二つとここの団地の持ち主が同一人物で、気づいちまったんだよ。弱った順番にまるで自然死のように亡くなっていくから、住民に不審がってる奴はいないけど……裏では有名な話なんだぜ?」
「そんな……でも、なんで? 理不尽すぎませんか?」
っていうのは、生きてる人間だけのルールなんだってことだな」

 改めて、屋上へ続く扉を見つめる。
 鍵はすでに刺さっているから、後は回すだけだ。
 ここで飛び降りの事実はないのに、所長の話を聞いた後だとなんだか薄ら寒く感じる。

「持ち主はすっかり怖がっちまって、取り壊しに応じなかったんだ。いらない業を背負いたくないって。でも周りはせっかく特定街区にある金の卵をほっとかないだろ? 金ってのはあればあるほど欲しがるのが世の常だから、親戚どもがけしかけて最近また取り壊しの話が進んでいるんだとさ」
「それが、足音の原因なんですか?」
「今の段階ではその可能性が高いな」
「じゃあ、オーナーさんたちも今回の依頼者なんでしょうか」
「いいや? もう代替わりしてるから、そんなの迷信だって一笑されたよ」

 咥えていただけの煙草を番場さんと同じく携帯灰皿に擦り付けて、所長は珍しく深い深呼吸をした。

「そんなこと、ないのにな」
「ない、ですか……」
ぜ、この先に」

 いつも飄々としている所長が改めてそんなことを言うなんて、よっぽどのことなのだろう。

「朝くん、今回はなんともないのか?」
「はい……。どうしてでしょうか。魔除けが効いているのかもしれません」

 今のところ、体調不良は階段をあがったことによる息切れだけだ。
 幽霊レーダーとして連れてこられているのに、全く役に立ってないようで申し訳ない。

「そうか……。じゃあ、今回は取り憑きたいタイプじゃないのかもな」
「タイプ、ですか。取り憑きたくない幽霊なんているんですか?」
「みんながみんな、取り憑きたいわけじゃないって。幽霊にも個性があるんだから」
「じゃあ、取り憑きたくなければ……なにがしたいんですか?」
「道連れにしたいんだろ」
「道連れ……」

 どこに? とは僕でも聞かずに分かる。

「取り憑かなくても、ただそこに居るだけで生気を奪う幽霊ってのがいるんだよ。内坂ないさかさんのところで出されたお茶、ほとんどお湯だったの気づいたか?」
「えっ……所長も気がついていたんですか? 全部飲んでたのに」
「怪しまれないためだよ。あれはな、もう味覚をヤられちまってるんだ。殺したいだけなら、取り憑く必要はない。ただジワジワと弱らせていく。取り憑くと、生前の無念を晴らすことができるかもしれないけど相手に知られるリスクがあるから、こうして少しずつ息の根を止めるのはうまいやり方かもしれないな」
「……関心しないでくださいよ。まさか、依頼主に迫ったのも除霊のためとか言わないで下さいよ」
「当たり前だろ~? これでも俺は良識ある大人だから」

 戯けるように胸を張る所長。……これはふざけているの本気なのか、どっちなんだろう?
 悩んでも仕方がないので話題を変えることにした。

「ただ居るだけで……って、どうして幽霊がそんな大きな力を持つんですか? まさか、ここにいるのはさっき話してた神様……?」
「違う違う。そんな大層な話じゃないって。無駄に怖がるな」
「すいません……」
「その説明をするのは、ちょっと時間がかかるな。ま、かいつまんで言うと……このあたりは霊道れいどうが通っているんだ」
「霊道?」
「地下水の通り道を水脈とかって言うだろ? 霊道っていうのは、幽霊が好んで通る道のことさ」

 貸してもらった本にそんな記載があったような気がする。
 付け焼き刃の知識では、単語は頭に入っても意味までは理解できていないらしい。

「たまたま偶然、三つの団地は霊道で繋がっているんだな~これが。二つの飛び降り団地に漂う幽霊達が、取り壊されるってなったときに追われてフワフワと、この三つ目の団地に集まってくるんだろう」
「集まるって、そんな簡単に……?」
「肉体を離れた精神って、ただでさえ不安定だからな。地縛霊でもなけりゃ、似た感情でくっつきたがる。魚が群れるのは、さみしさを感じているからっていう説知ってるか?」
「し、知らないです……」
「動物でもさみしいって思うんだ。だから、人間がそう思うのも無理はないよな」
「……それじゃあ、僕が聞いた『おまえしねばよかったのに』って音声はもしかして、『おまえしねばよかったのに』って言いたかったんでしょうか」
「その可能性はある。俺はそもそも聞こえてないけど、ビビってた朝くんにとっては『おまえ』が『おまえ』って感じたのかもな」
「……どうして、同じデータでも聞こえる言葉が違うんでしょうか」

 僕には不気味な音声に聞こえて、所長や依頼主には微かな足音に聞こえて、空子ちゃんには楽しそうな声に聞こえるなんて、どういうことなのだろう。

「同じ景色を見ても、受ける感情は人それぞれだろ? 夕焼けを見て無事に一日が終わったと安心するのか、また夜が始まると恐怖におびえるのかってこと。霊感の強さによって、どの深さで幽霊たちの感情を受け取れるか変わってくるんだ。朝くんはきっと、本心の深いところを感じてしまうんだな」
「それにしても、違いすぎるのでは……」

 こうも違うと、僕だけが狂っておかしくなってしまったのかと思ってしまう。
 今まではなんとか、所長や番場さんが肯定してくれたから霊感を信じることができたけど、なんだか今回は僕と所長の間ですれ違いが生じているような気がする。
 所長は扉の向こうにナニカが居ると言うけれど、正直僕にはあまり感じないのだ。

「良いんだよ、違ってても。自分の感じたことは信じて疑うな」
「……疑えって言う時もあるじゃないですか」
「それはそれ、これはこれ、さ。ほんじゃ、いつまでも扉の前で喋っていてもなーんも解決しないからな。開けるぜ」

 話したいだけ話して、所長は僕の心の準備も聞かずに扉を開ける。
 掃除の時ぐらいにしか開けられないという屋上への扉は立て付けが悪く、まるで僕たちを異世界へと導くように不気味に響いた。



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