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第一話 田舎の鉄筋三階建て
③
しおりを挟む「自分の、行動……ですか?」
「己の中を清浄に保とうという意識だ。つけ込まれないぞ、という絶対の意志。気持ちの問題だけが全てじゃないが、高名な霊能者にどれだけ祓って貰っても、本人が変わらなければまた憑かれるだろうさ」
「は、はぁ……」
なんとなく勢いで押されてしまっているけれど、どうして不動産と除霊が関係するんだ?
「朝くん、事故物件って知ってるか?」
「……本体もしくは共用部分のいずれかにおいて、何らかの原因で前の入居者が亡くなった経歴をもつ物件……ですよね」
「グッド、模範的回答だな」
「そりゃあ、まぁ……」
不動産業界にとって、実るはずの果実をいつまでも腐らせておくことになってしまう事故物件は本当に死活問題だ。
入社当初からよく聞かされていたし、前の支店で事故物件を抱えてもいた。その多くは自死や老衰だったけれど、中には耳を疑うようなヒドい殺人事件の現場でした……という場合もある。最近では「事故物件」という名前も随分メジャーなものになったし、お客さんで気にされる方も多い。
ただ、事故物件はその性質ゆえに通常よりも多少家賃を安く設定されるので、それなりに需要はある。「特記事項」として記しておけば、借り主と貸し主の双方が同意の上で円満に契約を結ぶことができる。
店舗や会社によっては、事故物件だからといってそれほど安くしたりはしていないみたいだけれど……(安くしすぎると、そんなにひどい事故物件なのかと疑われてよけいに借り手がつかなくなってしまうため)。
「えっと、じゃあ事故物件の問題を処理するのが、僕たちの仕事なんでしょうか」
絶対イヤだ。
そもそも僕には霊感がない。いや、もっと言うと僕は根っからのビビりで……怖いのだ。ポンコツなのだ。そんな業務、できるはずがない。
「惜しいなぁ、もう一声!」
「お、惜しい……?」
「事故物件はもう皆に認知されてるだろ? 俺たちが処理するのはな……」
社長は無駄に勿体ぶって言葉を切る。溜めなくていいです、という突っ込みが喉まで出掛かって腹に戻した。
「事故物件じゃないのに、何故か入居者が続かない物件! および事件事故が起きていないのに何故か幽霊の目撃情報がある物件だ!」
「どういうことですか?」
「事故物件だったら、特記事項ありとして告知する義務があるじゃん? それはもう、一つのコンテンツとして需要があって成り立っているからいいんだ。いや、事故なんて無いに越したことはないけどさ。でも、もう無理だろ。地球上の土地は有限なくせに人の死は生ある限り無限だからな。いずれ、世界中の全てが事故物件になるんじゃね?」
所長は乾いた笑いを浮かべながら、灰皿に残された残骸をいじっている。
「わかりやすく事件があれば『事故物件』としてカウントできるけどさ、幽霊がでます、怪奇現象がおきます、だけだったら特記事項として知らせる義務はないんだ。契約時の重要事項説明にも必要項目に『幽霊』はない。告知してもいいけどさ、不動産業者はそんな不確定要素のために売り上げ落とすなんてバカな真似しないもんな」
所長なのに、所々不動産に対する不信感が垣間見える。所長の勤めるこの支店が、どうしてホームページに記載されていないのかちょっとだけ分かったような気がした。
「でもな、契約の有無について重要な影響を及ぼすものについては……告知しないと不実だとして法に抵触するんだ」
「不実、ですか」
「事故後の次の居住者が十分な期間平穏に居住したのであれば、その次の居住者に対しては特に説明義務はない、という判例もあるんだけど……ま、こんなこと朝くんは知ってるよな?」
「いえ、そんなことは……」
半年勤めて、勉強会にも何度か参加したけれど僕の頭にはほとんど残っていない。ノートにだけはきちんと記しているのに、記憶には積らないのが悲しい。
「何が『重要な影響を及ぼす事項』なのか?それは人それぞれだよな。幽霊が本気で怖いキミみたいなビビりにとっては大問題だろうし、どーでもいい人間にとっては安く借りられてラッキーみたいな感じだろ?」
「はぁ……、まぁ」
どうして僕がビビりだとバレているのか……?
「何にも知らない入居者が入って、事件なき怪奇現象に悩まされて出て行く。そしてまた入居する。表向きは普通の物件だけど、負のサイクルがどんどん回っていく。噂だけが一人歩きして、裁判所に不実だと判断されるほど怪奇現象が膨れ上がってとうとうどうにもならなったグレーゾーンの物件たちが、無特記物件として俺たちに託されるって塩梅さ」
「無特記物件?」
「特記事項が無いのに、おかしな怪奇現象が起きる物件って意味。万一お客の目に触れても気にされないようにこんな名前なんだって。某社の特別募集住宅と一緒。ホラ、事故物件に1~2年半額で住めるヤツ」
「そんな物件が、あるんですね……」
「表向きはそんなものありません、って顔してるがな。ここはそんなお荷物物件が集まるどん詰まりってワケ。いわゆるフツーの客は来ないし接客も物件案内もしなくていいから、朝くんにはちょうど良いんじゃない?」
「えっ……」
「キミのことは、実は社長から色々聞いてるんだ」
色々……と、いうことは僕の失態の諸々を所長はすでに知っているということか。
一気に頭が白くなる。さっきまで、ポンコツなりに取り繕うとしていたのが恥ずかしい。
「でっ、でも僕には幽霊なんてどうしようも……!」
「さっき、妹の姿ちゃんと見えただろ~?」
「あれはきっと、目の錯覚で……っ」
「声も聞こえたと思うし」
「た、確かに聞かれました……。あなた、だれ? ……って」
思い出すのもおそろしいけれど、頑張って記憶を辿ってみる。微かな声だったけれど、確かにあの子はそう言っていた。
「……は?」
「えっ? なにか、変なこと、でも……っ!?」
いきなり思い切り両肩を掴まれて揺さぶられる。
「ふあああっ!?」
「オイ、朝くん! 今、なんて言った!?」
「ええええ、えっと、あの、き、聞かれたんです! あなた、だれ? って!!」
「笑い声以外にも、声が聞こえたっつーのか!?」
「た、たぶん! たぶんです!!」
空耳だったという可能性も否定できない。
だって、僕一人だけしか証言する人がいないから。
さっきまで飄々としていた所長の豹変ぶりにただただ混乱していたら、次第に揺さぶりは収まっていった。
「そっか……。そうなんだな……」
「ええと? 所長……?」
一人で完結してしまった所長は、しばらく俯いた後、顔を上げたときにはもう普通の顔だった。僕を安心させるクシャッとした笑みで言う。
「じゃあ、この家のこと、教えてやるよ。今日から朝くんの家でもあるし」
「は、はい……」
「この家もな、『無特記物件』なのさ。もう、今から二十年ぐらい前の話かな……」
落ち着きを取り戻した所長は、すっかり冷めてしまった緑茶を淹れ直してまた僕の前に置いてくれた。二杯目も美味しかったけれど、ここが事件なき怪奇現象が起こる『無特記物件』だと知ってからは、なんとなく味が薄く感じる。
「俺には、五つ下のかわいい妹がいたんだ。でもある日、強盗が押し入ってきて両親を刺して妹を殺して、頭を切り取って盗んで逃げた。両親は娘を亡くしてすっかり落ち込んじゃってな、離婚して、俺は親父に引き取られたけどその親父も今は老人ホームでずっとボーッとしてる。妹の頭は、まだ見つかってない」
いきなりはじまった重めの身の上話に、なんと返していいのか喉が詰まる。
ご愁傷様です、と言うべきなんだろうけど、そんな言葉で表していいのだろうか? 僕の言葉なんかが慰めになるんだろうか? 余計に傷つけることにならないだろうか?と、色んな気持ちが渦巻いてバカみたいに口をパクパクさせることしかできない。
「ま、そんな生い立ちだけど俺は俺で、結構楽しく生きてたわけ。この会社に就職して、元気に働いて、物件を色々巡っているうちに……『無特記物件』の存在を知った。俺は事件なき怪奇現象の正体に興味をそそられて、次第にその物件ばかり担当するようになっていった」
テーブルの上には新しい、やはり竜胆の花が添えられている。
さっき枯れた花は、たった一房落ちただけだったのに全部捨てられてしまった。他の花は元気そうに見えたけど、どうしてそんなことをするんだろうか。枯れた部分だけ切り取れば、まだまだ元気に色づきそうなのに。
所長はチラチラと花を見ながら話をするから、花が嫌いであるとか理解が足りないってことはないと思うんだけど……。
「俺は元々、この地方の出身なんだ」
「ま、まさかこの家が所長の事件現場なんですか?」
「そんなわけないだろ~? ここはな、お偉い地主様が国際結婚した息子家族のために建てた三世帯同居物件だったんだ。でも、どうにも怪奇現象……さっき朝くんが聞いたような笑い声とか、誰もいないはずなのに勝手にテレビが電気がついたり、独りでに電子レンジが動くとか苦情が多くてな。次第に住民の生活に支障をきたすようになって、とうとう手放したんだ。んで、無特記物件として俺のところに回ってきたんだけど、お祓いしようにも事件事故の過去もないし、狭い村だから噂がまわりまわって借り手もなしってパターンさ」
「最初は手持ち物件だったんですね。どうして、ここに事務所を持つようになったんですか?」
「妹が、いるからだよ」
妹、と所長は本当に愛おしそうに言う。
「……でも、妹さんが亡くなったのはここではないんでしょう?」
「もちろん。死んだのはもう取り壊した俺の実家だからな。だが、妹は絶対ここに居る。……そうだな、実際に見た方が早いか」
所長は自分のカップに少しだけ残っていた緑茶を一気飲みしてから立ち上がって、階段を降りていった。
さっき幽霊の声が聞こえた場所を通るのは気が引けたけど、迷い無く降りていく所長の背中に勇気づけられて後を追う。
今度は、声なんて聞こえなかった。
明るい階段を踏んで、一階へとたどり着く。
「これだよ」
所長が指さしたのは、玄関の飾り棚に置かれていた小さな石たちだった。
「この石が、どうかしたんですか?」
「よーく、見てみろ?」
謎解きをするように問いかけるから、僕も顔を近づけて真剣に眺める。
どこをどうみてもただの小石だけれど……。
くすんだ乳白色で、表面がデコボコしていて……お尻がちょっと二股に分かれていて、なんだ?何かに似ている……何かに……?
「……は?」
「おっ、意外と鋭い」
「いやいや、そういう意味じゃないんですけど……」
「じゃあどういう意味?」
「え? いや、でも……やっぱりそのままの意味でした。これ、歯……ですよ、ね?」
信じられないけれど、小石だとばかり思っていたものは人間の歯だった。とても小さいから、たぶん子供の歯だろう。
「正解」
風景の一部だと思っていたインテリアが、人間の身体の一部だと知ってから急に背筋が凍る。
普通に芳香剤だと思っていた頃の自分に戻りたい。
「なっ……、なんで、こんなもの……」
「こんなものとはヒドいなぁ。これはな、俺の愛しい妹の歯なんだよ」
所長はコロコロと歯を転がして優しく撫でる。
その様子は、間違いなく慈愛に溢れていた。こんな状況じゃなかったら、何も言わずに拍手さえ送ったかもしれない。
「妹さんの、歯、だ、なんてどうして分かるんですか……?」
「さっき言っただろ。頭はまだ見つかってない、って」
アタマハマダミツカッテナイ。
その言葉の意味を飲み込むのに、数秒かかった。
「あ、でも別にこの家で頭蓋骨が見つかったわけじゃないぜ? そしたら、この家が『事故物件』になっちまう。『無特記物件』だからこそ、事務所として快適に使わせてもらっているんだ。その辺、勘違いしないように。この歯だけが、庭から出てきたんだ。パッと見は石だけど、俺にはわかる。妹だから」
分かるよな?と所長は言う。
変な凄みがあって、僕は首を縦に振ることしかできなかった。
「じゃあどうしてここに歯があるかっつーと……よく見ると、この歯は乳歯なんだよな」
「乳歯?」
「朝くんのところは、子供の乳歯が抜けた後に外に放り投げる習慣とかなかった? 上の歯なら土に埋めて、下の歯なら屋根に投げるって」
「ありました、けど……」
「妹もな、ソレやってたんだ。だからこれは、いつかの思い出の証なんだよ。埋められるか、放り投げられた乳歯が巡り巡って俺のところに帰ってきたんだ。土に還らず、形を保ったまま。たぶん、土地をならす時に運ばれた土砂に紛れていたんだろう」
「そ、そんなこと……」
「俺もな、あり得ないと思ったよ。でも、この家には妹の声が充満している。だから、無理言って店舗兼住宅にしてもらったってワケ」
そんなバカな。
確かに人間の歯のように見えるけれど、本当に妹さんの歯だなんてどうして証明できる?
「でぃ、DNA鑑定でもしたんですか……?」
ちょっと意地悪な気持ちで、そんなことを聞いてみた。
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