死神公爵と契約結婚…と見せかけてバリバリの大本命婚を成し遂げます!

daru

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 侯爵位であるアルヴィエ家の馬車にも不満を感じたことはないけれど、バルバストル家の紋章が入った馬車は軽量でありながら細かい装飾が美しく、座るどころか寝てしまえそうなほどふわふわな椅子は揺れもほとんど感じず、侯爵令嬢ともあろう私が委縮してしまいそうになった。馬車に乗る時に手を引かれたのはときめいたけれど。

 隣に座る公爵様との距離に未だに慣れず、口元が弛みそうになるのを我慢するために顔面のあちこちに力を入れなければならなかった。

「フローラ、気分が乗らないのであれば本当に無理する必要はありませんよ。」

 だからこういう誤解が頻発する。

「いいえ、公爵様との観劇ですもの。本当にとても楽しみにしておりますの。」

 このやり取りもかれこれ5度目。なぜかバツが悪そうにしている公爵様は、きっとまた自虐めいたことでも考えているのだろう。公爵様は貫禄があるくせに、私に対してはずいぶんと小胆だ。

 今日はある意味勝負の日だった。この観劇デートの目的は、私と公爵様が相愛であるところを人々に、そしてマーセル王子殿下に見せつけることだ。

 公爵様に婚約指輪を貰った次の日、アリスが登城し殿下に会った際に、私と公爵様の婚約についていろいろ訊かれたらしい。あくまで婚約者の友人を心配しているという体だったらしいが、興味の無い異性の方にそういうことをされると胸が悪くなる。

 アリスから手紙でその報告を受けた後、私の元に殿下からも手紙が届いた。
 そこには婚約おめでとうという文は無く、困っていることがあったら相談してくれだの、無理をしているのではないかだの、的外れな事ばかり綴られていた。どうやら、この婚約が政略的で私の本意に反するものだと思っているらしい。

 私の中での殿下の評価が暴落していく。とはいえ彼は一国の王子であり、私はその国の高位貴族。手紙に吐き気を催しナイフを突き立てはしたものの、ご心配なく、ときちんと返事を書いた。

 白く大きな円形の建物の前に着くと馬車が止まった。いよいよだ。ここから相愛演技が始まる。堂々といちゃつけるとか最高か。いや、持つか、私の心臓。

「緊張していますか?」

 覗き込んでくる公爵様にさっそく鼓動が早まった。

「だ、大丈夫です。」

「私は少し、緊張しています。」

 ずきゅーん!43歳男性、可愛い子ぶるとはけしからん!警備兵、クピドの矢を所持する43歳はこちらです!

「いえ、すみません。きちんとリードさせて頂きます。」

 咄嗟に手で顔を隠してしまった私に公爵様がそう言った。指の隙間から決まりの悪そうな顔がちらりと見えた。
 
「公爵様こそ、ご無理をされていませんか?」

 私のような小娘を連れて歩くなんて、やはり公爵様からしたら負担なのかもしれない。

「無理など。ただ、慣れていないだけです。」

 それなら嬉しいが。

「ふふ、では今日は演劇だけでなく、公爵様のどんなお顔が見れるかも楽しみですね。」

「からかわないでください。」

 御者が戸を開き、こほっと乾いた咳をした公爵様の手を取って馬車を降りた。

 バルバストル家の紋章が入った馬車は、良くも悪くも注目される。
 行き交う人々の視線を感じた私は公爵様の首元に手を伸ばし、公爵様らしい控えめなレースのジャボを真っ直ぐに整えた。

「素敵です。」

 にっこり笑ってそう言えば、周囲がざわざわと沸くのが分かった。公爵様はきょとんと目を丸くした猫のようになっているが。

「アリスたちはまだ着いていないようですね。」

 王室の馬車はまだない。偶然を装う予定なので、特に待ち合わせをしているわけではなかったが、できれば2人で馬車を降りたところを見せ付けてやりたかった。

「そのようですね。待っているのも不自然ですし、先に入っていましょうか。」

「はい。」

 三角に折られた公爵様の腕に手を絡め、劇場入り口への階段を上がった。
 中に入り通されたのは2階正面のボックス席で、公爵様との2人きりの空間に、今日の目的など関係なくわくわくと高揚してきた。

「公爵様は演劇がお好きなのですか?」

「ぜひにと誘われた時以外はあまり来ませんでした。」

「そうなんですか?投資をなさってたようなので、特別な思入れがあるのかと思いました。」

 先ほど、この席に着いてすぐに座長が挨拶に来た。いつもありがとうございます、どうぞ楽しんでご覧くださいと頭をぺこぺこ下げて行ったのだ。

「生前、母がこの劇場をとても気に入っていて、流行病で経営困難に陥った時に援助を申し出たのです。」

「そうでしたか。」

 公爵様のご両親はどちらも他界されていた。歳を考えれば驚くことではないが、ご両親を亡くされ、夫人を亡くされ、使用人はいるにしても、あの広い大豪邸でずっと独りだったのだとすれば、その孤独感は想像を絶するだろう。
 見ている限り、私にとってのアリスのような友もおらず、公爵という爵位でありながら、影で死神などと言われている。本人に伝わっているけれど。
 とにかく、釈然としない。

「私もお義母様にお会いしてみたかったです。そうしたら一緒に演劇のお話もできましたのに。」

 ふっ、と公爵様が笑った。珍しく口角を上げ、目尻のしわを深くしている。
 初めて見る激レア顔に一瞬、呼吸を忘れた。

「母の演劇話は熱量がすごいですよ。私はついていけませんでした。」

 でも今は、もう少し聴いてやればよかったと後悔しています、と話す公爵様は、笑っているのに哀愁が漂っている。

「でしたら私の話を聴いてください。」

「貴女の?」

「私も演劇への熱量は負けないと思いますよ。」

 演劇はアリスとよく観に来るし、一押しの女優もいる。演劇マニアのお義母様には知識は劣るかもしれないが、それはご愛嬌ということで。

「あ、でも、こんなこと言っていたらお義母様の怒りを買ってしまうでしょうか。私など、ただでさえ反対されそうですし…。」

「そんなことはありません。母は大層美しい人が好きでしたから。きっと貴女のことを気に入って、私と過ごす時間すら作ってくれないくらい独占されてしまいそうです。」

「そうだと嬉しいです。」

「私は困りますが。」

 公爵様と顔を見合わせて笑った。激レアだと思っていたけれど、もしかしたら本当はよく笑うお方なのかもしれない。

 こん、こん。不意にノック音が鳴り、戸が開いた。
 入ってきた人物を見て、すぐに公爵様も私も立ち上がった。公爵様はお辞儀を、私はカーテシーをする。

「ごきげんよう、マーセル殿下。殿下も観にいらしたのですね。」

「ああ、今回の演劇は傑作だとアリス嬢が強く勧めるのでな。公爵が来ていると聞いて声を掛けに来たのだが、邪魔をしたか?」

「いいえ。こちらから挨拶をしなければならないところ、わざわざ足をお運び頂いてありがとうございます。」

 アリスがにこりと笑って小さく手を振ってきたので、私も小さく返すと、ちらりと殿下と目が合った。

「フローラ嬢も、夜会以来だな。」

「はい。」

「踵の怪我は治ったのか?」

 かかと?ああ、はい、そうだった。踵が痛いと言って殿下のダンスの申し出を断ったのだった。

「はい、すっかり。」

「それは良かった。」

 殿下はごほんと咳払いを挟んで、良かったら、と厄介な言葉を続けた。

「一緒の席で観ないか?友人同士、その方が楽しいだろう、アリス嬢?」

 ぴくりとアリスの顔が引きつったのが分かった。殿下が気づいたかは分からないが。

「殿下、結婚を前にした2人の邪魔をしたら、私が後でフローラに怒られます。」

「フローラ嬢、私たちがいては邪魔か?」

 邪魔ですよ。しかしあなたが王子である以上、そんなこと口に出せないのですよ。

 とはいえ、せっかく楽しく過ごしていたが目的は殿下に仲を見せ付けることなので、ここは従うべきだろうか。
 ちらりと公爵様を見ると、公爵様の手が優しく私の髪を撫で、私の心臓が大きく鳴ったのか、「殿下。」と諌めるような低い声が体に響いたのか分からなかった。

「今回はご遠慮させて頂きます。フローラが、演劇に疎い私にいろいろと教えてくれると約束していますので。」

「そ、そうか。」

 確認するような視線を送ってくる殿下に、私はこくこくと頷いて見せた。
 さすが公爵様、ズバッと一刀両断、素敵です。

「終わったら、ご一緒にお食事はいかがですか?」

「そう、だな。…そうしよう。」

 それでは、と出ていく殿下。アリスは満足そうにぐっと親指を立てて見せてから殿下の後を追っていった。
 今は2人の時間を優先し、目的達成の為の約束まで取り付けるとは、何者ですか。さすがとしか言いようがない。

 ほどなくして開演し、幕が上がった。

 私は次々出てくる役者たちをぼうっと眺めながら、スマートに髪を撫でられた公爵様の手の感触が忘れられずにいた。 

 なんか、もう本当に、殿下とかどうでも良くなってきた。どうせ結婚してしまえばそれ以上口出しできないわけだし、殿下をどうこうするよりも、このまま公爵様と2人でいたいというのが実の所だ。

 公爵様はどう思っているのだろう。いくら演技とはいえ嫌なら髪を撫でるなんてしないはず。少しは惹かれてくれているのだろうか。

 劇中の美しい高貴なヒロインが、歳差の離れた異国人の将軍と結婚し、嘆く父にはっきりと自身の心の内を主張する。縁を切られようと罵られようと、凛として将軍を立てている姿がとても格好よく、目に焼き付いた。


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