塔の妃は死を選ぶ

daru

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 スヴェリオの後ろにおずおずとくっついている少年を見て、カルダの目が僅かに細まる。スヴェリオに、ほら、と前に出され、余計に緊張した面もちになった。

「カルゼラ、お前の父親だ。」

 え、と可愛らしい声が漏れる。少し吊り上った幼い目がカルダの姿を写し、ぷくっと丸みのある頬が薄らと紅潮する。もじもじと指を弄りだし、1歩前に出た。

「お、お父様…?」

 そう呼ばれて、カルダの頬も一遍に綻んだ。上目使いが可愛かったというのももちろんあるが、その呼び方にニコの教育の片りんが見えたのだ。

「ニコのことはお母様、と呼んでいたのか?」

「は、い。」

 はっはっはと突然カルダが笑い声を上げた。スヴェリオは初めて見る光景にぎょっとし、カルゼラも何か間違えたのかときょどきょどとスヴェリオの顔を見上げた。

「いや、すまない。はは…余によく似ていると思ったが、返事の仕方がニコにそっくりでな。」

 上機嫌だな、とスヴェリオは思った。さっきまでえんえんと泣きじゃくっていたくせに、とカルゼラがいなければ言っていただろう。
 恥ずかしそうに顔を赤らめるカルゼラを尻目に、スヴェリオは2人に背を向けて戸口へ向かった。

「じゃ、俺は出てる。」

 え、とまたカルゼラが声を漏らしたが、スヴェリオは止まることなく出て行った。ガコ、と戸が閉まる。
 居心地が悪そうに俯き指を弄るカルゼラに、カルダがふっと笑った。

「余が怖いか?」

「え?」

 カルゼラがきょとんとした目を向けるので、カルダは分かりやすく顔の火傷痕に触れた。するとカルゼラはさらに首を傾げる。

「火傷痕のことだ。恐ろしくはないか?」

「え、あ、はい。い、痛そう、ですね?」

 子供からすれば醜い顔であるだろうとカルダは心配していたが、カルゼラは本当に少しも気にしていないようだ。カルダは少しして、そういえば以前村で火事があって怪我人が出たのだったな、と思い出した。

「もう治っているから、痛くはないのだ。…スヴェリオがいた方が話しやすいというのなら、呼び戻すが。」

「だ、大丈夫です!」

 カルゼラが大きい声を上げ、すぐに、ごめんなさい、と口を押さえた。そしてしおしおと萎れたように俯く。

「た、ぶん、お墓に行ったんだと思うから。」

「…ニコのか?」

「はい。お墓にいる時に近づくと、怒るから…。だから、大丈夫です。」

 そうか、とカルダは呟いた。死んだ、などと軽々と口にしていたが、あの男なりに思うことがあるのだろう、と考える。

「では、余のことを話そう。余の名はカルダ。この国、アイローイの王だ。」

 カルゼラの目が真ん丸になる。

「え、…王様?」

「左様。」

「…お父様が?」

「そうだ。ニコは余の妃、王妃で、お前は王子だ。」

「お母様が王妃様で、ぼ、僕が王子様…?」

 ふっとカルダの口元が緩む。

「自分に敬称を付ける必要はあるまい。」

 カルゼラは、かぁっと熱くなる頬を両手で包んだ。

「じゃあ、お、お父様は、お城に住んでるんですか?」

「そうだ。お前の部屋も用意しないとな。」

「ぼ、僕、お城に住むの?!」

「嫌でなければそうしてほしい。お前は余とニコの子なのだからな。」

 カルダは目を輝かせるカルゼラに手を伸ばした。ポンと小さな頭の上に大きい手を置く。それから恥ずかしがるカルゼラの両脇を持って自身の膝の上に座らせた。カルゼラ、と子の名を呼ぶと、どこかくすぐったい。

「後で、余にもニコの墓参りをさせてくれるか?」

 カルゼラはぱぁと笑顔に花を咲かせる。父から母への愛情を感じ、それが堪らなく嬉しかった。ぎゅうとカルダの胸に抱きつき、はい、と元気よく返事をした。

「僕が案内します!」

「あぁ、頼む。」

「山の上ですが、大丈夫ですか?」

「問題ない。」

 カルゼラは抱きつく腕にさらに力を込め、カルダはその少年の頭を優しく撫でた。





 ニコの墓は村の南西にある山の上に作った。作ったと言っても、遺体を埋葬し、そこにスヴェリオの剣を突き刺しただけだったが。
 見晴らしの良い場所で、南西に向けて埋めた。スヴェリオには、墓は無意味、という考えがあったが、なぜだかそうした。王都の方向を眺められるようにと。

 埋葬時は獣道を登ったが、村人がそこまでの階段の道を作った。その石段を、スヴェリオは2段飛ばしながら駆け上がる。

 上まで辿り着くと、いつも通り広い平原と、いつもとは違って自宅前に馬と騎士が屯う村が一望できる。
 スヴェリオはじんわりと汗をかき、張り付く前髪を掻き上げた。

 墓に話し掛けるなんてことはしない。誰も聞いてやしないし、ここには誰もいない。魂が抜け、動かなくなった体が埋まっているだけだ。そんなことを思いながらもここに来てしまうというのは、矛盾していた。誰もいないと分かっているのに、それでも確かに心が安らぐのだ。

 スヴェリオは墓のすぐ横に腰を降ろした。墓と同じ方向を、ぼうっと眺める。予想していたよりもずっと早いお役御免に、空しさを感じた。



 ニコが完全に寝たきりの状態になった時、幸いと言っても良いものか、エルフの奇薬のお陰で身体中の痛みは緩和できたが、ニコは喋るのも辛く、苦しそうにしていた。
 1階に移したベッドから、反対側にあるキッチンにいるスヴェリオを呼んだ。元々透き通る声だったのがますますか弱くなり、声とは呼べない代物だったが、スヴェリオはそれに気が付いて、作っていた暖かいお茶に藁を挿し持ってくる。
 カルゼラはすでに2階で就寝している時間だった。

「どうした?」

「スヴェリオ。」

 何かを訴えかけてくる目はすっかり窪み、胸が狭いのか、ひゅーひゅーと空気の通る音がする。
 スヴェリオはニコの背に手を差し込み、上半身を支えながら少し起こすと、お茶に挿した藁の先をニコの口元に持って行った。ニコは少しだけ口に含んだが、それが通る場所を間違えてごほごほと咳き込んだ為、スヴェリオは急いでコップを置き、ニコの身体を自分の身体に寄りかからせ、その背を優しくさすった。

「悪い、大丈夫か。」

「ごほっ、…え、ぇ。」

 暫くそのまま背をさすり、落ち着いてからそっとベッドに降ろした。

「スヴェリオ、お願いが、あるの。」

「なんだ?」

「カルゼラの、教、育を。」

「俺が教えられるのなんて、文字の読み書きくらいだぜ。」

「剣も、教え、てあげ、て。」

「あぁ、分かった。」

「あの子が、…父親を、知りたいと言ったら、協力…。」

「分かってる。ちゃんと連れてくって。」

 ニコは僅かに口元を緩めた。ふわりと笑顔に花を咲かせる力はもう残っていない。

「あり、がと…。」

 ニコが力を振り絞り、スヴェリオの頬に手を伸ばす。その手の指も腕もぞっとするほど細い。植物の茎のように、ちょっと握ったらすぐに折れてしまいそうだった。スヴェリオはふわりと軽く包むようにその手を掴み、指先に軽くキスをして布団に戻した。

「スヴェ、リオ…ごめ、なさい。」

「今度はなんだ。」

「わた、しの、運命、に、まきこ、んで…。」

 スヴェリオは顔をしかめた。

「あんた、俺との出会い忘れちまったのかよ?俺が勝手に飛び込んだんだろ。いわくつきの王妃様の部屋にさ。」

 ふふ、とニコは目を細めた。忘れるはずがない。ニコにとって、生きていて1番珍妙な出会いだった。でも、今のスヴェリオはあの時ほど自由ではない。

「縛り、付けて、しまって、ごめ、なさい。」

 スヴェリオには、罪悪感を持った目を向けるニコと母の姿が重なって見えた。嫌な言葉を思い出し、心臓がドクンと震えた。
 やめろよ、そう呟いたが、ニコは続ける。

「でも…放し、て、あげ、られな、い。」

 耳に届いたのは、母から言われたのとは真逆の言葉。スヴェリオは咄嗟に俯き、目元を手で隠した。手に、ぽたぽたと溜まる感覚があった。気道が狭くなり、呼吸が浅くなる。

 その様子を見たニコの目からも、1滴こぼれた。目尻から真っ直ぐ流れ落ち、枕に染み込む。ごめんなさい、ともう1度謝罪をするが、謝ったところで、ニコの想いは変わらない。

「あなたが、必要、なの…。」

 もう1滴、枕の染みが増える。

「…あんたは!」

 スヴェリオの声は力強くも震えていた。身体中に力が入り、強張っている。

「あんたはっ、そんなことを言いながら…俺を置いて行くのかっ!」

 ふっ、とニコの声が漏れる。加速した涙を隠すように、目の上に細い腕を置いた。閉じた目から止めどなく涙が流れ、枕の染みを大きくしていく。そして、最後のごめんなさい。

「カルゼラを…よろしく、お願い、します。」

 スヴェリオは唐突に立ち上がった。涙を流すニコも、ニコの為に用意したお茶も置き去りにして家を出る。

 早寝習慣の農民の村では、すでにどの家にも明かりは無く、雲っているのか星も月も見えない。
 スヴェリオが1歩外に出て扉が閉まると、そこには闇しか存在しなかった。

 スヴェリオはこんなに恐怖を感じたことはない。平衡感覚をも失いそうな真っ暗闇の中、スヴェリオはずるずるとその場にへたり込んだ。

「…連れて行くな。」

 誰に言っているのか、自分でも分かっていなかった。もしかしたら、この闇自体に語りかけているのかもしれない。

「あの人を、連れて行くな…。」

 スヴェリオの声は誰にも届かない。ただ、啜り泣く呼吸音と共に、闇に溶けて消えていった。

 ニコが亡くなる1週間前のことだった。



 まさかむこうが迎えに来るとは。スヴェリオはふっと鼻で笑い、墓を、盛り上がった土に目を向ける。

 報告事項がたくさんあるのに、誰に報告すればいいのか分からない。

 お役御免というのは、妙な気分だと感じていた。全てのしがらみから解放されるはずなのに、前の生活には戻れそうにない。

 バーバリオの元を訪ねてみようかとも思う。だが、よく考えれば自分は王妃の自殺幇助をした罪人かと思い直した。

 生きるならば、今すぐ行方を眩ますのが懸命かもしれない。しかし、そうする気にはならなかった。今度こそ裁かれるということであれば、それはそれで悪くないかもしれない。
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