塔の妃は死を選ぶ

daru

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 王の部屋にて、ニコはベッドで上半身を起こし、医務官の診察を受けた。カルダが見守る中、秘密に考慮した問診に、ニコと医務官には妙な緊張間が漂う。

 特に外傷は見受けられず、お体も問題ないでしょう。医務官がそう言うとカルダは胸を撫で下ろし、ベッドの縁に座ってニコの頬を撫でた。

「そうか、良かった。」

「頭が重いと感じるのは疲労によるものでしょう。疲労に効くお薬を処方致します。」

「分かった。」

 それから、と医務官はちらりとニコと目を合わせる。

「なるべくお体を冷やさないよう暖かくしてお過ごしください。」

 ニコが小さく頷く。

「手足が冷えていらっしゃいますので、湯で温めると緊張が和らぐでしょう。」

「すぐに準備させろ。」

「かしこまりました。」

 ご苦労だったとカルダが告げると、医務官は頭を下げて退室した。カタンと扉が閉まると同時にカルダがニコを優しく抱き寄せ、頭にキスを落とす。

「そなたに怪我が無くて良かった。」

「カルダ様のお陰です。助けて頂き、ありがとうございます。」

 そう言ってニコも静かにカルダの背に腕を回す。

 カルダは礼の言葉に返事を返せなかった。礼など言われる立場ではない。そう思っていたのだ。仕方の無かったこととはいえ、またニコに血を見せてしまった。積み重ねてきた業が罪悪感となって降り積もり、地層のようになっている。
 その地層の上でニコに掛ける言葉など浮かぶはずもなく、側にいることを確かめるように、何度もその黒髪を撫でた。

 いつまでもそうしていたかったがノック音が鳴り、カルダは腕を離した。エイソンの声が聞こえ、入るように促すと、エイソンに続き、スヴェリオも入室した。カルダの目元に力が入る。

「王様、先の刺客の件、ご報告致します。」

 エイソンがそう言ったが、カルダの目はスヴェリオに向いている。

「…肝心な時にいなかったな。」

 はっとニコが顔を上げた。

「あ、私が勧めたのです。町も不安定で混乱していると聞いて、友人たちの様子を見に行くようにと。」

 スヴェリオは悪くありません、と言う前に、スヴェリオはその場に膝を付いた。ニコもエイソンも大きく目を見開く。

「申し訳ありません…王妃様。お側を離れるべきではありませんでした。」

 真摯に頭を下げるスヴェリオに、ニコは言葉を失い、エイソンも息を呑んだ。もちろんカルダも目を見張ったが、厳しい表情は崩さなかった。

「反省はしているようだな。なら良い。」

 スヴェリオは下を向いたままふらりと立ち上がる。

 カルダの言葉にほっと胸を撫で下ろしたニコは、カルダの手に自分のそれを重ねた。

「ありがとうございます。」

「なぜニコが礼を言うのだ。」

 そんなニコの頬に1度指の背を滑らせる。指を離した場所に軽くキスをしてからエイソンに向き直った。

「報告を。」

「はい。あの者の名前はストゥーシ。騎士棟の洗濯係をやっていました。同僚の使用人たちの話によると、彼女は第3騎士団長に想いを寄せていたようで、討死の知らせを聞いてから随分と気落ちして様子がおかしくなったようです。」

 なぜ第3騎士団長の死が王妃への恨みに繋がるのか。そんなことは愚問だ。誰も口に出さなかった。

「…なぜニコの給仕係に?」

「それは…。」

 エイソンが言うか言うまいか目線を下げると、スヴェリオがぼそりと低い声を出した。

「世話係が数人職務放棄だと。」

 カルダの視線が鋭く光る。

「職務放棄をする理由は?」

「はっ…そんなこと、訊きたいか?」

 エイソンがスヴェリオの腕を掴み、落ち着くようにとじろりと睨む。スヴェリオはその腕を振り払い、ふんと鼻を鳴らした。

「人手が少なくなったところに手伝いを申し出て、堂々とチャンスを掴んだわけだ。」

 カルダのわなわな震える拳が目に入り、エイソンはこのままスヴェリオに発言を許すのは危険だと感じて口を挟んだ。

「食事には毒は入っておらず、凶器も彼女が持っていた調理用のナイフだけでした。協力者はなく、衝動的に行われたものと思われます。」

「…職務放棄をした使用人たちはどうした。」

「給仕係や掃除係等12名を捕え、一室に閉じ込め見張らせております。」

 カルダはごしごしと額を擦る。

「首を跳ねろ。」

 エイソンとニコは驚きのあまり呼吸を忘れ、スヴェリオはいいねと口角を上げた。
 ニコがカルダの腕を引く。

「いけません、カルダ様。」

 意思の強さが伝わる、凛とした声だった。

「今そんなことをしては、人種間の亀裂が広がります。」

「王妃を蔑ろにした者がどのような結果を迎えるか、知らしめる必要がある。」

「ですが今、民にとってはただの王妃ではありません。フェリディル出身の、重罪人の姪の、そして反乱軍が返還を求める王妃なのです。」

「王族に対する無礼は不敬罪だ。」

 どちらも譲らず部屋の中がしんとなると、スヴェリオは妙に冷静になり、ふと違うことが気になった。ニコ様、あんまり感情を高ぶらせない方がいいんじゃないのか。

 王の部屋に着く前に廊下で医務官とすれ違い、怪我も体調も問題なく無事だと聞いた。それは安心したが、ストレスがかかりすぎるのは母体に良くないと聞いたことがある。
 普段おとなしいニコが、このように惚れた相手に食って掛かる状況は良くないのではないかとスヴェリオは考えた。

「…とりあえずさ、一旦落ち着いたら、ね?」

 急にへらりと笑顔を作って場違いな軽い雰囲気を出すスヴェリオに、エイソンが訝しむ。とはいえ、その通りではあった。

「王様、王様が仰る通り不敬罪は重い罪です。しかし王妃様の仰るように、ここは民の反応も考えて、慎重になさるべきと思います。罪を犯して生き残ってる例外も、このように生きながらえて役立っているわけですし。」

 はぁ?と睨み付けてくるスヴェリオをエイソンは目を閉じて無視をする。

 そこに、再びノック音が飛び込んだ。カルダはため息を吐いて額を擦る。

 音の正体はキートスだった。カルダに促されて姿を現し、さすが空気の重さも感じていないのか、淡々と用件を述べる。

「王様、緊急会議のお時間です。既に全員揃ってお待ちです。」

 カルダはもう1度ため息を吐いて、真っ直ぐ見つめてくる1組のグレーの瞳を見つめ返した。さらりと黒髪を撫でる。

「ここにいなさい。」

「はい。私は大丈夫です。なので、使用人たちの件はお考え直しください。」

「…分かった。」

 カルダは、ほっと表情を緩めたニコの額にキスを落とし、立ち上がった。

「エイソン、お前も来い。」

「はっ。」

 そしてスヴェリオの横を通る時に鋭い視線をスヴェリオに向ける。

「今度は離れるな。」

 スヴェリオは返事をしなかったが、表情を引きしめ、ギュッと拳を握った。
 一同が部屋を出て、スヴェリオとニコが残される。

 スヴェリオはすたすたとベッドの横へ行き、膝を付いた。いつになく真面目な表情をするスヴェリオに、ニコの眉尻が下がった。

「ごめん、ニコ様。」

「スヴェリオのせいではないわ。ご友人は大丈夫だった?」

「あいつらの話なんかどうだっていいんだよ。あんたに怖い思いをさせて、その上守れなかった。謝罪くらい受け取れよ。」

「カルダ様が守ってくれたわ。」

 スヴェリオにはそれが余計に癪に障る。だが、ニコにとって最も必要な男であることは認めざるを得なかった。

「なぁ、ニコ様言ってたよな。叔父の件が片付いたらって。」

 それから懐妊の報告をすると言っていた。

「いつまで黙ってるんだ。さっさと言って、城の警備をもっと厳重にしてもらうべきだ。」

「だめ。今は絶対にいけないわ。」

 スヴェリオが疑問の目をニコに向ける。ニコの瞳からは先ほどカルダに意見したような強い意思を感じた。そしてそっとニコは自身の手をお腹に充てる。

「今報告したら、この子は祝福されるどころか、敵国の血を引いた怒りの対象になってしまうわ。もしかしたら…ますます狙われる可能性もある…。」

 確かにそうだ、とスヴェリオは黙った。第3騎士団長の死をニコのせいだと考える者もいるのだ。巷ではニコとハープナーが繋がっていたなんて根も葉も無い噂まで流れている。この状況で後継ぎ問題など加わったら火に油だ。

「でも、どっちにしろ、そのうち腹は膨れてくるんだぞ。」

「…分かっているわ。」

 ニコは頭を支えるように額に手を充てた。

「スヴェリオ、頭が重たいの。少し休むから部屋の前にいて。」

「医務官が薬を用意するって言ってたぞ。」

「あぁ、そうね。その時は起きるわ。」

 スヴェリオは分かったと頷き立ち上がり、部屋を出ようとしたところ、待って、とニコに引き留められた。振り返ると、ニコが顔を青くしてまだ頭を抱えている。
 スヴェリオは再び駆け寄り、具合が悪いのか、とニコの背をさすった。

「違う…。………怖く、て…。」

 スヴェリオは体調の変化でないことにほっとしてベッドを背に床に座った。同時に、カルダに大丈夫だなどと強がっていたことに若干の苛立ちを覚える。

「じゃあ、ここにいるから。」

「えぇ、ありがとう…。」

 ニコはか細い声でそう言い、ぎし、と横になった。しばらくして寝息が静かに聞こえ始める。

 おいおい、どんな拷問だよ。スヴェリオは髪をくしゃくしゃと掻き乱し、そのまま頭を抱える。熱を持った頬を冷まそうと目を瞑ると、ふとエイソンの騎士道の話を思い出した。チッと心の中で舌打ちを鳴らす。
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