塔の妃は死を選ぶ

daru

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 スヴェリオが城に戻ると、朝に出立するはずだった兵士たちにはまだ動きはなく、城内にも出陣準備をしているような者たちも見当たらない。違和感を覚えたスヴェリオは、胸をざわつかせて王妃の部屋へ向かう足取りを速めた。

 目的地に着くと、扉は大きく開かれ、騎士が数人で担架を持ち、布を被された何かを運び出している。
 スヴェリオの胸中でざわついていたものが瞬時に凍り、氷の刺が身体中を貫いた。

 担架を運ぶ騎士の後ろからエイソンが現れ、運ばれる遺体を固まって見つめるスヴェリオに気がつく。

「スヴェリオ、戻ったか。」

 エイソンが声を掛けるとスヴェリオは視線をそちらに向けたが、その表情は強張り、声も出なかった。

 エイソンは淡々と説明する。

「王妃様が襲われた。出陣は一旦延期され、今は王様も王妃様のお側にいらっしゃる。お前は俺についてこい。」

「無事、なのか…?」

 必要最低限の言葉数で歩き出そうとするエイソンの腕を、咄嗟にスヴェリオが掴んだ。その鬼気迫る様子を見て、エイソンはようやくスヴェリオが勘違いしているのだと把握した。

「ご無事だ。あの遺体は王様が切った刺客だ。」

「怪我は?ないのか?転んだり、どこかにぶつかったりもしていないか?」

 エイソンは眉を潜める。無事だと告げたのにいやに心配をするな。そう思ったが、自分がいなかったことに責任を感じているのかもしれないと考え、聞きただすことはやめた。

「王妃様が落ち着き次第、医師に診てもらうとは思うが、あくまでも念の為だ。」

「そう、か…。無事なら、良かった…。」

 そっとスヴェリオが手を離す。エイソンは心底安堵したように軽く息を吐いたスヴェリオをじっと見つめ、もう一度、ついて来いと言って先に行ってしまった担架を追って再び歩きだした。

 牢の地下にある遺体安置所までの道中、エイソンが王妃襲撃時の詳しい様子を説明した。といっても一瞬のできごとであった為、説明も一瞬だったが。
 スヴェリオは簡単に給仕を通した護衛に腹を立てた。エイソンもそれは部下の過失だと認めながら、しかし見破るのも容易ではあるまいと擁護する。

「今後は給仕係を固定して、更に身体検査も行った方がいいかもしれないな。」

「俺も側を離れないようにする。」

 エイソンがちらりとスヴェリオの様子を窺うと、そこには普段のへらへらとしたいい加減な素振りは見られず、気迫のこもった騎士の顔つきをした男がいた。

「…街の友人の様子を見に行ってたんだ。変ないざこざに巻き込まれてねぇか。…でも、もう自分は優先させねぇ。」

 王様のなんと慧眼なことかと、エイソンはつくずく感心した。

 白は白、黒は黒。その境界をはっきりさせる王の感覚は、恐れながらも自分とよく似ていると感じていた。幼いころから側にいて、先代王を亡くしてからは余計に節介を焼いた為、そうなるのも無理ないだろうと。
 しかし、この男スヴェリオに関しては、カルダは断固として裁く事を拒んだ。その上、側にいる事を許すというのだから、君主の命には背かぬとはいえ、エイソンには理解しがたいことだった。

 それがいざ護衛にしてみれば、その武力は申し分なく、誰よりも主に一途な忠誠心を持っているのだ。子供時代から騎士道を学んできたそこらの一介の騎士よりもよほど騎士らしい。

「スヴェリオ、騎士道について学んだことはあるか?」

「あるわけねぇだろ、騎士じゃねぇんだから。」

 エイソンは訝しむスヴェリオの視線にも構わず続けた。

「騎士というのはまず勇猛であることが必須だ。」

「俺の戦い方はそういう感じじゃないな。」

「次に絶対的な忠誠心が美徳とされる。」

「だからなんだよ。」

「女性を愛することが仕上げだと謳う者もいる。」

 うわ、とスヴェリオが両手を交差させて自身の二の腕を掴んだ。

「その顔で愛とか言うのやめろよ。鳥肌立った。」

「女性を愛すると、それが実ろうが実るまいが勇敢になれるからだ。」

「やーめーろってぇ!」

 今度は両耳を塞ぐ。

「つまり、期待している、ということだ。」

 あーと声を上げて両耳に手を充てるスヴェリオにそのセリフは届かなかったが、前を向いて歩くエイソンの口は弧を描き、目尻にはしわを寄せていた。



 遺体安置所は地下にあるだけあって、地上に比べてひんやりと空気が冷えている。牢で死んだ罪人を一時的に置いておくだけの場所なので大して広くもなく、遺体を置く寝台も2つあるのみだ。
 騎士たちは運んだ遺体を寝台に移し、それぞれの持ち場へ戻って行った。

 エイソンが遺体の顔にかかった布を捲る。スヴェリオに見るようにと、顎をしゃくって促した。スヴェリオはその通り覗く。

「いつもの給仕係か?」

「いや、知らない顔だ。」

「お前が知らないとなると、王妃様のお世話にも来たことが無いということか?」

「たぶんな。洗顔やら着替えやらは大体同じ顔ぶれだし。この女が新人というわけでもない限り、別の部署の奴か使用人のふりをして潜り込んだ奴だと思う。」

 スヴェリオが遺体の手足を確認し、服を捲って体を覗く。手を離すと汚い物を触った後のようにパッパッと両手を払った。

「剣を握る手でもなければ足も普通の女の足だ。身体にも特に傷跡が無い。普通の女だ。」

「そうだ。お前のように手慣れた暗殺者というわけではないらしい。」

「俺は暗殺者じゃねぇ。食事に毒が入ったりは?」

「確認中だ。」

 そこへ、石造りの階段を降りる、こつこつとした足音が聞こえた。2人分の足音だ。1人は鎧の音から騎士だと分かる。もう1人の男と目が合った時、スヴェリオはごくっと生唾を飲みこみ、手汗をかいた。

「近衛隊長、使用人の管理長を連れてきました。」

 そう言う騎士の前を歩いてきた小柄な男が、おずおずと頭を下げる。

「近衛騎士隊長、使用人管理長のゴスティラードと申します。」

「ゴスティラード殿、お呼び出しに応じて頂き感謝致します。そっちの男はスヴェリオ、王妃様の専属護衛です。」

「えぇ、存知あげております。」

 ばっちりと目を合わせたスヴェリオとゴスティラードは瞬時に作り笑顔を張り付ける。この2人、知り合いだということがバレると少々、いや、かなり困ったことになるのだ。

 スヴェリオはゴスティラードに大金を貸していた。
 スヴェリオとバーバリオが王都へ来たばかりの頃の話だ。ゴスティラードは酒屋で賭け事の遊びをしていて惨敗していた。身ぐるみ剥がされ、それでも払いきれないその負額を、近くで飲んでいた全く見ず知らずのスヴェリオが受け持ったのだ。

 スヴェリオは王都へ来るまでの旅路で、1度バーバリオと離れてダマルカの国境を越えた西の地へと赴いた。その時に森の中でクァンザ族6人の群れと鉢合わせ、あれこれ罠や地形を活かして皆倒し、ついでにクァンザ族が身に付ける金装具を残らず持って帰ったのだ。

 おかげで王都に来たばかりのスヴェリオは大金を持っていた。スヴェリオはゴスティラードが城で働いていると聞くや否や、支払を肩代わりしようと申し出たのだ。スヴェリオは返済金を受け取らない代わりに、あれこれゴスティラードに漬け込むようになった。

 その借りの一端が、スヴェリオを王妃の給仕係に潜り込ませる、いうことに使われたのだ。これは誰にも知られるわけにはいかなかった。

 気弱なゴスティラードを少々心配していたスヴェリオだが、さすが城勤めを長くやっているだけあって、ゴスティラードは言われるまでもなくしれっと初対面のふりをした。

「管理長にはこの者を確認してもらいたくてお呼びしたのです。」

 そう言ってエイソンが手で遺体を示すと、ゴスティラードはおずおずと前へ出て、目を細めながら、恐る恐るその横になっている者の顔を見た。その素性を確認してすぐに視線を逸らす。吐き気だけはなんとか堪えたようだが、その顔は青ざめている。

「この者が王妃様の御膳を運んだのです。王妃様の世話係の使用人ですか?」

 ゴスティラードは小刻みに首を横に振った。

「違います。この者は騎士棟の洗濯を担当していた、ストゥーシという者です。」

「騎士棟ですか。」

 エイソンの眉間にしわが寄る。なぜ王妃様と関係の無さそうな騎士棟の者が、王妃様に恨みを抱くのか。

「この者が王妃様を狙う理由に、心当たりはありませんか?」

 途端、ゴスティラードの表情が曇った。指をもじもじと弄りながら、気まずそうに目を伏せる。その様子に鋭い視線を送ったのはスヴェリオだ。

「何か知っているなら早く言え。」

「スヴェリオ、威圧するな。」

 エイソンが注意するが、スヴェリオの態度は変わらない。

「これは…これが原因だと、私は思ってはいませんが、それが原因だと思ってはいけないことだと思いますが…。」

「勿体ぶるな。」

 スヴェリオ、とまたエイソンが諌める。

「ストゥーシは第3騎士団長を大変慕っていたと、同僚の使用人たちが話しているのを…聞いたことが、あります…。」

「………あぁ…なるほど…。」

 ガァン!と地下室に凄まじい音が鳴り響いた。ゴスティラードと騎士は肩を竦ませ、エイソンは顔をしかめてスヴェリオを見た。
 スヴェリオの足元に散らかったのこぎりや斧等の刃物がカランと音を立て、それらが入っていたベニヤの木箱は一部が壊れている。スヴェリオが思い切り蹴り飛ばしたのだ。

「…スヴェリオ、備品を壊すな。」

 スヴェリオは手の甲を額に充て、深く息を吸い、吐いた。

「俺がお前を王妃様の元ではなく、こっちの調査に連れて来た意図が分かるか?」

 スヴェリオは押し黙る。

「お前がこれからどんな者から王妃様をお守りするのか、知っておくべきだと思ったからだ。」

 エイソンにとってもやるせないのは同じだ。ふぅとため息を吐く。

「これから、王妃様に向けられる悪意は増えるかもしれない。相手が誰だろうと、お前がお守りするんだ。」

「…分かってるよ。」

 そう言ったスヴェリオの手は怒りに震え、声は掠れていた。
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