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「やぁ、会いに来てくれて嬉しいよ。」
以前トードで会ったままの柔らかい笑顔に、面の皮の厚い奴め、とスヴェリオは思った。
「よくそんな堂々としてられんな。こんな事しでかしておいてさ。」
「私が何かしたかな?」
ハープナーの纏う穏やかな空気は冷たい牢には少しも似合わず、鉄格子越しに見ても怪しさの欠片も感じない。スヴェリオは、この男が本当に主犯なのかと疑いそうになるほどだった。
ハープナーを捕えた翌日、より早くハープナーを王都へ移送する為に、カルダと近衛騎士団、それからトードで合流した第1騎士団は日程を早めて先にスメヒリヤへと帰還した。ニコとスヴェリオが王都に着いたのは、その3日後だ。
その時には既にアイローイ国内の情勢が大きく傾いていた。
フェリディル地区で大規模な反乱が起きたのだ。いや、詳しくは起きていた、だ。カルダがトードへ足を運んでいる間に既に反乱は起こっており、カルダ一行が帰還した時には、主要都市ノウラが襲撃されているという知らせが入ったところだった。
急ぎ援軍を送ったが、スメヒリヤからノウラへは急いでも4~5日かかる。援軍がノウラへ辿り着いた頃には、これも時既に遅く、ノウラは反乱軍に陥落し、フェリディル地区を管理するペテロスのみならずノウラごと丸々人質として囚われてしまったのだ。
反乱軍は元フェリディルの騎士団や兵たちで、さすが元々守っていた土地なだけあって、攻め落とすのも早ければ、守りも強固だった。
反乱軍の要求は大きく3つだ。ハープナーの解放。並びにハープナーを統領としたフェリディルの独立。そしてフェリディルの王女ニコの返還だ。
そんな要求を簡単には呑めないカルダもアイローイの大軍を投じて早急にノウラを取り戻したかったが、そうできなかったのはアイローイの北西にクァンザ族の大群が押し寄せたとの知らせが届いた為だ。
本来アイローイもフェリディルのように国境には高い防御壁を建ててある為、クァンザ族が簡単に国内に侵入できるはずが無かったのだが、報告によると、どうやら長年放置されていた古い坑道が侵入経路として使われたということだった。
ついでに言えばクァンザ族の大群なんていうのも、カルダは聞いたことが無かった。あの種族は知能が低く、あまり過多な集団行動はしないはずだった。群れていたとしても多くてせいぜい10人くらいのはずだ。身体能力が高いだけあって大群にはそれなりの大軍を送らねばならなかった。
アイローイの国民はこの事態に動揺し、全てが後手後手になってしまったカルダにはゆっくり寝る間も無かった。
そうしてハープナーは牢の中でも悠々と過ごしているのである。
スヴェリオはニコに頼まれてハープナーの様子を見に来ていた。反乱軍からの要求にニコも含まれていた為、直接会うのはリスキーだとニコが判断したからだ。本当はスヴェリオを向かわせるのも躊躇われたが、どうしても叔父の真意を知りたかったのだ。
すまない、また部下たちが私を勝手に持ち上げようとしているようだ。そんなセリフをニコは聞きたかったのかもしれない。しかし、そうはならなかった。
「全部あんたの計画通りなんだろ?」
スヴェリオが捕えられていた時とは違い、拘束具も付けられていないハープナーは自身の髪を指で梳きながら、その指先を目で追った。
「…どうしようかな、本当はあまり喋るべきではないのだけれど。きっと、私に聞いた話はニコに届くのだろうね?」
「どうしようかな、届けてほしいのか?」
「さすが、番犬君はなかなか優位に立たせてくれないな。」
ふふふと柔らかな笑みを浮かべるハープナーの目が映すのは、スヴェリオの組んだ腕だ。城の城門のように固く閉ざされたその腕に、以前会った時以上の強い警戒心を感じる。
「なんでニコ様を巻き込んだ?あの人はようやく平穏を手に入れたところだったんだ。」
「本当にそうかな?」
「…どういう意味だ。」
「私もね、ニコがアイローイ王のことを随分と信頼しているようで、正直驚いたんだよ。兄上たちは、ニコの目の前で殺されたと聞いていたから。アイローイ王にね。」
それはスヴェリオにとっても理解しがたいところだった。とはいえニコ自身が選んだことであるし、ハープナーに同調するのは危険だと本能で察知して口を固く結ぶ。
「一種の生存本能なんじゃないかなと思うんだ。強者の前で生き残る為の。ニコは愛される素質が十二分にあるだろう?」
「…あの人の感情が勘違いだって言いたいのか?」
「分からないけれど、その可能性はあるだろう?」
「じゃあ、あんたはニコ様を助ける為に、あんな要求をさせたってことか?」
「違うよ。」
ぶちっと血管の切れたような音がする。もちろん本当に切れたわけではないが、そうなりそうなほどスヴェリオの頭に血が上った。
「あんたむかつくな。回りくどく言わねぇで、結論を言えよ!」
スヴェリオはそう言って固く閉ざした城門を開けて、がんっと鉄格子を叩いた。途端、ハープナーは真っ直ぐスヴェリオの瞳を見つめる。突然の真剣味を帯びた視線に、スヴェリオも逸らすことができなかった。
「これはね、君が番犬だから話すんだ。よく聞いて。」
スヴェリオの眉間に力が入る。
「反乱軍から王妃を求められたら、民はどう思うかな。しかも反乱軍の大将は王妃と血の繋がった叔父だ。戦というのは長引けば長引くほど、民に負担が掛かるんだ。そうなった時、アイローイ王と民の意思は食い違うことだろう。」
「あんた…やっぱりニコ様を巻き込む気なんじゃねぇかっ!」
「君が守るんだよ。」
スヴェリオの目が大きく見開かれる。
「もし、民の怒りの矛先がニコに向いた時、その時は君が守るんだ。絶対。やってくれるね?」
「俺はあんたに言われてあの人を守るわけじゃねぇ。」
「うん、君自身の意思だよね。だから、信頼しているんだよ。」
「…あんたは、ニコ様をどうしたいんだよ。」
あの人のことが大事なんじゃないのか。ハープナーのちぐはぐな物言いにスヴェリオは頭を抱えた。その様子を見てハープナーがふふと笑って、髪を梳く。
「王族にはね、ままならないことが多々あるんだよ。」
その表情が、私は王妃なの、と力無く笑った大市でのニコを彷彿とさせた。誰が善で誰が悪なのか。この王族と名乗る者たちの話を聞くたび、スヴェリオの頭はこんがらがった。今までならどうでもよかったことなのに、と投げ出したくなる。
「私も随分と頼られる身でね、私のできることならば、できる限り尽くさねばならないんだよ。」
ごめんね、と首を傾けたハープナーは、いつも通りの優しく穏やかな笑顔に戻っていた。
以前トードで会ったままの柔らかい笑顔に、面の皮の厚い奴め、とスヴェリオは思った。
「よくそんな堂々としてられんな。こんな事しでかしておいてさ。」
「私が何かしたかな?」
ハープナーの纏う穏やかな空気は冷たい牢には少しも似合わず、鉄格子越しに見ても怪しさの欠片も感じない。スヴェリオは、この男が本当に主犯なのかと疑いそうになるほどだった。
ハープナーを捕えた翌日、より早くハープナーを王都へ移送する為に、カルダと近衛騎士団、それからトードで合流した第1騎士団は日程を早めて先にスメヒリヤへと帰還した。ニコとスヴェリオが王都に着いたのは、その3日後だ。
その時には既にアイローイ国内の情勢が大きく傾いていた。
フェリディル地区で大規模な反乱が起きたのだ。いや、詳しくは起きていた、だ。カルダがトードへ足を運んでいる間に既に反乱は起こっており、カルダ一行が帰還した時には、主要都市ノウラが襲撃されているという知らせが入ったところだった。
急ぎ援軍を送ったが、スメヒリヤからノウラへは急いでも4~5日かかる。援軍がノウラへ辿り着いた頃には、これも時既に遅く、ノウラは反乱軍に陥落し、フェリディル地区を管理するペテロスのみならずノウラごと丸々人質として囚われてしまったのだ。
反乱軍は元フェリディルの騎士団や兵たちで、さすが元々守っていた土地なだけあって、攻め落とすのも早ければ、守りも強固だった。
反乱軍の要求は大きく3つだ。ハープナーの解放。並びにハープナーを統領としたフェリディルの独立。そしてフェリディルの王女ニコの返還だ。
そんな要求を簡単には呑めないカルダもアイローイの大軍を投じて早急にノウラを取り戻したかったが、そうできなかったのはアイローイの北西にクァンザ族の大群が押し寄せたとの知らせが届いた為だ。
本来アイローイもフェリディルのように国境には高い防御壁を建ててある為、クァンザ族が簡単に国内に侵入できるはずが無かったのだが、報告によると、どうやら長年放置されていた古い坑道が侵入経路として使われたということだった。
ついでに言えばクァンザ族の大群なんていうのも、カルダは聞いたことが無かった。あの種族は知能が低く、あまり過多な集団行動はしないはずだった。群れていたとしても多くてせいぜい10人くらいのはずだ。身体能力が高いだけあって大群にはそれなりの大軍を送らねばならなかった。
アイローイの国民はこの事態に動揺し、全てが後手後手になってしまったカルダにはゆっくり寝る間も無かった。
そうしてハープナーは牢の中でも悠々と過ごしているのである。
スヴェリオはニコに頼まれてハープナーの様子を見に来ていた。反乱軍からの要求にニコも含まれていた為、直接会うのはリスキーだとニコが判断したからだ。本当はスヴェリオを向かわせるのも躊躇われたが、どうしても叔父の真意を知りたかったのだ。
すまない、また部下たちが私を勝手に持ち上げようとしているようだ。そんなセリフをニコは聞きたかったのかもしれない。しかし、そうはならなかった。
「全部あんたの計画通りなんだろ?」
スヴェリオが捕えられていた時とは違い、拘束具も付けられていないハープナーは自身の髪を指で梳きながら、その指先を目で追った。
「…どうしようかな、本当はあまり喋るべきではないのだけれど。きっと、私に聞いた話はニコに届くのだろうね?」
「どうしようかな、届けてほしいのか?」
「さすが、番犬君はなかなか優位に立たせてくれないな。」
ふふふと柔らかな笑みを浮かべるハープナーの目が映すのは、スヴェリオの組んだ腕だ。城の城門のように固く閉ざされたその腕に、以前会った時以上の強い警戒心を感じる。
「なんでニコ様を巻き込んだ?あの人はようやく平穏を手に入れたところだったんだ。」
「本当にそうかな?」
「…どういう意味だ。」
「私もね、ニコがアイローイ王のことを随分と信頼しているようで、正直驚いたんだよ。兄上たちは、ニコの目の前で殺されたと聞いていたから。アイローイ王にね。」
それはスヴェリオにとっても理解しがたいところだった。とはいえニコ自身が選んだことであるし、ハープナーに同調するのは危険だと本能で察知して口を固く結ぶ。
「一種の生存本能なんじゃないかなと思うんだ。強者の前で生き残る為の。ニコは愛される素質が十二分にあるだろう?」
「…あの人の感情が勘違いだって言いたいのか?」
「分からないけれど、その可能性はあるだろう?」
「じゃあ、あんたはニコ様を助ける為に、あんな要求をさせたってことか?」
「違うよ。」
ぶちっと血管の切れたような音がする。もちろん本当に切れたわけではないが、そうなりそうなほどスヴェリオの頭に血が上った。
「あんたむかつくな。回りくどく言わねぇで、結論を言えよ!」
スヴェリオはそう言って固く閉ざした城門を開けて、がんっと鉄格子を叩いた。途端、ハープナーは真っ直ぐスヴェリオの瞳を見つめる。突然の真剣味を帯びた視線に、スヴェリオも逸らすことができなかった。
「これはね、君が番犬だから話すんだ。よく聞いて。」
スヴェリオの眉間に力が入る。
「反乱軍から王妃を求められたら、民はどう思うかな。しかも反乱軍の大将は王妃と血の繋がった叔父だ。戦というのは長引けば長引くほど、民に負担が掛かるんだ。そうなった時、アイローイ王と民の意思は食い違うことだろう。」
「あんた…やっぱりニコ様を巻き込む気なんじゃねぇかっ!」
「君が守るんだよ。」
スヴェリオの目が大きく見開かれる。
「もし、民の怒りの矛先がニコに向いた時、その時は君が守るんだ。絶対。やってくれるね?」
「俺はあんたに言われてあの人を守るわけじゃねぇ。」
「うん、君自身の意思だよね。だから、信頼しているんだよ。」
「…あんたは、ニコ様をどうしたいんだよ。」
あの人のことが大事なんじゃないのか。ハープナーのちぐはぐな物言いにスヴェリオは頭を抱えた。その様子を見てハープナーがふふと笑って、髪を梳く。
「王族にはね、ままならないことが多々あるんだよ。」
その表情が、私は王妃なの、と力無く笑った大市でのニコを彷彿とさせた。誰が善で誰が悪なのか。この王族と名乗る者たちの話を聞くたび、スヴェリオの頭はこんがらがった。今までならどうでもよかったことなのに、と投げ出したくなる。
「私も随分と頼られる身でね、私のできることならば、できる限り尽くさねばならないんだよ。」
ごめんね、と首を傾けたハープナーは、いつも通りの優しく穏やかな笑顔に戻っていた。
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