塔の妃は死を選ぶ

daru

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「いいですか、王様。優しく、自分が考えるよりもずっと優しくお話しください。」

「分かったと言っているだろ。しつこいぞ。」

 廊下を歩きながら、まるで暗示のように何度も何度も執拗に同じ事を言うのは、アイローイ王カルダの乳兄弟で側近のキートスだ。ふわふわの栗毛と純粋そうな童顔のお陰で、カルダと同年の31歳にはとても見えない。

  2人が向かっている先は、王妃ニコの部屋だ。部屋で静かに佇むニコを想像すると、カルダの足取りはどんどん重くなった。そして、アイローイの象徴である馬の文様が刻まれた両扉の前で止まる。

「よろしいですか?」

 キートスの小声の問いかけに、カルダはため息をついて頷いた。

 キートスが扉をノックするとすぐに、はい、と小さく返事が聞こえた。キートスは扉を開き、部屋の角の窓の前に座っているニコを確認するとお辞儀をした。

「王妃様、王様のおなりでございます。」

 その言葉にニコは反射的に立ち上がった。急いで入り口まで赴き、姿を見せた王カルダと向かい合い、頭を下げる。視線を上げられずにいるニコの心臓は暴れ回り、あちこちから汗が吹き出た。

「不便はないか?」

「は…い…不自由なく、過ごさせて頂いております。」

 嘘だ、とカルダは思ったが、ニコの震える肩を見て、その言葉は飲み込んだ。

「2週間後、この都で祭りがあるのは知ってるか?」

「い、いえ…存じておりません。」

 ニコには世間話をする相手すらいない。この部屋の外のことは何も知らないのだ。

「そうか。急な話なんだが、その祭に余と一緒に参加をしてもらいたいのだ。」

 元より白かったニコの顔が、青みを帯びた。返事をしなければならないと頭では分かっているのに、締め付けられているように気道が狭まり、声が出ない。

「…準備は全てこちらでするから気にするな。」

「………。」

「ただ、その祭なんだが、何か動物の物を身につけるのが慣わしでな、………王妃は何がいいか?」

 ニコはカルダが何を聞いているのか理解できなかった。これが贈り物の話だということにすら気がついていない。当然だ。ニコはカルダからプレゼントなど貰ったことがないのだ。そもそも婚姻の段取り以外、会話すらほとんどしていない。

 王に対して返事をしないニコを前に、廊下でさんざん言われた言葉を頭の中でひたすら呟くカルダ。優しく、優しく。

「…やはり毛皮がいいか?キツネか?ウサギか?好きなものを言ってくれれば用意する。」

 沈黙が続く。優しく言ってもだめじゃないか!カルダはキッとキートスを睨むが、キートスは眉尻を下げておろおろするばかり。

「…分かった…こちらで決めよう。王妃に似合う毛皮を用意する。」

 痺れを切らしたカルダが、ふぅー…と深く息を吐くと、ニコはびくりと体を震え上がらせ、がくりとその膝を折った。

「も、申し訳ございませんっ…!」

 過剰な反応に驚きつつも、カルダは咄嗟にニコの体を支えた。

「お、おい、膝を付くな!落ち着きなさい!」

 キートス!とカルダが驚いている彼に視線を送ると、キートスはすぐに察してカルダと共にニコを支えながら部屋の中央にあるソファへ移動し、力が入らない様子のニコを座らせた。

 顔面蒼白で体をガクガクと震わせるニコに、カルダは再びため息を吐きそうになって、すんでのところで口を押さえた。今度はキートスがカルダを睨む番だ。カルダはばつが悪そうに自身の額を中指で擦る。

「王妃が謝ることはない。」

 カルダは考えに考えて、絞り出すように声を出す。妃を怖がらせないように、追い詰めないように。

「ただの祭具だ。王妃が身に付ける物を選ぶだけだ。恐がる必要も勘繰る必要もない。それをこちらで選んでいいのか、何か要望はないのか、聞きたいだけだ。」

 ゆっくりと話すカルダに少しずつ落ち着きを取り戻したニコは、恐る恐る視線を上げる。
 膝下までの皮ブーツ。大腿部にかかるチュニックの裾は銀色の刺繍で縁取られ、腰にブラウンのベルトを巻いている。V字に小さく開く胸元は紐が通り、そこから伸びる首は逞しく、筋肉質であることが分かる。そうして 、金色の瞳と目が合った。そこに怒気は見られず、ニコは少しの安心感を覚えつつ、すぐにスッと視線を下げた。

 話しても大丈夫かもしれない、とニコは自身の胸に置いていた手にぐっと力を込める。

「と、取り乱してしまい、申し訳ございません…。」

「謝る必要はないと言っただろ。…余が威圧的だった…すまない。」

 相手を気遣い謝罪までするなど、ニコの印象とは違うカルダの様子に、ニコは驚きを隠せなかった。

「とんでも…ございません。…あの…さ、祭具のことですが…。」

 返事を貰えないと諦めていたカルダの表情に、僅かに光が差した。

「…申し訳ありませんが、その…毛皮、は…あまり好きではなく…。」

 口ごもるように言ったニコの言葉に、カルダは鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。あることを思い出したのだ。



 アイローイ軍がフェリディル城を制圧した時のことだ。
 フェリディル王夫妻はすんなりと捕らえたが、ニコのそばには1匹の狼が寄り添っており、武器を向ける兵達の前に低いうなり声を上げながら立ちはだかった。
 兵達がなかなか近づけずにいるところにカルダが出向き、飛びかかってきたそれを切り殺したのだ。

 ニコは悲鳴を上げて駆け寄り、首が外れかかったその獣の身体を、フェリディル王夫妻の首を跳ねるまで抱き抱えていた。



 あれは大切なペットだったのだろうな、とカルダも分かっていたが、飛びかかってきた以上、殺す以外の選択肢は無かった。

 あの時のニコの悲痛な叫びを思い出す度、カルダは心臓を握り潰されるような感覚に襲われる。潰されるわけにはいかないと、その都度自分を奮い立たせなければならなかった。

「そう、か…。では、毛皮以外の物にしよう。」

「ありがとうございます。」

 深々と頭を下げるニコ。カルダはそのニコの顎に指先だけでそっと触れ、顔を上げさせた。ニコの体が硬直したことに気付きすぐに離したが。

「いや、余の都合で連れ出すのだ。王妃が礼を言う必要はない。礼は余に言わせてくれ。」

 そう言って、今度はカルダが頭を下げた。
 キートスが満足そうに頷く。

「余がいきなり来て疲れただろう。もう行くから、ゆっくり休め。」

「と、とんでもございません。」

「それから、何か要望があれば、ちゃんと使用人に言うように。」

「…はい。」

 カルダはニコの返事を確認してから部屋を出た。キートスも後に続く。

 ニコは一気に緊張が解け、ソファにそのまま横になった。ニコにとってカルダは恐怖の対象だ。目の前で最愛のペットを切られ、両親を殺された。あの時の鋭い眼光が今でも忘れられない。

 しかし顔を合わせて話してみると、あの時のような威圧感は感じられない。笑いかけたりするわけではないものの、カルダなりの気遣いがニコにも伝わった。

「…分からないわ。」

 1人静かな部屋で、ぽつりと呟いた。



 一方、王の執務室に辿り着いたカルダは、気が抜けたようにどさっと椅子に腰を落とした。深いため息と一緒に、額を擦る癖が出る。

「お疲れ様でした。取り敢えず、承諾して頂けて良かったですね。」

 キートスは、ほっとしたように笑顔を見せたが、カルダは"承諾"という言葉に引っ掛かった。

 一緒に祭に参加してほしいと言って、それに対しての"はい"も"いいえ"も貰っていない。承諾など得ずに、勝手に話を進めて逃げ道をなくしたのだ。

 必要なことだったとはいえ、カルダの心は軋む。

「…王妃は、いつも1人なのか?」

「入城なさった当時から、用事があれば自分から向かうから部屋の前での待機はいらない、と使用人に言ってあるようで…。今では朝の身嗜みを整える時と入浴時、それから御膳を運ぶ以外は使用人も近づきません。」

「それは聞いてる。しかし話相手もいないとなると、退屈だろう。」

「王が、お妃様の望みはなるべく聞くようにと仰ったのではありませんか。」

 額を擦るカルダ。確かにそのように言った。敵国に嫁いだ姫だ。1人でいたいという気持ちはカルダにも理解できた。だからこそカルダも放っておいていたのだが、もう1年以上経つ。使用人とくらい打ち解けてもいいのでは、と懸念していた。

「そうやってご心配されるくらいなら、ご自身で慈しんであげるべきなのでは?王は王妃様の夫なのですよ?」

「余が行っても仕方ないことは分かっているだろ。」

「真心を込めて接すれば、時間がかかっても、きっと打ち解けられますよ。」

 キートスの楽観的な考えに、カルダは呆れた眼差しを向けた。

「お前は親の仇と打ち解けられるのか?」

 キートスの表情が苦いものを食べたように歪む。

「クァンザ族に友好関係を築こうと言われて、ぜひ、なんて頷けるか?その手を取れるのか?無理だろう。」

「………ですが、王も、王妃様も、人間です。」

「関係ない。余が王妃の両親の、そして国の仇であることに違いはない。」

 カルダがそう言って、キートスも諦めたように視線を下げた。

「目の前で両親を失い、祖国を失い、挙げ句の果てに仇に嫁がされた憐れな娘だ。しっかり気遣ってやるよう、もう1度使用人たちに念を押しておくように。いらぬと言われれば下がってよいが、少しでも話しかけてやってくれと。」

「…仰せの通りに。」

 キートスが下がると、カルダは1人部屋に佇む妃を思い浮かべ、もう何度目かも分からないため息を溢した。
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