塔の妃は死を選ぶ

daru

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 小さく首を左右に振るスヴェリオと目が合って、彼が侵入者なのかもしれないと、ニコもすぐ理解した。それなのにすぐに告発しないのは、少なからずスヴェリオへの興味が沸いたからだ。

"王妃様、外に出たいんでしょ。"

 その言葉が、ニコの心に引っ掛かった。

「王様の執務室に置いてあった物が無くなったのです。」

「重要な物だったのですか?」

「とても高価なものです。」

 エイソンは、重要、というところには頷かなかった。
 国家機密とかそういうものでないのなら逃してあげたいというのがニコの本音だ。恐らく王カルダの前に突き出されたら、盗みを働いたスヴェリオは無慈悲に腕を落とされるだろうと。腕ならまだいい。首だったら…、と考えるだけで、ニコの手は自然と自身の首に触れた。

「姿を見ていなくても、何か足音だったり物音だったり、気になることはありませんでしたか?」

「いいえ、何もありませんでした。」

「そうですか。」

 エイソンはもう1度部屋をぐるりと見渡して、お騒がせしました、と部屋を出た。
 扉が閉まり、重々しい足音が遠退くと、ようやくスヴェリオが大きく息を吐いた。ニコも無表情なりにそっと胸を撫で下ろす。

「ありがとう王妃様!あんたは命の恩人だ!」

 へらりと笑顔を見せて窓際のニコに駆け寄り、その手を握るスヴェリオに、ニコはため息をついた。本当に命の危機だったこと、この人は分かっているのかしら。 

「いったい何を盗んだのですか、泥棒さん。」

「はは、これですよこれ。」

 スヴェリオはそう言って、先ほど宝石のついたネックレスを出し入れした腰巾着を指差す。
 ニコが、あぁ、と納得の声を洩らすと、スヴェリオも、そうか、と頷いた。

「これは王妃様のか。」

「え?」

「王様があんたに用意した贈り物だよ。」

 やはり王と言えど男。この美女をモノにしたいと思ってるんだろう、とスヴェリオは考えたが、ニコは違った。贈り物などあり得ない。そんな間柄ではない。

「このネックレスに付いてる宝石は"森の源"と言って、エルフの土地でしか採れない物なんだ。そんなお宝が競売に出るって聞いて狙ってたんだよ。」

 エルフというのは長寿で美しい容姿を持ち、自然を愛する種族だと言われている。確かに存在はしていたが、彼らは他種族と関わることを避けめったに領地から出てくることも無い為、ほとんど伝説のような種族だった。

「エルフの土地?」

 ニコもエルフの存在には半信半疑だ。

「そう。ほら、緑色の中に赤とか青とかいろんな色が細かく散りばめられてるだろ?これはエルフの魔力だと彼らの中では伝えられているらしい。本物の証拠だ。」

 スヴェリオがネックレスを見せながら意気揚々と話す。確かに宝石はそのように輝いていたが、ニコは顔をしかめた。

「まるで、エルフに聞いてきたかのような話し方ですね。」

「あぁ。結構前だけど、迷子のエルフを助けたことがあってね。その時に、これより小さい物だったけど、見せてもらったことがあるんだ。」

「………そうですか。」

「あ、信じてないな!」

 最初に商人と名乗った泥棒だ。ニコでなくとも信じることなどできないだろう。
 だがスヴェリオはそんな態度にも慣れているのか、気を悪くするどころか、ネックレスを手に取りまじまじと観察をするニコを見て、楽しそうにニコニコと笑みを浮かべた。

「なぁ、王妃様、さっきの話。」

「さっき?」

「外に出たいんじゃないの?って話。」

 ニコの表情に影が落ちる。外に出たくないとは思わない。けれど出たいなんて思いはとうに潰えた。願ってはいけないことだ。自分が生き残る為に。そして元フェリディル民の為に。

「俺が拐ってやろうか?」

「な、にを…。」

 ニコがすぐに否定できなかったのは、スヴェリオの提案に強く心を曳かれたからだ。大きく心臓が跳びはね、無意識に、差し出されたスヴェリオの手を掴みそうになった。ニコは旅立ちそうな自身の右腕を左手で強く抑え込む。

「………無理、ですよ。」

「無理じゃない。」

「どうやって抜け出すというのです?いえ、無事に城を出れたとしても、それでどうやって生きていくのですか?私は何もできないし、一生追われる身になりますよ。」

「旅に出よう。俺が色々教えてやるし、うんと遠くまでは追って来れないさ。」

 普通に考えれば非現実的だ。あまりに楽天的すぎるとニコも思った。
 だがスヴェリオにとっては至ってまじめな話だった。身軽に兵士の間をすり抜けれる自分とは違ってニコの逃走経路は考えなければならないが、城さえ出たらこっちのものだと思っていた。事実スヴェリオは旅に慣れていたし、国外のあちこちの種族と親交がある。

「それでも、やっぱり無理です。」

 ニコはスヴェリオから視線を反らす。

「私はフェリディル民の人質としてここにいるのです。…私がいなくなることで民達に危害が加わる可能性もあります。それは…望みません。」

 消え入りそうな声に、スヴェリオは差し出した手をゆっくり引っ込めた。腕を組み、どうやら説得は難しそうだ、と考える。しかし話せば話すほどニコのことが欲しくなる。鳥籠から解き放ちたくなる。

 スヴェリオは、ふぅ、と軽く息を吐いてから口を開いた。

「そうか、分かった。また来る。」

「え?」

 あっさり引き下がったかと思いきや、予想外の言葉を口にしたスヴェリオに、ニコも動揺を隠せなかった。

「何度来ても同じですよ?というか、あなたは兵士たちに追われる身なのでは?」

 スヴェリオが再び城に来るというのは、ネズミが自ら猫の前に現れるようなものだった。

「大丈夫大丈夫、うまくやるよ。」

 スヴェリオはひざまつき、流れるようにニコ手を取ってその手の甲に口付けをする。

「必ず戻るよ。」

 ニコの目に、スヴェリオの夕陽色の瞳が写る。

 パッと互いの手が離れると、ニコが返事をする間もなくスヴェリオは部屋を出て行った。
 王妃の部屋に静寂が戻った。ニコは手に残されたネックレスを眺めた。





「見つかったか?」

 王座に座るアイローイ王カルダは、肩までのびたくしゃくしゃの金髪に銀の王冠を乗せ、無精髭の生えた顎を撫でながら、黄金色の鋭い視線をエイソンに向けた。

「申し訳ありません、まだ捜索中です。侵入者の容姿も赤茶髪の男としか分かっておらず、特定は難しいかと…。門を閉め、町からは出られなくし、換金できそうな場所に兵を置いているので、売られることはないとは思いますが…。」

 外はとっくに暗くなっている。
 カルダは深いため息を吐き、眉間にしわを寄せ、開けた額を中指で擦った。

「…申し訳ありません。」

「もういい。あんな風に雑に置いていた余が悪かったんだ。」

 そうは言いつつもカルダのため息は止まらない。

「急いで代わりの品を用意しますか?」

「いや、話題にならない代用品を用意しても意味がない。只でさえ高価な品だったのに、これ以上金をかけたくもないしな。」

「では、噂の収拾はどうされますか?」

 カルダは再び中指で額を擦る。
 カルダを悩ませる"噂"というのは、王妃ニコのことだった。

 敗戦国の姫と婚姻したはいいものの、妃が一向に民の前に姿を現さないことに国民が疑問を持ち始めたのだ。
 1年目はまだ敗戦国の姫だからと流されていた問題が、2年目には当然ながら不仲説が出回り、実は妃は死んでいるのではないかという本が出たことを皮切りに、ありもしない様々な噂が出回ってしまった。
 そのお陰で故フェリディル人をはじめとする国民たちから、王への不信感が生まれてしまった。

「そのことはまた考えよう。今日はもう休む。」

 カルダは名高い宝石を他国から取り寄せ、わざわざ競売を通して入手したことにして、それを王妃に贈ることで噂を収束させるはずだった。
 しかし、盗まれた。

 いくら妃に興味が無かったといえ、高価な贈り物を自分の机にただ置いておくというのは、さすがに不味かったなとカルダも反省しているが、後の祭りである。

 そして、王がこういうことに疎いと分かっていたエイソンもまた、忠告しなかったことを深く後悔した。
 王カルダは、女の扱いが不慣れでも、国を発展させることに長けた国民想いの君主なのだ。


    
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