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本編

10.自覚

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 会議と呼ぶほどのことではないが、補佐官のダンと副隊長であるエルガーと報告会を行うには、私に宛がわれた城主の間は最適な部屋だった。

 部屋の一角に置かれた上品な事務デスクは綺麗に磨かれ、つい腰を折って伏せてしまう。
 その前の応接セットに座るダンとエルガーの紙を捲る音が音楽にさえ聞こえてくる。

 いよいよおかしくなってしまったと、デスクに伏せたまま深く息を吐いた。
 するとダンとエルガーが2人とも顔を上げて、各々の反応を見せる。

「なんですか、分かりやすくため息を吐いて。」

「珍しいですね。クリスタル様がそのように、その、姿勢を崩されているのは。」

 この1週間、日々知らない感情に振り回されることとなり、非常に疲れてしまった。
 要らぬ場所で緊張をし、しきりに恥じらいが押し寄せ、避けたいとすら感じてしまうのに、目が彼を追うことをやめてくれない。
 感情の制御装置が壊れてしまったようだ。

 これが何なのかは想像がついた。しかしこの感情との付き合い方が分からない。

 ダンは私と同じ20歳。エルガーは兄と同じ23歳。同世代の彼らなら、同じ経験をしたことがあるだろうか。そう思い、2人の顔を見比べる。
 
 嫌いな書類に目を通していたせいか、いつもやんちゃ坊主よろしく悪戯な笑みを浮かべているダンは、すっかり瞼の筋力を緩め、口を尖らせ、いかにも『つまらない』と書いてあるような表情をしている。

 一方エルガーは絵に描いたような真面目な騎士で、普段通りの精悍な表情を崩さない。

 どちらも恋愛事など想像もつかないが、そのうちに所帯を持ちそうな方はと絞ると、それはやはりエルガーではないだろうか。

「エルガー、恋人はいるか?」

「なっ、なんですか突然?」

「いるのか?いないのか?」

「おりません!」

 いつも堅いエルガーが狼狽えている様子は少し可笑しい。

「気になる異性もいないのか?」

 エルガーは表情を硬直させ、耳まで赤くなった。その反応で質問への回答もしたようなものだ。
 その様子に、さきほどまで死んだ目をしていたダンが、キラキラとにやけている。

「えーなんですか?今日はそういう会議?俺には?俺には質問してくれないんですか、クリスタル様?」

「ダンの話を聞いても仕様もなさそうだ。」

「酷い!俺の恋人の話も聞いてくださいよ!」

「いるのか?」

「何人目の話にしましょうか?」

「もういい。」

 えー!っと子供のように頬を膨らませるダンには目もくれず、身体を起こして、いまだに顔の赤みがとれていないエルガーに目を配った。

「告白はしたのか?」

「この話、続けるのですか?」

 早く答えろ、と立ち上がり、ダンの隣に移動すると、エルガーはますます苦い顔をした。
 早く、早く、とダンも急き立てる。

 エルガーは観念したように、深く息を吐いてから答えた。

「まだ、できません。」

 できないとは、どういうことだろう。ダンと顔を見合わせてから、再びエルガーに向く。

「許しをもらっておりませんので。」

「告白をするのに許しがいるの?」

 私の質問に、エルガーは口を結び答えようとしなかった。なにやら訳ありらしい。
 興味はあるが、もつれた関係に首を突っ込むのも無粋だ。

 しかし頭の固そうなエルガーも、異性に魅かれたりするのだな。そう感心していると、ダンの首が勢いよくぐるりとこちらを向いた。

「で、クリスタル様は?もしかしてハミルトン様ですか?」

 えっ、と声を上げたエルガーとは目を合わせず、瞬時に立ち上がり、そそくさと自分のデスクへ逃げ帰った。
 先ほどと同じように突っ伏し、熱を帯びた頬を隠す。

 見なくてもダンのにやける顔が想像ついた。

「適当な事を言うな、ダン。」

「だって、それしかないでしょう、副隊長。100騎隊の中には気心知れた男連中しかいないですし、その中で態度が変わったような者を見ていません。かと言って特別親しい村人や使用人がいるわけでもなさそう。ともなれば、意識しそうな異性は伯爵様しかいないじゃないですか。」

 ぐうの音も出ない。そういう才能の無駄遣いは控えてもらいたい。

「それにこの前、一緒に朝練をして、一緒に朝食を召し上がったのでしょう?」

 衣服の擦れる音。

「はたから見れば、十分に良い雰囲気です。」

 控えめな足音が近づいてくる。

「初恋ですか、クリスタル様?」

 私のすぐ目の前、声のした位置から計算し、左手を伸ばして首を掴んだ。
 ぐえっと、繁殖期のカエルのような声を漏らしたダンを、恨めしく睨み付ける。

「ずびばぜん!」

 大体、あの日も正確に言えば、一緒に朝食をとったわけではないのだ。

 軽い朝食をハミルトン様の居住棟に用意をしてもらったのはその通りだが、ハミルトン様は、朝に食欲がわかないと言ってコーヒーしか飲んでいないのだ。
 筆を握り、キャンバスに向かう彼の姿を盗み見しながら、私は一人で朝食を済ませたのだ。

 ハミルトン様が絵を描く姿は、それ自体が絵のように美しかった。
 真っ直ぐとキャンバスに向かう眼差しは、いつもの柔らかい印象よりも鋭く、深みを感じた。その眼差しの先の思いを知りたくなった。

 きゅっと胸を掴まれる感覚を覚え、苦しんでいたダンの首を離した。

「げほっげほっ、鬼のような照れ隠しですね!」

 鬼が照れることなどあるのだろうか。
 ばかばかしい言葉を聞き流し、エルガーが口を挟む。

「本当ですか、クリスタル様?」

「な、何が?」

「ハミルトン様に好意をお持ちなのですか?」

「逆に、好意を持っていない者がいるのか?非の打ちどころのない御方だ。」

「異性として、です。」

 眉間に力を込めながらも、顔に熱が上って来る。喉元が狭くなり、容易に声を出すことができない。

 エルガーはその沈黙を、肯定と捉えたらしく、いつもの堅い表情を神妙に歪ませた。

「ハミルトン様は侯爵位のシューリス家の御方です。」

 関係ないんじゃないですか?と口を挟んだのは、喉の調子が戻ったらしいダンだ。

「確かにシューリス家の御嫡男ですが、継いだのは伯爵位ですし、それなら伯爵令嬢であらせるクリスタル様と吊り合うんじゃないですか?」

「だが御歳が違うだろう。」

「ええー、別に気にしなくてもいいと思いますけど。」

 なぜ私の恋が実ることを前提として話を進めているのか。余計に恥ずかしくなる。
 乱れた髪を直すように軽く頭を振った。

「待て、二人とも。別に私は……どうこうしようなんて思ってない。」

 そう、ハミルトン様とお付き合いをしたいだとか、ましてや結婚なんておこがましいことは考えていない。
 ただ制御のできないこの厄介な感情を、どうにかしたかったのだ。

「そ、そうですよ。冷静になるべきです。アーチボルド様も賛成しないはずです。」

「ええー、俺は全然応援しますけどねー。」

 制止をしたにも関わらず、くどくどと言い合う2人に、パンッと大きな音を立てるように両手を合わせ、「終了!」と声を上げた。
 テキパキと書類を整理し、まだ言い合いを続けようとする2人に目尻を吊り上げ、追い出した。

 相談でもしてみようと思ったのだが、まるで当てにはならず、1人ため息を吐いて、再びデスクに突っ伏した。

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