左遷先の伯爵様が愛しすぎて帰れません。

daru

文字の大きさ
上 下
8 / 14
本編

07.転機の朝

しおりを挟む
 目を覚まし、上体を起こすと、目尻から伝っていた涙を中指の腹で拭った。
 しばらく見ずに済んでいた戦場の悪夢に叩き起こされ、ぼんやりと残った眠気の中、一向に閉まろうとしない瞼に、重いため息が出た。

 仕方がない。剣でも振って気を落ち着かせよう。そう思い、隊服に着替えて、いつものように髪を後ろでひとつに結び、主館から少し離れた騎士館へと向かった。
 本来ならば、私たちが滞在するはずのその場所は武具倉庫と化している。休憩所としても使えるが、騎士たちは用意された貴族用の部屋にすっかり魅了されている為、使用する者はほとんどいない。
 ましてやまだ薄暗く、太陽も姿を見せていない時間に、人などいるはずもなかった。

 腰から長剣を抜き、真っ直ぐ構え、澄んだ空気を深く吸って、吐く。

 頭の上で回すように、右、左、と前に踏み出しながら振り、身体を半回転させて後ろ、一歩下がって身体を逆回転させながら相手の剣を薙ぎ払うイメージで振り下ろし、そこから素早く一歩一歩踏み出しながら振り上げて突く。

 子供の頃、早朝から父と兄と並んで見よう見まねで剣を振った。
 父の力強く真っ直ぐな剣筋と、それを模倣する兄に憧れて、私も欠かさず練習に顔を出したのを思い出す。
 一生懸命振れば振るほど、滅多に笑わない父の口角が上がり、いつもいつも同じ言葉だったが、惜しみなく私を褒めてくれた。

「良い姿勢だ。」

 思い出と重なり、しかし確実に耳に届いた声に驚き後ろを振り向くと、ハミルトン様が井戸の横で拍手していた。
 なぜこんな時間、こんな場所に。

 このタウンハウスは古い要塞が元になっている。今は取り壊されているとはいえ、かつては主館と騎士館の間は内郭と呼ばれる城壁で遮られていた。それくらい距離があるのだ。
 車椅子で来るのは大変だったはずだ。当の本人は燦々とした笑顔を携えているが。

「懐かしいな、その型。」

 父の素振りを見たことがあるのかもしれない。
 ハミルトン様は目を細めて金の前髪を掻き上げた。私は長剣を帯に収め、そこへ歩み寄る。

「こんな朝早くいらっしゃるなんて、夢見が悪かったのですか?」

「いや。君が俺の知っているカッソニアの者にそっくりだから、行動パターンも一緒かもしれないと思って。」

 やっぱりいた、と彼は喉を鳴らして笑いを堪えた。堪えきれていないけれど。

「車椅子でいらしたのですか?」

「近道があるんだよ。帰りに教えてあげる。ま、それでもさすがに途中まではショーンに押してもらったけどな。」

「安心致しました。」

「安心?」

 ハミルトン様が首を傾げ、にやりと口角を上げた。

「君が俺の心配をしてくれていたのか?意外だな。」

「なぜですか?」

「君はここへ来てからずっと、1度だって車椅子を押そうとしなかったじゃないか。」

 ロバ車への乗り降りは手伝ってくれたけど、と付け足したハミルトン様は、どこか楽しそうだ。
 特に問題は無さそうに思えたが、一応「誤解です。」と弁明を述べることにした。

「ハミルトン様の車椅子でのご移動が手慣れていらっしゃっいましたし、周りの者も手を貸す素振りがなかった為、普段からご自身で移動されているのだろうと思ったのです。」

 ふむ、と彼は相変わらず口角を上げたまま頷いた。

「できることに対し不要な手を出されては、ご不快に感じるのではと。私がそうなので。私の早とちりでしたら謝罪致します。」

「ははは!」

 なぜ、笑われるのだろう。

「君のそういうところ、本当に好きだよ。」

 笑われながら言われても。そう眉根を寄せた所で、ふと以前も同じように笑われたことを思い出した。

「父に似て、ですか?」

「あいつはそこまで気の回るやつじゃなかったよ。」

 どこか遠くを眺めながら、ハミルトン様は微笑んだ。懐かしむような偲ぶような、そんな笑みに、ふと目を奪われる。
 彼の心に浮かんでいるのは、父か、もしくは、まだ歩けた頃の自分だろうか。

 パッと突然目が合ったので、驚いてすぐさま視線を下げた。

「君にとっては?あいつはどんな父親だった?」

 視線の先の、地の砂上に、父の姿を思い浮かべる。
 灰色になった短い髪、いつも厳しく締まっている口元、厳格を体現したように伸びた背筋、最期の時、籠手越しに私の頬に触れたぎこちない手。

 じわりと視界が滲んだ。

「平等な人、でした。」
 
 跡継ぎである兄と、庶子である私を、平等に同じ教育を施してくれたのだ。平民であった実母からも、父の怨み言を聞いた記憶はない。幼い頃の話の為、定かではないが。

「確かにあいつは誰にでも同じ態度だったな。」

 俯いたまま言葉を発せずにいると、気を使ってくださったのか、ハミルトン様は明るい声色で「女性に人気がないわけでもなかったのに、全員に同じ塩対応をするから、まるで女っ気が無かったんだよ。」と笑った。

「それでも君が生まれたんだから、君はよほど特別なんだろうな。」

 悪気のない素直な感想だったのだろう。
 しかし私は、怒りにも似た説明できない濁った感情のどぶが溢れだし、胸を押さえた。眉間に力が入り、涙がぽたぽたと地に模様を作っていく。

「特別などでは、ありません!」

 肩が重く、空気が薄い。息が苦しい。

「私が……、もっと、優秀だったら……。」

 お兄様に見限られることもなかった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

十分我慢しました。もう好きに生きていいですよね。

りまり
恋愛
三人兄弟にの末っ子に生まれた私は何かと年子の姉と比べられた。 やれ、姉の方が美人で気立てもいいだとか 勉強ばかりでかわいげがないだとか、本当にうんざりです。 ここは辺境伯領に隣接する男爵家でいつ魔物に襲われるかわからないので男女ともに剣術は必需品で当たり前のように習ったのね姉は野蛮だと習わなかった。 蝶よ花よ育てられた姉と仕来りにのっとりきちんと習った私でもすべて姉が優先だ。 そんな生活もううんざりです 今回好機が訪れた兄に変わり討伐隊に参加した時に辺境伯に気に入られ、辺境伯で働くことを赦された。 これを機に私はあの家族の元を去るつもりです。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

子育てが落ち着いた20年目の結婚記念日……「離縁よ!離縁!」私は屋敷を飛び出しました。

さくしゃ
恋愛
アーリントン王国の片隅にあるバーンズ男爵領では、6人の子育てが落ち着いた領主夫人のエミリアと領主のヴァーンズは20回目の結婚記念日を迎えていた。 忙しい子育てと政務にすれ違いの生活を送っていた二人は、久しぶりに二人だけで食事をすることに。 「はぁ……盛り上がりすぎて7人目なんて言われたらどうしよう……いいえ!いっそのことあと5人くらい!」 気合いを入れるエミリアは侍女の案内でヴァーンズが待つ食堂へ。しかし、 「信じられない!離縁よ!離縁!」 深夜2時、エミリアは怒りを露わに屋敷を飛び出していった。自室に「実家へ帰らせていただきます!」という書き置きを残して。 結婚20年目にして離婚の危機……果たしてその結末は!?

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

夫の書斎から渡されなかった恋文を見つけた話

束原ミヤコ
恋愛
フリージアはある日、夫であるエルバ公爵クライヴの書斎の机から、渡されなかった恋文を見つけた。 クライヴには想い人がいるという噂があった。 それは、隣国に嫁いだ姫サフィアである。 晩餐会で親し気に話す二人の様子を見たフリージアは、妻でいることが耐えられなくなり離縁してもらうことを決めるが――。

妹の身代わり人生です。愛してくれた辺境伯の腕の中さえ妹のものになるようです。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
タイトルを変更しました。 ※※※※※※※※※※※※※ 双子として生まれたエレナとエレン。 かつては忌み子とされていた双子も何代か前の王によって、そういった扱いは禁止されたはずだった。 だけどいつの時代でも古い因習に囚われてしまう人達がいる。 エレナにとって不幸だったのはそれが実の両親だったということだった。 両親は妹のエレンだけを我が子(長女)として溺愛し、エレナは家族とさえ認められない日々を過ごしていた。 そんな中でエレンのミスによって辺境伯カナトス卿の令息リオネルがケガを負ってしまう。 療養期間の1年間、娘を差し出すよう求めてくるカナトス卿へ両親が差し出したのは、エレンではなくエレナだった。 エレンのフリをして初恋の相手のリオネルの元に向かうエレナは、そんな中でリオネルから優しさをむけてもらえる。 だが、その優しささえも本当はエレンへ向けられたものなのだ。 自分がニセモノだと知っている。 だから、この1年限りの恋をしよう。 そう心に決めてエレナは1年を過ごし始める。 ※※※※※※※※※※※※※ 異世界として、その世界特有の法や産物、鉱物、身分制度がある前提で書いています。 現実と違うな、という場面も多いと思います(すみません💦) ファンタジーという事でゆるくとらえて頂けると助かります💦

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...