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本編
07.転機の朝
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目を覚まし、上体を起こすと、目尻から伝っていた涙を中指の腹で拭った。
しばらく見ずに済んでいた戦場の悪夢に叩き起こされ、ぼんやりと残った眠気の中、一向に閉まろうとしない瞼に、重いため息が出た。
仕方がない。剣でも振って気を落ち着かせよう。そう思い、隊服に着替えて、いつものように髪を後ろでひとつに結び、主館から少し離れた騎士館へと向かった。
本来ならば、私たちが滞在するはずのその場所は武具倉庫と化している。休憩所としても使えるが、騎士たちは用意された貴族用の部屋にすっかり魅了されている為、使用する者はほとんどいない。
ましてやまだ薄暗く、太陽も姿を見せていない時間に、人などいるはずもなかった。
腰から長剣を抜き、真っ直ぐ構え、澄んだ空気を深く吸って、吐く。
頭の上で回すように、右、左、と前に踏み出しながら振り、身体を半回転させて後ろ、一歩下がって身体を逆回転させながら相手の剣を薙ぎ払うイメージで振り下ろし、そこから素早く一歩一歩踏み出しながら振り上げて突く。
子供の頃、早朝から父と兄と並んで見よう見まねで剣を振った。
父の力強く真っ直ぐな剣筋と、それを模倣する兄に憧れて、私も欠かさず練習に顔を出したのを思い出す。
一生懸命振れば振るほど、滅多に笑わない父の口角が上がり、いつもいつも同じ言葉だったが、惜しみなく私を褒めてくれた。
「良い姿勢だ。」
思い出と重なり、しかし確実に耳に届いた声に驚き後ろを振り向くと、ハミルトン様が井戸の横で拍手していた。
なぜこんな時間、こんな場所に。
このタウンハウスは古い要塞が元になっている。今は取り壊されているとはいえ、かつては主館と騎士館の間は内郭と呼ばれる城壁で遮られていた。それくらい距離があるのだ。
車椅子で来るのは大変だったはずだ。当の本人は燦々とした笑顔を携えているが。
「懐かしいな、その型。」
父の素振りを見たことがあるのかもしれない。
ハミルトン様は目を細めて金の前髪を掻き上げた。私は長剣を帯に収め、そこへ歩み寄る。
「こんな朝早くいらっしゃるなんて、夢見が悪かったのですか?」
「いや。君が俺の知っているカッソニアの者にそっくりだから、行動パターンも一緒かもしれないと思って。」
やっぱりいた、と彼は喉を鳴らして笑いを堪えた。堪えきれていないけれど。
「車椅子でいらしたのですか?」
「近道があるんだよ。帰りに教えてあげる。ま、それでもさすがに途中まではショーンに押してもらったけどな。」
「安心致しました。」
「安心?」
ハミルトン様が首を傾げ、にやりと口角を上げた。
「君が俺の心配をしてくれていたのか?意外だな。」
「なぜですか?」
「君はここへ来てからずっと、1度だって車椅子を押そうとしなかったじゃないか。」
ロバ車への乗り降りは手伝ってくれたけど、と付け足したハミルトン様は、どこか楽しそうだ。
特に問題は無さそうに思えたが、一応「誤解です。」と弁明を述べることにした。
「ハミルトン様の車椅子でのご移動が手慣れていらっしゃっいましたし、周りの者も手を貸す素振りがなかった為、普段からご自身で移動されているのだろうと思ったのです。」
ふむ、と彼は相変わらず口角を上げたまま頷いた。
「できることに対し不要な手を出されては、ご不快に感じるのではと。私がそうなので。私の早とちりでしたら謝罪致します。」
「ははは!」
なぜ、笑われるのだろう。
「君のそういうところ、本当に好きだよ。」
笑われながら言われても。そう眉根を寄せた所で、ふと以前も同じように笑われたことを思い出した。
「父に似て、ですか?」
「あいつはそこまで気の回るやつじゃなかったよ。」
どこか遠くを眺めながら、ハミルトン様は微笑んだ。懐かしむような偲ぶような、そんな笑みに、ふと目を奪われる。
彼の心に浮かんでいるのは、父か、もしくは、まだ歩けた頃の自分だろうか。
パッと突然目が合ったので、驚いてすぐさま視線を下げた。
「君にとっては?あいつはどんな父親だった?」
視線の先の、地の砂上に、父の姿を思い浮かべる。
灰色になった短い髪、いつも厳しく締まっている口元、厳格を体現したように伸びた背筋、最期の時、籠手越しに私の頬に触れたぎこちない手。
じわりと視界が滲んだ。
「平等な人、でした。」
跡継ぎである兄と、庶子である私を、平等に同じ教育を施してくれたのだ。平民であった実母からも、父の怨み言を聞いた記憶はない。幼い頃の話の為、定かではないが。
「確かにあいつは誰にでも同じ態度だったな。」
俯いたまま言葉を発せずにいると、気を使ってくださったのか、ハミルトン様は明るい声色で「女性に人気がないわけでもなかったのに、全員に同じ塩対応をするから、まるで女っ気が無かったんだよ。」と笑った。
「それでも君が生まれたんだから、君はよほど特別なんだろうな。」
悪気のない素直な感想だったのだろう。
しかし私は、怒りにも似た説明できない濁った感情のどぶが溢れだし、胸を押さえた。眉間に力が入り、涙がぽたぽたと地に模様を作っていく。
「特別などでは、ありません!」
肩が重く、空気が薄い。息が苦しい。
「私が……、もっと、優秀だったら……。」
お兄様に見限られることもなかった。
しばらく見ずに済んでいた戦場の悪夢に叩き起こされ、ぼんやりと残った眠気の中、一向に閉まろうとしない瞼に、重いため息が出た。
仕方がない。剣でも振って気を落ち着かせよう。そう思い、隊服に着替えて、いつものように髪を後ろでひとつに結び、主館から少し離れた騎士館へと向かった。
本来ならば、私たちが滞在するはずのその場所は武具倉庫と化している。休憩所としても使えるが、騎士たちは用意された貴族用の部屋にすっかり魅了されている為、使用する者はほとんどいない。
ましてやまだ薄暗く、太陽も姿を見せていない時間に、人などいるはずもなかった。
腰から長剣を抜き、真っ直ぐ構え、澄んだ空気を深く吸って、吐く。
頭の上で回すように、右、左、と前に踏み出しながら振り、身体を半回転させて後ろ、一歩下がって身体を逆回転させながら相手の剣を薙ぎ払うイメージで振り下ろし、そこから素早く一歩一歩踏み出しながら振り上げて突く。
子供の頃、早朝から父と兄と並んで見よう見まねで剣を振った。
父の力強く真っ直ぐな剣筋と、それを模倣する兄に憧れて、私も欠かさず練習に顔を出したのを思い出す。
一生懸命振れば振るほど、滅多に笑わない父の口角が上がり、いつもいつも同じ言葉だったが、惜しみなく私を褒めてくれた。
「良い姿勢だ。」
思い出と重なり、しかし確実に耳に届いた声に驚き後ろを振り向くと、ハミルトン様が井戸の横で拍手していた。
なぜこんな時間、こんな場所に。
このタウンハウスは古い要塞が元になっている。今は取り壊されているとはいえ、かつては主館と騎士館の間は内郭と呼ばれる城壁で遮られていた。それくらい距離があるのだ。
車椅子で来るのは大変だったはずだ。当の本人は燦々とした笑顔を携えているが。
「懐かしいな、その型。」
父の素振りを見たことがあるのかもしれない。
ハミルトン様は目を細めて金の前髪を掻き上げた。私は長剣を帯に収め、そこへ歩み寄る。
「こんな朝早くいらっしゃるなんて、夢見が悪かったのですか?」
「いや。君が俺の知っているカッソニアの者にそっくりだから、行動パターンも一緒かもしれないと思って。」
やっぱりいた、と彼は喉を鳴らして笑いを堪えた。堪えきれていないけれど。
「車椅子でいらしたのですか?」
「近道があるんだよ。帰りに教えてあげる。ま、それでもさすがに途中まではショーンに押してもらったけどな。」
「安心致しました。」
「安心?」
ハミルトン様が首を傾げ、にやりと口角を上げた。
「君が俺の心配をしてくれていたのか?意外だな。」
「なぜですか?」
「君はここへ来てからずっと、1度だって車椅子を押そうとしなかったじゃないか。」
ロバ車への乗り降りは手伝ってくれたけど、と付け足したハミルトン様は、どこか楽しそうだ。
特に問題は無さそうに思えたが、一応「誤解です。」と弁明を述べることにした。
「ハミルトン様の車椅子でのご移動が手慣れていらっしゃっいましたし、周りの者も手を貸す素振りがなかった為、普段からご自身で移動されているのだろうと思ったのです。」
ふむ、と彼は相変わらず口角を上げたまま頷いた。
「できることに対し不要な手を出されては、ご不快に感じるのではと。私がそうなので。私の早とちりでしたら謝罪致します。」
「ははは!」
なぜ、笑われるのだろう。
「君のそういうところ、本当に好きだよ。」
笑われながら言われても。そう眉根を寄せた所で、ふと以前も同じように笑われたことを思い出した。
「父に似て、ですか?」
「あいつはそこまで気の回るやつじゃなかったよ。」
どこか遠くを眺めながら、ハミルトン様は微笑んだ。懐かしむような偲ぶような、そんな笑みに、ふと目を奪われる。
彼の心に浮かんでいるのは、父か、もしくは、まだ歩けた頃の自分だろうか。
パッと突然目が合ったので、驚いてすぐさま視線を下げた。
「君にとっては?あいつはどんな父親だった?」
視線の先の、地の砂上に、父の姿を思い浮かべる。
灰色になった短い髪、いつも厳しく締まっている口元、厳格を体現したように伸びた背筋、最期の時、籠手越しに私の頬に触れたぎこちない手。
じわりと視界が滲んだ。
「平等な人、でした。」
跡継ぎである兄と、庶子である私を、平等に同じ教育を施してくれたのだ。平民であった実母からも、父の怨み言を聞いた記憶はない。幼い頃の話の為、定かではないが。
「確かにあいつは誰にでも同じ態度だったな。」
俯いたまま言葉を発せずにいると、気を使ってくださったのか、ハミルトン様は明るい声色で「女性に人気がないわけでもなかったのに、全員に同じ塩対応をするから、まるで女っ気が無かったんだよ。」と笑った。
「それでも君が生まれたんだから、君はよほど特別なんだろうな。」
悪気のない素直な感想だったのだろう。
しかし私は、怒りにも似た説明できない濁った感情のどぶが溢れだし、胸を押さえた。眉間に力が入り、涙がぽたぽたと地に模様を作っていく。
「特別などでは、ありません!」
肩が重く、空気が薄い。息が苦しい。
「私が……、もっと、優秀だったら……。」
お兄様に見限られることもなかった。
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