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本編
03.英雄
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私が案内された城主の間とやらは、想像以上に立派な部屋だった。
広い部屋内に仰々しい応接セットが何組もあり、幅の広い高級デスクが置かれ、奥には繊細な彫刻入りの柱が付いたキングサイズベッドが置かれた寝室が、その隣にはバスルームまで完備されている。
まさに城の主に相応しい完璧な部屋だった。田舎に左遷されたなどと思っていた自分が恥ずかしくなるほどに。
「ショーンさん……本当にこの部屋を私が1人で?」
「左様でございます。すぐ側にメイドも待機させておりますので、なんなりとお申し付けくださいませ。」
「い、いえ、私は騎士として馳せ参じたのであって、高貴な令嬢のような扱いをして頂く必要はないのですが。」
「ハミルトン様の御指示ですので。」
にこりとそう言われると、罪悪感を煽ってきたハミルトン様のあの表情を思い出し、それ以上返すことができなくなった。
観念して荷を近くのソファに下ろした。
「それから、執事であるわたくしにも、他の使用人にも、敬語を使われる必要はございません。どうかご実家のように気楽にお過ごしくださいませ。」
「私は主ではありませんし、このままの方が話しやすいのでご容赦ください。」
彼らの主人はハミルトン様であって、私たちも同じお方に仕えにきたのだから、立場的には同じようなものだ。
「ハミルトン様は別棟にお住まいとのことでしたが。」
「はい。ハミルトン様がネッサの領主となってから建てたものです。この居城のすぐ裏ですので、よろしければこの後ご案内致しましょうか?」
「お願いします。」
まずはお礼を言わなければならない。私だけではなく、騎士たちにも立派な部屋を用意してくれたようだから。
それから、今後の予定も聞く必要がある。
「かしこまりました。しかしクリスタル様、荷物はそれだけなのですか?」
先程ソファに置いた、中身の詰まったスーツケース2つに目を向けて、ショーンさんが首を傾げた。
ここの人たちは、どこまでも私のことを貴族令嬢として扱うつもりのようだ。呆れて少し笑ってしまった。
「遠征には慣れておりますので、最低限の着替えくらいしか持って来ておりません。」
まさかこんなに広い部屋を使う羽目になると思っていなかったのだ。
「そうでしたか。では何かご入用の際は遠慮なくお申し付けください。ドレスや装飾品などもご用意できますので。」
「結構です。」
きっぱりと断ると、甘える子犬のような切なげな視線を向けられた。
こちらは肉体労働をする気でやって来たのに、この待遇は一体なんなのだろう。
「さっそくハミルトン様の元へ案内してもらえますか?」
「かしこまりました。」
ハミルトン様が暮らしているという別棟は、居城を裏から出て、中央に噴水の置かれた庭園を挟んだ向かいにひっそりとあった。案外近い。使用人が行き来する為かもしれない。
居城を出たところで既にその白い建物が確認できるのだが、こざっぱりとした雰囲気の良さは感じるものの、大きさは少し裕福な民家といったところか。傾斜の急な鋭角の屋根を見るに、なんだかんだ2階もありそうだ。
シューリス家の長男ともあろうお方が、本当に普段からあのような手狭な屋敷で過ごしているのだろうか。
「こちらです。」
ショーンさんに案内されるまま、真っ直ぐに敷かれた石の通路を進む。
ふと、周囲に行儀よく植えられた植物の列が観賞用ではないことに気がついた。
どこにも芝はなく、土の茶色が剥き出しになっており、中には実がなっているものまである。
「ここは菜園ですか?」
「左様でございます。他領から仕入れた作物や、キャベツ、大根などを皆で世話をしております。」
皆で。
作物の列の間の通路は車椅子も通れる幅で、今歩いている場所と同じように石が敷かれている。皆という中には、ハミルトン様も含まれているのかもしれない。
噴水を越えて白い別棟の前まで来ると、戸を叩くまでもなく左手に見えるベランダの窓が開き、ハミルトン様が嬉々とした顔を覗かせた。
「クリスタル卿、さっそく来てくれたのか。遠慮せず入ってくれ。」
ショーンさんが木の戸を開いてくれたので、言われた通り足を踏み入れた。
物が少ないせいか、外から見たほど狭さは感じない。コートや帽子をかける為のフックは低い位置にあり、壁にも余計な飾りがない為、壁の白さが際立ち清潔感を感じる。
やはり2階があるらしく前には階段が設置され、部屋は左右に繋がっている。
「どうぞ左にお進みください。」
ショーンさんを振り返り、「分かりました」と返事をすると、彼は一礼して戸を閉めた。
ハミルトン様の側仕えではないのだろうか。使用人もたくさんいるわけではなさそうだし、私たちが来たことで忙しいのかもしれない。
しかし車椅子のハミルトン様を1人置いて行って良いのだろうか。使用人がいないと不便なのでは。それとも私に任せた、ということだろうか。
左へ進むと、開けた部屋になっていた。応接間というか、居間というか、高さのあるテーブルが置かれているのを見るとダイニングも兼ねているのかもしれない。
とにかく、貴族の住まいというにはこじんまりとした空間に、多様性のある家具たちが配置されていた。
ハミルトン様は広い窓辺にいた。おそらく先ほど顔を出した窓だ。
指先から肘くらいの大きさのキャンバスが置かれたイーゼルを前に、筆とパレットを持っている。
「絵を嗜まれるのですね。」
「少しな。忙しくなってからは、大きな物は描けていない。」
「昔から好まれていたのですか?」
「車椅子になってからだ。足を使う武人ではいられないから、手を使った文化人になろうと思ってな。」
ハミルトン様はそう言って、明るく歯を見せた。
自分の運命を呪うでもなく、悲観するでもなく、なんと前向きな方だろう。
「ハミルトン様、この度は身に余るほどの素敵な部屋をご用意頂き、ありがとうございます。」
「そう謙遜するな。ずっと使ってなかった部屋だ。主がいた方が部屋も喜ぶ。何かと用事を見つけて中に入れるメイドもな。」
ハミルトン様は快活に笑って筆とパレットを置き、楕円形のローテーブルと2人掛け用のカウチソファが置かれた応接セットを、「掛けてくれ。」と手先で示した。
高級感のあるダマスク柄に腰を下ろすと、ハミルトン様はテーブルを挟んで向かい側に移動した。
「この後はささやかな宴会を開く予定だから、騎士たちにもそのように伝えてくれ。」
「宴会など…。私たちはお役に立とうと馳せ参じましたのに、負担を掛けるわけにはいきません。」
「ははは!」
突如として笑い声を上げたハミルトン様に、忙しく瞼が開閉する。
「いや、悪い。バカにしたわけじゃないんだ。」
そう言いながらも、依然として可笑しそうに目尻を下げている。
「すみません。私が何か変なことを申し上げたのでしょうか?」
「違う違う。君の受け答えがいちいち懐かしくて。」
懐かしい、とは。
「クリフ、君の父親のクリフォードを思い出すよ、その堅さ。」
きゅっと、喉元が締まったような感覚がした。
そうか彼は20年前の戦争で勝利をもたらした英雄であり、15年前までは次期侯爵として名を上げていたのだ。
父を知っていて当たり前。むしろ同い年という事を考えれば、交友関係があってもおかしくはない。
「20年前、あいつとは一緒に戦場を駆けたんだ。知ってるか?」
「もちろんです。」
「ネッサに来てから会うことも無くなったが、そうそう、ははは、君みたいな話し方だった。」
故人を偲ぶ優しい声色に、目の奥がつんと熱を持ち、咄嗟に頭を下げた。言葉が喉につっかえて出てこない。
「君たちには豊かなメンタムからわざわざこんな田舎に来てもらって、騎士というよりも土木作業員のような扱いになるかもしれない。」
まるで生贄だ、とわざとらしく悲観的な言葉を並べながら、彼の口角は上がっていた。
「生贄には、まず、豪華な食事を出すだろう?」
これも部屋の時と一緒だ。きっと遠慮しようとする私に、断らせないようにする文句なのだろう。
「豪華と言ってもネッサがこんな状態だからな、本当にささやかな食事を出すだけだ。たくさん働く前に、たくさん食べさせてやってほしい。」
「……はい。」
またもや、そう言うほかなくなってしまった。
なんて優しい人なのだろう。これが英雄と呼ばれた方の器の大きさ。一身に人望を集めるその魅力は、まだまだ健在ではないか。こんな御方が片田舎でひっそりと過ごしているなんて。
やるせない思いを、ぎゅっと拳で握り潰した。
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「ハミルトン様の御指示ですので。」
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「私は主ではありませんし、このままの方が話しやすいのでご容赦ください。」
彼らの主人はハミルトン様であって、私たちも同じお方に仕えにきたのだから、立場的には同じようなものだ。
「ハミルトン様は別棟にお住まいとのことでしたが。」
「はい。ハミルトン様がネッサの領主となってから建てたものです。この居城のすぐ裏ですので、よろしければこの後ご案内致しましょうか?」
「お願いします。」
まずはお礼を言わなければならない。私だけではなく、騎士たちにも立派な部屋を用意してくれたようだから。
それから、今後の予定も聞く必要がある。
「かしこまりました。しかしクリスタル様、荷物はそれだけなのですか?」
先程ソファに置いた、中身の詰まったスーツケース2つに目を向けて、ショーンさんが首を傾げた。
ここの人たちは、どこまでも私のことを貴族令嬢として扱うつもりのようだ。呆れて少し笑ってしまった。
「遠征には慣れておりますので、最低限の着替えくらいしか持って来ておりません。」
まさかこんなに広い部屋を使う羽目になると思っていなかったのだ。
「そうでしたか。では何かご入用の際は遠慮なくお申し付けください。ドレスや装飾品などもご用意できますので。」
「結構です。」
きっぱりと断ると、甘える子犬のような切なげな視線を向けられた。
こちらは肉体労働をする気でやって来たのに、この待遇は一体なんなのだろう。
「さっそくハミルトン様の元へ案内してもらえますか?」
「かしこまりました。」
ハミルトン様が暮らしているという別棟は、居城を裏から出て、中央に噴水の置かれた庭園を挟んだ向かいにひっそりとあった。案外近い。使用人が行き来する為かもしれない。
居城を出たところで既にその白い建物が確認できるのだが、こざっぱりとした雰囲気の良さは感じるものの、大きさは少し裕福な民家といったところか。傾斜の急な鋭角の屋根を見るに、なんだかんだ2階もありそうだ。
シューリス家の長男ともあろうお方が、本当に普段からあのような手狭な屋敷で過ごしているのだろうか。
「こちらです。」
ショーンさんに案内されるまま、真っ直ぐに敷かれた石の通路を進む。
ふと、周囲に行儀よく植えられた植物の列が観賞用ではないことに気がついた。
どこにも芝はなく、土の茶色が剥き出しになっており、中には実がなっているものまである。
「ここは菜園ですか?」
「左様でございます。他領から仕入れた作物や、キャベツ、大根などを皆で世話をしております。」
皆で。
作物の列の間の通路は車椅子も通れる幅で、今歩いている場所と同じように石が敷かれている。皆という中には、ハミルトン様も含まれているのかもしれない。
噴水を越えて白い別棟の前まで来ると、戸を叩くまでもなく左手に見えるベランダの窓が開き、ハミルトン様が嬉々とした顔を覗かせた。
「クリスタル卿、さっそく来てくれたのか。遠慮せず入ってくれ。」
ショーンさんが木の戸を開いてくれたので、言われた通り足を踏み入れた。
物が少ないせいか、外から見たほど狭さは感じない。コートや帽子をかける為のフックは低い位置にあり、壁にも余計な飾りがない為、壁の白さが際立ち清潔感を感じる。
やはり2階があるらしく前には階段が設置され、部屋は左右に繋がっている。
「どうぞ左にお進みください。」
ショーンさんを振り返り、「分かりました」と返事をすると、彼は一礼して戸を閉めた。
ハミルトン様の側仕えではないのだろうか。使用人もたくさんいるわけではなさそうだし、私たちが来たことで忙しいのかもしれない。
しかし車椅子のハミルトン様を1人置いて行って良いのだろうか。使用人がいないと不便なのでは。それとも私に任せた、ということだろうか。
左へ進むと、開けた部屋になっていた。応接間というか、居間というか、高さのあるテーブルが置かれているのを見るとダイニングも兼ねているのかもしれない。
とにかく、貴族の住まいというにはこじんまりとした空間に、多様性のある家具たちが配置されていた。
ハミルトン様は広い窓辺にいた。おそらく先ほど顔を出した窓だ。
指先から肘くらいの大きさのキャンバスが置かれたイーゼルを前に、筆とパレットを持っている。
「絵を嗜まれるのですね。」
「少しな。忙しくなってからは、大きな物は描けていない。」
「昔から好まれていたのですか?」
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ハミルトン様はそう言って、明るく歯を見せた。
自分の運命を呪うでもなく、悲観するでもなく、なんと前向きな方だろう。
「ハミルトン様、この度は身に余るほどの素敵な部屋をご用意頂き、ありがとうございます。」
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ハミルトン様は快活に笑って筆とパレットを置き、楕円形のローテーブルと2人掛け用のカウチソファが置かれた応接セットを、「掛けてくれ。」と手先で示した。
高級感のあるダマスク柄に腰を下ろすと、ハミルトン様はテーブルを挟んで向かい側に移動した。
「この後はささやかな宴会を開く予定だから、騎士たちにもそのように伝えてくれ。」
「宴会など…。私たちはお役に立とうと馳せ参じましたのに、負担を掛けるわけにはいきません。」
「ははは!」
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そう言いながらも、依然として可笑しそうに目尻を下げている。
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懐かしい、とは。
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きゅっと、喉元が締まったような感覚がした。
そうか彼は20年前の戦争で勝利をもたらした英雄であり、15年前までは次期侯爵として名を上げていたのだ。
父を知っていて当たり前。むしろ同い年という事を考えれば、交友関係があってもおかしくはない。
「20年前、あいつとは一緒に戦場を駆けたんだ。知ってるか?」
「もちろんです。」
「ネッサに来てから会うことも無くなったが、そうそう、ははは、君みたいな話し方だった。」
故人を偲ぶ優しい声色に、目の奥がつんと熱を持ち、咄嗟に頭を下げた。言葉が喉につっかえて出てこない。
「君たちには豊かなメンタムからわざわざこんな田舎に来てもらって、騎士というよりも土木作業員のような扱いになるかもしれない。」
まるで生贄だ、とわざとらしく悲観的な言葉を並べながら、彼の口角は上がっていた。
「生贄には、まず、豪華な食事を出すだろう?」
これも部屋の時と一緒だ。きっと遠慮しようとする私に、断らせないようにする文句なのだろう。
「豪華と言ってもネッサがこんな状態だからな、本当にささやかな食事を出すだけだ。たくさん働く前に、たくさん食べさせてやってほしい。」
「……はい。」
またもや、そう言うほかなくなってしまった。
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