タウヌール辺境伯領の風情

daru

文字の大きさ
上 下
12 / 12
作戦G

3.ジル

しおりを挟む
「俺の業務に差し支えると訴えよう。そうすればきっと、別の方法を考えてくださる。」

 俺がそう言うと、ロランは嬉しそうに目を輝かせた。

 あんなことになり、ここまで落ち込んでしまうのなら、初めからフェルディナン様を説得すればよかった。
 元々ロランが悪かったわけではないし。

 ただ、ロランがあまりにもフェルディナン様に依存しているから、少し離れるのも良い薬になると思ったのだ。

 だが結果は最悪だった。
 大切な訓練をサボり、よりにもよってキュース軍時代の仲間に会うなんて。

「ロラン。」

 もっと早く提案しなかったことを謝ろうとしたが、不意に、とん、とロランが俺の胸元に頭を預けてきて、声が出なくなった。

「ありがとう、ジル。」

 表情こそ見えないが、その声色はどこかしおらしく、ロランらしくない。
 いつもなら、察しが遅い、くらいの軽口は叩きそうなものだ。

 毛先がカールした柔らかい黒髪をそっと撫でると、擽ったかったのかますます顔を埋めた。

 これはまずい。
 今まで強固に押し固めていた理性がぶっ飛びそうだ。
 とはいえ衝動のままに動いてしまえば、軽蔑されかねない。

 俺はロランの、筋肉質ながらも細身の体に片腕を回し、その腕の中にがっしりと閉じ込めた。
 そして黒髪をわしゃわしゃとかき乱す。

「よーしよしよし。」

「う…や、やめろぉ!」

 じたばたと抵抗するロランをしっかり押さえ込み、さらにぐしゃぐしゃとしてやると、ロランは「苦しい…。」と呻き、潜り込むようにして俺の腕を抜けた。

「な、何をする、ジル!」

 息を荒げて首を押さえるロランの必死な表情に、笑いがこみ上げた。

「ははは、元気出たか?」

「出るか!」

 どうやら元気が出たらしいロランの、ぐしゃぐしゃの髪を手ぐしで整えてやる。
 するとロランはまた黙り込み、されるがままでいた。

 そんなに無防備でいるなと、男に簡単にあんな甘え方をするなと注意したいところだが、それを許されていることに優越感を抱く自分もいる。

 ぽつりと、ロランが眉を潜めて呟いた。

「さっきのは、どういうこと?」

「さっきのって?」

「さっき、ジルは私を抱きしめたのか?」

 あれが抱きしめた内に入るかよ。
 なんだ?今更気持ち悪がっているのか?男所帯で生きてきたくせに潔癖すぎるだろ。

 厄介な奴。

「ジル、どうなんだ?」

「そ…そんなわけがあるか…。」

「…違うの?」

「違う。」

「…そう。」

 無表情で俯くロランは、何を考えているのか分からない。
 引いているのか、それとも納得したのか。

「なんでそんなことを訊くんだ?」

「判断材料に。」

「何のだ?」

 ロランは「それは…。」と言って口ごもった。
 おい、俺は何をどう判断されたんだ。

「ロラン。」

 ロランの肩に手を置くと腕を掴まれ、そっとその手を離された。
 心臓がギュッと握られたような衝撃を受けた。

「ジル、無駄に優しくするな。」

「は?」

 無駄にって何だ。

「私はお前の愛猫じゃない!」

「誰がお前をペット扱いした!」

 しかも猫って。
 ロランはどちらかといえば犬だ。しかも俺ではなく、フェルディナン様の。

 ロランは意味の分からないセリフを言い捨て、素早く馬に乗って走り去った。

「待て、ロラン!」

 俺の声はロランには届かず、馬の蹄の音と共に、しんとした森の中に消えていった。

 訳が分からない。

 なぜロランの態度が急に変わったのか。
 俺が何かしたのか?俺がロランに注意しようとしたことを、逆にロランに注意されたのか?女に対してそんな慰め方をするなと?

 だとしたら、至極真っ当な主張だ。驚くほどに。

 確かに腕の中に閉じ込めて髪の毛をぐちゃぐちゃにするなんて、女にすることではない。

 くそ、距離感が分からん。

 舌打ちをして短い髪をぐしゃりと乱した。

 とにかく明日にでもフェルディナン様にロランの主館立入禁止を解いてもらって、ロランにはその報告がてら謝るとしよう。





 翌朝、俺は朝礼後にさっそくフェルディナン様の元を訪ねた。
 フェルディナン様の執務室にはフェリシアン様もおり、ちょうど良かったと快く迎え入れられた。

「今フェリシアンに聞いたところなんだが、どうやらこの前の刺客がロランの知人らしいんだ。」

 あ、俺の他には言わないと言っていたのに、フェルディナン様には言うのか。

 フェリシアン様は本当に侮れない性格をしている。

「この地で王太子殿下に仇なすつもりだったとすると、キュース軍は未だにこの地を狙っていると見える。」

「タウヌールで殿下の身に何かあれば、父上はその責を免れないないでしょう。手練とはいえ、あんな場所にまで侵入されたのは問題です。」

「申し訳ありません。警備体制を見直します。」

 それから、と今度はフェルディナン様が口を開いた。

「城内の情報を外に漏らした者がいるはずだ。買収されたか、もしくは潜入されている可能性もある。やり方はお前に任せるから、調査を頼む。」

「承知いたしました。」

「1つ。ロランにはさせるな。」

 キュース軍の協力者は、恐らくキュース人だ。裏切り者という傷を持つロランに、これ以上キュース人とのしこりを作らせたくないのだろう。

 俺は素直に、はい、と頭を下げた。

「フェルディナン様、俺からも1つよろしいでしょうか。」

「なんだ。」

「ロランの件です。主館への立入禁止を取り下げてはいただけませんか。あいつが主館に入れないと、、俺も困ることがありますので。」

「ああ、そうだな、それは俺も考えていた。」

 良かった。すんなり受け入れてもらえそうだ。
 安心したのもつかの間、続く言葉に、俺は呼吸を忘れた。

「というのも、王太子殿下がこちらにいらっしゃる間、ロランを貸してほしいとご所望らしくてな。」

 そうなんだろうフェリシアン、との問いかけに、フェリシアン様はこくりと頷いた。

 フェルディナン様も本意ではなさそうで、眉を潜めている。

「本当に愛人とか、そういうことではないんだな?」

「はい父上、ご安心ください。ロランは殿下の好みではありませんので。」

「そう言われると、それはそれで。」

 ますます険しい表情をして頭を抱えるフェルディナン様に、フェリシアン様は、はははと笑った。

 王太子の申し出ともなれば、俺がとやかく口を出せるような問題ではない。が、ロランを別の隊に渡すなど、腸が煮えくり返りそうだった。

「分かった。フェリシアン、お前がついていながらロランがぞんざいな扱いを受けることは許さんぞ。」

「はい、父上。」

「ジルもそういうわけだから、あと数日、よろしく頼むぞ。」

 いいえ、とは言えない。
 しかし簡単に了承はできかねた。

 するとフェリシアン様がにこにこと、いつもの怪しい笑顔を見せた。

「心配しないで、ジル。可愛い猫のお世話は、僕がしてあげるから、ね。」

 猫?とフェルディナン様は首を傾げたが、俺の背には汗が伝っていた。

しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします

希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。 国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。 隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。 「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

私は執着していません

黒木 楓
恋愛
伯爵令嬢フィリアは、婚約者の公爵令息ギオウから蔑まれていた。 暴言にフィリアが耐えていると、ギオウは公爵令嬢アニスと婚約するため別れると言い出す。 婚約破棄の後は「フィリアはギオウに執着がある」という噂が学園に広まり、ギオウから愛人にしてやると提案されてしまう。 執着があるのはギオウの方なのに、フィリアが執着していると思わせたいらしい。 それが許せないフィリアは、ある決意をする。 誰がどう見ても、私が執着していないと知ってもらおう。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

公爵令嬢を虐げた自称ヒロインの末路

八代奏多
恋愛
 公爵令嬢のレシアはヒロインを自称する伯爵令嬢のセラフィから毎日のように嫌がらせを受けていた。  王子殿下の婚約者はレシアではなく私が相応しいとセラフィは言うが……  ……そんなこと、絶対にさせませんわよ?

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

麗しのラシェール

真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」 わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。 ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる? これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。 ………………………………………………………………………………………… 短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。

貴方を捨てるのにこれ以上の理由が必要ですか?

蓮実 アラタ
恋愛
「リズが俺の子を身ごもった」 ある日、夫であるレンヴォルトにそう告げられたリディス。 リズは彼女の一番の親友で、その親友と夫が関係を持っていたことも十分ショックだったが、レンヴォルトはさらに衝撃的な言葉を放つ。 「できれば子どもを産ませて、引き取りたい」 結婚して五年、二人の間に子どもは生まれておらず、伯爵家当主であるレンヴォルトにはいずれ後継者が必要だった。 愛していた相手から裏切り同然の仕打ちを受けたリディスはこの瞬間からレンヴォルトとの離縁を決意。 これからは自分の幸せのために生きると決意した。 そんなリディスの元に隣国からの使者が訪れる。 「迎えに来たよ、リディス」 交わされた幼い日の約束を果たしに来たという幼馴染のユルドは隣国で騎士になっていた。 裏切られ傷ついたリディスが幼馴染の騎士に溺愛されていくまでのお話。 ※完結まで書いた短編集消化のための投稿。 小説家になろう様にも掲載しています。アルファポリス先行。

処理中です...