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「邸の所有者はミラン君なのだから、処遇も君が決めなさい。」
不審者を捕らえたという報告が入ったのに、帰ろうとする侯爵を引き止めると、軽くそう返された。
「騎士を2人置いていくから、調査するなり手足を切るなりしたらいい。」
過激すぎる。
いや、放って置くとシャールナーがやりかねないかもしれない。
「お父様はどちらへ?」
「私は今から長男の所へ行かなければならない。何か困ったことがあったら、騎士を使って知らせなさい。」
逃げ出した夫人を迎えに行くのだろうか。
シャールナーの兄君は、侯爵邸から馬で2日、休憩なども考えると3日はかかる地方の領地を任されている。
だから朝食も済ませていない朝早くに訪れたのか。
候爵は部屋を出る間際、くるりと振り返った。
「ミラン君。」
「は、はい。」
「シャールナーの夫は君だ。ラディム殿に負けてくれるなよ?」
「は…は、い。」
鋭い視線を向けられ、思わず声が上ずった。
つまり、シャールナーに気に入られるよう努力せよ、と。
だが気に入られるということは、父のような目に合うということだ。ちょっと、いやかなり気が引ける。
バタンと戸が閉められると、一気に緊張が解け、どっと疲れが押し寄せた。
はぁーと長く息を吐き、首を垂らす。
「どうしました、ミラン?お腹が空きましたか?」
「違います。」
けれど、彼女の前で、彼女の父親に気疲れしたなんて失礼なことは言えない。
朝食の途中だったことも確かだ。
「貴女は空きましたか?」
「そうですね、少し。」
そういえば、シャールナーは父の介助をしていたのだった。自分の食事があまり進んでいなかったのだろう。
「再度用意してもらいましょうか?」
「不審者を拷問に掛けながら軽食を摂っても良いですが。」
「再度用意して、こちらに運んで貰いましょう。」
「うふふ、そんなに早口で言わなくても、冗談ですのに。」
信じられません。
「私は不審者とやらを確認しに行きますので、シャールナーはゆっくりと食事なさってください。」
「私も後から伺って構いませんか?」
「勿論です。」
では、と挨拶をして部屋を出た。
シャールナーの世話係に軽食を部屋に運ぶよう頼み、眼鏡の執事を連れて、騎士たちが待機しているという1階の空き室へと向かった。
侯爵には、子供の遊び部屋にしたらどうかと提案されていたその部屋は、まだ手付かずで家具も荷物も何1つ無い部屋だった。
その扉を開けると、サーディッド家の騎士団の制服を着た身長差のあるでこぼこ2人組と、縄で後ろ手に縛られて床に座り込んでいる小汚い女性の姿があった。
俯いていて顔は見えないが、私と同じ、いや、私の髪をくすませたような髪色に、心臓がドクンと跳ねた。
「ミラン殿、お待ちしておりました。この女が門でこの家の関係者だと主張しており、このように捕らえた次第です。」
背の高い方がはきはきと説明してくれたが、ゆっくりと上げられた女性の顔に意識がが集中し、あまり聞こえていなかった。
「ミラン…。」
ぽろりと、女性の目から涙が溢れた。
涙の理由は分からなかった。けれど、その優しい目と声色は、うろ覚えだった記憶を蘇らせるのに十分だった。
「は…は、うえ。」
えっ、と後ろで執事が反応した声が聞こえた。
でこぼこ騎士たちもしどろもどろしている。
正直、私もどのような顔をすれば良いか分からない。
「とりあえず、縄は…解いてあげてください。」
なぜ今頃現れたのだろう。駆け落ちした男と幸せに暮らしていたのではないのだろうか。
もし父が知ったら激怒し、危害を加える可能性もある。
私が落ち着いて対処しなければ。
私はくるりと執事を振り返った。
「応接室を用意して貰えるか。」
それから、と耳打ちをする。
「父の耳には入れないように。」
「承知いたしました。」
縄を解かれた母に手を差し出すと、母は本当に嬉しそうな笑みを浮かべて私の手を取った。
複雑な気持ちになる。
「母上、応接室へご案内します。お話はそこで致しましょう。」
「立派な紳士になったのね。」
母はそう言って涙を浮かべ、エスコートする私の腕に縋った。
記憶の中の母よりも痩せてはいるが、記憶の中の母よりも穏やかな表情を浮かべていた。
騎士たちはどうするのだろう。侯爵の後を追うように言うべきか。
「お騒がせして申し訳ありません。」
「いえ、こちらこそ無礼を致しました。閣下にミラン殿の手足となるよう命じられておりますので、御用の際は何なりとお声掛けください。」
「分かりました。ありがとうございます。」
遠征も免れたしな、といたずらに笑う背の低い方を高い方が戒めるように小突いた。
くすりと気が抜ける。
お菓子でも出して寛いでもらおう。
母をエスコートし、応接室に入る。
男爵領の屋敷では考えられないくらい高級な家具に、母が目を瞬かせ、あちこちと視線を移した。
そうしている間に飲み物やら、頼んでいなかったのだがお菓子やらが用意された。
目を輝かせた母に、どうぞと促すと、母は遠慮がちに手を伸ばした。
「どちらからいらっしゃったのですか?」
母は言うか言うまいか迷ったのか、少し間を空けてから静かに口を開いた。
「ペンティよ。」
シャールナーの兄君の領地だ。
「ラディムの領地を出て、何度か引っ越しもしたけれど、もう長くそこで落ち着いているわ。」
「そうですか。」
2人でカップに口を付ける。
何を話したら良いか分からず、指先が落ち着かない。
「夫がペンティで洗濯屋を営んでいてね、そこのお得意様に、領主様の妹君の結婚話を聞いたの。お相手の名前を聞いて、とても驚いたわ。」
私の名前を聞いたということか。
「私のせいで苦労を掛けたでしょうに、こんなに立派な紳士になって、立派なお屋敷に住んで、私の誇りだわ。」
目を潤ませる母に、私もじわりと涙が滲んだ。
「無理に押しかけてしまって、ごめんなさい。どうしても、お祝いの言葉を言いたかったの。」
「あ、ありがとうございます。」
言い表しようのないもやもやとした気持ちのままお礼を言うと、こんこんとノック音が聞こえた。
次いで、執事の声が聞こえる。
「旦那様、奥様がお見えになりました。」
ああ、しまった。そういえば後から来ると言っていた。
シャールナーに母を紹介してもいいものだろうか。
母は貴族という立場を捨てた平民だ。
一族の品位に関わると認識されてしまったら、何をされるか分からない。
しかし、私がどうぞと言う前に、僅かに開かれた戸の隙間から、ひょっこりと彼女が顔を覗かせた。
「入ってもよろしいですか?」
だめだと言わせるつもりもないだろうに。
「はい。」
言うが早いか、彼女は颯爽と入ってきたかと思うと、ひらりとドレスの裾を掴み、母に挨拶をした。
「お初にお目にかかります。ミランの妻、シャールナー・サーディッド・オクシーと申します。」
シャールナーの完璧な所作と輝かしい笑顔に、母が圧倒されているのが分かる。
田舎の貧しい男爵の息子が、綺羅びやかで裕福なお嬢様と結婚したのだから、誰だって驚くのは当然だ。
兄君の領地で私はなんと噂されているのだろうか。
逆玉や逆シンデレラくらいなら良いが、男娼などという揶揄が母の耳に入っていないことを願う。
母は慌てて立ち上がった。
「あ、私はミランの母、アマラと申します。このような貧相な身なりで申し訳ございません。」
長らく平民でいるからか、母はカーテシーではなく、平民のようにペコペコと頭を下げた。
けれど、そんな母に優しく接する彼女を見て、私の胸にあった不安のひとつはかき消された。
むしろいつも以上に笑顔に輝きが増しているように見える。
「あらまあ、そんなにかしこまらないでくださいな、お義母様。私はご挨拶に伺っただけですので。」
え。
「そうなのですか?」
「うふふ、久々の再開に水はさせませんよ、ミラン。」
正直、2人での会話も気まずくて、あまり弾まない。
母に対して負の感情が無いのなら、社交的なシャールナーにいてもらった方が安心感があるのだが。
「時に、お義母様はお近くに住んでいらっしゃるのですか?」
「ペンティに住んでいるそうです。」
「あらまあ、お兄様のところに。」
「どのような場所なのですか?」
母には出てこなかった言葉が、シャールナー相手には自然と出てくる。
「安定した土地ですよ。お兄様はしっかり者の堅実家ですから、蓄えもしっかりありますし、お優しいので、それこそ流れ着く移民も多いみたいですね。」
だから侯爵夫人は兄君の元へ逃げるのだな。間違いない。
母もこくこくと頷いている。
「はい。領主様の寛大な法律のおかげで、夫も商売を始めることが…あっ。」
夫、と言ったことを恥じたのか、母は口を噤み俯いた。
私の前では堂々と言っていたのに。
しかしシャールナーは気にしない様子でにこりと微笑んだ。
「それは良かったですね。ペンティからいらしたということは日帰りは難しいでしょう。本日の宿はもうお決まりですか?」
「あ…これからです。適当に探しますのでご心配なく。」
「あらまあ、いけませんわお義母様。お部屋をご用意しますので、一晩泊まっていってくださいな。」
それはまずいのでは。もし父と鉢合わせたら大変なことになる。
「それでは私は用事がありますので、失礼いたしますね。」
「えっ。」
そそくさと部屋を出ていったシャールナーを、慌てて追いかけた。
「ま、待ってください!」
「ミラン?どうしました?」
「本当に母を泊まらせるのですか?もし父に知られたら…。」
「その辺に泊まらせて、何か事件にでも巻き込まれたらその方が面倒です。」
「あ、それは…。」
確かにその通りだ。
気まずい関係とはいえ、何かあったら見殺しにはできない。
「それに、これは好機です。」
「え、何のですか?」
「うふふ。」
え、何のですか?
怪しい笑みに、私の顔が引きつる。
「急に帰るなど言い出さないように、ミランはちゃんと引き留めていてくださいね。」
「シャールナーはどちらへ?」
「野暮用に。」
「一緒に…いてくれると…助かるの、ですが。」
他意はないのだが、そんな台詞が気恥ずかしく、声がだんだん小さくなった。
「あらまあ可愛らしいお誘いですが、私も外せない用事なので。」
可愛らしいなどと言われてしまっては余計に恥ずかしくなる。
「そうですね、会話にお困りなら、庭をお散歩してはいかがですか?お花があれば、会話が無くても間が持ちますよ。私の温室で過ごしてもらっても構いませんし。」
あの毒草だらけの温室で?
違う意味で会話に困りそうだ。
「とにかく、逃さないように。」
有無を言わさない笑顔で肩を叩かれると、そうする他に道はない。
随分とご機嫌な彼女の後ろ姿を見送って、私はため息をついて応接室へと戻った。
不審者を捕らえたという報告が入ったのに、帰ろうとする侯爵を引き止めると、軽くそう返された。
「騎士を2人置いていくから、調査するなり手足を切るなりしたらいい。」
過激すぎる。
いや、放って置くとシャールナーがやりかねないかもしれない。
「お父様はどちらへ?」
「私は今から長男の所へ行かなければならない。何か困ったことがあったら、騎士を使って知らせなさい。」
逃げ出した夫人を迎えに行くのだろうか。
シャールナーの兄君は、侯爵邸から馬で2日、休憩なども考えると3日はかかる地方の領地を任されている。
だから朝食も済ませていない朝早くに訪れたのか。
候爵は部屋を出る間際、くるりと振り返った。
「ミラン君。」
「は、はい。」
「シャールナーの夫は君だ。ラディム殿に負けてくれるなよ?」
「は…は、い。」
鋭い視線を向けられ、思わず声が上ずった。
つまり、シャールナーに気に入られるよう努力せよ、と。
だが気に入られるということは、父のような目に合うということだ。ちょっと、いやかなり気が引ける。
バタンと戸が閉められると、一気に緊張が解け、どっと疲れが押し寄せた。
はぁーと長く息を吐き、首を垂らす。
「どうしました、ミラン?お腹が空きましたか?」
「違います。」
けれど、彼女の前で、彼女の父親に気疲れしたなんて失礼なことは言えない。
朝食の途中だったことも確かだ。
「貴女は空きましたか?」
「そうですね、少し。」
そういえば、シャールナーは父の介助をしていたのだった。自分の食事があまり進んでいなかったのだろう。
「再度用意してもらいましょうか?」
「不審者を拷問に掛けながら軽食を摂っても良いですが。」
「再度用意して、こちらに運んで貰いましょう。」
「うふふ、そんなに早口で言わなくても、冗談ですのに。」
信じられません。
「私は不審者とやらを確認しに行きますので、シャールナーはゆっくりと食事なさってください。」
「私も後から伺って構いませんか?」
「勿論です。」
では、と挨拶をして部屋を出た。
シャールナーの世話係に軽食を部屋に運ぶよう頼み、眼鏡の執事を連れて、騎士たちが待機しているという1階の空き室へと向かった。
侯爵には、子供の遊び部屋にしたらどうかと提案されていたその部屋は、まだ手付かずで家具も荷物も何1つ無い部屋だった。
その扉を開けると、サーディッド家の騎士団の制服を着た身長差のあるでこぼこ2人組と、縄で後ろ手に縛られて床に座り込んでいる小汚い女性の姿があった。
俯いていて顔は見えないが、私と同じ、いや、私の髪をくすませたような髪色に、心臓がドクンと跳ねた。
「ミラン殿、お待ちしておりました。この女が門でこの家の関係者だと主張しており、このように捕らえた次第です。」
背の高い方がはきはきと説明してくれたが、ゆっくりと上げられた女性の顔に意識がが集中し、あまり聞こえていなかった。
「ミラン…。」
ぽろりと、女性の目から涙が溢れた。
涙の理由は分からなかった。けれど、その優しい目と声色は、うろ覚えだった記憶を蘇らせるのに十分だった。
「は…は、うえ。」
えっ、と後ろで執事が反応した声が聞こえた。
でこぼこ騎士たちもしどろもどろしている。
正直、私もどのような顔をすれば良いか分からない。
「とりあえず、縄は…解いてあげてください。」
なぜ今頃現れたのだろう。駆け落ちした男と幸せに暮らしていたのではないのだろうか。
もし父が知ったら激怒し、危害を加える可能性もある。
私が落ち着いて対処しなければ。
私はくるりと執事を振り返った。
「応接室を用意して貰えるか。」
それから、と耳打ちをする。
「父の耳には入れないように。」
「承知いたしました。」
縄を解かれた母に手を差し出すと、母は本当に嬉しそうな笑みを浮かべて私の手を取った。
複雑な気持ちになる。
「母上、応接室へご案内します。お話はそこで致しましょう。」
「立派な紳士になったのね。」
母はそう言って涙を浮かべ、エスコートする私の腕に縋った。
記憶の中の母よりも痩せてはいるが、記憶の中の母よりも穏やかな表情を浮かべていた。
騎士たちはどうするのだろう。侯爵の後を追うように言うべきか。
「お騒がせして申し訳ありません。」
「いえ、こちらこそ無礼を致しました。閣下にミラン殿の手足となるよう命じられておりますので、御用の際は何なりとお声掛けください。」
「分かりました。ありがとうございます。」
遠征も免れたしな、といたずらに笑う背の低い方を高い方が戒めるように小突いた。
くすりと気が抜ける。
お菓子でも出して寛いでもらおう。
母をエスコートし、応接室に入る。
男爵領の屋敷では考えられないくらい高級な家具に、母が目を瞬かせ、あちこちと視線を移した。
そうしている間に飲み物やら、頼んでいなかったのだがお菓子やらが用意された。
目を輝かせた母に、どうぞと促すと、母は遠慮がちに手を伸ばした。
「どちらからいらっしゃったのですか?」
母は言うか言うまいか迷ったのか、少し間を空けてから静かに口を開いた。
「ペンティよ。」
シャールナーの兄君の領地だ。
「ラディムの領地を出て、何度か引っ越しもしたけれど、もう長くそこで落ち着いているわ。」
「そうですか。」
2人でカップに口を付ける。
何を話したら良いか分からず、指先が落ち着かない。
「夫がペンティで洗濯屋を営んでいてね、そこのお得意様に、領主様の妹君の結婚話を聞いたの。お相手の名前を聞いて、とても驚いたわ。」
私の名前を聞いたということか。
「私のせいで苦労を掛けたでしょうに、こんなに立派な紳士になって、立派なお屋敷に住んで、私の誇りだわ。」
目を潤ませる母に、私もじわりと涙が滲んだ。
「無理に押しかけてしまって、ごめんなさい。どうしても、お祝いの言葉を言いたかったの。」
「あ、ありがとうございます。」
言い表しようのないもやもやとした気持ちのままお礼を言うと、こんこんとノック音が聞こえた。
次いで、執事の声が聞こえる。
「旦那様、奥様がお見えになりました。」
ああ、しまった。そういえば後から来ると言っていた。
シャールナーに母を紹介してもいいものだろうか。
母は貴族という立場を捨てた平民だ。
一族の品位に関わると認識されてしまったら、何をされるか分からない。
しかし、私がどうぞと言う前に、僅かに開かれた戸の隙間から、ひょっこりと彼女が顔を覗かせた。
「入ってもよろしいですか?」
だめだと言わせるつもりもないだろうに。
「はい。」
言うが早いか、彼女は颯爽と入ってきたかと思うと、ひらりとドレスの裾を掴み、母に挨拶をした。
「お初にお目にかかります。ミランの妻、シャールナー・サーディッド・オクシーと申します。」
シャールナーの完璧な所作と輝かしい笑顔に、母が圧倒されているのが分かる。
田舎の貧しい男爵の息子が、綺羅びやかで裕福なお嬢様と結婚したのだから、誰だって驚くのは当然だ。
兄君の領地で私はなんと噂されているのだろうか。
逆玉や逆シンデレラくらいなら良いが、男娼などという揶揄が母の耳に入っていないことを願う。
母は慌てて立ち上がった。
「あ、私はミランの母、アマラと申します。このような貧相な身なりで申し訳ございません。」
長らく平民でいるからか、母はカーテシーではなく、平民のようにペコペコと頭を下げた。
けれど、そんな母に優しく接する彼女を見て、私の胸にあった不安のひとつはかき消された。
むしろいつも以上に笑顔に輝きが増しているように見える。
「あらまあ、そんなにかしこまらないでくださいな、お義母様。私はご挨拶に伺っただけですので。」
え。
「そうなのですか?」
「うふふ、久々の再開に水はさせませんよ、ミラン。」
正直、2人での会話も気まずくて、あまり弾まない。
母に対して負の感情が無いのなら、社交的なシャールナーにいてもらった方が安心感があるのだが。
「時に、お義母様はお近くに住んでいらっしゃるのですか?」
「ペンティに住んでいるそうです。」
「あらまあ、お兄様のところに。」
「どのような場所なのですか?」
母には出てこなかった言葉が、シャールナー相手には自然と出てくる。
「安定した土地ですよ。お兄様はしっかり者の堅実家ですから、蓄えもしっかりありますし、お優しいので、それこそ流れ着く移民も多いみたいですね。」
だから侯爵夫人は兄君の元へ逃げるのだな。間違いない。
母もこくこくと頷いている。
「はい。領主様の寛大な法律のおかげで、夫も商売を始めることが…あっ。」
夫、と言ったことを恥じたのか、母は口を噤み俯いた。
私の前では堂々と言っていたのに。
しかしシャールナーは気にしない様子でにこりと微笑んだ。
「それは良かったですね。ペンティからいらしたということは日帰りは難しいでしょう。本日の宿はもうお決まりですか?」
「あ…これからです。適当に探しますのでご心配なく。」
「あらまあ、いけませんわお義母様。お部屋をご用意しますので、一晩泊まっていってくださいな。」
それはまずいのでは。もし父と鉢合わせたら大変なことになる。
「それでは私は用事がありますので、失礼いたしますね。」
「えっ。」
そそくさと部屋を出ていったシャールナーを、慌てて追いかけた。
「ま、待ってください!」
「ミラン?どうしました?」
「本当に母を泊まらせるのですか?もし父に知られたら…。」
「その辺に泊まらせて、何か事件にでも巻き込まれたらその方が面倒です。」
「あ、それは…。」
確かにその通りだ。
気まずい関係とはいえ、何かあったら見殺しにはできない。
「それに、これは好機です。」
「え、何のですか?」
「うふふ。」
え、何のですか?
怪しい笑みに、私の顔が引きつる。
「急に帰るなど言い出さないように、ミランはちゃんと引き留めていてくださいね。」
「シャールナーはどちらへ?」
「野暮用に。」
「一緒に…いてくれると…助かるの、ですが。」
他意はないのだが、そんな台詞が気恥ずかしく、声がだんだん小さくなった。
「あらまあ可愛らしいお誘いですが、私も外せない用事なので。」
可愛らしいなどと言われてしまっては余計に恥ずかしくなる。
「そうですね、会話にお困りなら、庭をお散歩してはいかがですか?お花があれば、会話が無くても間が持ちますよ。私の温室で過ごしてもらっても構いませんし。」
あの毒草だらけの温室で?
違う意味で会話に困りそうだ。
「とにかく、逃さないように。」
有無を言わさない笑顔で肩を叩かれると、そうする他に道はない。
随分とご機嫌な彼女の後ろ姿を見送って、私はため息をついて応接室へと戻った。
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