夕月の欠片

daru

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第2部

27.

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 戸を開けると、上体を起こしたシノアが半分になった右上腕の痛みに顔を歪ませながら、医者を睨み付けているところだった。
 医者は私の姿を確認するなり困り果てた顔をして、「旦那様。」と駆け寄ってきた。

「混乱しているようで、痛み止めも飲んでもらえません。せめて安静にしてもらわないと傷口に触ります。」

 シノアをちらりと見ると、先ほどまで主室タブリヌムで対峙していた碧い瞳とよく似た視線を向けらている。警戒しているのか、怯えているのか。どちらにせよ、私に月をくれると言ってくれた彼女とは違う顔をしていた。

「私から話をしてみるから、しばらく別室で待機していてくれ。」

 頭を下げた医者から薬瓶を受け取り、私について来た一行にも部屋の外で待機するよう申し付けてから戸を閉じ、ベッド横の椅子へと向かう。
 そこへ杖をついて行く最中も、シノアの視線は私から外れなかった。

「どうして、生かしたんですか。」

 椅子へ腰かけ、脇にある丸テーブルに薬瓶を置いた。

「死ぬつもりだったの?」

 シノアは睨むばかりで答えない。が、図星のはずだ。

 シノアが、なぜあんな行動を起こしたのかを考えていた。

 私を本当に殺すつもりだったのなら、ブランドンにも言ったように、足音は鳴らさないはずだ。仮にそれがミスだったとしても、それならあの時、ブランドンには目もくれず、後ろに倒れた私にとどめを刺せば良かったのだ。
 そうしなかったことからも、シノアに私を殺す気がなかったことが分かる。

 シノアを支配する者がいて、私を殺すようにと無理やり命じられ、仕方なく失敗に見せかけたという線もあったが、ナイジェルやセスを見る限り、一方的に命令を下されるような主従関係にも思えなくなった。

 そして、意識を手放す前に口にした、”私が1人でやったことです。”という台詞。
 既に仲間がいることは知っていた為、嘘だと分かっていた。今ようやく、その嘘をついた真意に気がついたのだ。

 セスとナイジェルは互いに守り合っていた。強い絆を感じた。ならばシノアも同じはずだ。
 シノアの行動原理は、おそらく彼らを守ることにあるのだ。

 シノアが行動を起こした理由は、彼らを私から隠す為だったのだろう。
 だから”1人で”なんて言ったのだ。仲間はいないと思わせるように。

「君は、私がカサムに来た理由を知ったんだね?」

 シノアを私の隣室に軟禁している間、陛下から私宛の書簡を運んでいた伝令使が何者かに襲撃され、その書簡を盗まれた。
 陛下の親衛隊がその者を追い、深手を負わせたらしいが、遺体が見つかった時、既に書簡は持っていなかった。

 そしてその者こそ、ちょうど調査させていたサータナリヤ孤児院出身だというリリーという女性と、身体的特徴が一致していたのだ。
 襲撃者の顔を確認したのは親衛隊であるし、リリーという者は孤児院を見張らせている間姿を現さなかった為、確証はない。
 しかしその一件に連動するように、ナイジェルは姿を消し、セスは戻らず、あの最悪な事態が起こってしまった。

「外へ出たあの時、仲間に教えて貰ったの?」

「なんの話か分かりません。」

 シノアは嘘をつくのが下手だ。
 他の件には黙秘しているのに、特定の質問にだけ返事をしたら、気になると主張しているようなものだ。

「シノア、もう誤魔化す必要はないんだよ。全部終わったんだ。」

「誤魔化していません。」

 現状を教えてあげたいが、まずは薬を飲ませたい。
 眉間のしわも、額から流れる汗も、浅い呼吸も、あまりに痛々しく見るに耐えない。

「セスを捕えている。」

 シノアの目に鋭さが増した。

「…なぜですか?セスは…何も関係ありません。」

「君に合わせて欲しいと言っているけど、君も会いたい?」

「なぜですか!質問に答えてください!」

「会いたいなら、まずは薬を飲んで。」

「トレシュ様!」

 丸テーブルに置いた薬瓶を手に取り、シノアに差し出した。じっと互いに視線を絡める。

 シノアの視線は揺るぎ無く、一向に薬瓶を受け取る気配は感じられない。
 私は手を引き下げ、軽く息を吐いた。

 立ち上がり、戸へ向かう。
 静かに開けて、「セス、中へ。」と鎖を鳴らして歩くセスを招き入れた。

 シノアは、セスを捕えたということを私の方便だと思っていたのか、その姿を見るなり目を見開いた。

「セ…ス…。」

「シノア。」

 セスがベッドへ駆け寄ろうと、鎖の輪が一際強くぶつかり合った。

「セス…どうしてここに…。」

 セスが私に視線を向けてくる。話していないのか?そう訴えているようだった。

 私は再び椅子に腰かけ、セスに薬瓶を差し出した。

「まずは薬を飲ませてあげて欲しい。」

 セスは薬瓶に視線を移す。

「何の薬だ。」

「痛み止めだよ。」

 そう言うと素直に受け取り、シノアに渡してくれた。

「飲め。」

「こんな物より、どうしてここにいるのか説明して。」

「まず、飲め。話は…それからだ。」

 セスがはっきり言い切ると、シノアは不満気にしながらも、ようやく飲んでくれた。その空き瓶がセスに渡され、そして私に帰って来る。

 役目を果たした空の瓶。まるで私を表しているようで虚しい。
 私からは受け取りもしなかったのに、セスの言うことはあっさりと聞くのか。

 幼稚な嫉妬心に理性が侵食されないよう、深く息を吸いこみ、体内の空気を入れ換えた。

「東の町で…待機していたはずでしょ。」

「待ってたけど、お前もナイジェルも全然来ないから、嫌な予感がして迎えに来たんだよ。」

「ナイジェルは先に向かったはず。」

「いや、ナイジェルはここに留まってたんだ。」

 俯くセスの表情から何かを察したのか、シノアの唇が震えた。

「ナイジェルは…?どこにいるの?」

 セスは顔を一層下げ、肩を震わせた。涙を流しているのだと分かる。

「セス…ナイジェルは…。」

「亡くなったよ。」

 セスの代わりに私が答えた。

「嘘です。」

「嘘ではないよ。」

「嘘です!」

「私が殺した。」

 目を見開いたシノアは次第にその表情を悲痛に歪ませた。目にいっぱい溜めた涙を、溢さないように堪えている。

「うっ…嘘、です…。」

 シノアの呼吸が浅くなる。
 縋るような、非難するような碧い瞳が、私の胸を締め付けた。思わず左手を杖を掴む右手に重ねた。その甲に、爪が食い込んでいく。

 セスも涙で濡れた顔を上げ、声を震わせる。

「ごめん、シノア…。俺を庇ったんだ!あいつ、俺を庇って…!」

「…違う。」

 シノアは何かを話そうと口を開いたが、その瞬間、ダムが崩れたように彼女の我慢は崩壊した。
 がくりと首を折り、吐水口から流れ出る水のように涙が流れ、酷く嗚咽を漏らした。

「私っ、…私の、せい…。」

 心臓が貫かれたような衝撃が走った。

「私が…。」

 シノアが何を言おうとしているのか、考えるだけで心臓が暴れ、目頭に熱が込み上げた。

 私は唐突に立ち上がり、2人を置き去りにして私なりの早足で部屋を出た。

「トレシュ様、いかがなさいましたか?」

 驚いたようなガザリの声が聞こえるが、彼らには顔を向けず、床ばかりを見つめた。

「誰か入って見張っておくように。終わったら納屋に戻せ。」

 手短に話し、歩みを進めた。

「トレシュ様、どちらへ…。」

「来るな!」

 今の声はブランドンだろうか。

「少し1人にしてくれ。ブランドンも、もう戻って静養しなさい。」

 再び足を動かす。

 3本の足音が矢鱈と滑稽に感じた。
 息が上がるのは、早足のせいではない。だんだんと喉がひりつく。

 目的地を決めていたわけではないが、闇雲に歩き、辿り着いたのはアトリウムだった。
 周囲には誰もおらず、また雨でも降らせるつもりなのか、冷やりとする風が頬を吹き抜けた。

 体を壁に預けると、左手は杖を離し、息苦しい胸を押さえた。静かなアトリウムに、カランと杖が倒れた音が響く。

 シノアは、私を殺さなかったことを後悔したのだろうか。ナイジェルが死ぬくらいなら私を殺しておくべきだったと、殺しておけば良かったと、そう考えたのだろうか。

 頬を、一筋の熱が伝った。声を抑えようとすると、浅い吐息が漏れた。

 覚悟はしていたはずだった。シノアに憎まれても仕方がないと。
 私は間違ったことをしたわけではない。ただ立ち位置が違ったのだ。そう自身に言い聞かせ、理性を保つはずだった。
 それなのに、シノアに敵意を向けられることを、こんなにも恐れているとは。
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