夕月の欠片

daru

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第2部

24.

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 私は素早く杖から剣を抜き、フードの男が振りかざしてきた刃を弾いた。

 甲高い音が鳴り、周囲で悲鳴が聞こえた。

 一撃はブランドンの方が余程重い。とはいえ片足で踏ん張りがきく程ではなく、よろけたところをガザリに支えられた。
 ガザリが男に剣を向け、私の前に立ったことで、男の動きは止まった。

 足元に倒れた護衛の1人は首から多量の血を流し、呼吸もしていない。既にこと切れている。
 不意打ちとはいえ、精確に急所を狙う技術があるようだ。

「何者だ!」

 男はガザリの問いに答えず、再び攻撃を仕掛けてきた。

 素早く繰り出される正統派の剣筋を、ガザリが次々と弾く。その度に鈍い音が響いた。

 男の剣の振り方を見ているだけで、男が上流階級の教育を受けたのだと分かった。
 姿勢が良く、荒さが無い。
 私のように平民で軍団兵に入り、何度も先陣を切ってきた歩兵とは違う。良い鎧を身に付け、馬に跨る指揮官のような剣の振り方だ。
 ブランドンに近いが、彼ほどパワーは無い。

 そうなるとガザリの敵ではなく、戦況はたちまちガザリ優勢に傾いた。

「ガザリ、殺すな!」

「御意。」

 ガザリの実力は知っているのに、なぜか胸騒ぎがする。
 雨で湿った前髪が不快で後ろへ流した。

 フードの男は恐らくナイジェル、もしくはナイジェルに雇われた者だろう。
 シノアの従兄というセスであるならば、もっとフットワークが軽いはずだ。山で育ったシノアと同様に。

 一際高く響いた音と共に、ガザリが男の剣を払い飛ばした。

 ほっと息を吐く。が、それも束の間。

 ガザリが無防備になった男を剣の柄で打とうとした瞬間、もう1人の男が現れた。その黒髪の男はフードの男の服を掴んで後ろへ下がらせ、反対の手でガザリの腕を掴んだ。

「セス!」

 尻を地に付けたフードの男が黒髪の男をそう呼ぶ。そしてフードを外し、その顔を見せた。
 そしてそれに対してガザリが呟く。

「ナイジェル。」

 やはりそうだった。襲ってきたのはナイジェルで、助けに入ったのがセス。2人揃った。
 安堵した。私の方へ来てくれたということは、邸は、シノアの方は安全だということだ。

 セスはガザリの腹に蹴りを入れ、距離を開けると瞬時に剣を抜いた。

「てめぇ!1人で何やってやがる!」

 セスの怒号はナイジェルに向けられた。

「お前こそどうしてここに…。」

「うるせぇ!どいつもこいつも勝手しやがって!」

「お前だって…西に行けと言ったはずだ。」

「遅ぇから迎えに来てやったんだろ!」

 目を見張った。
 少人数とはいえ、てっきり主従関係で成り立っている組織なのかと思っていたが、このやり取りはまるで友のようではないか。

「許さねぇからな。」

 セスの溢れんばかりの殺気が、ぴりぴりと肌を刺激する。

「お前まで勝手に死のうとするのは、許さねぇ。」

 セスとガザリの間に緊張が走った。

 だが、剣では傷つけ合うばかりで何も解決しない。「待ちなさい。」と2人の間に口を挟む。

「私の邸に君たちの仲間を保護している。まずは冷静に話をしないか?」

「…話?」

「ナイジェル、応えるな。」

 すぐに反応してくれたナイジェルとは反対に、セスはシノアによく似た碧い目を尖らせた。

「保護だと?笑わせる。腕を切り落として瀕死の状態にすることが、あんたの言う保護なのか?」

 シノアの状況を知っている?それも詳しく。正確に。

 ナイジェルは青ざめ、セスの後ろで立ち上がった。

「シノアが…死にかけているのか?」

「ああ。」

「腕を…?」

「ああ。右腕が無かった。」

 そんな、とナイジェルが頭を抱えた。

 セスの、まるで自身の目で見てきたかのような口調。この男は私を狙って来たのではない。邸へ行ってきたのだ。

 邸は厳重に警戒させていた。シノアの部屋は特にだ。
 もし進入者が現れても護りやすいように、敢えて道を作った配置にさせていた。袋のネズミにする為に。
 そしてシノアにはブランドンを着けていた。だめ押しだ。これを突破して邸を脱出できるはずがない。

 なのになぜ、セスは無傷でここにいるのか。

 嫌な汗が背を伝った。が、それを悟られないように声を張る。

「わざわざ忍び込まずとも、招待しようと思っていたのだが。」

「ご心配なく。ちゃんと挨拶してくれたよ。むさ苦しいムキムキの男がな。」

 ブランドン。

 セスの口角が不敵に上がった。

「あんたが言うところの”保護”とやらをしてやろうと思ったんだが、生憎あいつの腕が太過ぎてな。少し不格好な傷になったかも。」

 ブランドンが切られた。

 杖を握る手に力が入る。

 セスという男は相当の実力者らしい。
 ブランドンは大丈夫だろうか。どれほどの怪我を負ったのだろう。まさか死んではいないだろうな。

 胸の鼓動が速くなる。

「トレシュ様、奴らには聞く耳が無さそうです。攻撃してもよろしいですか?」

 セスとナイジェルの瞳には、憎悪の色が滲んでいた。こうなっては致し方ない。まずは戦意を喪失させなければならないか。

「許可する。」

 その言葉を合図にガザリが素早く踏み出した。セスの反応速度も負けてはいなかった。
 瞬時に間合いを詰めた2人の剣が激しくぶつかる。

 右、左、上、下と剣は目まぐるしく弾き合い、間に蹴りや拳の肉弾戦を交えながら、両者互角の攻防が繰り広げられた。

 セスの戦いぶりに度肝を抜かれた。彼はガザリと互角に渡り合いながら、ガザリをナイジェルに近づけないように立ち回っているのだ。
 ガザリを相手に、容易くないはずだ。

 驚くべき光景だったが、そちらばかりを眺めているわけにはいかなかった。
 ガザリとセスが戦っている隙に、ナイジェルが私を狙ってきたのだ。

 しかし私が剣を構えるまでもなく、街の騒動を確認しに行った護衛が戻り、応戦してくれた。
 ナイジェルの舌打ちが鳴る。

「セス!一旦退却だ!時間をかけると引き剥がした護衛たちが戻って来てしまう!」

 それにはガザリが答えた。

「逃がさん!」

 ガザリの容赦の無い手数の多さに、セスに背中を見せる余裕はないだろう。
 だからといってセスが負けているわけではない。ガザリも同様に余裕などないのだ。

 獰猛な獅子を無傷で捕えるのは難しいか。
 私は最初に切られた護衛から弓矢を拾い、構えた。

 護衛兵とナイジェルの戦いはガザリとセスの戦いと入り混じり、2対2となった4人共が入れ替わり立ち代わりで位置が変わり、弓で狙うのは至難の業だった。

 ガザリとナイジェルの剣が交わり、ぎちぎちと拮抗すると、ガザリが重い頭突きを放ちナイジェルが後ろへよろけた。途端、セスの刃がガザリへ向かい、ナイジェルには護衛の刃が向けられた。

 ガザリは瞬時にセスの一撃を払ったが、セスは払われた勢いを利用してくるりと身を翻し、ガザリの頭に後ろ回し蹴りを喰らわせた。
 一方、護衛の刃はすんでの所でナイジェルに避けられ、その空ぶった護衛にセスの剣が投げられた。

 護衛の肩に剣が突き刺さるのと、私がセスに向けて矢を射ったのは同時だった。が、矢がセスに届く直前、その射線上にナイジェルが入り込んだ。

「セス!」

 ナイジェルはセスを庇うように抱きしめ、矢はナイジェルの背に突き刺さった。

「ナイジェル!」

 セスがナイジェルを抱き留め、叫んだ。

 隙ができたセスの後ろからガザリが切りかかると、ナイジェルは力を振り絞って2人の体勢を翻し、ガザリの剣はナイジェルの背を切り裂いた。

 力無く膝を付き、口から血を吹いたナイジェルを、同じく膝を付き、目を見開いたセスが支える。その喉元に、ガザリの剣先が向けられた。

 それにも関わらずセスはガザリなど眼中にないようで、ナイジェルを抱きしめ、呆然としていた。

「ナイジェル…お前…何して…。」

 肩に剣が刺さった護衛は自力でそれを抜き取り、苦しそうに息を切らしながら、ガザリと同じようにセスに剣を向けた。

 ガザリがセスの腕を掴むと、セスは激しく抵抗をしたが、ガザリに力ずくで後ろ手に拘束された。「離せ!畜生!ナイジェル!」と叫ぶ姿は、捕えられた猛獣そのものだ。

 私が急いでナイジェルの元へ行くと、彼はまだかろうじて息をしていた。しかし出血量が多く、脈が弱い。
 助かる望みは薄いが、応急手当を施そうと手を伸ばすと、力強くナイジェルに掴まれた。

「止血をするだけだ。」

「わ、たし…は…。」

 聞こえているのかいないのか。彼は僅かに口を動かし、弱々しい声を出した。

「私の、なま、え…は…、カノイル…ヘリヌ…ローディ、リウス…。」

 聞き覚えのある名前に、一瞬、呼吸を忘れた。
 耳が彼の声に集中する。

「私、の、首で…じゅ、ぶん…な、はずだ。…セス…と、シノ、アは…ころ、すな…。」

 言い終えると、私の手首を掴む彼の手から力が抜け地面に落ちた。

 セスがガザリの手を振り解き、ナイジェルの元へ駆け寄った。
 後ろ手を縛られたまま膝を付き、呼吸を荒くして、とめどない涙を流した。名前を何度も呼び、動かなくなったナイジェルに突っ伏して嗚咽を漏らす。

「申し訳ありません。殺すなと言われていたのに。」

 ガザリは眉間に皺を作って目を伏せたが、謝る必要はなかった。
 彼がいなければセスと戦える者はおらず、皆殺されていただろう。

「いや…。強敵ほど、生け捕りは難しいものだ。」

 ふとナイジェルに視線を戻すと、いつの間にか顔を上げていた碧い瞳と目が合った。

 シノアとよく似た瞳が、一心に憎悪の念をぶつけてくる。
 睨み付けられれば睨み付けられるほど、頭が冷えていくのを感じた。

 セスにとってナイジェルという男は、よほど大切な人物だったのだろう。そしてそれは、おそらくシノアにも当てはまる。
 だが時間は戻せない。ナイジェルは死んだのだ。

 雨脚が強くなり、次第に服が重くなる。しかし、その重さも、前髪が顔に張りつく不快感も、もうどうでもよくなっていた。
 護衛も1人失ってしまったし、邸のことも気がかりだ。

 シノアと共に生きたいなどと、愚かな夢を見た罰なのだろうか。
 もし彼女が無事に目を覚ましても、もう二度と、私の手を取ることはないのだろう。
 


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