仮面夫婦の愛息子

daru

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「あなたは行かないの?」

  この氷のような瞳に、これまでどれほど怯んできたことか。だが今日は引いていられない。

「話があると言っただろ。」

 セオがいないのに今後の話をしても、と眉を潜めるセシールに割って入る。

「2人で、したい話だ。」

 セシールの瞳がますます冷やかになった気がした。

「何のお話しでしょうか。」

 どきどきと鼓動が早鳴り、嫌な汗が滲んできた。
 今まであまり人に頭を下げてこなかったということもあり、謝罪というのは勇気のいるものだなと、今更ながら学ぶ。

 まずは当たり障りのない話題から。

「セオももう結婚してしまうな。」

「そうですね。」

「まだまだ先だと思っていたが、子が大人になるのはあっという間だな。」

「そうですね。」

 会話が弾まない。早く本題に入れオーラがすごい。

「俺とお前の結婚は、互いに望んだものではなかったな。」

「そうですか。」

 そうですか?ここは、そうですねではないのか?

「もしかして、望んでいたのか?」

「いいえ、特には。」

 だったらそうですねで良かったではないか。紛らわしい。
 心の中で舌打ちを鳴らすと、セシールは、ただ、と続けた。

「わたくしの婚姻が政略的なものになることははじめから分かっていたので、その中でも歳が近く、爵位が高く、最低限の礼節を弁えているあなたがお相手だったこと、ましだったとは思いました。」

 まし。まぁその程度か。それは俺も同じだった。
 見てくれが良く、俺に変に媚びたりせず、最低限の接触で済む相手だったのは当時の俺には幸いだった。

 では、いつから俺はましな夫から、殺意を抱く夫になったのだろうか。

「でも、セオとマリアお嬢様なら、きっと良い夫婦になるでしょう。セオにはまだ恋心が無いようですが、優しい子です。真っ直ぐに想ってくれるマリアお嬢様に真心を尽くすことでしょう。」

 気づいていないのだろうか。セシールはまた自然に穏やかな笑顔を見せている。
 そこで、ふと思った。

「俺には、足りなかったか?」

「何がですか?」

「だから…真心が。」

「足りるも何も、そもそも持ち合わせておいででしたでしょうか。」

 望まない結婚だった故に、必要以上に干渉しないのは、俺なりの気遣いだったのだが、セシールには伝わっていなかったのだろうか。
 普段は別々に過ごし、外ではおしどり夫婦。相談したわけでもいないのに示し合わせたようにそうなったのは、互いに同じ考えを持っているのだと思っていた。

 何を言っても、まずは謝罪をしないことには始まらない。
 俺は意を決して頭を下げた。机に額が当たりそうになるほど深く、誠意が伝わるように。

「セシール、すまなかった。」

「今度は何です?」

 頭を上げて、冷やかな瞳に負けじと目を向ける。

「死にかけた時、今までのことを後悔した。お前を大切にできなかったこと。たくさんの時間を無駄にしてしまったこと。セオはとても良い子に育ったが、俺とお前がもっと良い関係でいられたなら、セオはもう少し子供でいられたのではないかと。」

「確かに、セオには負担を掛けてしまいましたね。」

 思いのほか素直に頷いたセシールに唖然としたが、すぐにその視線は鋭くなった。

「で、そんなことを言い出すのはどういう魂胆ですか?」

 魂胆?俺は謝罪をして、関係を修復するきっかけを作りたいだけだ。
 それが本音なのに、セシールは侮蔑的な冷笑を浮かべた。

「あなたの本心は分かっています。」

「俺の本心?なんの話だ。」

「わたくしはウェップ家当主の後継ぎを産んだ時点で、用済みの存在なのでしょう?」

 は?誰がそんなことを言ったんだ。いや、確かに俺自身そう考えていた時期があった。

 あの頃は、長い間俺を苦しめてきた母が亡くなり、開放感に浸っていた時期だった。
 もう操られることはない。まるで洗脳でもされるかのごとく醜い欲望に耳を傾けることも、母のご機嫌をうかがう必要もない。もう自由になったのだと思うと、求めていない全てのことが煩わしくなり、それこそ仮面を被らなければならない社交界や、セシールとの関係が、とてつもなく重荷に感じた。

 しかし、そんなことをセシール本人に話したことはない。なぜ知っている?

 ああそうだ。そういえば1度だけ執事に愚痴をこぼしたことがあった。
 ずいぶんとセシールの肩を持つ執事で、それがとても鬱陶しく、彼女などもう無用な存在だとつい口をついて出てしまったのだ。
 言ってしまってから、言葉が過ぎたなと自分の中で後ろめたくなったのを覚えている。

 使用人が2派に分かれ始めた頃、あの執事はすぐにセシール側に付いた。

 そういうことか。だから俺はセシールの恨みを買ってしまったのだ。

「今更取り繕う必要はありませんので、謝罪もして頂かなくて結構です。」

「セシール、違う。それは俺の本心ではない。確かにそう思ってしまっていた時期もあるが、それはハイになっていたというか、その…夫人への感謝を忘れていたんだ。」

 言い訳ばかり並べて格好悪いと、我ながら思った。

「本当は感謝している。この家の財を狙う者を牽制し、俺の社交界での評価も上がり、それに、セオドアを産み、そして育ててくれた。母が引き合わせたとはいえ、結婚した相手がお前で良かったと、そう思っている。」

 セシールは眉ひとつ動かさない。その態度に、こちらまで凍り付きそうだ。

「言葉だけで簡単に理解してもらえるとは思っていない。この先、俺の誠意を行動で示していくつもりだ。」

「別にそうして頂かなくても結構ですが。」

「俺はそうしたいんだ。だから、一時休戦としよう。」

 俺の言葉に、セシールは僅かに目を細めた。まだ疑っているに違いない。
 信頼関係を築いて来なかったのだから仕方がないが、この先築けるのかも心配になる。

 手っ取り早いのは、共通の敵を相手にすることだ。

「まずはロリアース家の処遇について考えよう。2度とお前が狙われることのないように。」

 ちらりとセシールの表情を窺うと、まだ俺に不信感を持ちながらも、少しは納得してくれたらしく、ふぅと軽く息を吐いた。

「いいでしょう。わたくしもどうしようかと迷っていた問題ですから。」

 俺もほっと胸を撫で下ろす。

「男爵は良い人なんだ。」

「クラリッサもでした。まるで穢れを知らぬ聖女のようでしたわ。」

 確かにセシールとは対極のタイプだ。
 そう思ったのが顔に出ていたのか、じろりと睨まれた。

 やはり共通の敵というのは話題に尽きない。今までまともに会話もしてこなかったセシールと、すらすらと話が繋がった。
 男爵には悪いが、男爵夫人の軽率な行いに感謝すらしてしまいそうだった。

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