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声が聞こえる。
それは、この真っ暗な空間に光が差したようだった。
何か会話をしているように聞こえる。その声も言葉も耳には届くが、頭に霧がかかったように不鮮明だ。
誰の声だ?何を話している?
暗闇を抜け出す為に、集中してその声を辿って行くと、徐々に霧が晴れてきた。
ああこの声を知っている。この男の性に絡み付くような甘い声。会う人会う人、虜にしてしまう魔性の女、セシールだ。
彼女と誰かもう1人の女性の会話が聞こえる。
「お気をつけください、エイヴリル。そんなことを軽々しく口に出しては、まるで公爵様を疑っているかのように聞こえます。」
「まさか!そんなつもりではなかったの!」
甲高く響いた声が、俺の意識をより覚醒させる。
「では、口を慎むべきでしたわ。あの方は王族公爵。どんなに気さくなお方でもこの国の王弟殿下です。目を付けられては大変ですよ。」
セシールの声に導かれるように、薄っすらと光が見え始めた。
「気を悪くしたのなら謝るわ。ただ、知らせた方が良いと思っただけなの。」
「そうですか。情報提供には感謝致しますわ。」
狭くぼやけた視界の端に、ピリピリとした空気のセシールと兄嫁のエイヴリルが映った。
2人が対面して話しているなんて珍しい。働かない頭にはそんな思考しか浮かばなかった。
「でも、仮にエドウィンが亡くなっても保険があるなんて、少し安心ね、セシール。もしかして、セオドアにとってもその方が良いのかもしれないわよ。」
俺の話か?セオドアが何だ?
「エイヴリル、わたくしにも聞き流せることとそうでないものがありますよ。」
甘い声にずしりと重さが加わった。
「第一に、エドウィンはまだ死にません。随分と亡くなった場合の御心配をしているようですが、そうはなりませんので御心配なく。第二に、セオドアは侯爵を継ぐべく教育を受けてきた子です。立派なウェップ家当主の跡継ぎです。これは主人の生死には関係のない事実ですわ。」
話の全貌は掴めないが、セシールが欲深いエイヴリルからセオを守ろうとしているのは分かる。俺も加勢を。
「う…。」
上手く力が入らず、まともな声は出なかった。しかしすぐにセシールが、恐らくだがエイヴリルも駆け寄ってきた。
セシールがいつにも無く大きな声で、メイドの名を呼んでいる。
「奥様、お呼びですか?」
「エドウィンが目を覚ましたわ。至急、主治医を呼んでちょうだい。」
「かしこまりました!若様にもお知らせを。」
「お願い。」
だんだんとはっきりしてきた景色の最前列にセシールの顔が映り込む。
やたらと重く感じる腕をどうにか持ち上げ、ここが現実かどうか触れようと試みると、伸ばした手をセシールが両手で握った。痺れた指先にもその熱を感じる。
この美しい女に、こうやって触れられて喜ばない男はそういないだろう。セシールの、そういう事を理解してやっているところが嫌だった。
分かっている。演技の優しさだ。きっとエイヴリルがいるから夫を思いやる妻を演じているのだろう。
「エドウィン、分かりますか?セシールです。」
「セ、シール…。」
「ええ、そうです。覚えていますか、エドウィン?あなた、毒を飲んで倒れたのですよ。」
なんとなく覚えている。
グラスが俺の手から落ちて割れた音や、並行感覚が無くなり次第に床が近づいてきた光景が、ぼんやりと頭に浮かんだ。
妻の生誕パーティーでワインを一口飲んだあの時、味に違和感を覚えてそれ以上口を付けなかったのだが、だんだん具合が悪くなり、耐え切れずに倒れてしまったのだ。
「主治医の見立てでは、毒の作用があまり効いておらず、命に別状はないとのことでした。」
「え?」
セシールは声に反応して後ろを向いた。
「どうかしましたか、エイヴリル?」
「い、いいえ。油断はできない状態だと言っていたから心配していたけれど、軽い症状だったのね。」
「あら、すみません。言っていませんでしたか?」
「ええ…でも、そうと聞いて安心したわ。」
まだぼうっとする頭の俺にも、エイヴリルが怯んだのが分かった。どんな会話をしていたのか容易に想像がつく。
侯爵位を俺に取られて俺を憎んでいたエイヴリルは、一見納得しているように見せているが、いつだって俺たち夫婦を目の敵にしていた。
そんなエイヴリルに、セシールが一泡吹かせたということなのだろう。
エイヴリルは俺たち夫婦に遠慮をするふりをして部屋を出て行った。それと同時にセシールが俺の手を離す。
さっきまでの優しさはもはや一欠けらも無く、眼差しも氷のような冷たいものになった。
「残念、だったな。」
俺を殺し損ねて。
「倒れてから丸1日も経っていないのに、怪物なみの生命力ですね。」
セシールはため息を吐きながら、ベッドの近くに椅子を置いて座った。
「此度の毒殺未遂ですが、動機のある者だらけというか、怪しい者だらけというか、まだ犯人は分かっていません。何か覚えていることはありますか?」
どういうことだ。俺に毒を盛ったのはセシールではないのか?それとも形だけでも自分ではないと主張したいのだろうか。
それを理由に罰せられることを恐れて?彼女らしくない。
「お前じゃ、ないのか?」
そう訊くと同時に主治医とセオがやって来た。
「父さん、良かった。」
「予想以上にお早い回復ですね。さすが侯爵様です。」
主治医は俺の目を覗き、脈を取り、大丈夫そうですねと笑顔を見せた。
「まだ熱はおありですが、それも明日には治まるでしょう。ただ、安静は必要ですので、ご無理はなさらないようにしてください。」
俺がこくりと頷くと、セシールはくるりと振り返り、扉に向かった。
「そういうことでしたら、わたくしがいてはお邪魔でしょうから、部屋に戻らせて頂きますね。」
確かに彼女と会話を交わすと激情しそうなので、なんとも言えない。
セシールは1度頭を下げて出て行った。
それは、この真っ暗な空間に光が差したようだった。
何か会話をしているように聞こえる。その声も言葉も耳には届くが、頭に霧がかかったように不鮮明だ。
誰の声だ?何を話している?
暗闇を抜け出す為に、集中してその声を辿って行くと、徐々に霧が晴れてきた。
ああこの声を知っている。この男の性に絡み付くような甘い声。会う人会う人、虜にしてしまう魔性の女、セシールだ。
彼女と誰かもう1人の女性の会話が聞こえる。
「お気をつけください、エイヴリル。そんなことを軽々しく口に出しては、まるで公爵様を疑っているかのように聞こえます。」
「まさか!そんなつもりではなかったの!」
甲高く響いた声が、俺の意識をより覚醒させる。
「では、口を慎むべきでしたわ。あの方は王族公爵。どんなに気さくなお方でもこの国の王弟殿下です。目を付けられては大変ですよ。」
セシールの声に導かれるように、薄っすらと光が見え始めた。
「気を悪くしたのなら謝るわ。ただ、知らせた方が良いと思っただけなの。」
「そうですか。情報提供には感謝致しますわ。」
狭くぼやけた視界の端に、ピリピリとした空気のセシールと兄嫁のエイヴリルが映った。
2人が対面して話しているなんて珍しい。働かない頭にはそんな思考しか浮かばなかった。
「でも、仮にエドウィンが亡くなっても保険があるなんて、少し安心ね、セシール。もしかして、セオドアにとってもその方が良いのかもしれないわよ。」
俺の話か?セオドアが何だ?
「エイヴリル、わたくしにも聞き流せることとそうでないものがありますよ。」
甘い声にずしりと重さが加わった。
「第一に、エドウィンはまだ死にません。随分と亡くなった場合の御心配をしているようですが、そうはなりませんので御心配なく。第二に、セオドアは侯爵を継ぐべく教育を受けてきた子です。立派なウェップ家当主の跡継ぎです。これは主人の生死には関係のない事実ですわ。」
話の全貌は掴めないが、セシールが欲深いエイヴリルからセオを守ろうとしているのは分かる。俺も加勢を。
「う…。」
上手く力が入らず、まともな声は出なかった。しかしすぐにセシールが、恐らくだがエイヴリルも駆け寄ってきた。
セシールがいつにも無く大きな声で、メイドの名を呼んでいる。
「奥様、お呼びですか?」
「エドウィンが目を覚ましたわ。至急、主治医を呼んでちょうだい。」
「かしこまりました!若様にもお知らせを。」
「お願い。」
だんだんとはっきりしてきた景色の最前列にセシールの顔が映り込む。
やたらと重く感じる腕をどうにか持ち上げ、ここが現実かどうか触れようと試みると、伸ばした手をセシールが両手で握った。痺れた指先にもその熱を感じる。
この美しい女に、こうやって触れられて喜ばない男はそういないだろう。セシールの、そういう事を理解してやっているところが嫌だった。
分かっている。演技の優しさだ。きっとエイヴリルがいるから夫を思いやる妻を演じているのだろう。
「エドウィン、分かりますか?セシールです。」
「セ、シール…。」
「ええ、そうです。覚えていますか、エドウィン?あなた、毒を飲んで倒れたのですよ。」
なんとなく覚えている。
グラスが俺の手から落ちて割れた音や、並行感覚が無くなり次第に床が近づいてきた光景が、ぼんやりと頭に浮かんだ。
妻の生誕パーティーでワインを一口飲んだあの時、味に違和感を覚えてそれ以上口を付けなかったのだが、だんだん具合が悪くなり、耐え切れずに倒れてしまったのだ。
「主治医の見立てでは、毒の作用があまり効いておらず、命に別状はないとのことでした。」
「え?」
セシールは声に反応して後ろを向いた。
「どうかしましたか、エイヴリル?」
「い、いいえ。油断はできない状態だと言っていたから心配していたけれど、軽い症状だったのね。」
「あら、すみません。言っていませんでしたか?」
「ええ…でも、そうと聞いて安心したわ。」
まだぼうっとする頭の俺にも、エイヴリルが怯んだのが分かった。どんな会話をしていたのか容易に想像がつく。
侯爵位を俺に取られて俺を憎んでいたエイヴリルは、一見納得しているように見せているが、いつだって俺たち夫婦を目の敵にしていた。
そんなエイヴリルに、セシールが一泡吹かせたということなのだろう。
エイヴリルは俺たち夫婦に遠慮をするふりをして部屋を出て行った。それと同時にセシールが俺の手を離す。
さっきまでの優しさはもはや一欠けらも無く、眼差しも氷のような冷たいものになった。
「残念、だったな。」
俺を殺し損ねて。
「倒れてから丸1日も経っていないのに、怪物なみの生命力ですね。」
セシールはため息を吐きながら、ベッドの近くに椅子を置いて座った。
「此度の毒殺未遂ですが、動機のある者だらけというか、怪しい者だらけというか、まだ犯人は分かっていません。何か覚えていることはありますか?」
どういうことだ。俺に毒を盛ったのはセシールではないのか?それとも形だけでも自分ではないと主張したいのだろうか。
それを理由に罰せられることを恐れて?彼女らしくない。
「お前じゃ、ないのか?」
そう訊くと同時に主治医とセオがやって来た。
「父さん、良かった。」
「予想以上にお早い回復ですね。さすが侯爵様です。」
主治医は俺の目を覗き、脈を取り、大丈夫そうですねと笑顔を見せた。
「まだ熱はおありですが、それも明日には治まるでしょう。ただ、安静は必要ですので、ご無理はなさらないようにしてください。」
俺がこくりと頷くと、セシールはくるりと振り返り、扉に向かった。
「そういうことでしたら、わたくしがいてはお邪魔でしょうから、部屋に戻らせて頂きますね。」
確かに彼女と会話を交わすと激情しそうなので、なんとも言えない。
セシールは1度頭を下げて出て行った。
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