仮面夫婦の愛息子

daru

文字の大きさ
上 下
7 / 27

3(2)

しおりを挟む
 声が聞こえる。
 それは、この真っ暗な空間に光が差したようだった。

 何か会話をしているように聞こえる。その声も言葉も耳には届くが、頭に霧がかかったように不鮮明だ。

 誰の声だ?何を話している?
 暗闇を抜け出す為に、集中してその声を辿って行くと、徐々に霧が晴れてきた。

 ああこの声を知っている。この男の性に絡み付くような甘い声。会う人会う人、虜にしてしまう魔性の女、セシールだ。
 彼女と誰かもう1人の女性の会話が聞こえる。
 
「お気をつけください、エイヴリル。そんなことを軽々しく口に出しては、まるで公爵様を疑っているかのように聞こえます。」

「まさか!そんなつもりではなかったの!」

 甲高く響いた声が、俺の意識をより覚醒させる。

「では、口を慎むべきでしたわ。あの方は王族公爵。どんなに気さくなお方でもこの国の王弟殿下です。目を付けられては大変ですよ。」

 セシールの声に導かれるように、薄っすらと光が見え始めた。

「気を悪くしたのなら謝るわ。ただ、知らせた方が良いと思っただけなの。」

「そうですか。情報提供には感謝致しますわ。」

 狭くぼやけた視界の端に、ピリピリとした空気のセシールと兄嫁のエイヴリルが映った。
 2人が対面して話しているなんて珍しい。働かない頭にはそんな思考しか浮かばなかった。

「でも、仮にエドウィンが亡くなっても保険があるなんて、少し安心ね、セシール。もしかして、セオドアにとってもその方が良いのかもしれないわよ。」

 俺の話か?セオドアが何だ?

「エイヴリル、わたくしにも聞き流せることとそうでないものがありますよ。」

 甘い声にずしりと重さが加わった。

「第一に、エドウィンはまだ死にません。随分と亡くなった場合の御心配をしているようですが、そうはなりませんので御心配なく。第二に、セオドアは侯爵を継ぐべく教育を受けてきた子です。立派なウェップ家当主の跡継ぎです。これは主人の生死には関係のない事実ですわ。」

 話の全貌は掴めないが、セシールが欲深いエイヴリルからセオを守ろうとしているのは分かる。俺も加勢を。

「う…。」

 上手く力が入らず、まともな声は出なかった。しかしすぐにセシールが、恐らくだがエイヴリルも駆け寄ってきた。

 セシールがいつにも無く大きな声で、メイドの名を呼んでいる。

「奥様、お呼びですか?」

「エドウィンが目を覚ましたわ。至急、主治医を呼んでちょうだい。」

「かしこまりました!若様にもお知らせを。」

「お願い。」

 だんだんとはっきりしてきた景色の最前列にセシールの顔が映り込む。
 やたらと重く感じる腕をどうにか持ち上げ、ここが現実かどうか触れようと試みると、伸ばした手をセシールが両手で握った。痺れた指先にもその熱を感じる。

 この美しい女に、こうやって触れられて喜ばない男はそういないだろう。セシールの、そういう事を理解してやっているところが嫌だった。

 分かっている。演技の優しさだ。きっとエイヴリルがいるから夫を思いやる妻を演じているのだろう。

「エドウィン、分かりますか?セシールです。」

「セ、シール…。」

「ええ、そうです。覚えていますか、エドウィン?あなた、毒を飲んで倒れたのですよ。」

 なんとなく覚えている。
 グラスが俺の手から落ちて割れた音や、並行感覚が無くなり次第に床が近づいてきた光景が、ぼんやりと頭に浮かんだ。

 妻の生誕パーティーでワインを一口飲んだあの時、味に違和感を覚えてそれ以上口を付けなかったのだが、だんだん具合が悪くなり、耐え切れずに倒れてしまったのだ。

「主治医の見立てでは、毒の作用があまり効いておらず、命に別状はないとのことでした。」

「え?」

 セシールは声に反応して後ろを向いた。

「どうかしましたか、エイヴリル?」

「い、いいえ。油断はできない状態だと言っていたから心配していたけれど、軽い症状だったのね。」

「あら、すみません。言っていませんでしたか?」

「ええ…でも、そうと聞いて安心したわ。」

 まだぼうっとする頭の俺にも、エイヴリルが怯んだのが分かった。どんな会話をしていたのか容易に想像がつく。

 侯爵位を俺に取られて俺を憎んでいたエイヴリルは、一見納得しているように見せているが、いつだって俺たち夫婦を目の敵にしていた。
 そんなエイヴリルに、セシールが一泡吹かせたということなのだろう。

 エイヴリルは俺たち夫婦に遠慮をするふりをして部屋を出て行った。それと同時にセシールが俺の手を離す。
 さっきまでの優しさはもはや一欠けらも無く、眼差しも氷のような冷たいものになった。

「残念、だったな。」

 俺を殺し損ねて。

「倒れてから丸1日も経っていないのに、怪物なみの生命力ですね。」

 セシールはため息を吐きながら、ベッドの近くに椅子を置いて座った。

「此度の毒殺未遂ですが、動機のある者だらけというか、怪しい者だらけというか、まだ犯人は分かっていません。何か覚えていることはありますか?」

 どういうことだ。俺に毒を盛ったのはセシールではないのか?それとも形だけでも自分ではないと主張したいのだろうか。
 それを理由に罰せられることを恐れて?彼女らしくない。

「お前じゃ、ないのか?」

 そう訊くと同時に主治医とセオがやって来た。

「父さん、良かった。」

「予想以上にお早い回復ですね。さすが侯爵様です。」

 主治医は俺の目を覗き、脈を取り、大丈夫そうですねと笑顔を見せた。

「まだ熱はおありですが、それも明日には治まるでしょう。ただ、安静は必要ですので、ご無理はなさらないようにしてください。」

 俺がこくりと頷くと、セシールはくるりと振り返り、扉に向かった。

「そういうことでしたら、わたくしがいてはお邪魔でしょうから、部屋に戻らせて頂きますね。」

 確かに彼女と会話を交わすと激情しそうなので、なんとも言えない。
 セシールは1度頭を下げて出て行った。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

そして終わりは訪れない

有箱
ミステリー
事件や自殺現場の後片付けをする。それこそが〝掃除屋〟の仕事だ。 恋人を殺した犯人を見つけ出す――その為だけに、私はこの仕事をしている。

RoomNunmber「000」

誠奈
ミステリー
ある日突然届いた一通のメール。 そこには、報酬を与える代わりに、ある人物を誘拐するよう書かれていて…… 丁度金に困っていた翔真は、訝しみつつも依頼を受け入れ、幼馴染の智樹を誘い、実行に移す……が、そこである事件に巻き込まれてしまう。 二人は密室となった部屋から出ることは出来るのだろうか? ※この作品は、以前別サイトにて公開していた物を、作者名及び、登場人物の名称等加筆修正を加えた上で公開しております。 ※BL要素かなり薄いですが、匂わせ程度にはありますのでご注意を。

失踪した悪役令嬢の奇妙な置き土産

柚木崎 史乃
ミステリー
『探偵侯爵』の二つ名を持つギルフォードは、その優れた推理力で数々の難事件を解決してきた。 そんなギルフォードのもとに、従姉の伯爵令嬢・エルシーが失踪したという知らせが舞い込んでくる。 エルシーは、一度は婚約者に婚約を破棄されたものの、諸事情で呼び戻され復縁・結婚したという特殊な経歴を持つ女性だ。 そして、後日。彼女の夫から失踪事件についての調査依頼を受けたギルフォードは、邸の庭で謎の人形を複数発見する。 怪訝に思いつつも調査を進めた結果、ギルフォードはある『真相』にたどり着くが──。 悪役令嬢の従弟である若き侯爵ギルフォードが謎解きに奮闘する、ゴシックファンタジーミステリー。

【毎日20時更新】アンメリー・オデッセイ

ユーレカ書房
ミステリー
からくり職人のドルトン氏が、何者かに殺害された。ドルトン氏の弟子のエドワードは、親方が生前大切にしていた本棚からとある本を見つける。表紙を宝石で飾り立てて中は手書きという、なにやらいわくありげなその本には、著名な作家アンソニー・ティリパットがドルトン氏とエドワードの父に宛てた中書きが記されていた。 【時と歯車の誠実な友、ウィリアム・ドルトンとアルフレッド・コーディに。 A・T】 なぜこんな本が店に置いてあったのか? 不思議に思うエドワードだったが、彼はすでにおかしな本とふたつの時計台を巡る危険な陰謀と冒険に巻き込まれていた……。 【登場人物】 エドワード・コーディ・・・・からくり職人見習い。十五歳。両親はすでに亡く、親方のドルトン氏とともに暮らしていた。ドルトン氏の死と不思議な本との関わりを探るうちに、とある陰謀の渦中に巻き込まれて町を出ることに。 ドルトン氏・・・・・・・・・エドワードの親方。優れた職人だったが、職人組合の会合に出かけた帰りに何者かによって射殺されてしまう。 マードック船長・・・・・・・商船〈アンメリー号〉の船長。町から逃げ出したエドワードを船にかくまい、船員として雇う。 アーシア・リンドローブ・・・マードック船長の親戚の少女。古書店を開くという夢を持っており、謎の本を持て余していたエドワードを助ける。 アンソニー・ティリパット・・著名な作家。エドワードが見つけた『セオとブラン・ダムのおはなし』の作者。実は、地方領主を務めてきたレイクフィールド家の元当主。故人。 クレイハー氏・・・・・・・・ティリパット氏の甥。とある目的のため、『セオとブラン・ダムのおはなし』を探している。

夫を愛することはやめました。

杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。

ダブルネーム

しまおか
ミステリー
有名人となった藤子の弟が謎の死を遂げ、真相を探る内に事態が急変する! 四十五歳でうつ病により会社を退職した藤子は、五十歳で純文学の新人賞を獲得し白井真琴の筆名で芥山賞まで受賞し、人生が一気に変わる。容姿や珍しい経歴もあり、世間から注目を浴びテレビ出演した際、渡部亮と名乗る男の死についてコメント。それが後に別名義を使っていた弟の雄太と知らされ、騒動に巻き込まれる。さらに本人名義の土地建物を含めた多額の遺産は全て藤子にとの遺書も発見され、いくつもの謎を残して死んだ彼の過去を探り始めた。相続を巡り兄夫婦との確執が産まれる中、かつて雄太の同僚だったと名乗る同性愛者の女性が現れ、警察は事故と処理したが殺されたのではと言い出す。さらに刑事を紹介され裏で捜査すると告げられる。そうして真相を解明しようと動き出した藤子を待っていたのは、予想をはるかに超える事態だった。登場人物のそれぞれにおける人生や、藤子自身の過去を振り返りながら謎を解き明かす、どんでん返しありのミステリー&サスペンス&ヒューマンドラマ。

【怒りのその先】~完璧な優男に愛されたけどクズ男の残像が消えない!病室で目を覚ますとアイツがアレで私がこうなって…もう訳分からん!~【完結】

みけとが夜々
ミステリー
優しさも愛もくれない会社の上司、真島さん。 優しさと愛を与えてくれる取引先の社長、東堂さん。 ろくでもない男を愛した私に、復讐を持ち掛ける東堂さん。 呪ってしまいたいほど真島さんを愛しているのに、抱かれても抱かれても私の寂しさは募る。 一方で、私を愛してくれる東堂さんとは、体が受け付けずどうしても男女の関係にはなれないでいる。 それぞれの『寂しさ』は、どこに行き着くのか。 『怒り』の先で繋がっていく真実とは? 複雑すぎる感情が入り交じる、急展開の愛と憎悪の物語。 (C)みけとが夜々 2024 All Rights Reserved

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

処理中です...