仮面夫婦の愛息子

daru

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 昔の夢を見ていた。もしかしたらこれが走馬灯というものかもしれない。



 父の死を悼む暇も無く、母の手際で侯爵位を継いだ。
 異母兄を追いやった不安定な立場を確立させる為に、早く跡継ぎを作るべきだと、ご丁寧に結婚相手まで用意された。

 初めてセシールを見た時、美しいと思った。
 俺より2歳下で、社交界デビューもまだだと聞いていたが、そうとは思えないほど堂々としていた。人形のように整った顔に、綺麗な笑顔の仮面を張り付けて。

 母の選んだ結婚相手。なるほど。操り人形の俺に、似合いの人形をあてがってくれたわけだ。
 萎れた花のように、体の先から色が抜けて枯れて行くような気がした。

 セシールは侯爵夫人として申し分なかった。何事もそつなくこなし、いつも同じ笑顔で、周りの者を虜にした。
 社交界でも、幼いながらに上手に立ち振る舞い、たちまち名を馳せる社交界の花となり、家門内でも毅然としてその地位を護った。

 そういう彼女の姿を見る度に、俺は日ごと警戒心を募らせた。
 人形だと思っていたセシールは、人心を掌握する業に長け、人を操作する側の人間だったのだ。彼女にだけは絶対に心を開いてはいけないと確信した。

 幸運だったのは、すぐに跡継ぎの男児に恵まれたことだ。
 俺の特徴を多く受け継いだセオは、枯れてしまった俺の心に、彩りを加えてくれる天使だった。

 欲望のまま重い責を背負わせてきた母を疎んでいたが、結果的にセオの為になったのだと自分に言い聞かせると、これで良かったのだと思えた。

「俺のことは気にするな。もとより当主になれるような器じゃない。」

 床に伏し、そう言っていた兄に対する罪悪感も、いくらか薄めることができた。

 俺の人生はこれからいい方向に進んでいくのだ。そう前向きに穏やかな暮らし過ごせたのも束の間だった。
 俺を苦しめた母も亡くなり、ようやく肩が軽くなった頃、今度は妻セシールが俺を脅かし始めたのだ。

 驚くべき事実は、6歳のセオが話してくれた。

「お父さん、今日、夕食は食べないでください。」

「なぜだ?」

 セオが産まれてから、セシールと過ごす時間はほとんど無くなった。それでも朝食と夕食だけは一緒に食べていたのだ。

 別にセシールの為ではない。セオとの時間を大事にしたかったからだ。
 だから、なるべく食事は一緒にしたかった。

 しかしセオは頑なだった。

「どうしてもです。」

「それでは了承できない。何か理由があるのなら、ちゃんと言ってくれ。」

「では約束してください。」

「約束?」

「はい。僕の話を聞いても、お母さんに罰を与えたりしないでください。」

 セシールに関わることなのか。黒いインクが1滴、胸に滲んだ。
 俺には要注意人物でも、セオにとっては大事な母親だ。頷くしかなかった。

「分かった。約束しよう。」

「絶対ですよ。もしお父さんがお母さんを害することがあれば、僕はお父さんを許しません。」

 じわりと額に汗が滲む。
 セオがそんなに強い言葉を俺に向けてくるとは。セシールは一体何をやらかしたのだ。

「分かったから、何があったのか言ってみろ。」

 セオは1度言いにくそうに目を逸らしてから、覚悟を決めた目で真っ直ぐに見つめてきた。

「今夜、お父さんの御膳に、毒が盛られます。」

 一瞬、理解ができなかった。6歳の子が話すようなことではない。悪戯にしても笑えない。

 そもそもセオは下手な冗談など言わないタイプだった。
 物覚えが良く、機転が利き、歳の割に落ち着いた冷静な子だった。

 その子が、俺の食事に毒を入れられると忠告している。

「なぜ分かるんだ?」

「お母さんの会話を盗み聞きしました。でも、約束しましたよね?」

 セオのあまりの落ち着きように、俺の方がどきどきと鼓動が速まる。
 きっとセオの情報は正しい。しかし約束の為にセシールを罰することはできない。
 つまり、防戦一方を強いられるわけだ。

 約束は約束。それも、何よりも大事なセオとの約束を反故にはできない。
 きっと約束を破った途端、俺によく似た深い青色の瞳に、非難の色が滲むことになるだろう。

 けれどその情報を俺に持ってくるということは、俺への愛情も確かだということでもある。
 セオなりに、家族を守ろうとしているに違いない。

「分かった。今夜の晩餐は体調不良ということにして欠席するよ。」

 俺がそう言えば、セオはほっとしたように笑顔を見せてくれた。

「良かった。僕からもフォローしておきます。」

 この子は本当に6歳なのだろうか。安心して去っていく後ろ姿を見て首を捻った。自分がこの歳の頃は、こんなに大人ではなかった。
 もしかしてセシールはこういう子だったのだろうか。そう考えて、すぐに掻き消した。

 セシール・ウェップ、あの女、氷のような瞳をしているとは常々思っていたが、心の中まで凍り付いているとは。
 いくら夫婦とは呼べないような間柄とはいえ、夫であるこの俺を殺そうとするなんて。

 セオとの約束はあるが、命を狙われているのに何もしないというのはやはり無理がある。

 こうなったら、セオには分からないようにこちらから殺してやる。
 暗殺される前に暗殺し返してやるしかない。

 そうして邸内は、どこよりも危険な戦場となった。



 俺は負けたのか。

 ずっと迷っていた。
 俺を殺そうとするセシールに、俺はそこまで確固たる殺意を抱けない。いくら殺そうと思っても怯んでしまう。

 それはセシールが俺の立場を強固にしてくれたことが、揺るぎない事実だったからだ。
 だから心を寄せ合う夫婦にはなれずとも、互いのやることをやっていればそれで良いと思っていた。あとは好きに過ごしてくれていればそれで良かった。

 俺が悪かったのだろうか。
 冷たい女とはいえ、もっと大事にするふりでもしてやれば、殺されることはなかったのだろうか。
 せめてセオに掛ける負担を少なくすることはできたのかもしれない。

 後悔先に立たずとはこのことだ。
 謝ろうにも、暗くて何も見えない。海底に沈められた碇のように体が冷え、動かない。

 もし、もう一度会えたなら、言葉を交わせたなら、互いに足りなかった何かを補うことができるだろうか。
 セオの為にできることを、2人で探せるだろうか。セシール。 
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