仮面夫婦の愛息子

daru

文字の大きさ
上 下
3 / 27

2(1)

しおりを挟む
 愉快痛快な一夜が明けた。こんなに清々しい気分はいつぶりだろうか。
 死には至らなかったものの、手に持っていたグラスを落とし、苦しそうに倒れゆく夫の姿を思い出すたび、恋が実ったような高揚感を覚える。恋などしたことはないけれど。

 とにかく今ならなんでもできそう。

 そう思って気を引き締めたが、朝食には、夜更かしをしてまだ寝ているであろうセオとヒューゴはおろか、エイヴリルも現れなかった。
 メイドによると、「部屋で頂くわ。」と言うのでその通りにしたらしい。

 気が抜けた。
 とはいえ昨晩の御礼は言うべきだろう。ランチには誘うべきだ。
 その旨を執事長に伝えると、心配性な彼は不安げに眉を潜めた。

「要注意人物ですよ。わざわざ面倒事を買って出るような御方でもないのに、使用人は皆、不信に思っております。」

 それはわたくしも考えたことだった。
 侯爵位を逃したエイヴリルはかねてよりエドウィンに恨みを抱いていた。毒を盛る動機はあるにはある。

 しかし腑に落ちないのは、セオが元気でいること。
 仮にエドウィンが死んでも跡を継ぐのは息子のセオだ。侯爵位が欲しいのならばセオの命も狙わなければ意味が無い。

 だからこそセオがエイヴリルの息子のヒューゴと仲良くなった時とても警戒したけれど、2人が仲良くしているところを見ると、わたくしにもヒューゴは素直な良い子に思えた。
 もちろん完全に信用したわけではないけれど。

「監視は怠らないようにしてちょうだい。」

 怨恨だけでバカなことをするとは思えなかったが、一応そう指示をした。

 こんなに気分の良い日には、鼻歌でも歌いながら刺繍でもしていたいところだが、面倒な事が多々ある。
 まず、昨日のパーティーのゲストたちに謝罪文を送らなければならないし、エイヴリルとヒューゴが邸内にいる為、エドウィンを心配するふりをしなくてはならない。
 憎たらしい夫だが、わたくしは完璧な侯爵夫人。外面はおしどり夫婦で通っているのだ。

 力の入る眉間をほぐし、彼の寝室へと入った。

 当然だが看病をしていたのは夫派の使用人たちだった。執事が2人とメイドが3人。

「ご苦労様。一晩中夫を看ていてくれていたの?」

 わたくしが問うと皆頭を下げ、代表のように1人の執事が口を開いた。

「交替で番をしておりましたので、お気遣いなく。」

「そう、ありがとう。今からはわたくしたちで看るから、あなたたちは下がってちょうだい。」
 
 いくら敵対派閥とはいえ、主従関係は変わらない。夫派の使用人たちは怪訝そうに目を見合わせたが、すごすごと下がって行った。

 毒を飲んだのに軽症だなんて、頭に来る男。
 これまでに何度か毒を盛ったことが、使用人の迅速で的確な対応に繋がってしまうとは皮肉なものだ。

 ベッドの脇まで行き、エドウィンの顔を覗く。
 高熱が続いているようで、汗をかき、苦しそうに息が声になって漏れている。

 その表情を見て一番に思うことは、ざまあみなさい、だった。
 ずっと恨んでいた。わたくしを蔑にしたことを。

 突然決められた婚姻だったが、わたくしはそれなりに良妻でいるつもりだった。そんな思いを打ち砕いた彼には愛情の欠片も残っていない。



 私とエドウィンの婚姻は20年前、私が16歳、エドウィンが18歳の時に結ばれた。
 先代侯爵が亡くなり、早くに家督を継ぐこととなったエドウィンの当主としての立場を確立する為に、母同士が同じ派閥で、年の近い私が先代の夫人に結婚相手として選ばれたのだ。

 社交界デビューも果たしていなかったが、元より好いた異性もおらず、望んだ婚姻ができるとも思っていなかった為、そんな状況を自然に受け入れた。

 翌年には跡継ぎになる男児、セオドアを産んだことで、お義母様はますます喜び、エドウィンの当主の座もより盤石となった。

 わたくしはこの家で立派に務めを果たしていると、そう自負していた。

 しかし、ある日6歳のセオと手を繋いでエドウィンの書斎を訪ねようと部屋の前まで行くと、耳を疑うような会話が聞こえてきた。

「旦那様、奥様の生誕パーティー用にあつらえた御礼服が届きました。」

「全く面倒だな。」

 声から察するに、エドウィンと執事長の会話だろう。
 思いもよらない乱暴な言葉に、ドクンと心臓が震えた。

「わざわざそんなパーティーなどやらなくてもいいだろうに。」

「旦那様、皆様行われることですよ。先々年亡くなられた大奥様も、開いていたではありませんか。」

「もう亡くなったのだから、競うように開かなくてもいいだろう。」

 競っていらっしゃるわけでは…、と執事長の声は小さくなり、その後エドウィンのわざとらしい大きなため息が聞こえた。

「パーティーのたびに、あの氷のような目をした女と仲の良いふりをする俺の身にもなってみろ。」

「氷などと…。奥様は懐深く、慎ましやかなお方でございます。」

「ふん、お前はすっかりあの女の虜というわけか。慎ましやかと言うのなら、部屋に引っ込んで静かにしていればいいんだ。跡を継ぐ息子もいるし、既に無用の存在なのだから。」

 爪が食い込むほど固く拳を握り、怒りでわなわなと震えた。
 母上、と心配そうに見上げてくるセオの、エドウィン譲りの黒髪を撫でると、にこりと笑顔を作ることはできた。

「セオ、お父様に御挨拶に伺うのは止めにしましょうか。」

 夫婦としての愛情が無いにせよ、感謝こそされど、ぞんざいに扱われる覚えはない。
 嫌悪、憤怒、屈辱、悲愴、どんな言葉でも言い表すことのできないこの濁りに濁った感情を消化するのは容易ではなかった。

 光も届かない海の底のような目をした薄情な夫など、こちらから願い下げ。
 そこで、ある案が思い浮かんだ。まるで天啓が降りてきたように、荒んだ心に光が差した。

 そうだ、殺そう。

 早く死んでもらって、未成年であるセオドアの当主代理という形でウェップ家を我が物にしてしまおう。
 それでこそ嫁いだ甲斐があるというものだ。



 結局暗殺は上手くいかないまま13年もの月日が流れ、セオが成人して当主代理としての道は断たれたが、もはやそれは重要ではなかった。
 立派に成長した愛らしいセオと、2人で暮らして行けたらそれだけで幸せだ。

 その為にも早くエドウィンに毒を盛った犯人と、その目的を突き止めなければ。
 もし邪魔な存在なのであれば早々に排除する必要があるし、もしわたくしにとっても利があるのならば、このまま共謀してしまえばいいだけなのだから。
 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

死者からのロミオメール

青の雀
ミステリー
公爵令嬢ロアンヌには、昔から将来を言い交した幼馴染の婚約者ロバートがいたが、半年前に事故でなくなってしまった。悲しみに暮れるロアンヌを慰め、励ましたのが、同い年で学園の同級生でもある王太子殿下のリチャード 彼にも幼馴染の婚約者クリスティーヌがいるにも関わらず、何かとロアンヌの世話を焼きたがる困りもの クリスティーヌは、ロアンヌとリチャードの仲を誤解し、やがて軋轢が生じる ロアンヌを貶めるような発言や行動を繰り返し、次第にリチャードの心は離れていく クリスティーヌが嫉妬に狂えば、狂うほど、今までクリスティーヌに向けてきた感情をロアンヌに注いでしまう結果となる ロアンヌは、そんな二人の様子に心を痛めていると、なぜか死んだはずの婚約者からロミオメールが届きだす さらに玉の輿を狙う男爵家の庶子が転校してくるなど、波乱の学園生活が幕開けする タイトルはすぐ思い浮かんだけど、書けるかどうか不安でしかない ミステリーぽいタイトルだけど、自信がないので、恋愛で書きます

若月骨董店若旦那の事件簿~水晶盤の宵~

七瀬京
ミステリー
 秋。若月骨董店に、骨董鑑定の仕事が舞い込んできた。持ち込まれた品を見て、骨董屋の息子である春宵(しゅんゆう)は驚愕する。  依頼人はその依頼の品を『鬼の剥製』だという。  依頼人は高浜祥子。そして持ち主は、高浜祥子の遠縁に当たるという橿原京香(かしはらみやこ)という女だった。  橿原家は、水産業を営みそれなりの財産もあるという家だった。しかし、水産業で繁盛していると言うだけではなく、橿原京香が嫁いできてから、ろくな事がおきた事が無いという事でも、有名な家だった。  そして、春宵は、『鬼の剥製』を一目見たときから、ある事実に気が付いていた。この『鬼の剥製』が、本物の人間を使っているという事実だった………。  秋を舞台にした『鬼の剥製』と一人の女の物語。

どぶさらいのロジック

ちみあくた
ミステリー
13年前の大地震で放射能に汚染されてしまった或る原子力発電所の第三建屋。 生物には致命的なその場所へ、犬型の多機能ロボットが迫っていく。 公的な大規模調査が行われる数日前、何故か、若きロボット工学の天才・三矢公平が招かれ、深夜の先行調査が行われたのだ。 現場に不慣れな三矢の為、原発古参の従業員・常田充が付き添う事となる。 世代も性格も大きく異なり、いがみ合いながら続く作業の果て、常田は公平が胸に秘める闇とロボットに託された計画を垣間見るのだが…… エブリスタ、小説家になろう、ノベルアップ+、にも投稿しております。

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

白い男1人、人間4人、ギタリスト5人

正君
ミステリー
20人くらいの男と女と人間が出てきます 女性向けってのに設定してるけど偏見無く読んでくれたら嬉しく思う。 小説家になろう、カクヨム、ギャレリアでも投稿しています。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

処理中です...