仮面夫婦の愛息子

daru

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 突然よろけ始めた父は、手に持っていたワイングラスを落とし、ゆっくりと体を傾斜させ、そのまま床に倒れて鈍い音を響かせた。
 周囲からは悲鳴が上がり、使用人や護衛が駆け付け、侯爵夫妻の結婚20周年記念パーティーはたちまち騒然とした。

 母が急いで駆け寄り、ぐったりとする父の肩を揺する。

「エドウィン、エドウィン!」

 近くにいた公爵が、母を宥めようと制している。

 倒れた父と、動揺する母。そうなると場を収めるのは僕しかいない。
 執事に急いで医者を呼びに行かせ、護衛に父を部屋へ運ぶように指示を出すと、母も涙を浮かべてそれについて行った。

「皆様、驚かせてしまい申し訳ありません。まだ途中ではございますが、本日のパーティーはこれまでとさせて頂きます。」

 執事長に招待客を丁重に見送るように言い付けた。ざわめきの中に父や母を心配する声と、19歳ながら冷静に対処する僕への賛辞が聞こえる。

 いとこで親友のヒューゴを探そうとすると、目の前に貫禄のある男がすっと現れた。

 アルバートン・ペトラ・バスタ。この国の王弟で、先ほど母を宥めていた公爵だ。
 父よりも年上の40歳ではあるが、剣術や馬術を誇るその体は若々しく絞られており、さらさらの金髪と端正な顔つきで、女性人気が高い。

「大変なことになったな、セオドア卿。」

 父が運ばれていった先を見つめる公爵は、心配そうにしている。

「ご心配をお掛けして申し訳ありません。父は強い人なので、きっと大丈夫だと思います。」

 そう言うと、公爵は一瞬驚いたような顔をして、ふっと表情を和らげた。

「頼りになる跡継ぎがいて、ご両親は心強いな。」

「恐縮です。」

「何か困ったことがあればなんでも言ってくれ。侯爵夫人には、娘のことで世話になったからな。」

 公爵のひとり娘であるマリアが今年、社交界デビューを果たすまで、母が家庭教師をしていた。
 僕も何度か一緒に連れて行かれたが、早くに公爵夫人である母を亡くし、わがまま放題に育っていたマリアが、僕の母には随分と懐いていた。

「ありがとうございます。」

 僕はにこりと返し、公爵を丁重に見送った。

 今度こそヒューゴをと思った矢先、今度はぐいと腕を引っ張られた。

「待って、セオドア!」

 振り返ると、僕や父と同じ黒髪を片側に寄せて丸い目を湿らせた女、いとこちがいのクラリッサ・ロリアース。
 いとこちがいにしては25歳と年は近いが、父に色目を使う下品な女だ。
 この年ならば結婚していてもおかしくないが、クラリッサの目には父しか入っていないらしく、婚約者すらいない。

 訊かずとも用件は分かったが、僕はにこりと笑顔を作った。

「せっかくのパーティーでご心配をお掛けしてすみません。」

「そんなのは全然かまわないわ。閣下は、エドは大丈夫なの?」

 クラリッサから見れば確かに父はいとこに違いないが、男爵令嬢が侯爵を愛称で呼ぶとは図々しい。
 父も父ではっきりと言わないから、この女もいつまでも勘違いしているのだ。僕が口を出すことでもないけれど。

「すぐに主治医に診てもらいますので、ご心配なく。」

「何かの病気?まさか、毒を盛られたなんてことないわよね?!」

「クラリッサ、落ち着いてください。僕は医師ではないので、あの一瞬では分かりません。父のことは主治医に全力で治療にあたらせますし、もし誰かが父を狙っていたということならば、必ず犯人を見つけます。」

「そ、そうよね。取り乱してしまってごめんなさい。でも心配で…侯爵夫人との仲も上手くいっていないと聞きましたし…。」

 これくらいの無礼では、僕の作り笑顔は壊れない。

「誰にそんなことを?」

「あ、いえ、ただの噂よ。ごめんなさいね、息子のあなたにこんな話…。」

「両親は誰もが羨むおしどり夫婦ですよ。いい加減な噂を口にするのはやめて頂きたい。」

「そ、そうよね、ごめんなさい。」

 内情を探っているのか、僕に取り入ろうとしているのか、どちらにせよ目障りだ。

「とにかく今日はもうお帰りください。」

「そうするわね。」

 突然ギュッと両手で手を握られたので、全身の毛が逆立った。さすがに鉄壁の笑顔も崩れそうになる。
 白い手袋をしていたことが不幸中の幸いだ。

「無事かどうかだけでも連絡ちょうだいね。それから、何か協力できることがあったら何でも言って。」

「ありがとうございます。」

 頑張って表情筋を緩めたが、たぶん引きつっているかもしれない。

 ようやく出口へ向かってくれたクラリッサを見送ると、次は後ろからひゅーと口笛が聞こえた。これは振り返らずとも分かる。ヒューゴだ。

「クラリッサは母親気取りか。」

「やめろ、気色の悪い。」

 というか、見ていたならもっと早く出て来い。
 そんな感情が顔に出ていたのか、ヒューゴは高らかに笑った。叔母に似た赤い髪を、さらさらと揺らしている。

「親父さんは大丈夫そうか?」

「血を吹いたわけでもないし、大丈夫だろう。」

「ならいいけどさ。」

「伯母さんは?」

「一命を取り留めた、と聞くまでは上機嫌だろうな。」

 ははっと乾いた笑いをするヒューゴに、僕もふっと鼻で笑った。
 ヒューゴは唯一、僕が素を出せる相手だった。

 ふと、ツカツカ嫌な音が聞こえた。
 ヒューゴの母、エイヴリル・ウェップだ。つまり、上機嫌であろう伯母さん。

 じろりと暗い瞳を向けられる。

「セオドア、あとは私とヒューゴがやってあげるから、あなたはエドウィンの様子を見にお行きなさい。」

 口元は笑っているが、グレーの瞳はどこまでも冷ややかだ。

 伯母とは複雑な関係だった。

 そもそもウェップ家当主の侯爵位は、本来であれば長男であった伯父、父の異母兄が継ぐはずだった。
 しかし先代侯爵、祖父の初妻は病気で亡くなり、後妻である祖母を迎えることになった。

 父は次男として産まれたが、父が18歳の年、祖父が不慮の事故で亡くなると、祖母は体の弱い長男が病にかかったことを理由に、実の息子であるエドウィン・ウェップに侯爵位を継がせ、長男には子爵位を継がせたのだ。

 伯父がそのことで強く反発することは無かったらしいが、当時既に婚姻していた伯母は違った。
 侯爵位を義理の弟に盗られ、分家したことをとても悔しがったそうだ。

 その為、次期侯爵である僕も、良い顔はされない。
 しかし、イベントごとでは欠かさず会うものだから、すっかりいとこのヒューゴと仲良くなってしまったのだ。

 伯母の申し出に得意の笑顔を作り、僕はこの場を彼女に任せることにした。

「ありがとうございます、伯母さん。ではお言葉に甘えて。」

「いいのよ。こんな時の為の家族でしょう。」

 クラリッサとは別の意味で鳥肌が立つ。

「すぐに今日泊まって頂く部屋を用意させますね。」

「お願いするわ。セシールにもあまり気を落とさないようにと伝えてちょうだい。」

「はい。」

 伯父は体調不良で不参加だったのに帰らなくていいのですか、というのは愚問だ。

「じゃあヒューゴ、また後で。」

「ああ、叔母さんにもよろしく。」

 たぶん僕と同じで、白々しいと感じているのだろう。
 伯母の死角で肩を竦めるヒューゴと目を合わせて、その場を後にした。


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