仮面夫婦の愛息子

daru

文字の大きさ
上 下
1 / 27

1(1)

しおりを挟む
 突然よろけ始めた父は、手に持っていたワイングラスを落とし、ゆっくりと体を傾斜させ、そのまま床に倒れて鈍い音を響かせた。
 周囲からは悲鳴が上がり、使用人や護衛が駆け付け、侯爵夫妻の結婚20周年記念パーティーはたちまち騒然とした。

 母が急いで駆け寄り、ぐったりとする父の肩を揺する。

「エドウィン、エドウィン!」

 近くにいた公爵が、母を宥めようと制している。

 倒れた父と、動揺する母。そうなると場を収めるのは僕しかいない。
 執事に急いで医者を呼びに行かせ、護衛に父を部屋へ運ぶように指示を出すと、母も涙を浮かべてそれについて行った。

「皆様、驚かせてしまい申し訳ありません。まだ途中ではございますが、本日のパーティーはこれまでとさせて頂きます。」

 執事長に招待客を丁重に見送るように言い付けた。ざわめきの中に父や母を心配する声と、19歳ながら冷静に対処する僕への賛辞が聞こえる。

 いとこで親友のヒューゴを探そうとすると、目の前に貫禄のある男がすっと現れた。

 アルバートン・ペトラ・バスタ。この国の王弟で、先ほど母を宥めていた公爵だ。
 父よりも年上の40歳ではあるが、剣術や馬術を誇るその体は若々しく絞られており、さらさらの金髪と端正な顔つきで、女性人気が高い。

「大変なことになったな、セオドア卿。」

 父が運ばれていった先を見つめる公爵は、心配そうにしている。

「ご心配をお掛けして申し訳ありません。父は強い人なので、きっと大丈夫だと思います。」

 そう言うと、公爵は一瞬驚いたような顔をして、ふっと表情を和らげた。

「頼りになる跡継ぎがいて、ご両親は心強いな。」

「恐縮です。」

「何か困ったことがあればなんでも言ってくれ。侯爵夫人には、娘のことで世話になったからな。」

 公爵のひとり娘であるマリアが今年、社交界デビューを果たすまで、母が家庭教師をしていた。
 僕も何度か一緒に連れて行かれたが、早くに公爵夫人である母を亡くし、わがまま放題に育っていたマリアが、僕の母には随分と懐いていた。

「ありがとうございます。」

 僕はにこりと返し、公爵を丁重に見送った。

 今度こそヒューゴをと思った矢先、今度はぐいと腕を引っ張られた。

「待って、セオドア!」

 振り返ると、僕や父と同じ黒髪を片側に寄せて丸い目を湿らせた女、いとこちがいのクラリッサ・ロリアース。
 いとこちがいにしては25歳と年は近いが、父に色目を使う下品な女だ。
 この年ならば結婚していてもおかしくないが、クラリッサの目には父しか入っていないらしく、婚約者すらいない。

 訊かずとも用件は分かったが、僕はにこりと笑顔を作った。

「せっかくのパーティーでご心配をお掛けしてすみません。」

「そんなのは全然かまわないわ。閣下は、エドは大丈夫なの?」

 クラリッサから見れば確かに父はいとこに違いないが、男爵令嬢が侯爵を愛称で呼ぶとは図々しい。
 父も父ではっきりと言わないから、この女もいつまでも勘違いしているのだ。僕が口を出すことでもないけれど。

「すぐに主治医に診てもらいますので、ご心配なく。」

「何かの病気?まさか、毒を盛られたなんてことないわよね?!」

「クラリッサ、落ち着いてください。僕は医師ではないので、あの一瞬では分かりません。父のことは主治医に全力で治療にあたらせますし、もし誰かが父を狙っていたということならば、必ず犯人を見つけます。」

「そ、そうよね。取り乱してしまってごめんなさい。でも心配で…侯爵夫人との仲も上手くいっていないと聞きましたし…。」

 これくらいの無礼では、僕の作り笑顔は壊れない。

「誰にそんなことを?」

「あ、いえ、ただの噂よ。ごめんなさいね、息子のあなたにこんな話…。」

「両親は誰もが羨むおしどり夫婦ですよ。いい加減な噂を口にするのはやめて頂きたい。」

「そ、そうよね、ごめんなさい。」

 内情を探っているのか、僕に取り入ろうとしているのか、どちらにせよ目障りだ。

「とにかく今日はもうお帰りください。」

「そうするわね。」

 突然ギュッと両手で手を握られたので、全身の毛が逆立った。さすがに鉄壁の笑顔も崩れそうになる。
 白い手袋をしていたことが不幸中の幸いだ。

「無事かどうかだけでも連絡ちょうだいね。それから、何か協力できることがあったら何でも言って。」

「ありがとうございます。」

 頑張って表情筋を緩めたが、たぶん引きつっているかもしれない。

 ようやく出口へ向かってくれたクラリッサを見送ると、次は後ろからひゅーと口笛が聞こえた。これは振り返らずとも分かる。ヒューゴだ。

「クラリッサは母親気取りか。」

「やめろ、気色の悪い。」

 というか、見ていたならもっと早く出て来い。
 そんな感情が顔に出ていたのか、ヒューゴは高らかに笑った。叔母に似た赤い髪を、さらさらと揺らしている。

「親父さんは大丈夫そうか?」

「血を吹いたわけでもないし、大丈夫だろう。」

「ならいいけどさ。」

「伯母さんは?」

「一命を取り留めた、と聞くまでは上機嫌だろうな。」

 ははっと乾いた笑いをするヒューゴに、僕もふっと鼻で笑った。
 ヒューゴは唯一、僕が素を出せる相手だった。

 ふと、ツカツカ嫌な音が聞こえた。
 ヒューゴの母、エイヴリル・ウェップだ。つまり、上機嫌であろう伯母さん。

 じろりと暗い瞳を向けられる。

「セオドア、あとは私とヒューゴがやってあげるから、あなたはエドウィンの様子を見にお行きなさい。」

 口元は笑っているが、グレーの瞳はどこまでも冷ややかだ。

 伯母とは複雑な関係だった。

 そもそもウェップ家当主の侯爵位は、本来であれば長男であった伯父、父の異母兄が継ぐはずだった。
 しかし先代侯爵、祖父の初妻は病気で亡くなり、後妻である祖母を迎えることになった。

 父は次男として産まれたが、父が18歳の年、祖父が不慮の事故で亡くなると、祖母は体の弱い長男が病にかかったことを理由に、実の息子であるエドウィン・ウェップに侯爵位を継がせ、長男には子爵位を継がせたのだ。

 伯父がそのことで強く反発することは無かったらしいが、当時既に婚姻していた伯母は違った。
 侯爵位を義理の弟に盗られ、分家したことをとても悔しがったそうだ。

 その為、次期侯爵である僕も、良い顔はされない。
 しかし、イベントごとでは欠かさず会うものだから、すっかりいとこのヒューゴと仲良くなってしまったのだ。

 伯母の申し出に得意の笑顔を作り、僕はこの場を彼女に任せることにした。

「ありがとうございます、伯母さん。ではお言葉に甘えて。」

「いいのよ。こんな時の為の家族でしょう。」

 クラリッサとは別の意味で鳥肌が立つ。

「すぐに今日泊まって頂く部屋を用意させますね。」

「お願いするわ。セシールにもあまり気を落とさないようにと伝えてちょうだい。」

「はい。」

 伯父は体調不良で不参加だったのに帰らなくていいのですか、というのは愚問だ。

「じゃあヒューゴ、また後で。」

「ああ、叔母さんにもよろしく。」

 たぶん僕と同じで、白々しいと感じているのだろう。
 伯母の死角で肩を竦めるヒューゴと目を合わせて、その場を後にした。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈 
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

蠍の舌─アル・ギーラ─

希彗まゆ
ミステリー
……三十九。三十八、三十七 結珂の通う高校で、人が殺された。 もしかしたら、自分の大事な友だちが関わっているかもしれない。 調べていくうちに、やがて結珂は哀しい真実を知ることになる──。 双子の因縁の物語。

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

マスクドアセッサー

碧 春海
ミステリー
主人公朝比奈優作が裁判員に選ばれて1つの事件に出会う事から始まるミステリー小説 朝比奈優作シリーズ第5弾。

私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?

水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。 日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。 そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。 一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。 ◇小説家になろうにも掲載中です! ◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

処理中です...