人の身にして精霊王

山外大河

文字の大きさ
上 下
222 / 431
六章 君ガ為のカタストロフィ

32 雨の中、キミの言葉 下

しおりを挟む
「……」

 だけど俺は一体エルにどんな言葉を掛けてやればいいのだろうか。
 考えてみてもエルに掛けてあげるべき言葉なんてのは見つからなくて。そして雨の中でエルを探していた時とは違う。もう、気休めすら浮かんでこなかった。
 事の背景が不透明であるのなら、いくらでも気休め位なら思いつく。それが掛けるべき言葉では無いと分かっていても、思いつく事には思いつくんだ。
 だけど……その不透明な背景が、今はもう鮮明に見える。
 どす黒い背景が、脳に焼き付いて離れないんだ。
 もう一体どういう事を言えばそれが気休めになるのかすら分からなかったんだ。
 だけどそういう事が言えないのはエルを探していた時と変わらない。あの時も俺が掛けてやるべき言葉なんて正解は思いつかなくて、そして気休めを言える状況では無かった。
 それはあの時も今も変わらないんだ。
 だけど明確な違いがあった。

「……ッ」

 思わず出てきそうになった、言うべき事でもなく気休めでもなく俺自身から溢れてくる様な、そんな言葉。
 それはあの時の様に手を差し伸べられる様な物ですらない。拙いながらも手を差し向けられたあの時の言葉とは違う。そんな酷い言葉。
 そして一度は堪えたその言葉も、自然と口にしてしまう。

「エル……俺は」

 こんな事をエルに聞いては行けないと分かっていても、止まらない。

「……俺はどうすればいい」

「……」

「……どうすればお前を救える?」

 その問いはただの弱音だった。
 そんな事をエルが答えられる筈がない。その答えなど持ち合わせている訳がないのだ。
 そんな相手に。救われるべき相手に。救ってやらなくちゃいけない相手に。そんな言葉を投げかけるのはもう意味が分からない。
 何もできない瀬戸栄治から漏れ出した弱音。
 よりにもよって俺がぶつけていたのは、そんなどうしようもない物だったんだ。
 だけど。エルからは言葉が返ってきた。

「救われてますよ」

 一瞬何を言っているのか分からなくなる様な、そんな言葉。
 だってそうだ。そんな言葉がこんな状況で出てくるとは思わないだろう。
 だけどエルは言うのだ。

「……私はもう十分すぎる位に救われてたんです。幸せだったんですよ」

 そんな事をエルは微かな笑みを浮かべながら言うのだ。
 本当に一体何を言っているんだと、そう思った。
 だけどその声音から。表情から。言葉から。連想できる事があった。
 まるで余命を宣告された病人が自分の人生を思い返して振り返るように。エルの言葉はそんな風に聞こえてしまう。

 ……それは諦めだ。
 エルはこのどうしようもない状況をどうにかする事を諦めて、まるで死に間際にの様な事を言ってきているのだ。

「……違うだろ」

 救われている。十分に救われてた。
 その言葉を否定はしない。それは多分否定してはいけない。
 俺がどう思うかじゃない。エルが俺と出会ってからの二カ月間にそういった感情を見出したのなら、それは他の人間が否定しては行けない事だ。
 本人が幸せだったと思えば、それは他人がそれを薄い物だと認識したとしても、本人にとっては大切な物に他ならないのだから。それは否定しちゃいけないんだ。
 だけど……だけどだ。

「お前は、これからだろ」

 それでも此処で終わって良いわけがないだろ。
「お前が今まで幸せだったんなら……あんなにひどい境遇から救われたって言えるなら……それはそれでいいんだ
よ。寧ろそれは良い事なんだ。だけど……だけどな、エル。まだ始まったばかりだろ」

「……」

「これからお前はもっと幸せになんないといけないんだよ」 

 そうだ。まだ始まったばかりなんだ。
 そんな少し幸せを感じた時間があった程度で終わって良いわけがない。

「エルだってこれで満足してるわけじゃねえんだろ……だったら――」

 分かってる。この続きの言葉は無責任に他ならない。
 だってそうだ。今まで辛い事を耐えつづけてきたエルが打ちひしがれる程に、目の前の絶望は大きな物で……それに俺自身がどうすればいいのかも全く分からなくて。そこでこんな言葉を掛けるのはきっと無責任に他ならないだろう。
 だから多分、エルに訴えかけるだけのつもりなら、その先の言葉は口にしなかったかもしれない。
 だけど言わずにはいられなかった。

「諦めないでくれ。まだ終わっちゃいねえんだ……終わらせちゃいけねえんだよ」

 多分これは俺の願望だ。
 エルに生きていてほしい。幸せになってほしい。そんな感情の裏側にある願望。
 俺を一人にしないでくれ。
 これから先も俺の隣りで笑っていてくれ。
 そんな風に俺はきっとエルに縋りついていたんだ。
 それは情けない事なのかもしれない。エルに依存して。まるで自分の為にエルを助けようとしているみたいで、少しばかりそんな自分に嫌悪感すら沸いてくる。

 だけどそれでも良いと思った。

 エルに幸せになってほしい。そんな気持ちは本物だ。
 そしてエルに縋りつくほど、エルを必要としている感情もまた本物だ。
 そのどちらもが、原動力を失った瀬戸栄治という人間に気力を与えてくれる。
 自身の誇りを踏みにじれただけの力を与えてくれる。
 そして俺の言葉でエルの中で何かが変わったのか。もしかすると何も変わってはいないのかも知れないけれど。
 少しの時間を空けて、エルは言った。

「……エイジさん」

「なんだ? エル」

「……私、実は満足とか全然してないんです」

 ……知ってるよ。

「まだやりたいこと、一杯あるんです。テレビとかで見た場所にも行ってみたいし、おいしい物は食べたいし……もっとエイジさんの隣りに居たいんです」

 そしてエルはだから、と一拍空けてから俺に言う。

「……私を助けてください」

 その言葉にどう返するのが正解なのか。その答えを俺は知らない。
 どんな言葉にも俺は責任を持てなくて。エルに今更気休めの様な言葉を言える訳がなくて。
 だけどさ。出てきたんだ。
 弱音では無く。聞こえ方によっては気休めにしか聞こえないかも知れないけれど。
 それでも俺が確かに抱いた、エルに言ってやりたい言葉。
 俺が言いたい言葉。

「ああ」

 ただ、それだけの言葉。
 だけど俺は改めて決意したんだ。
 エルを助ける。何が何でも助けて見せる。
 例え何を犠牲にしてでも。見知らぬ誰かを勝手に天秤に掛けてでもエルを救う。必ずだ。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

我が家に子犬がやって来た!

もも野はち助(旧ハチ助)
ファンタジー
【あらすじ】ラテール伯爵家の令嬢フィリアナは、仕事で帰宅できない父の状況に不満を抱きながら、自身の6歳の誕生日を迎えていた。すると、遅くに帰宅した父が白黒でフワフワな毛をした足の太い子犬を連れ帰る。子犬の飼い主はある高貴な人物らしいが、訳あってラテール家で面倒を見る事になったそうだ。その子犬を自身の誕生日プレゼントだと勘違いしたフィリアナは、兄ロアルドと取り合いながら、可愛がり始める。子犬はすでに名前が決まっており『アルス』といった。 アルスは当初かなり周囲の人間を警戒していたのだが、フィリアナとロアルドが甲斐甲斐しく世話をする事で、すぐに二人と打ち解ける。 だがそんな子犬のアルスには、ある重大な秘密があって……。 この話は、子犬と戯れながら巻き込まれ成長をしていく兄妹の物語。 ※全102話で完結済。 ★『小説家になろう』でも読めます★

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

ここは貴方の国ではありませんよ

水姫
ファンタジー
傲慢な王子は自分の置かれている状況も理解出来ませんでした。 厄介ごとが多いですね。 裏を司る一族は見極めてから調整に働くようです。…まぁ、手遅れでしたけど。 ※過去に投稿したモノを手直し後再度投稿しています。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活

天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――

クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~

いちまる
ファンタジー
ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。 他のクラスメートが強力なスキルを発現させてゆく中、イオリだけが最低ランクのEランクスキル【生命付与】の持ち主だと鑑定される。 「無能は不要だ」と判断した他の生徒や、召喚した張本人である神官によって、イオリは追放され、川に突き落とされた。 しかしそこで、川底に沈んでいた謎の男の力でスキルを強化するチャンスを得た――。 1千年の努力とともに、イオリのスキルはSSランクへと進化! 自分を拾ってくれた田舎町のアイテムショップで、チートスキルをフル稼働! 「転移者が世界を良くする?」 「知らねえよ、俺は異世界を自由気ままに楽しむんだ!」 追放された少年の第2の人生が、始まる――! ※本作品は他サイト様でも掲載中です。

処理中です...