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六章 君ガ為のカタストロフィ
ex 暗闇の中で b
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前兆なんてものは何もなかった。
直前に流れていたのはただのどこにでもある様な幸せな時間だ。
最初に見たホラー映画は強がって平気な顔をしてみせたけれど実は、思わず隣りのエイジに飛びつきそうになる位に怖くて、次に見たコメディ映画は酷く無茶苦茶な内容なのに心から笑わせてくれて。
隣りに座る大切な人と一緒に怖がり一緒に強がり一緒に笑った。
そんなありふれた幸せな時間だけがその空間に流れていた筈だった。
だけどそんな物を打ち破るように崩壊が始まった。
一か月近い前兆の末に、ついに決壊したのだ。
今回襲った頭痛は今までの比では無い程に強く激しい。
いつもならどれだけ痛くても、エイジの前でなら少し痛い位という様な演技をできていた筈だ。隠す事位は出来たはずだ。
だけど今回は違う。そんな事は出来ない。
立っている事すらままならず、気休めを言えたのも最初だけ。途中からエイジに言葉を返す事すら困難になってしまった。
できる事といえばただ割れるような激痛から身を守るように頭を抱えるだけ。
だがそんな痛みが唐突に消えてなくなった。
今までの様に痛みが引いてくれた訳では無い。
まるで海の底にでも沈んだ様に、意識そのものが薄れそれに伴い頭痛も消えた。今までとはまるで違う感覚。
(……)
微かに残った意識の中で、果たして今自分がどういう状態に陥っているのかなどの事は一切分からなかった。ぼんやりと視界に映る光景が一体どういう物なのかを脳が理解しきれない。
自分がやっている事が具体的にどういう事なのかという事も理解できない程に、思考回路が弱っている。
だけどそれでも目の前でエイジが苦しんでいるのはなんとなく分かった。
それが何によるものなのかはまるで分からないが……それでもそれはなんとかしなければならないと思った。
エイジが苦しんでいるなら、助けてあげたいと、弱り切った思考回路でもそういう答えを導き出した。
だけどそんな意思で体の自由が戻るわけでは無い。じわじわと意識が覚醒し始めたのはただただ偶然のタイミングだったのではないかと思う。
少しづつ意識が戻ってきて初めに感じたのは重量感だった。それは自分が目の前の物を両手で持ち上げているからだという事は少しづつ回復してくる脳が理解していた。
だがまだそれがどういう事を意味するのかという事までは頭が回らない。自分が何をどうやって持ち上げているかは分かっても、それがつまりはどういう事なのかという事にまで意識が回らない。
だけどそれも徐々に理解しはじめ、エイジの言葉でそれが脳が覚醒しはじめる。
「エ……ル……ッ」
そうして苦悶の声を上げるエイジはエルの手首を握っていた。
まるで自分からエルの手を引く離そうとするように。
自らの首を絞めて持ち上げるエルのその手から脱する為に。
「……ぁ、え? ……あぁ?」
ようやく状況を理解して慌ててエイジの首を絞め上げていた両手を離し、数歩後ずさって尻餅を付く。
「え……いや、あ、私、一体何を……」
そんな言葉を口にしなくても本当は分かっている。
今自分はこの両手でエイジの首を絞めていた。
エイジの首を絞めて殺そうとしていたのだ。
「あああああああああああッ!?」
思わずそんな声が出て、全身から血の気が引いた。
首を握り絞める感覚が消えない。今まさにエイジを殺そうとした感覚がその手にこべりついている。
そして目の前ではエイジが床に膝を付けながら激しく咳き込んでいた。
窒息寸前まで首を絞められた結果だ。体が酸素を求めて過呼吸に陥っている。
「エイジさ……」
そんなエイジに手を伸ばそうとした。
目の前で酷く苦しんでいるエイジを見た事による自然の動き。
その自然な動作でエルは手を伸ばした。
今の今までエイジの首を絞めていたその手をだ。
「……ッ」
それに気が付いて思わず手を引いた。
怖かった。
だって自分は無意識の内に大切な人を殺めようとしていたのだ。
伸ばしたこの手で。まさに彼を殺そうとしていたその手で自分が一体何をするのか分からなかった。
……今度こそ本当にエイジを殺してしまうんじゃないかと怖くなった。
そう考えたらもう訳が分からなくなってしまった。
自分が怖くて仕方がなかった。
震えが止まらない。手の感覚が消えない。きっと今まで感じてきた恐怖の中で最も強いのが今の自分に対する物だった。
エイジを殺す自分に対する物だった。
混乱。錯乱。
とにかくとにかく、訳が分からなくなって。まるでエイジから遠ざかる為の様に部屋を出て家を飛び出した。
豪雨と落雷が蠢く池袋の街に、そうして一人の精霊が逃げだした。
当てもなく、何もなく。
きっと深い暗闇の底へと落ちながら。
その中で光に向って必死に手を伸ばしながら。
直前に流れていたのはただのどこにでもある様な幸せな時間だ。
最初に見たホラー映画は強がって平気な顔をしてみせたけれど実は、思わず隣りのエイジに飛びつきそうになる位に怖くて、次に見たコメディ映画は酷く無茶苦茶な内容なのに心から笑わせてくれて。
隣りに座る大切な人と一緒に怖がり一緒に強がり一緒に笑った。
そんなありふれた幸せな時間だけがその空間に流れていた筈だった。
だけどそんな物を打ち破るように崩壊が始まった。
一か月近い前兆の末に、ついに決壊したのだ。
今回襲った頭痛は今までの比では無い程に強く激しい。
いつもならどれだけ痛くても、エイジの前でなら少し痛い位という様な演技をできていた筈だ。隠す事位は出来たはずだ。
だけど今回は違う。そんな事は出来ない。
立っている事すらままならず、気休めを言えたのも最初だけ。途中からエイジに言葉を返す事すら困難になってしまった。
できる事といえばただ割れるような激痛から身を守るように頭を抱えるだけ。
だがそんな痛みが唐突に消えてなくなった。
今までの様に痛みが引いてくれた訳では無い。
まるで海の底にでも沈んだ様に、意識そのものが薄れそれに伴い頭痛も消えた。今までとはまるで違う感覚。
(……)
微かに残った意識の中で、果たして今自分がどういう状態に陥っているのかなどの事は一切分からなかった。ぼんやりと視界に映る光景が一体どういう物なのかを脳が理解しきれない。
自分がやっている事が具体的にどういう事なのかという事も理解できない程に、思考回路が弱っている。
だけどそれでも目の前でエイジが苦しんでいるのはなんとなく分かった。
それが何によるものなのかはまるで分からないが……それでもそれはなんとかしなければならないと思った。
エイジが苦しんでいるなら、助けてあげたいと、弱り切った思考回路でもそういう答えを導き出した。
だけどそんな意思で体の自由が戻るわけでは無い。じわじわと意識が覚醒し始めたのはただただ偶然のタイミングだったのではないかと思う。
少しづつ意識が戻ってきて初めに感じたのは重量感だった。それは自分が目の前の物を両手で持ち上げているからだという事は少しづつ回復してくる脳が理解していた。
だがまだそれがどういう事を意味するのかという事までは頭が回らない。自分が何をどうやって持ち上げているかは分かっても、それがつまりはどういう事なのかという事にまで意識が回らない。
だけどそれも徐々に理解しはじめ、エイジの言葉でそれが脳が覚醒しはじめる。
「エ……ル……ッ」
そうして苦悶の声を上げるエイジはエルの手首を握っていた。
まるで自分からエルの手を引く離そうとするように。
自らの首を絞めて持ち上げるエルのその手から脱する為に。
「……ぁ、え? ……あぁ?」
ようやく状況を理解して慌ててエイジの首を絞め上げていた両手を離し、数歩後ずさって尻餅を付く。
「え……いや、あ、私、一体何を……」
そんな言葉を口にしなくても本当は分かっている。
今自分はこの両手でエイジの首を絞めていた。
エイジの首を絞めて殺そうとしていたのだ。
「あああああああああああッ!?」
思わずそんな声が出て、全身から血の気が引いた。
首を握り絞める感覚が消えない。今まさにエイジを殺そうとした感覚がその手にこべりついている。
そして目の前ではエイジが床に膝を付けながら激しく咳き込んでいた。
窒息寸前まで首を絞められた結果だ。体が酸素を求めて過呼吸に陥っている。
「エイジさ……」
そんなエイジに手を伸ばそうとした。
目の前で酷く苦しんでいるエイジを見た事による自然の動き。
その自然な動作でエルは手を伸ばした。
今の今までエイジの首を絞めていたその手をだ。
「……ッ」
それに気が付いて思わず手を引いた。
怖かった。
だって自分は無意識の内に大切な人を殺めようとしていたのだ。
伸ばしたこの手で。まさに彼を殺そうとしていたその手で自分が一体何をするのか分からなかった。
……今度こそ本当にエイジを殺してしまうんじゃないかと怖くなった。
そう考えたらもう訳が分からなくなってしまった。
自分が怖くて仕方がなかった。
震えが止まらない。手の感覚が消えない。きっと今まで感じてきた恐怖の中で最も強いのが今の自分に対する物だった。
エイジを殺す自分に対する物だった。
混乱。錯乱。
とにかくとにかく、訳が分からなくなって。まるでエイジから遠ざかる為の様に部屋を出て家を飛び出した。
豪雨と落雷が蠢く池袋の街に、そうして一人の精霊が逃げだした。
当てもなく、何もなく。
きっと深い暗闇の底へと落ちながら。
その中で光に向って必死に手を伸ばしながら。
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