人の身にして精霊王

山外大河

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五章 絶界の楽園

1 なぞられる記憶

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 目の前で展開される光景は、俺が異世界へと飛ばされたあの日の光景をそのままなぞっている様だった。
 いや、正確にはあの日見た光景に向かって進んでいる様にも見える。否、そうとしか見れなかった。
目の前で、禍々しい雰囲気を纏った女の子が暴れていた。
 逃げまとう人々を一方的に攻撃し、その過程で周囲の建築物を破壊していく。動けずにいた数秒間で目に見えて自体は深刻に移り変わり、悲惨な自然災害の跡の様に酷い有様になっている。
 本当にあの時と同じだ。
 轟音とともに大型トラックが文字通り転がるのを目にして、その場に駆け付けた時に見た光景と同じ。
 その中で何か違った事があったとすれば……目の前で暴れている少女に対して抱く感情が、禍々しい雰囲気を纏った少女という不透明にも程がある物だけではないという事。
 名前も何も知らない。だけど彼女を確かに知っている。
 俺達がこの世界へと飛ぶ直前に飛んだ精霊達。その内の一人。
 その内の一人があの訳が分からない光景を再現していた。

「……」

 俺の横を逃げまとう人々が通過していく中、俺は一人立ちつくしていた。
 一体何をどうすればいいのかが分からなかった。
 襲われている人を助けないといけないと思った。とにかくあの精霊を止めなくてはいけないと思った。
 だけどどうやって? 戦うのか?
 一応自分の身を守る為にも肉体強化の精霊術を発動させた。
 だけどつい数分前までまともに正気を保っていて、きっと死に物狂いであの湖にまで辿り着いたであろう彼女に拳を振るうのか? 
 そんな迷いが両足に纏わりつき、一歩も動けず手足だけが震える。
 それでも俺が何も出来なくても状況は刻一刻と変化していく。
 その変化が果たして良い方向への変化なのかは分からない。

「……ッ」

 上空に二機のヘリコプターが飛来する。
 そしてほんの数秒。一時的にホバリングしていたヘリコプターから計八人。黒いロングコートを着た人間がこちらに向かって飛び降りてくる。
 その姿は一目見ただけで鮮明に蘇ってくる。
 あの場所で、倒れていた人間の何人かが着ていた服装であり……そして土御門誠一が着ていた服装。
 それを身にまとった人間が、精霊術の肉体強化でも使っていなければ即死するような高さから飛び降りてきて……そして俺と暴れている精霊との間に五人。そして暴れている精霊のすぐ近くに三人が着地する。
 そう、着地した。即死する様な衝撃が加わっている筈の彼らの体は五体満足で健在。あの時俺を庇うように突き飛ばされた誠一が生きていた様に、彼らも全員生きている。
 生きていて、動きだす。
 精霊一人に三人。それぞれ手にした刀を持って精霊に人間離れした速度でぶつかっていく。
 明確にその刃の矛先を彼女に向ける為に。

「や、やめ――」

 反射的に声が出て手が伸びた。
 その言葉が正しいのかどうかも分からずに、ただ反射的に声だけが出た。そしてその続きを口にする事はなかった。
 立ち止まり、伸ばしたその手を掴まれたからだ。

「ここは危険よ! とにかく全力で私達に付いてきて!」

 飛び降りてきたロングコートの人間の一人である女性が立ち止まっていた俺の手を引いたのだ。

「三番隊第四班現着! これより可能な限り生存者を拾いつつ誘導を開始します! 精霊の出現していない区画へのナビゲート頼みます!」

 刀を鞘に仕舞った状態の男が耳を押さえて何処かと通信する様な言葉を口にする。
 そしてその通信の中の一言で、思わず声が出そうになった。
 精霊の出現していない区域。
 気付いていた。既に視認して認識していた。
 それでも視覚情報だけでなく、直接言語として耳に入ってくる情報は全てを改めて確信付けさせてくるようで、頭を殴られたと錯覚する様な衝撃が走る。

「……ッ! 前方に精霊の出現反応あり! 新手が来るぞ!」

 そしてどこかと通信をしていた男がそんな言葉を叫んで、周囲にまだ何人か残っていた混乱して立ち止まっている人々を集め移動しようとしていた他のロングコートの人間が一時その手を止めて同一方向に視線を向ける。

「なんだってんだよクソ、そこら中に沸いてんじゃねえか!」

「迎撃と避難誘導で分かれますか!?」

「いや、分散はマズイ! 対象の警戒レベルが四だ! 分散すれば潰されるぞ!」

「じゃあどうすれば!?」

「民間人庇いつつ此処で迎え撃つ!」

「四人で行けるか!?」

「やるしかねえだろ! いいか、絶対にここを通すな!」

「了解!」

 そんなやり取りが交わされて、その場にいた四人が全員武器を構え、その内の一人が視線を周囲にいた俺を含めた数人の一般人に向けて叫ぶ。

「とにかくこの場を動かないでください!」

 そう言って彼らは完全に臨戦態勢を整え……そして前方に魔方陣が展開。そしてそれまで何もなかった空間に彼女は現れる。

「……アイラ」

 数日間行動を共にして、あの湖にて共にこの世界へと飛んだ女の子が。
 人間への敵意を禍々しく纏った様なアイラが……俺の視界の先に現れた。
 まるでこちらをターゲットとして認識したように視線を向けたアイラは、何も無い空間に荒々しく光る太刀の形状をした獲物を作り出して臨戦態勢を取る。

「精霊を肉眼で確認! やるぞお前ら!」

 そしてそんな声をあげてロングコートの連中は動き出す。

「止めろ! 止めてくれッ!」

 流石にそんな声が自然と出てきた。
 だけどロングコートの連中はそんな言葉は聞きなれているとばかりに耳も貸さなくて、アイラに至っては聞こえているのかすらも分からない。
 故に俺の言葉では誰も止められないし、そしてロングコートの連中もアイラを止められない。
 速かった。
 昨日精霊を捕獲する業者と対峙した際にアイラの動きを目にした。確かに動きが速く近接戦闘において相当な実力を誇るであろう事は明確に理解できた。
 そして今、目の前のアイラの速度はそうして得た認識を軽く上回る。視覚情報だけでいえば、俺やエルの出力に匹敵している様にも思えた。
 そしてどういう原理かは不明だが、確かに精霊術を使っている様に戦闘能力を得ているロングコートの人間も四人がかりでアイラにぶつかる。だがアイラが放った薙ぎ払いが一人を弾き飛ばし、他の三人も自身から遠ざける。
 そして距離が開き、攻撃の矛先がリセットされる。
 最終的に彼らはアイラを止めるだけの力を有しているのかもしれないが……だからといって、例えばアイラの攻撃の矛先が今の攻撃を最後に後方の俺達に向いたとすれば、それを止められるかどうかとなれば話は別だ。
 結果的にアイラは此方に向かってきた。

「……ッ!」

 偶然なのか必然なのか。それは分からない。
 だけど確かにアイラが一直線に俺に向かって飛び込んできているのは理解できた。
 得物を構え、殺意を向けて。殺す為に飛んでくる。
 それを認識した瞬間、とにかくその攻撃を躱して距離を置く事を考えて……そして踏みとどまった。
 俺の周囲に精霊術も、あのロングコートの連中が使っているであろう力も。そのどちらも使えないであろう人間が何人かいる。俺が攻撃を躱せばそのままアイラの攻撃対象がそいつらに向く可能性がある。
 まだその一般人があの世界の人間だったなら、そのまま大きく攻撃を躱し、一時的にでも距離を置いたかもしれない。
 だけど……こっちの人間に危害を加えさせるのは駄目だ!

「グ……ッ」

 振り降ろされた太刀を咄嗟に頭上で受け止める。
 白刃取り。咄嗟に取った行動とはいえきっと今の判断が正解だったかどうかと言われればそれは否だ。こんなもん達人でもなけりゃ殆ど成功しないだろうし、故に今こうして止められているのはただ運が良かっただけだ。
 それにアイラの太刀に何か特殊な効果があるかもしれないのに、直接手で受け止めたのもきっと愚策だ。
 だがそれはいい。それはもういい。うまくいったのだからそれはもういい。
 問題はここから先だ。

「んだよクソ……ッ!」

 太刀から伝わる力が重い。一瞬でも気を抜けばそこで潰される!
 そして、ここから何も繋がらない。今までだったらこのまま蹴り飛ばして距離を話して追撃していただろうけど、そうする事に抵抗しか沸かない。アイラを蹴り飛ばす事が正しい事だとは思えない。思いたくない。

「くっそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 とにかく全身の力だけは緩めない。ただひたすらに、俺を斬ろうとする太刀を受け止める。
 だが次の瞬間、突然加わってくる力が軽くなった。否、消失した。

「なに……ッ」

 力も、太刀も、文字通り消失した。
 そして両手を頭上に上げる隙だらけの俺を狙う様に、重心を低く構えたアイラの掌が伸びてくる。
 そこから先は、俺がいつもやっていた事と同じだ。

「ガァ……ッ」

 何かしらの精霊術を要いた掌底。掌が俺の体に触れた瞬間、激痛と共に俺の体は勢いよく弾き飛ばされる。
 アスファルトを何度もバウンドし、止まった頃には全身から血が流れ出していた。

「……ッ」

 なんとか体を起こそうとした。
 その瞬間、俺の隣を今の俺の様に何度も転がる人影があった。
 ヘリから飛び降りてきたロングコートの内、三人掛かりで精霊とぶつかった内の一人。
 そう認識した次の瞬間には、俺の視線はロングコートの男が飛ばされてきた方角を向いていた。
 視界の先にいるのは辛うじて立っているという様子のロングコートの男が二人と、いつ倒れてもおかしくないという程に血にまみれた精霊。
 そして新手と、地面から斜め方向に突き出た結界。

「ヒル……ダ?」

 そんな言葉が漏れ出した次の瞬間、視界の先のヒルダは勢いよく左足を地面に打ち付ける。
 そして次の瞬間、俺の右手側から何かが突き出してきた。

「……ッ」

 それが地面から突き出した結界だと認識した時には、右腕に生え出してきた結界が直撃して、激痛と共に弾き飛ばされる。

「ぐあ……ッ!」

 そのまま勢いよく打ち上げられ、そのまま近くの雑居ビルの三階の窓を突き破って屋内を転がる。
 飾ってあった観葉植物をなぎ倒しつつ最終的に壁にぶつかって止まってようやく俺の体に掛っていた勢いは停止する。

「ク……ッ」

 体を動かしただけで全身が悲鳴を上げる。だけどそんな事はどうでもいい。もう慣れた事だ。
 それより……そんな事よりこの深刻な事態の事を考えろ。
 ヒルダもアイラも、俺が想定していた最悪の状態に陥ってしまっている。
 俺が想定していた最悪の状態に。

「とにかく……なんとか。何とかしないと」

 その為に必死に、ただひたすらに、この状況で何をするべきなのかと混乱する思考を巡らせた。
 そして次の瞬間、此処に辿り着く直前に交わした言葉が脳裏を過った。

『まあとにかく、向かった先でバラバラになってたらとりあえず合流しよう。俺達ならすぐに出来る筈だ』

『そうですね。真っ先にエイジさんを探します』

『俺もとりあえずお前を探すよ』

 エルと交わしたそんな会話が、浮かんできた。
 ……エルは? エルは大丈夫なのか?
 瞳に映った異様な光景を処理するのに一杯一杯になっていて、それ以外の事にあまり意識が向かなかった。だけど一度向けてしまえばそこばかりに思考が傾く。

「……ッ」

 咄嗟に手の甲に刻まれた刻印に視線を向けた。そこから感じられる感覚は普段のソレと変わらない。変わっていれば恐らく、もっと速い段階からそちらに意識が傾いていたのだと思う。
 そして変わっていない事に、ほんの少しだけ安堵した。
 ほんの一瞬だけ安堵した。
 そう、ほんの一瞬だけだ。だって確証なんて何もない。
 エルに何かがあればこの刻印から異常が伝わってくる。だけどそれが絶対であると言う確証なんてどこにもない。
 ましてや今この場で起きているのは文字通り異常な事態だ。仮に直接的なダメージ以外の何かが起きたとして、それをこの刻印が告げてくれるかどうかなんてのは分からない。
 つまり……エルまでもがアイラやヒルダの様な状態になっている可能性がある。

「ふざ……けんなよ」

 悪寒が走った。手足の震えが止まらなかった。
 そして気が付けば足が動きだしていた。
 とにかくエルの元へと向かう。無会うんだ。早く合流して無事な姿を確認するんだ。
 それはもう縋りつく様な思いだった。
 俺とエルが抱いていた嫌な推測。それが本当となってしまった現実。
 最後の最後まで迷い続けていたエルの手を引いたのは俺で、そのエルまでもがおかしくなってしまっていたら、俺は……、

「頼む……頼むッ!」

 端から誰もいなかったオフィスの扉を蹴り破り、屋外に出ている非常階段へと足を向け、飛び降りる。そして刻印が示す方角に、全力で走りだした。
 本当に、縋る様な思いで。
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