人の身にして精霊王

山外大河

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四章 精霊ノ王

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「大丈夫か!」

 こちらに躍り出てきて助けてくれたナタリアは、エルに対してそんな言葉を向ける。
 だけど違う。真にその言葉を向けられるべきはナタリアだった。
 左腕が力無く垂れ下っている。
 額からは血を流し、その場に立っているものの、どこかふら付いているようにも思えた。
 表面上の怪我だけで言えば全身打撲と脱臼を負っているエルと同等かそれ以上。目を背けたくなるような傷を彼女は負っている。
 そして負わせた相手は、まだ近くにいる。

「とりあえずは……大丈夫です」

 言いながらエルは右手に風の塊を作り出して正面の敵に応戦する。

「だけどこのままじゃ絶対に勝てない」

 ナタリアの方も、最初に一撃を喰らわせた相手がもう戦闘不能寸前で、他の連中も血を流しているけれど人数が減っていない。
 エルの方にしても、消える術を使う二人には一度有効打と呼べるような攻撃を打ちこんでいるが、倒し切れていない。
 歯が立たない訳ではないが勝てない。

「……無視やりこの場から逃げ切る。多分それしかありません」

 逃げる事が無理だから戦う選択肢を選んだ。
 だがしかし、無理矢理にでも逃げなくてはもうどうにもならない。
 それはあの工場でエイジの元にたどり着くまでの様に、文字通り死線を潜り抜けなければならない様な事であはあったが、それでもやるしかない。

「それさえできればどうにでもなります。だから――」

「……分かった」

 ナタリアはエルの言葉を打ち切る様にそう返答しつつ、精霊術で作り出した炎の矢で応戦する。
 どうやら意図は伝わったようだ。そして伝わったのならばこれ以上立ち止まってはいられない。

「だったらとりあえず、少しでも逃げやすい状況は作るぞ」

「分かってますよ、その位!」

 そしてエルとナタリアは同時に精霊術を発動させる。
 この状況において、もう敵の数を削るなどという考えは残っていない。考えるのは、少しでも逃げやすい状況を作り上げること。
 ナタリアが炎の壁を前方に作り出し、エルは正面に突風を作り出した。
 そして結果的に偶然生まれたのは火炎放射に近い何か。
 少なくとも見栄えだけは相当な迫力になっているはずだ。
 それで一瞬でも時間が稼げたならばそれでいい。
 そしてエルはエイジ達がいる方が九に向けて踵を返して走り出す。
 その先にはナタリアが戦っていた連中がいるが、そんな事は知った事ではない。邪魔ならそのまま薙ぎ倒す。もしくはそのまま走り抜け、何が何でもこの戦線を離脱する。
 そして全力疾走で道を塞ぐ三人の元へと近づいて、直前で風の塊を形成して一気に加速した。
 ただ最速で移動するのではなく、緩急を付ける。その些細な違いがこの場を切り抜ける為の大きな要素となり得る。
 だがしかし対応される。エルの動きに確かな反応を示す。
 隙間を無理やり通り抜けようとしたエルを捉えそれぞれが攻撃を仕掛けてくる。

「……ッ!」

 瞬時に速度を落とさず右方に結界を展開。逆手で振られた短剣の勢いを僅かに殺し、辛うじて攻撃を掠らせる程度で終わらせる。だがあと二人には手が回らない。そのまま無傷で通り抜けるには速度がまだ足りない。
 残った二人の攻撃はエルを捉えられる速度で攻撃を放つ。
 二人同時に。エルだけにターゲットを絞って。
 つまりはフリーになっていた。
 故に彼女は炎の矢を射る。

「う……ッ!」

 炎の矢がエルに攻撃を仕掛けていた内の一人に刺さり動きを止め、そのポイントを中心に周囲に火の粉をまき散らし、もう一人の男の動きも鈍らせる。

「……ッ!」

 鈍らされても止まりきらなかった刃に背中を切りつけられたエルは、激痛に声にならない声を上げる。だがしかし激痛でも傷は浅い。僅かな動きの鈍りが致命傷の軌道を浅い一撃へと変えた。
 だげど流石のエルもバランスを崩す。そのまま地面を転がり、それでも再び風の塊を作り出して踏み抜こうとした。
 だがその過程。一瞬だけ見えた後方の景色が彼女の動きを止めようとする。

(……え?)

 既に自分のすぐ近くにいなければおかしいナタリアが、全く動いていなかった。
 敵陣のど真ん中で、ただ次の矢を作り出す。そんな姿が一瞬見えた。

(……一体何を)

 一瞬そんな事を考えたが、彼女が何をやろうとしていたかなんて事は、先の援護だけで十分に理解できてしまう。その足を立ち止まらせようと脳が訴えかける。
 だけど、止まらなかった。
 何が何でもエイジの元へと辿り着く。そうしなければ何がどうなろうと待っているのは最悪な終わりだけ。過程がどうであれその事だけは変えられないし、ここで何があろうと優先順位は揺るがない。
 故に彼女は止まらない。それ以上は振りかえらない。
 ただ一心不乱に、自身の契約者の居る方角へ向けて、風の塊を踏み抜いた。



 三百六十度敵しかいないこの場所で、彼女は一人笑みを浮かべていた。
 絶体絶命。そうである事には変わらないのに、それでも今の状況に安堵できる自分がいた。
 だってそうだ。この状況下で一人助けられた。これから白い刻印を刻んだ人間に何かをされるかもしれないが、それでも今この時を切り抜けさせられた。態々逃げる事を放棄して援護に回った身としては本望だ。その先の不安が残るが、それでもこの状況下では最良の選択を実行し、達成できたのだと彼女は思う。

「……」

 その先の不安が具体的に何なのか。それは今考えても曖昧な答えしか出てこない。何度も何度もその存在を否定し続け、ようやく見つけた否定材料をエルに潰された。まとまらなかった考えは更に細かく霧散していき、何が何だか分からない。
 だがしかし、そんな自己問答はもう必要ない。どうせこの場ですべてが終わる。

(ああ、そうだ……深い事は考えるな)

 自分の目の届く範囲で、もう精霊を傷つけさせない。その信念だけを最後まで守り通せばそれでいい。
 それが彼女なりの。もうあの頃の自我が存在しない少女への、せめてもの罪滅ぼしだ。
 そして彼女はその手に炎を灯す。
 最後の戦いを始める為に。
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