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三章 誇りに塗れた英雄譚
ex 決意
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時は僅かに遡る。
(あれ? ……行こうとしているの? 工場なんかに)
自分がやろうとしている事が、一体どういう事か。
それを理解してしまえば、震えが止まらなくなるし、恐怖の感情が湧き上がってくる。
気を抜けば、そんな感情に全身を飲み込まれそうになる。気を抜かなくても、同じことだ。
結局。なにをどうしようと、震えは止まってはくれなかった。
それでも、必死に足を動かそうとする。必死に走ってエイジを助けに行こうとする。
だけど駄目だった。ゆっくりと動いた足は、次の瞬間には止まってしまう。
「……どうしよう」
その場に立ち尽くし、そんな言葉が漏れ出した。
そしてその言葉の解は出てこない。出てきてくれない。出せるほどの勇気がない。
だけどきっと、それを出す勇気が無かった時点で、本人に自覚はなくても、もう答えは決まっていた様なものだった。
彼女は強くない。
『きっと私は、エイジさんの為に何でもする事が出来るかと言われれば、首を振るかもしれません。きっと出来ない事も沢山あるんだと思います』
これがその解で、これがその限界だ。
それをゆっくりと自覚していくと、震えが徐々に止まってきた。
止まってきてしまった。
まるで危険を回避したから。エイジを助けることをどこかで放棄したから。
今の。誰にも襲われることもない。明日も自分が自分でいられる。そんな確証が持てる、甘く優しいぬるま湯の世界に浸っている事を、心のどこかで選び始めたから。
だから、震えが止まってきた。
止まり始めた事に嫌悪感を感じながらも、彼女は自然と考える。
まだしっかりとエイジを助けることを考えつつも、エイジのいないその先の自分の事を考えはじめていた。
考えて。考えて。手足の震えが強くなった。
彼女と別れた彼は、決断の際に考えた。
自分の隣にいる少女は、もう自分なしでもやっていけるという事を。
実際、彼女はそれができていた。普通に話せていたし、周りの人間とぎこちないながらも、コミュニケーションが通れていた。彼女自身も、それが自分が周囲に適応した結果だと、そう思っていた。
だけど……本当にそうなのだろうか?
多くの場面で、エイジが居た。
居ないときだって、心のどこかで何かがあったらエイジが駆け付けてくれると。そんな楽観的な事を、
きっと考えていた。
……この一カ月。そんな風に人と接してきた。
例えばそこに彼がいなければ。一体自分はどう振る舞えるのか。
縋れる相手がいない時分は、これまでのようにうまくいくのだろうか?
それを考えれば、もう震えが止まらなかった。
悪意は感じない。何も何も感じない。だけどそれは確かに存在するもので、存在するものだと自覚してしまえば、向けられなくてもそれを感じてしまう。
エイジは、そんな見えない視線をいつだって打ち消してくれた存在だった。
いつだって隣で笑ってくれて。何度だって自分を救ってくれて。いつだって彼女の思考の中心に居た存在で。
そんな彼がいなくなったその後で。自分は一体どうなるのだろうか。
そこまで考えると、彼女の足はゆっくりと動き始めた。
色々な感情が、両足の枷となるようにしがみ付いてくるけれど。それでも一歩前へと進んだ。
彼女は強くない。
あの地下で、彼女はエイジを助けに戻った。だけどそれはきっと、今自分がやろうとしたことに比べれば僅かにマシな行為で。そしてそこが彼女の限界で。
だからこの場に留まっているけれど、それでも。ほんの少し。ほんの少しでいい。そこに自分の情けない事情が、感情が含まれれば、話は別だ。
彼女は強くない。
一人じゃ生きられない。一人じゃどうにもならない。自分を助けてくれる。自分に手を差し伸べてくれる。自分に笑いかけてくれる。いつだっていつだって。隣に居てくれる。
そんなエイジがいなければ、彼女はもう動けない。きっとかつては動いたからだが、もう動かなくなっていた。
何度だって考えたことがある。
自分は、エイジに依存している。
それはきっと自分が思っているよりもずっと強く、そしてそれが彼女の背を押す原動力となる。
だから、彼女の足取りは早まった。
エイジの為に……そして、自分の為に。
そして解は出た。
それ故に彼女は肉体強化を発動させる。
同時に、ガラスが砕けるような音が周囲に響く。
枷を、内側から破壊した。
元々はエイジの為に身につけた枷。それでも彼女の精神を安定させるのに一役買った大切な代物。
それを壊すことに、今更躊躇はしなかった。
そしてエルは窓から飛び降りる。
少しでも、時間はかけられない。
もう深夜ではあるが出歩いている人間は居るようで、そのうちの何人かがこちらに驚愕の視線を向ける。
きっと、今日どこかですれ違ってでもいたのだろう。人間だった存在が、精霊としての雰囲気をまとっていることに、戸惑いを隠せないのだろう。
だけどそんなことは、エルの知ったことではない。
彼女の頭にあるのはただエイジと、自分の事だけだ。
(……絶対に助ける)
エイジを生きて連れ戻す。
そして、彼女が思い浮かべる考えは、もうひとつ。
(そして……エイジさんを止める)
それは一つの決意だ。
口論になっても。無理やり張り倒してでもいい。
今の彼は彼自身の身をいとも簡単に滅ぼしてしまう。論理的に。道徳的に。彼のしている事は間違いではないのかもしれないけれど、きっと致命的に間違っている。
それをやめさせる。
エイジを……助ける。
そして彼女は走り出す。
地図なんていらない。場所は刻印から伝わってくる。
だったらそこ目掛けて、全力で走る。それでいい。
そして彼女は街を全力で駆ける。
彼のために。自分のために。
(あれ? ……行こうとしているの? 工場なんかに)
自分がやろうとしている事が、一体どういう事か。
それを理解してしまえば、震えが止まらなくなるし、恐怖の感情が湧き上がってくる。
気を抜けば、そんな感情に全身を飲み込まれそうになる。気を抜かなくても、同じことだ。
結局。なにをどうしようと、震えは止まってはくれなかった。
それでも、必死に足を動かそうとする。必死に走ってエイジを助けに行こうとする。
だけど駄目だった。ゆっくりと動いた足は、次の瞬間には止まってしまう。
「……どうしよう」
その場に立ち尽くし、そんな言葉が漏れ出した。
そしてその言葉の解は出てこない。出てきてくれない。出せるほどの勇気がない。
だけどきっと、それを出す勇気が無かった時点で、本人に自覚はなくても、もう答えは決まっていた様なものだった。
彼女は強くない。
『きっと私は、エイジさんの為に何でもする事が出来るかと言われれば、首を振るかもしれません。きっと出来ない事も沢山あるんだと思います』
これがその解で、これがその限界だ。
それをゆっくりと自覚していくと、震えが徐々に止まってきた。
止まってきてしまった。
まるで危険を回避したから。エイジを助けることをどこかで放棄したから。
今の。誰にも襲われることもない。明日も自分が自分でいられる。そんな確証が持てる、甘く優しいぬるま湯の世界に浸っている事を、心のどこかで選び始めたから。
だから、震えが止まってきた。
止まり始めた事に嫌悪感を感じながらも、彼女は自然と考える。
まだしっかりとエイジを助けることを考えつつも、エイジのいないその先の自分の事を考えはじめていた。
考えて。考えて。手足の震えが強くなった。
彼女と別れた彼は、決断の際に考えた。
自分の隣にいる少女は、もう自分なしでもやっていけるという事を。
実際、彼女はそれができていた。普通に話せていたし、周りの人間とぎこちないながらも、コミュニケーションが通れていた。彼女自身も、それが自分が周囲に適応した結果だと、そう思っていた。
だけど……本当にそうなのだろうか?
多くの場面で、エイジが居た。
居ないときだって、心のどこかで何かがあったらエイジが駆け付けてくれると。そんな楽観的な事を、
きっと考えていた。
……この一カ月。そんな風に人と接してきた。
例えばそこに彼がいなければ。一体自分はどう振る舞えるのか。
縋れる相手がいない時分は、これまでのようにうまくいくのだろうか?
それを考えれば、もう震えが止まらなかった。
悪意は感じない。何も何も感じない。だけどそれは確かに存在するもので、存在するものだと自覚してしまえば、向けられなくてもそれを感じてしまう。
エイジは、そんな見えない視線をいつだって打ち消してくれた存在だった。
いつだって隣で笑ってくれて。何度だって自分を救ってくれて。いつだって彼女の思考の中心に居た存在で。
そんな彼がいなくなったその後で。自分は一体どうなるのだろうか。
そこまで考えると、彼女の足はゆっくりと動き始めた。
色々な感情が、両足の枷となるようにしがみ付いてくるけれど。それでも一歩前へと進んだ。
彼女は強くない。
あの地下で、彼女はエイジを助けに戻った。だけどそれはきっと、今自分がやろうとしたことに比べれば僅かにマシな行為で。そしてそこが彼女の限界で。
だからこの場に留まっているけれど、それでも。ほんの少し。ほんの少しでいい。そこに自分の情けない事情が、感情が含まれれば、話は別だ。
彼女は強くない。
一人じゃ生きられない。一人じゃどうにもならない。自分を助けてくれる。自分に手を差し伸べてくれる。自分に笑いかけてくれる。いつだっていつだって。隣に居てくれる。
そんなエイジがいなければ、彼女はもう動けない。きっとかつては動いたからだが、もう動かなくなっていた。
何度だって考えたことがある。
自分は、エイジに依存している。
それはきっと自分が思っているよりもずっと強く、そしてそれが彼女の背を押す原動力となる。
だから、彼女の足取りは早まった。
エイジの為に……そして、自分の為に。
そして解は出た。
それ故に彼女は肉体強化を発動させる。
同時に、ガラスが砕けるような音が周囲に響く。
枷を、内側から破壊した。
元々はエイジの為に身につけた枷。それでも彼女の精神を安定させるのに一役買った大切な代物。
それを壊すことに、今更躊躇はしなかった。
そしてエルは窓から飛び降りる。
少しでも、時間はかけられない。
もう深夜ではあるが出歩いている人間は居るようで、そのうちの何人かがこちらに驚愕の視線を向ける。
きっと、今日どこかですれ違ってでもいたのだろう。人間だった存在が、精霊としての雰囲気をまとっていることに、戸惑いを隠せないのだろう。
だけどそんなことは、エルの知ったことではない。
彼女の頭にあるのはただエイジと、自分の事だけだ。
(……絶対に助ける)
エイジを生きて連れ戻す。
そして、彼女が思い浮かべる考えは、もうひとつ。
(そして……エイジさんを止める)
それは一つの決意だ。
口論になっても。無理やり張り倒してでもいい。
今の彼は彼自身の身をいとも簡単に滅ぼしてしまう。論理的に。道徳的に。彼のしている事は間違いではないのかもしれないけれど、きっと致命的に間違っている。
それをやめさせる。
エイジを……助ける。
そして彼女は走り出す。
地図なんていらない。場所は刻印から伝わってくる。
だったらそこ目掛けて、全力で走る。それでいい。
そして彼女は街を全力で駆ける。
彼のために。自分のために。
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