人の身にして精霊王

山外大河

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一章 人尊霊卑の異世界

ex そうして私達は旅に出る

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 時刻は少し前に遡り、エイジがトイレに行くと言ってエルから離れた時。
 エルは改めて自分の手に刻まれた白い刻印を眺めていた。
 互いをある程度信用していなければ行えない正規契約の証。人と精霊に契約の刻印。
 基本的にその色は黒とされているにも関わらず、エルの手に白い刻印が刻まれた事には、きっといくつもの偶然が重なった結果だ。
 例えば、エイジがそういう性格だったから。
 例えば、偶々エイジと出くわしたから。
 例えば、自分が弱かったから。
 そう……弱かった。主に、精神的に。

(……限界だったんだな、私も)

 刻印を眺めながらエルはそんな事を考える。
 常に死と同列に語れる脅威と隣り合わせで、そんな中で一人だった。ある程度強い精神を持ち合わせていれば耐えられたかもしれなかったが、きっとエルはそのある程度に達してはいなかった。
 いなかったから、きっと言葉が響いた。

『この世界の正しさ、俺にはどうしたって容認できねえ! 俺は俺が正しいと信じた事をやる! 否定されようが非難されようが関係ねえ! 俺はあの精霊を助けるぞ!』

 その一瞬の光景。耳に届く言葉で得られる情報の全てが揺さぶりを掛けた。
 そして揺さぶられた。思わず縋りたくなる様な光景が見えた様で、それが見える位には精神的に苦しい状態だった。
 そんな事も重なって、今の状況が出来あがっている。
 だから自分は弱くて良かったと思った。
 きっと自分の精神が強かったならば。それでも手を伸ばさなかった。伸ばさなければ信頼できる相手は居ないままで、今感じている安心感を得る事は出来なかっただろう。
 それを自覚したからこそ、対となる存在の事も考える。

(……どうしてエイジさんは、あそこまでしてくれたんだろう)

 エイジはエルに対してこう言った。

『普通の女の子に見えるよ。資源だなんて思ってたまるか』

 この世界の人間ではないエイジが、この世界の常識を受け入れず放った本心。
 でも例え、そう思ってくれたとして。守るべき対象に思ってくれたとして。果たしてあの状況はそう思うだけで動ける様な物だったのだろうか。
 答えは否だ。少なくともエルはそう思う。
 それが正しい事だと思ったとしても、到底動ける様な状況ではない筈だ。
 例え強靭と称えられる様な精神力を持ち合わせていたとしても、例え正しい事だと思っても実行できない。
 それ程までに環境は悪く、加えて受けた仕打ち……与えた仕打ちが酷過ぎる。
 それなのに……どうしてエイジは動いた?
 その答えはそう簡単には出てこない。出て来ても精々漠然と、強い心を持っているという程度の物だった。
 だけどそれでもいいと思った。
 そんな事はこれからゆっくりと知って行けばいい事だ。
 と、そんな事を考えていた時だった。

「……ッ!?」

 一瞬、全身に悪寒が走った。
 でもそれが体調の異常ではない事はすぐに理解できた。
 そしてその悪寒が、なんとなく外部から伝わっているという事も。

「……まさか」

 外部から伝わる。今の状態を考えるに、繋がっているとすれば契約者。
 まるでこの感覚は、その契約者に何かがあったんだと伝わってくる様だった。

「エイジさん!」

 気が付けば走り出していた。
 まだエイジに何かあったと決まったわけではない。人間との契約はほぼ本能的に知っていただけで細かい所は分からない。だからこの悪寒がエイジに何かがあったという事を告げているという予感はあっても確証なんてのは無い。
 だけど……結果的にその予感は当たってしまっている。

「……ッ」

 辿りついたその場所に、エイジは倒れていた。
 眼に見えて分かる程の内出血。そういう事になるのが、人間にとっても精霊にとっても異常で危険な状態である事は容易に理解できた。
 そしてすぐに治療が必要な事も。

「エイジさん……ッ」

 その場に膝を付き、回復術を発動させる。
 それでどうにかできるかどうかは分からない。
 分からないまでに、酷い有様になっていた。
 そして事態は急速に変わって行く。

「……ッ」

 まるで今まで押しとどめていた力が無くなった様に、傷口が開いた。
 行き場を失っているにも関わらず無理矢理押しとどめられていた様な血液が、軽く弾けるように飛び散り、屈みこんでいたエルにもそれはかかる。
 だけどそれで表情が変わったのは一瞬だった。

「……」

 集中する。ただ目の前の大切な人を守るために、精霊術を扱うための全ての感覚に精神を集中させる。
 そして一体どれだけの間そうしていたのかは分からない。

「ハァ……ハァ……ッ」

 気が付けば全身に疲労が溜まっていた。
 息が荒くなる。まるで激しい運動をした後の様だ。
 だけどなにも溜まったのは疲労だけでは無い。

「これで……どうにか……」

 エイジの体は、多分もうコレで大丈夫だろうという様な状態にまで治療で来ていた。
 きっとこうなってくれたのは運の要素も強かった。どちらに転ぶか分からないほどに、エルの手に余る状態だったのだ。
 その状態から脱したエイジはまだ眼を覚まさない。
 傷が治ったからと言って、そう簡単には眼を覚まさないだろう。
 それだけ自分が与えたダメージは大きい物だった。

「……なんであんな嘘を付いたんですか、エイジさん」

 返事は返ってこない。
 だけど答えは何となく分かっている。
 負い目を感じさせない為。この傷を隠す理由があるとすればそれだ。

(どうして……ここまでしてくれるんだろう)

 エイジの意図はある程度分かっても、それだけはまるで分からなかった。
 それはエイジが目を覚ましてからも結局聞けず、故に分からず。
 それでも目を覚まし、隣に居てくれる。今の所はそれでいいと思った。
 だから分からぬままに、彼女達は旅に出る。

 エルがエイジの中の歪みを知るのは、もっと先の事だ。
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