クズ箱日誌

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コンノアヤミ

コンノアヤミ その4

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 イチノセの説明が終わっても、私は馬鹿みたいにぽかんとした状態のままだった。しかし、それは私だけだったようで、あれだけ現状に混乱していたマツドはイケハラと同じように鼻息を荒くし、タニオカとハマグチは不思議なほど事実をすんなりと受け止めたような穏やかな顔つきをしていた。ハマグチなんかはむしろわくわくしている子どもの顔のようにも思えた。どうやら私だけがまだ何も飲み込めずに取り残されているようだったけれど、それを口にして良い雰囲気にも思えず、ひとまず平静を装ってわかったふりをした。
「魔法少女――魔法少女ねえ、そういう設定とかじゃなくて?」
 タニオカは少し小馬鹿にしたような調子で訊ねた。何も完全に信じたというわけではないらしい。
「いやいや、マジなんだよ、この会社は。裏ビデオ界隈じゃめちゃくちゃ有名なところでさ、何つーか、リアリティが他のと違うってか、半端なく抜けるんだよ、これが。ここまでの作品が作れるんだから女優だって本物の魔法少女に決まってんだろ?」
「えー、どうかなあ」
 タニオカはあくまでも懐疑的であるようだった。
「ぶっちゃけ本物かどうかはどうでもいいだろ」
 そう言ったのは、すっかり表情がイケハラと同じになったマツドだった。
「ヤシロ、俺たちをここに連れてきたのは、ようは竿役の役者をやって欲しいってことだろ?」
 マツドの言葉に私は少なからず驚いたが、タニオカとハマグチには何一つ動揺する様子が見られず、ヤシロは満面の笑みのまま頷いた。
「そうそう、じつは俺、前からクズ箱さんの会員でさ――会員っていうのはこの会社の男優のことなんだけど、俺はそれに登録させてもらってて、で、たまに撮影に参加させてもらってたんだけど、ふとお前らにもお裾分けしてやりたいなと思って。社長のイチノセさんに頼んで、お前らが撮影に参加できるよう、許可をもらったんだよね。だから今夜は思う存分に楽しめるぞ!」
 ヤシロは愉快そうに両手を広げた。私は顔こそ無表情を努めていたけれど、脳内は混沌の渦が渦巻いていた。意味がわからなかった。前々からこのサークルはアホな猿の集まりだとは思っていたけれど、こんな非常識な世界へと連れ込まれるとは夢にも思っていなかったのだ。というか魔法少女とか悪の組織とか、非常識以前の問題だ。なんだ、それは。なんだ、その子供騙しは。馬鹿ではないのか。ここは本当に現実なのか――。
 あまりの情報量の多さに私の頭がショートしている間にも、他の面子は勝手に話を進めていく。
「なんだよー、ヤシロ、そんなことなら初めから教えといてくれよなあ」
 マツドはそう唇を尖らせたが、その顔は血色が良く上機嫌そのものだった。
「何でもいいけど、ただでやらせてくれるってことだろ?」
 隣に自身の恋人がいるというのに、マツドはお構いなしに舌なめずりをしながら言う。とうの彼女であるはずのタニオカは、咎めるわけでもなく口元を歪ませている。
「別にそういうのに出るのはいいけどさあ、プライバシーとかはちゃんとしてるわけ?」
「はい、それはもちろん」
 タニオカの問いかけに、イチノセは明るく答える。
「うちのモザイク技術や変声技術は少し特殊でして、絶対にばれませんよ」
「マジだよ、マジ! 社長さんの言う通り! ネットでもこの会社のモザイクやら変声やらを暴こうとしたやつが何人もいるけど、誰一人として解析できなかったんだぜ! そこらへんは安心していいよ。何があっても俺たちだってのはわからない」
 イチノセの回答に、さらにイケハラがフォローを加えるように言う。イケハラはもう仕込まれたサクラのようにしか見えなかった。
「わかんねえならいいじゃん。さっそくやろうぜ」
「えー、でもなあ――」
「あれ? ハマグチは?」
 イケハラがふと疑問の声を発した。私はまともに動かない思考を動かそうとするのをやめて、周囲を見た。そしていつの間にかハマグチの姿がないことに気づいた。道理で会話に参加していなかったわけである。まあ参加していなかったのは私もそうであるが。
「ああ、ハマグチなら先に行ったよ」
 そう言ってヤシロが指差した方が見ると、それはあの大木の方だった。そちらへ向かって、ハマグチは小走りで進んでいた。ごてごてスカートが翻っている。
「わっ、あいつ抜け駆けする気か!」
 マツドはわけのわからないことを叫んで、駆け出した。それに続くように、呆れた顔のタニオカと目が血走っているイケハラがほぼ同時にマツドの後を追って駆け出した。私は一瞬反応が遅れながらも、駆け出した。走りながらちらりと振り返ると、ヤシロとイチノセは何か楽しげに会話しながら、ゆっくりと歩いてきていた。知恵の輪はその後ろにいた。
 ハマグチは機材が置かれているところで止まっており、自然にマツドもタニオカもイケハラも私もそこで止まった。肩で息を切らしながら近くから大木を見遣ると、そこに縛り付けられている人の形がはっきりとわかった。それは中学生か高校生くらいの少女で、ハマグチの服装と良い勝負の、装飾品の多いひらひらとした格好をしていた。それはまさしく一昔前の女児向けアニメに出てくる魔法少女みたいで、陳腐ですらあった。少女はぐったりとした様子で縛り付けられていたけれど、よくよく見ていると呼吸していることがわかるし、眉や目元も時々ぴくぴくと動いている。精巧な人形やロボットというようにも見えなかった。
「うひょー、結構可愛いじゃん」
 マツドはそう感嘆の声を上げて口笛を吹いた。
 その少女は、確かに一般的に可愛いと称されるような容貌をしていた。
「マジかあ、本当にこの子とやれるのかあ」
 イケハラが感慨深げにつぶやく。唇の端から垂れてきた涎をさっと手の甲で拭う。
「――あの、あのっ、あのあのあのっ!」
 真っ先に到着していたハマグチが、興奮した口調で首を後ろに回した。その視線の先には、地面に蹲ってずっと大型のカメラを弄り回している男がいた。そいつはちらっとハマグチの方を見たが、すぐさまカメラに目線を戻した。
「もうっ、もうっ、撮影始めないんですか?」
 なおもハマグチはカメラ男に声をかけた。ハマグチはあからさまにはしゃいでおり、その頬は風邪でも引いているように赤らんでいた。下手すればイケハラよりもこの状況に興奮しているように見受けられた。
「えっ? ハマちゃんって、こういうの好きだったの?」
 タニオカが意外と言いたげに目を丸くした。
「だってっ、とっても可愛いじゃない、この子!」
 ハマグチは気持ち悪くくねくねと身体を揺らす。
「そういやハマグチってバイだったっけ?」
 イケハラが補足するように言った。
「えー、うそっ、初耳!」
 そう言うとタニオカはハマグチと一緒に、きゃっきゃっと甲高い声で笑った。
「何でもいいけどよお、まだ始めねえのかよお」
 マツドがぼやいているうちに、後方の三人が到着した。
「はいはいっ、それじゃ撮影始めますね!」
 イチノセが朗らかにそう言ってぱんぱんと手を叩くと、私以外の連中は待っていましたとばかしに歓声を上げ、口笛の音も聞こえた。私はどうにかワンテンポ遅れでそれをやった。誰も私の不自然さには気づいていないようだった。
「はいっ、はいっ、私がトップバッターでも大丈夫ですか?」
 ハマグチが真っ先に元気に手を挙げた。
「構いません。順番は自由です。あと何をどうするかも自由です。こちらでは何の指示もしません。お好みのプレイでお楽しみください。ちょっと痛いやつでもいいですよ。大抵のことでは壊れませんから。何せ魔法少女なので」
 イチノセの言葉に、さらに歓声が上がった。今度は遅れずについていけた。
「ちょっと待て、だったら最初は俺がいいぜ。ジャンケンだ、ジャンケン」
 グーのつもりなのか、マツドは拳を掲げる。
「えーっ、だってマツドくんだったらすぐに入れちゃうでしょ?」
「そりゃただでやれるってわかった瞬間から、股間のあれはぱんぱんだよ。こんなに可愛い子だったわけだし」
「まあでも、女は愛撫ないと入れるときちょっと痛いし。この子が本物か偽物かは知らないけど、入れる前にやってあげた方がいいんじゃない? イケハラはどう思う?」
 タニオカがそう言って、イケハラに矛先を向ける。
「俺は順序ある方が好きだよ。いきなり入れるってのも凌辱らしくて良いんだけども、やっぱ同性がいるならレズ責め見たいじゃん」
「それだったらやっぱり私が適任っ! 私、女の子との経験あるから!」
 ハマグチは無邪気な様子でぴょんぴょんと跳ねる。
「えー、でもさ、俺早くやりたい――」
 なおも愚図ろうとするマツドの肩に、タニオカが諫めるように手を置いた。
「まあまあ、たぶん濡れてた方が気持ちいいよ? 私との行為のこと思い出してみ?」
 タニオカの言葉にマツドは数秒首を傾げる仕草をした後、大袈裟に納得したというような顔をして頷いた。
「確かに。そんじゃトップバッターはハマグチに譲るわ」
「やったー!」
 わあわあ、がやがや、きいきい。お猿の鳴き声合唱会を、私は混ざるタイミングを掴めずにぼんやり眺めている。私も同じ猿だというのに――少なくともそう振る舞いたいと思っているのに――目の前に見えない柵があるかのようだった。
 居た堪れなさに目を泳がせたとき、ふとあのイチノセとかいう男と目が合った、気がした。私はとっさに目を逸らしてしまったので、見間違えかどうかもわからなかった。イチノセ以外の連中は――ヤシロは猿のボスらしく仲睦まじい猿どもを満面の笑みで見つめていて、カメラ男は心底から興味なさそうな面構えでカメラを覗き込み、知恵の輪男はいつの間にか首にかけていた知恵の輪を外して弄っていた。その中で、イチノセの視線だけ、不自然に私に注がれていた、ように思えた。本当に一瞬だったから、確証がなかった。ただ、嫌な目だとは思わなかった。それは馬鹿にしているようでもなく、蔑んでいるようでもなく、哀れんでいるようでもなく、怒っているようでもなく、笑っているようでもなく、憎んでいるようでもなかった。何でそう感じたのかわからない。そもそも目自体が向けられていたかどうかもわからない。すぐにでも逸らした目を元に戻せば確かめられただろうけれど、私はそれができなかった。視点は猿どもの会合に固定されていた。
「そんじゃコンノちゃん、コンノちゃんは三番。大丈夫?」
 急にタニオカに喋りかけられ、私はつい身体をびくつかせて素っ頓狂な声を上げそうになる。それを飲み込んで、得意のハリボテ笑いを浮かべて首を何度も縦に振る。
「うん! いいよ! でも私、同性としたことないから、ちょっと勝手がわからないかも。ハマグチさん教えてね」
 嘘だ。本当は同性としかやったことがない。
「いいよいいよ! いくらでも教えてあげる! レズのお姉さんに任せなさい!」
「いや、お前はレズじゃなくてバイだろって」
 あははっ、と間抜けな笑い声が上がる。ご多聞に漏れず私も笑う。
「それではトップバッター、ハマグチアイ! 張り切っていきまーす!」
 ハマグチは意気揚々と腕まくりをし、こんなにバカ騒ぎをしても一向に目を醒まさない少女へと一歩ずつ近づいていった。
 ハマグチが目の前まで来たとき、ふっと唐突に少女の目は開いた。はっとしたように顔を上げた少女の目は、ハマグチを通り過ぎて、偶然にも私の視線とぶつかった。私は少女の目を見た。それは童話の中の西洋人形のように青くて綺麗な目だった。その瞬間、私の心臓はびくりと跳ねた。先ほどまでの、今の状況に対する不安も困惑も混乱も、一瞬で吹き飛ばしてしまうほどに。――あくまでも私は生粋の日本人だ。赤ん坊の頃も含めて海外にいた経歴もなければ、海外旅行をした経験だって一度もない。スマホのアプリでやった前世の診断テストではオオスズメバチで、人間ですらなかった。テレビで白人の少女を見る機会はあっただろうけれど、それだけでこんな気持ちになるわけもない。それなのに、私はその少女の目に、酷く見覚えがあるような気がしてならなかった。目の色ではない。その眼球の揺れ、瞳孔の広がり、その奥の震え――こんな遠巻きからでは、わかるはずもなかった。なかったはずなのに、なぜか私は少女の目の動きをすべて捉えていた。そして、それに途轍もない既視感を覚え、同時に背筋がぞくぞくと波打った。悪寒のような、愉悦のような波打ちだった。
 ハマグチは私の急激な心境の変化になどもちろん気づかず、また目を醒ました少女が何か言葉を発しようとするのも無視して、その慎ましやかな胸に触れた。
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