クズ箱日誌

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ハシザワイサオ

ハシザワイサオ その2

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「課長、ちょっと良いところがあるんですよ。一緒に遊びに行きません?」
 カンバラはそう言った。月末の宴会の帰りだった。
「良いところ? 風俗か?」
「まあそんな感じのものです。すっきりできますよ」
「変な店とかじゃないんだろうな?」
「違いますよ、俺が課長をそんなところに連れていくわけないでしょ」
「いや、それは知らないけど」
 カンバラが俺の課に来たのは今年のことで、俺はまだカンバラのことをよく知らなかった。あまり親しくもないのに馴れ馴れしいやつだ、くらいにしか思っていなかった。
「課長はあれですか、あんまり風俗とか行きませんか?」
「俺は一応妻子持ちだぞ。そんなところ気軽に行けるわけないだろ」
「堅いなあ。ちょっと息抜きくらいしないと、家庭でも持ちませんよ」
「お前がうちの家庭の何を知ってるんだよ」
「だって課長、いつも終業時間の頃には随分と浮かない顔してるじゃないですか。今日の宴会だって暗い顔して一人で黙々と酒飲んでるし」
 俺はカンバラの言葉に、つい苦笑した。
「そりゃ多少はな。でもそれは誰だってそうだろ?」
「そうかもしれませんね。だからみんな外で一発や二発はやってるものなんですよ。別に浮気とかをするわけじゃないですよ。ちょっとばかし溜まったものを下から出すだけです。今晩くらい良いでしょ? 本当に気持ち良いんですよ」
 カンバラの勧誘に、俺は酒に酔った朦朧とした頭で、考えるふりをして頷いた。
「いいぞ。ただし、今晩だけな」
 その日は飲み過ぎていた。そうわかる程度の思考はあったくせに、俺はカンバラの誘いに乗った。酔っている上に部下の誘いだから仕方ない、と浅はかな言い訳ができると思ったからだ。別に誰に言い訳するためというわけでもない。俺自身に言い訳するためだ。毎日働いているのだから、少しくらい良いではないかと、なけなしの罪悪感を誤魔化した。
 カンバラは俺を駅前のベンチに座らせると、少し離れたところで何やら電話を始めた。人の話を盗み聞きしようとする趣味はないのだけれど、目の前でこそこそとされるとどうしても気になってしまうもので、そっと耳をそばだてた。
「――はい――そうです――俺の招待で――はい、はい――そりゃもう信用できる人ですよ――大丈夫です――はい、はい――いけますか?」
 よく聞こえはしなかったけれど、どうやら俺が行く許可を求めているようだった。一見お断りの風俗など聞いたことはないが、それだけ特別な店なのかとのんきに思った。
 ほどなくして、カンバラは電話を終えて戻ってきた。
「許可も出たし、今からすぐに行われる撮影の予約も取れました! 行きましょう!」
「ああ――ん? 撮影?」
 俺はベンチから重い腰を持ち上げながら、疑問の声を発した。
「撮影ってどういうことだ? 風俗に行くんじゃないのか?」
「嫌だな、風俗とは一言も言ってないじゃないですか。みたいなところですよ」
「いや、だからそれがさっぱりわからないんだが」
「行ってみればわかりますよ」
 カンバラは具体的なことを何一つ言わず、ただにこにこと笑うばかりだった。
「まあ、怪しいところじゃなきゃいいが――で、どこにあるんだ? その店は」
 俺が訊ねると、なぜかカンバラは片手を差し伸べてきた。
「俺の手を握って目を瞑ってください。目を開けたときには着いてます」
「は? なに言って――」
「まあまあ、ものは試しですよ」
 そう言ってカンバラは無理やり俺の手を握ってきた。気持ち悪い上に困惑しつつも、俺は言われた通りに目を瞑った。半信半疑というよりも、ただ流されていた。これも酔いのせいだったのか、それともやはりただの言い訳か。今となってはどうでもいいことだ。
「着きましたよ」というカンバラの声とともに目を開けると、景色は一変していた。人気のない駅もベンチの列も姿を消し、代わりにテレビの簡易的なスタジオセットのような空間に俺は立たされていた。ご丁寧にクロマキーシートが壁中に貼られていた。
 俺は呆気に取られて、驚きの声を上げるタイミングも失った。カンバラは俺の隣で得意げに鼻の穴を膨らませていた。いつの間にか手は離されていた。
 変化したのは空間だけではなかった。俺とカンバラの格好だ。なぜだか二人ともパンツ一枚という半裸姿になっていた。服を脱いだ覚えなどまったくなく、また脱げたはずの服も見当たらないので、俺はますます狐に抓まれたような気分になった。
「やあやあカンバラさん、今日は新規さんを連れてきてるみたいですね?」
 背後から馴れ馴れしい声が聞こえて、振り返ると、そこにはアロハシャツを着た妙な男が満面の笑みで立っていた。その後ろには、大きなカメラを担いだ男と、知恵の輪をまるでアクセサリーのように首にかけている男がいた。そいつらはアロハシャツ男と違って、無表情で。ただ手持無沙汰を隠そうとする様子もなく足踏みしていた。
「おお、社長! そうですね、この人です。俺の会社の上司の方です」
 カンバラも気さくな調子で返すと、手のひらで俺を指した。
「あ、ハシザワです」
 社会人としてのくせか、とっさに軽く頭を下げていた。勢いで名刺を出そうとしたけれど、名刺を入れた背広は脱がされていたので取り出せなかった。
「かしこまらなくても大丈夫ですよ。私はこういう者です」
 アロハシャツ男がおもむろにポケットから取り出した名刺を、俺は受け取った。
『裏アダルトビデオメーカークズ箱 取締役 一之瀬宗太郎』
 名刺には、そう書かれていた。
「アダルトビデオ会社の――イチノセ、さん?」
「そうですそうです、まあただのヤクザもんですが」
 イチノセ、と名乗るアロハシャツ男は、わざとらしく頷く仕草をした。
「えっと、これはどういう――」
 状況をまったく呑み込めない俺は、狼狽してそのスタジオらしき空間をきょろきょろと見回しながら、弱々しい声を上げた。イチノセは悠々と笑うばかりだった。
「大丈夫です、落ち着いてください、今から説明しますね」
 イチノセは一歩前に近寄ってきて、人差し指を立てた。
「ハシザワさんは、魔法少女ってご存知ですか?」
「は?」
 予期していなかった単語に、素っ頓狂な声が口から漏れ出た。
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