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マルイヨシキ
マルイヨシキ その1
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見飽きた夕焼けに視界が霞む。忘れられた校庭のサッカーボールが、唯一この世に取り残された存在のように転がっている。廊下には窓が切り取った四角い光の塊が並び、それを俺は通過していく。チャイムが鳴っている。空洞に響くように空々しく。
俺は何度か足を止めそうになって、結局止められずに歩き続ける。心の底では、引き返した方がいいと思っている。あんな紙切れなんか破り捨てて、さっさと帰って安物のビールでも呷った方がいいと思っている。しかし、足は目的地に向かって動く。
校舎の隅の隅、今はもう使われていない、誰の意識からも外された空き教室。そこが俺の向かっている場所だった。
そうこうしているうちに、近づいてくる。胸のあたりが熱く、どくどくと高鳴っているのを感じる。馬鹿みたいだ、と思う。頭の何かの寄生虫に冒されているようだった。あのカタツムリに寄生する虹色のやつみたいな、ああいうのが俺の脳みそに寄生して、無理やりここまで引っ張ってきているのだと、ありもしない妄想が湧いて沈んだ。頭蓋骨を砕いてしまいたかった。脳みそごと寄生虫を引っ張り出したかった。寄生虫なんていないのに。
空き教室のドアの前に立つ。そのときになって、ようやく身体の一切の動きが止まる。それが最後の機会だった。ここで引き返せば良かったと後悔しないための。
けれど――俺の腕はゆっくり上がって、がらっとドアを引いていた。
カーテンの閉め切った、埃臭い教室だった。黴と苔が混じったような匂いが鼻腔を突き刺した。薄暗がりに目を馴らしていくと、がらんとしたその教室の中央に、ぽつんと椅子が一つ置かれていて、その上には少女がひとり座っていた。俺が受け持っている生徒と同じ歳くらいの。少女は妙ちくりんな格好をしていた。水色のドレスみたいな衣装を着ていて、髪の毛は銀色に染められていた。なんだか一昔前の女児向けアニメの主人公のようだった。さらに目が馴れてくると、ただ座っているだけでもないということがわかってきた。少女は縄のようなものできつく椅子に縛り付けられていて、口には猿轡を噛まされていた。瞼を下ろしてぐったりと肩を落としていることから察するに、どうやら気を失っているようだった。
様子をもっとはっきり確かめようと教室に一歩足を踏み入れたとき、がらっとカーテンが開いた。鬱陶しい西日が一気に雪崩れ込んできて、俺は思わず目を瞑った。
次に目を開けたとき、少女の後ろに、三人のぱっとしない男たちと、一人の珍妙な女がいた。男たちの方は、一人が不似合いなアロハシャツを着、一人が大きなカメラを持ち、一人は首に紐を通した知恵の輪をかけていた。女は痴女みたいな露出度の高い格好に、緑色の肌、頭には黒い角のようなものを生やしていて、空想に登場する鬼や悪魔の類のようだった。
「どうもどうも、マルイヨシキさんですかね?」
アロハシャツの男が、まるで知り合いに挨拶するように気さくな調子で声をかけてきた。
状況が把握できずに黙っていると、今度は女が一歩前に歩み出てきた。
「私はオーバーリーディングの幹部、アマンダ」
「は?」
聞き慣れない単語が飛び出してきて、俺はアホみたいにぽかんとする。
「あなた視点にわかりやすく言えば、悪の組織よ」
「悪の――組織?」
今度は幼稚な単語だ。なんだか馬鹿にされているような気分になってきた。
「信じていないわね。まあ良いけど」
女はまた後ろに下がると、隣のアロハシャツの方を指差した。
「それでこいつらは――」
「初めまして、私、アダルトビデオメーカークズ箱の社長をやってるイチノセと申します」
女の声を遮り、アロハシャツは通販販売員みたいな明るい口調で言う。
「あだると、びでお?」
俺の疑問の声を無視し、イチノセと名乗った男は話を続ける。
「そんでこっちのカメラを持ってるのがカメラマンのナカムラ、こっちの何も持っていないのがアシスタント的なことやってくれてるサクラダくん。撮影スタッフは以上です。本日はどうかよろしくお願いします」
イチノセは深々と頭を下げた。ナカムラとサクラダと紹介された二人の男は、会釈するように浅く頭を下げた。女は棒立ちのまま髪の毛をいじっていた。
俺はやはり意味がわからなくて、ずっとその場に突っ立って押し黙っていた。というか、知らないことを突然捲し立てられるばかりで、実質情報は増えていないも同然だった。
そんな俺の心境を察してか察していないのか、頭を上げたイチノセが、貼りつけたような満面の笑みを顔面に浮かべながら言った。
「マルイさんには、撮影に協力してうただきます」
「撮影?」
「彼女の相手役として」
イチノセは目の前の少女を指した。少女はまだ気を失っていた。
「そもそも――この子は誰なんだ?」
「え? マルイさんはもうご承知だと思いますけど」
「どういう――」
「だって、手紙で呼び出されてここに来たんでしょ?」
イチノセに指摘され、俺はようやくここに来た理由を思い出した。そっと右ポケットを探り、折り畳まれた一枚の紙きれを取り出す。今朝、職員室の机の上に置かれていた紙切れ。
「もう、わかりましたよね?」
――ああ、わかってしまった。
「この子は、魔法少女スカイシャイン。別名、アマサキヒカリさんです」
じっとりと手のひらから滲みだした汗が、薄い紙切れを濡らしていた。
俺は何度か足を止めそうになって、結局止められずに歩き続ける。心の底では、引き返した方がいいと思っている。あんな紙切れなんか破り捨てて、さっさと帰って安物のビールでも呷った方がいいと思っている。しかし、足は目的地に向かって動く。
校舎の隅の隅、今はもう使われていない、誰の意識からも外された空き教室。そこが俺の向かっている場所だった。
そうこうしているうちに、近づいてくる。胸のあたりが熱く、どくどくと高鳴っているのを感じる。馬鹿みたいだ、と思う。頭の何かの寄生虫に冒されているようだった。あのカタツムリに寄生する虹色のやつみたいな、ああいうのが俺の脳みそに寄生して、無理やりここまで引っ張ってきているのだと、ありもしない妄想が湧いて沈んだ。頭蓋骨を砕いてしまいたかった。脳みそごと寄生虫を引っ張り出したかった。寄生虫なんていないのに。
空き教室のドアの前に立つ。そのときになって、ようやく身体の一切の動きが止まる。それが最後の機会だった。ここで引き返せば良かったと後悔しないための。
けれど――俺の腕はゆっくり上がって、がらっとドアを引いていた。
カーテンの閉め切った、埃臭い教室だった。黴と苔が混じったような匂いが鼻腔を突き刺した。薄暗がりに目を馴らしていくと、がらんとしたその教室の中央に、ぽつんと椅子が一つ置かれていて、その上には少女がひとり座っていた。俺が受け持っている生徒と同じ歳くらいの。少女は妙ちくりんな格好をしていた。水色のドレスみたいな衣装を着ていて、髪の毛は銀色に染められていた。なんだか一昔前の女児向けアニメの主人公のようだった。さらに目が馴れてくると、ただ座っているだけでもないということがわかってきた。少女は縄のようなものできつく椅子に縛り付けられていて、口には猿轡を噛まされていた。瞼を下ろしてぐったりと肩を落としていることから察するに、どうやら気を失っているようだった。
様子をもっとはっきり確かめようと教室に一歩足を踏み入れたとき、がらっとカーテンが開いた。鬱陶しい西日が一気に雪崩れ込んできて、俺は思わず目を瞑った。
次に目を開けたとき、少女の後ろに、三人のぱっとしない男たちと、一人の珍妙な女がいた。男たちの方は、一人が不似合いなアロハシャツを着、一人が大きなカメラを持ち、一人は首に紐を通した知恵の輪をかけていた。女は痴女みたいな露出度の高い格好に、緑色の肌、頭には黒い角のようなものを生やしていて、空想に登場する鬼や悪魔の類のようだった。
「どうもどうも、マルイヨシキさんですかね?」
アロハシャツの男が、まるで知り合いに挨拶するように気さくな調子で声をかけてきた。
状況が把握できずに黙っていると、今度は女が一歩前に歩み出てきた。
「私はオーバーリーディングの幹部、アマンダ」
「は?」
聞き慣れない単語が飛び出してきて、俺はアホみたいにぽかんとする。
「あなた視点にわかりやすく言えば、悪の組織よ」
「悪の――組織?」
今度は幼稚な単語だ。なんだか馬鹿にされているような気分になってきた。
「信じていないわね。まあ良いけど」
女はまた後ろに下がると、隣のアロハシャツの方を指差した。
「それでこいつらは――」
「初めまして、私、アダルトビデオメーカークズ箱の社長をやってるイチノセと申します」
女の声を遮り、アロハシャツは通販販売員みたいな明るい口調で言う。
「あだると、びでお?」
俺の疑問の声を無視し、イチノセと名乗った男は話を続ける。
「そんでこっちのカメラを持ってるのがカメラマンのナカムラ、こっちの何も持っていないのがアシスタント的なことやってくれてるサクラダくん。撮影スタッフは以上です。本日はどうかよろしくお願いします」
イチノセは深々と頭を下げた。ナカムラとサクラダと紹介された二人の男は、会釈するように浅く頭を下げた。女は棒立ちのまま髪の毛をいじっていた。
俺はやはり意味がわからなくて、ずっとその場に突っ立って押し黙っていた。というか、知らないことを突然捲し立てられるばかりで、実質情報は増えていないも同然だった。
そんな俺の心境を察してか察していないのか、頭を上げたイチノセが、貼りつけたような満面の笑みを顔面に浮かべながら言った。
「マルイさんには、撮影に協力してうただきます」
「撮影?」
「彼女の相手役として」
イチノセは目の前の少女を指した。少女はまだ気を失っていた。
「そもそも――この子は誰なんだ?」
「え? マルイさんはもうご承知だと思いますけど」
「どういう――」
「だって、手紙で呼び出されてここに来たんでしょ?」
イチノセに指摘され、俺はようやくここに来た理由を思い出した。そっと右ポケットを探り、折り畳まれた一枚の紙きれを取り出す。今朝、職員室の机の上に置かれていた紙切れ。
「もう、わかりましたよね?」
――ああ、わかってしまった。
「この子は、魔法少女スカイシャイン。別名、アマサキヒカリさんです」
じっとりと手のひらから滲みだした汗が、薄い紙切れを濡らしていた。
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