交際マイナス一日婚⁉ 〜ほとぼりが冷めたら離婚するはずなのに、鬼上司な夫に無自覚で溺愛されていたようです〜

朝永ゆうり

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第五章

自覚した想い(悠互SIDE)④

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「覚えてないんです。入籍したあの日のことを。だから、恋かどうかも分かりません」

 悠互はコトンとグラスをカウンターに置いた。
 氷がカランと、音を立てる。

 発言してからマスターにも申し訳なさが募り、ちらりと彼を見た。
 カウンターの向こうで、マスターは素知らぬ顔でグラスを磨いている。

「やっぱり、そうだったんだ」

 冨永は笑みを浮かべそう言った。

 悠互は彼の発言を疑った。
 この人は、自分たちが事実を覚えていないと分かっていて、婚姻届に署名をしたのか、と。

「何で止めてくれなかったんですか」
「君たちが、ちゃんと恋してるように見えたから」

 冨永は言いながら、グラスを傾けた。

「確かに、あの日の君はすごく酔っていた。早苗さんもね。でも――」

 冨永はそこまで言うと、悠互にクスリと微笑む。

「三条くんがインターンで企画した広告。あれが好きだと言った彼女に、ガツガツと作品コンセプトや制作過程の苦悩を語っていたのは、三条くんだよ」
「は……」

 意味不明な声が漏れる。悠互はそのまま、固まってしまった。

「インターン生の作ったものが出来がいい。だから、私の名前で世に出した。不思議だよね。他にも私の作品はたくさんあるのに、〝アレ〟がいい、なんて」

 冨永は固まり目をしばたたかせる悠互に、意味深に微笑む。

「そしたら突然彼女の親から電話があって。結婚したくない、と愚痴をこぼす彼女に、三条くんは『結婚しよう』って唐突なプロポーズ。彼女の持ってた婚姻届に記入して、『俺は本気だ』って」

 ――なんなら今から出しに行こう。冨永さん、署名していただけませんか?

 あの日、悠互が口走ったらしい台詞を冨永が言うたびに、あの日の自分の声と重なる。

 悠互は思い出したのだ。
 あの夜にあったことを。抑えられなくなった、彼女への気持ちを。

 杷留は自分の初めて作ったあの広告を、好きだと言った。
 三条家を飛び出したばかりの自分が作った、拙い広告だ。

 それが、嬉しかった。
 自分の生き方は間違ってなかったのだと、自分そのものを受け入れてくれた感じがして、強烈に好きだ思った。

『感性が似てるんですかね。私と、三条さんって』

 そう言って笑う彼女が、親からの電話で急に顔をしかめたから。
 そんな顔をさせるくらいなら、自分が彼女を幸せにしたいと思った。

『本当にいいんですか?』
『もちろん。世界で一番幸せにする。嫌か?』

 お酒のせいなのか、それとも照れていたのか。
 頬をたっぷりと赤らめて、恥じらいながら、でも嬉しそうに杷留は首を横に振った。

 勢いで役所の夜間窓口に提出し、受理されるとその場で勢いよく彼女を抱きしめた。
 帰宅して、なだれ込むようにベッドの上で愛し合った。
 この幸せを、永遠に続けようと胸に誓いながら――。

 彼女が愛しかった。好きだった。〝初恋〟だった。

「男らしく熱烈でね。ロマンティックだったよ、すごく」

 固まったままの悠互の前で、冨永はまだくすくす笑っている。

「まさか、そんな君の初恋が叶わないことがあるなんて。びっくりだ」

 どうしても思い出せなかった記憶のピースが埋まり、彼女が誰よりもかけがえのない存在だと思い知る。

 自分が彼女といると幸せを感じていたのは、そういうことだった。
 ちゃんと彼女を、愛していたのだ。

 でも、だからといって状況が変わるわけじゃない。
 なにも言えずに手元のウイスキーをじっと眺めていると、冨永がケラケラと笑った。

「早苗さんを『世界で一番幸せにする』のは、誰だったんだろうね」

 ――それは、俺がいい。

 呆れられても、不甲斐ない過去を知られても。
 彼女を愛するのは、俺がいい。彼女を世界一幸せにするのは、俺がいい。

 結局、逃げていたのだ。

『ほとぼりが冷めたら離婚しよう』

 それは、三条家との確執から逃れられないことを嘆くだけで、本気で向き合おうとしていなかったから。

 三条家の嫡男だったことを理由に、恋愛からすら逃げていた。
 彼女が愛しいなら、一生傍にいて守ればいい。
 せめて離婚届を出す前に、自分の想いを彼女に伝えたい。

「冨永さん、俺――」
「花が実をつけるには、なにより愛情が必要だよ」

 悠互がなにかを言う前に、冨永はそう言って、クスリと笑った。
 その妖艶な笑みは、まるで自分の背中を押してくれているよう。

 悠互はウイスキーを残したまま、立ち上がった。
 財布を取り出そうとしたら、マスターに手で制された。

「今度はぜひ、奥さんといらしてください」

 彼はそう言ってニコリと笑う。

「はい」

 悠互はそう返事をして、バーを出た。


 すっかり日の暮れた街。
 路地を出ると、キラキラとした街が一層と輝いている。

 早く、杷留に会いたい。
 しかし、悠互は杷留の行方を知らない。

 彼女は実家には帰らないだろう。
 それに、彼女の両親に連絡をして、心配をかけるわけにはいかない。

 どうすべきか。昨夜の杷留のことを思い出す。

【同期と飲みに行くので、夕飯不要です】

 ――彼女の同期なら、何か知っているかもしれない。

 悠互はスマホを開くと、コンペチームの連絡先を開く。

【都路綾翔】

 こんな自分を知られるのは、みっともないと思う。
 それでも今は、緊急事態だ。

 悠互は意を決して、その名前をタップした。
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