交際マイナス一日婚⁉ 〜ほとぼりが冷めたら離婚するはずなのに、鬼上司な夫に無自覚で溺愛されていたようです〜

朝永ゆうり

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第一章

嵐の予感②

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 部屋を出て、廊下に出る。左側には玄関があるから、おそらくダイニングはこっちだろうと右を向く。
 すると突然、ガラガラと隣の引き戸が開いた。

「あ」

 聞こえてきた声の方を見上げる。濡れた頭をタオルで拭きながら、三条さんがこちらを見下ろしていた。

 互いに目を見開く。
 が、次の瞬間、私の頬は急激に熱を上げた。彼は上半身に、何もまとっていなかったのだ。

「ふ、服を! 着てくださいっ!」

 慌てて顔を背け、叫ぶように声を出す。その逞しい腹筋は、目に毒だ。

「すまない、服を忘れた」

 そんな声が聞こえたけれど、私は顔を背けたまま固まってしまう。
 このまま廊下を進んで、彼を見ないようにしてリビングに向かおう。そう、心を落ち着けていると――。

「早苗もシャワー浴びるだろう。ほら、入れ」

 そう言う三条さんに右腕を掴まれた。
 びくりと私が体を震わせている間に、彼はくいっと私の腕を簡単に操り、方向転換させる。それから、先程の引き戸の中に私を引き込んだ。

「何するんですか!」

 思わず顔を上げる。すると、三条さん廊下にさっと移動して、それからびしゃりと引き戸をしめた。

 た、助かった……。

 思わずその場にへなへなと座り込む。それで、目の前の姿見に自分の姿が映り、私は思わず赤面した。

 癖っ毛でいつもは一つにくくっている髪は、重力など無意味だと思わせるくらいのボサボサ具合。
 落とさなかったメイクは崩れに崩れ、ひどい顔している。

 彼が私にシャワーを早急に勧めたのは、そういうことだったらしい。

「タオルは洗濯機の上の戸棚のを、ボディソープとかは適当に使え」

 戸の向こうから、彼の声が聞こえる。

「は、はい!」

 慌てて返事をして、私は早急にバスルームへと逃げ込んだ。

 ***

 シャワーを頂き、タオルを首にかけ脱衣所を出る。
 それから、すっぴんでは三条さんの前に出られないと、私は寝室に置きっぱなしにしていた鞄からメイク道具を取り出してさくっとメイクを済ませた。

 再び廊下へ出ると、美味しそうなお味噌の香りがした。
 釣られたわけではないが、ついその香りを辿ってしまう。

「ああ、早苗。出たか」

 リビングダイニングに通じるらしい扉を開くと、三条さんはシステムキッチンの中にいた。
 カウンター型の、使い勝手の良さそうなキッチンだ。

 三条さんは青いジーンズ地のエプロンをして、お玉を右手に持っている。

「シャワー、ありがとうございました」

 慌ててペコリと頭を下げる。

「まだ髪濡れてるじゃないか。乾かさないのか?」
「え、あ……」

 思わず自分の髪に触れた。確かに、まだ湿り気がある。

 髪を乾かす時間があるのなら、資料とにらめっこしたり過去の広告のラフを見たり。そんな毎日を過ごしていたからか、『髪を乾かす』という概念が私の頭から綺麗さっぱり抜け落ちていた。

「ドライヤーの場所、分かりにくかったか。こっちだ」

 三条さんはお玉を置くと、キッチンから出て私の腕を掴む。

「わ、あの! えっ!」

 そして気付いたら、私は脱衣所に押し戻されていた。

「これ、ドライヤー。あとは自分でやれるな」
「はい、ありがとうございます」

 されるがままにドライヤーを受け取ると、三条さんは満足したように去っていった。

 髪を乾かし終え、いつものように後ろでひとつにくくる。まとまったのを確認し、ダイニングに戻ると、まるで旅館の朝ご飯みたいな朝食が並んでいた。

「座れ」

 向こう側に既に座っていた三条さんが静かに言う。

「いただいてしまって、いいんですか?」
「ああ。そのつもりで、二人分用意した」

 彼は表情を変えずにそう言った。こんな豪華な朝食、久しぶりだ。

「ありがとうございます」

 つい嬉しさに頬を緩めながら、そっと席につく。すると三条さんがすぐに手を合わせたから、私も慌てて手を合わせた。

「いただきます」
「あの……」

 食べ始めたところで声をかけると、三条さんはちらりとこちらを見る。

「今日、午前休いただいてもよろしいでしょうか?」
「は?」

 三条さんは意味がわからない、と言うように目を瞬かせた。

「早苗は、今日の午前中までにクライアントに送る資料を仕上げなければならないだろう」

 ドキッとして、肩が吊り上がった。だけど、彼の言うことは正しい。

 誰かに頼めるものなら良いが、広告ディレクターという私の仕事は、代わりがきかない。
 先方に示された提出期限は今日中。午前中に仕上げてチェックをもらい、さくっと送ってしまいたいところだ。

「プライベートでこんなことがあったんだから、動揺するのは仕方ない。だが、それと仕事は別に考えろ。俺が言えた立場じゃないが、切り替えてほしい」
「はい」

 プライベートでも、仕事の鬼ぶりは健在らしい。淡々とそう言う彼の言葉に、私は慌てて背筋をしゃんと伸ばして返事をした。

「それと、昨日から今日にかけてのことは、二人だけの秘密にしよう。上司と部下だ、こじれるとややこしいことになる」
「はい」

 こういうところは、しっかりしていらっしゃる。その点においては、相手が彼で良かったと思う。

 もう二度と、こんなことは起こさないと思うけれど(しばらく禁酒だ!)

「それから――」

 色々と考えていると、また三条さんが口を開いた。
 まだなにか、彼は私に言っておきたいことがあるのだろうか。

 お茶碗を手にご飯を箸で口元に運んでいると、彼は突然、私に頭を下げた。

「男として、本当に申し訳ないことをした。俺のことを軽蔑するなら、それで構わない。だが、仕事では今まで通りに接してくれるととても助かる」

 思わず箸を止め、目をしばたたかせてしまった。
 突然過ぎて驚いてしまったが、誠実な態度はやはり三条さんだ。

「軽蔑なんかしません。仕事も、今まで通りのつもりですから」

 カリスマ性に溢れる三条さんは、メディア局の皆に慕われている。
 鬼と言われるほど怖い時もあるため、恐れられているふしもあるが、この整った顔のおかげで憧れている女性社員も多い。

 私が彼とワンナイトを過ごしたなんて周りに知られたら、周りがどんなふうに変化するか、容易に想像できた。
 恐れ多くて、そんなこと言えるわけがない。

「あの、私もすみませんでした。いくらお酒に酔っていたからと言って、まさかこんな――」

 一番あり得ないだろう相手、鬼上司と抱き合ってしまうなんて。
 口に出すと先ほどの彼の逞しい上半身を思い出してしまい、昨夜何があったのかを脳が勝手に想像し出す。

 それで頬がかあっと熱くなってしまい、私は語尾を濁したままお味噌汁を口に運んだ。

「そうか。助かる」

 彼は淡々とそう言って、食事を再開した。しかしその顔はどこか優しく見えて、私の胸は高鳴ってしまう。

 いやいや、もうこんなこと、二度とあり得ないんだから。

 そう思いながら、最初で最後になるだろう三条さんの手作り料理を頂いた。
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