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21 たったひとりのおひいさん
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それから、1ヶ月ほどが過ぎた。財前は裁判によって失脚が確定し、爵位を剥奪された。宝華亭も解体され、働いていた遊女たちは吉原や浅草の劇場へ散って行き、何人かの希望した人は隼助が女中として鷹保邸に受け入れた。
ハナは相変わらず、庭の手入れをしていた。他の女中に引き継いではいるが、彼女と共に雑草を抜く。そうしている間が、一番自分らしくいられると思う。
もうすぐ朝顔の季節だと、ガゼボの金属の枠にそのツルを巻き付けたりしていた。
「ハナ、精が出るねえ」
隼助は時折ガゼボにやって来て、ハナを話し相手にする。恋仲になってからは、膝枕をせがまれることもあった。
「ハナ、今度一緒に来て欲しいところがあるんだ」
ある日差しの柔らかい午後。膝枕をしていると、不意に隼助にそう言われた。
ハナは身構えた。隼助は公爵家なので、夜会や茶会に誘われることも少なくない。
ハナはそのパートナーとして社交界に出るため、マナーのレッスンをしたり、教養の勉強をしたりしているが、まだそういったところに出たことはない。
ついにお披露目の日が決まったのだと、ドクドク鳴る心臓に胸を当てた。
「い、い、いつ、で、しょうか……?」
どもりながら訊ねると、隼助は微笑をもらす。
「そんなに緊張しなくていい。母に、会いに行こうと思ってね」
「お母様……?」
「ああ、私の本当の母だ。私がまだ幼い頃に中條邸を出ていったと聞いていたのだが、どうやら国疫病にかかってしまったらしくてね。山の中の療養所にいるんだが、最近は調子が良いらしい。お前さんに一緒に来て欲しいと思ったんだが、どうだろう」
ハナはふわりと微笑む隼助につられ、笑みを返した。
「ぜひ、ご一緒させてください」
「では、明日の午後向かおう」
隼助に「はい」と答えながら、膝の上にある柔らかな髪を撫でた。
(隼助様のお母様。……どんな方なのだろう)
山の療養所は案外小さく、ベッドがいくつも並んでいる。その中の一つに、隼助の母親がいた。
青い澄んだ瞳に、茶色い髪。白く透き通るような肌の色と、はっきりとした目鼻立ちは隼助によく似ていた。
二人の間に、感動の再会といった空気はなく、どこかぎこちない雰囲気が漂っていた。
しかし、療養所にも隼助の噂は届いていたらしい。
目が合い、ハナはペコリと頭を下げる。すると、彼女はニコリと微笑んだ。
「アナタが、帝都のシンデレラね」
そう言われるのは、まだ慣れない。照れくさくて肩をすくめると、「ヤマトナデシコ」と言われた。
「『シンデレラ』はね、幼い頃に何度も隼助に読んだ童話なの。隼助を信じることを、やめないでくれてありがとう、ハナさん」
彼女に微笑まれ、「恐縮です」とはにかんだ。
「隼助、私はあなたを、誇りに思うわ」
帰り際にそう告げられて、「ああ」とぶっきらぼうに返事をしながらも、隼助は頬を染めていた。
療養所から帰ってくる頃には、すっかり日も暮れていた。
ハナは『シンデレラ』が気になると、帰りの馬車の中で隼助に話した。すると隼助は、別邸で貸してくれるという。
帰宅後すぐ、隼助に連れられ別邸に入った。隼助はたくさんの本の中から、すぐに『灰かぶり姫』を取り出し、渡してくれた。
「わあ、なんだか年季が――」
「まあ、うん十年とこの場所にあるからねえ」
隼助が笑う。
「では、お借りしま――」
言いかけて、口を閉ざされた。隼助の人差し指が、ハナの唇を塞いでいた。
「私に、読んでくれないか?」
甘えるような口調に、思わず隼助を見上げた。
「昔母にしてもらったように、ベッドの上で、ハナに読んで欲しいんだ。……嫌かい?」
切なそうな瞳を向けられ、「嫌です」とは言えなくなった。黙っていると、手を握られ寝室へと誘われる。そのままベッドの縁に並んで座ると、隼助はふっと微笑んだ。
二人で並んで、布団の上に腰掛けた。隼助のベッドは広くて、大人が二人並んでも、全然落ちそうにない。
ハナは『灰被り姫』を開いた。ゆっくりと読みながら、時折つかえるところは隼助が共に読んでくれた。
物語の終盤、王子様に差し出された靴を履くシンデレラ。ハナはあの日のことを思い出し、思わず涙が溢れた。
そんなハナを、隼助は優しく抱きしめる。
「ハナは、おひいさんなんだよ。私の、たったひとりのおひいさんだ」
隼助の腕の中で、こくりこくりと頷いた。
「なあ、ハナ――」
隼助はハナを抱いていた腕を解き、代わりにハナの両肩に優しく手を乗せた。正面に隼助の顔があって、しっかりと目が合う。
「おひいさんだと言ったが、華族制度は根強く残っている。これから先、ハナにはたくさんの苦労をかける。だが、大変なことも、辛い思いも、私が共に抱えたい」
真剣な瞳でそう言われ、ハナも隼助をじっと見据えた。
「隼助様は、もう十分苦労してきたじゃないですか。私は、大丈夫ですから――」
「それは、お互い様だろう」
隼助は真剣な表情を崩さない。
「ならば、私もですよ。これから隼助様の向かう先、少しでも隼助様のお役に立てるよう努力します。だから、隼助様が大変なことも、辛いことも、一緒に抱えたいと思います」
それでもやはり言いながら恥ずかしくなって、ハナは顔を伏せた。すると、隼助はまたぎゅっと、ハナを抱きしめた。
「……以前、ハナは『愛されたいと願うなら、愛を与えねばならない』と言ったが――」
隼助のハナを抱きしめる力が強くなる。
「私はいま、どうしようもなくお前さんを愛しているよ」
「私もです」
愛しい人の顔を見たくて、俯いていた顔を上げた。優しい口づけが降ってくる。
抱きしめあったまま、布団をかぶった。帝都の静かな夜が、二人を包む。
ハナはふと、幼い頃のおばあさんの温もりを思い出した。隼助も、母親の温もりを思い出しているのかもしれない。
(いつも、どんなときにも、愛があったんだわ)
優しい温もりに包まれて、ハナはそっと目を閉じた。
――ここに、確かな愛を感じながら。
〈完〉
ハナは相変わらず、庭の手入れをしていた。他の女中に引き継いではいるが、彼女と共に雑草を抜く。そうしている間が、一番自分らしくいられると思う。
もうすぐ朝顔の季節だと、ガゼボの金属の枠にそのツルを巻き付けたりしていた。
「ハナ、精が出るねえ」
隼助は時折ガゼボにやって来て、ハナを話し相手にする。恋仲になってからは、膝枕をせがまれることもあった。
「ハナ、今度一緒に来て欲しいところがあるんだ」
ある日差しの柔らかい午後。膝枕をしていると、不意に隼助にそう言われた。
ハナは身構えた。隼助は公爵家なので、夜会や茶会に誘われることも少なくない。
ハナはそのパートナーとして社交界に出るため、マナーのレッスンをしたり、教養の勉強をしたりしているが、まだそういったところに出たことはない。
ついにお披露目の日が決まったのだと、ドクドク鳴る心臓に胸を当てた。
「い、い、いつ、で、しょうか……?」
どもりながら訊ねると、隼助は微笑をもらす。
「そんなに緊張しなくていい。母に、会いに行こうと思ってね」
「お母様……?」
「ああ、私の本当の母だ。私がまだ幼い頃に中條邸を出ていったと聞いていたのだが、どうやら国疫病にかかってしまったらしくてね。山の中の療養所にいるんだが、最近は調子が良いらしい。お前さんに一緒に来て欲しいと思ったんだが、どうだろう」
ハナはふわりと微笑む隼助につられ、笑みを返した。
「ぜひ、ご一緒させてください」
「では、明日の午後向かおう」
隼助に「はい」と答えながら、膝の上にある柔らかな髪を撫でた。
(隼助様のお母様。……どんな方なのだろう)
山の療養所は案外小さく、ベッドがいくつも並んでいる。その中の一つに、隼助の母親がいた。
青い澄んだ瞳に、茶色い髪。白く透き通るような肌の色と、はっきりとした目鼻立ちは隼助によく似ていた。
二人の間に、感動の再会といった空気はなく、どこかぎこちない雰囲気が漂っていた。
しかし、療養所にも隼助の噂は届いていたらしい。
目が合い、ハナはペコリと頭を下げる。すると、彼女はニコリと微笑んだ。
「アナタが、帝都のシンデレラね」
そう言われるのは、まだ慣れない。照れくさくて肩をすくめると、「ヤマトナデシコ」と言われた。
「『シンデレラ』はね、幼い頃に何度も隼助に読んだ童話なの。隼助を信じることを、やめないでくれてありがとう、ハナさん」
彼女に微笑まれ、「恐縮です」とはにかんだ。
「隼助、私はあなたを、誇りに思うわ」
帰り際にそう告げられて、「ああ」とぶっきらぼうに返事をしながらも、隼助は頬を染めていた。
療養所から帰ってくる頃には、すっかり日も暮れていた。
ハナは『シンデレラ』が気になると、帰りの馬車の中で隼助に話した。すると隼助は、別邸で貸してくれるという。
帰宅後すぐ、隼助に連れられ別邸に入った。隼助はたくさんの本の中から、すぐに『灰かぶり姫』を取り出し、渡してくれた。
「わあ、なんだか年季が――」
「まあ、うん十年とこの場所にあるからねえ」
隼助が笑う。
「では、お借りしま――」
言いかけて、口を閉ざされた。隼助の人差し指が、ハナの唇を塞いでいた。
「私に、読んでくれないか?」
甘えるような口調に、思わず隼助を見上げた。
「昔母にしてもらったように、ベッドの上で、ハナに読んで欲しいんだ。……嫌かい?」
切なそうな瞳を向けられ、「嫌です」とは言えなくなった。黙っていると、手を握られ寝室へと誘われる。そのままベッドの縁に並んで座ると、隼助はふっと微笑んだ。
二人で並んで、布団の上に腰掛けた。隼助のベッドは広くて、大人が二人並んでも、全然落ちそうにない。
ハナは『灰被り姫』を開いた。ゆっくりと読みながら、時折つかえるところは隼助が共に読んでくれた。
物語の終盤、王子様に差し出された靴を履くシンデレラ。ハナはあの日のことを思い出し、思わず涙が溢れた。
そんなハナを、隼助は優しく抱きしめる。
「ハナは、おひいさんなんだよ。私の、たったひとりのおひいさんだ」
隼助の腕の中で、こくりこくりと頷いた。
「なあ、ハナ――」
隼助はハナを抱いていた腕を解き、代わりにハナの両肩に優しく手を乗せた。正面に隼助の顔があって、しっかりと目が合う。
「おひいさんだと言ったが、華族制度は根強く残っている。これから先、ハナにはたくさんの苦労をかける。だが、大変なことも、辛い思いも、私が共に抱えたい」
真剣な瞳でそう言われ、ハナも隼助をじっと見据えた。
「隼助様は、もう十分苦労してきたじゃないですか。私は、大丈夫ですから――」
「それは、お互い様だろう」
隼助は真剣な表情を崩さない。
「ならば、私もですよ。これから隼助様の向かう先、少しでも隼助様のお役に立てるよう努力します。だから、隼助様が大変なことも、辛いことも、一緒に抱えたいと思います」
それでもやはり言いながら恥ずかしくなって、ハナは顔を伏せた。すると、隼助はまたぎゅっと、ハナを抱きしめた。
「……以前、ハナは『愛されたいと願うなら、愛を与えねばならない』と言ったが――」
隼助のハナを抱きしめる力が強くなる。
「私はいま、どうしようもなくお前さんを愛しているよ」
「私もです」
愛しい人の顔を見たくて、俯いていた顔を上げた。優しい口づけが降ってくる。
抱きしめあったまま、布団をかぶった。帝都の静かな夜が、二人を包む。
ハナはふと、幼い頃のおばあさんの温もりを思い出した。隼助も、母親の温もりを思い出しているのかもしれない。
(いつも、どんなときにも、愛があったんだわ)
優しい温もりに包まれて、ハナはそっと目を閉じた。
――ここに、確かな愛を感じながら。
〈完〉
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ハナと隼助が兄妹かもしれないという後半の件にハラハラドキドキしながら読みました。
むしろ、許されない恋でもつらぬいて欲しいと願ってしまいました。
隼助の『おひぃさん』呼びが世界観を格上げしていて、素敵です。
ゆきんこ様、感想ありがとうございます!
ヒーローにヒロインを『おひいさん』と呼ばせたい、という動機で書き上げた作品でしたので(!)世界観が格上げされているとのこと、とても嬉しいです。
始めて書いた大正ロマンスでしたが、楽しんで頂けたようで。お読みくださり、ありがとうございました!