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17 新たな奉公先

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 それから7日ほどが経った。毎日幼馴染が朝晩に握り飯を持ってきてくれたが、それ以外は何も口にしていない。
 閉じ込められていたけれど、その7日でハナの思考は思ったよりも明るくなっていた。

(どうせ叶わぬ恋ならば、同じ空の下にいられるだけいいじゃない)

 ハナは久しぶりに浴びた陽の光に目を細める。今日、奉公先に向かうのだ。

 戸が開けられてすぐ、ハナが何かを言うまでもなく荷物のように抱えられた。最初に抱えて小屋に押し込んだ男が、今回もハナを運んだ。

 落とすように荷馬車に下ろされると、逃げ出さないようにと、荷馬車の荷台に腕を括り付けられ、手枷をはめられた。荷台の中には、同じような人が他にも5人ほど乗っている。
 荷馬車の扉が閉まると、急に暗くなる。陽の光は入らない。

「帝都まで、頼んだよ」

「はい、こちら、確かに」

 荷馬車の外から声がして、ハナは願った。

(帝都に行けば、会えなくとも隼助様の噂は耳に入るはず。私は妹として、兄の幸せを願おう)

 カタカタと荷馬車が揺れだして、動いているのだと悟った。

 それから、長い長い揺れの中、ハナはひたすら隼助のことを考えていた。


 荷馬車が停まり、その戸が開けられる。
 微睡んでいたハナは、急に差し込んだ光に目を細めた。
 空は茜色に染まっている。もう夕刻らしい。

「こちらの女どもです」

 そう言われ、荷馬車から下ろされる。ついた場所はどこかの裏門の中らしい。ハナは目の前にそびえる城のような建物を見上げ、ここがどこなのかを悟った。

(宝華亭だ……)

 それは、初めてハナが奉公先と教えられ訪れた場所。おそらく今度もまた、『遊女』として働かされるのだろう。
 背を屈め、悔しさに歯を食いしばりながら、手枷をはめられたままのハナは5人目として宝華亭の裏口を通過しようとした。

「ちょいと待て」

 聞き覚えのある声に、ハナははっと足を止めた。

「一番うしろの女だよ。私に譲ってくれやしないか?」

 ハナは声の主の方を見ることができなかった。
 けれども、声の主はカツカツと靴の音をわざと立てながらハナの元へ歩み寄る。

(嫌、来ないで――っ!)

 見覚えのある靴が、うつむいたままのハナの視界に入ってくる。ゾワゾワと身の毛がよだつ。恐怖にぎゅっと目をつぶった。

「ハナちゃん。……いや、私の頬を叩いて、帝劇から逃げ出した、悪女だろ?」

 肩を捕まれ、そのまま抱き寄せられた。
 むにゅっと彼の腕の肉と胸の肉に挟まれる感覚がして、ハナは泣きたくなった。

 顔を見なくとも分かる。
 彼は、財前だ。

 財前は懐から取り出した紙切れの束を、見知らぬ男に差し出す。それを見た男が頷くと、財前は自身の腕に挟んだハナを乱暴に引きずった。
 そのままハナを馬車へ押し込むと、自身も乗り込み乱暴にそのドアを閉める。

「鷹保がお前を手放したと聞いて、ずっと狙っていたんだよ」

 財前がハナの頬をなぞった。そのいやらしい手つきに、ハナはゾクリと鳥肌が立つ。

「もう手出しはさせないよ。なんてったって、お前の主は私だからね。おまえは『私に買われたんだよ』」

 財前はケラケラ笑って、ハナの頬から手を離した。それから思い切りハナの頬を叩いた。

「痛っ……!」

 涙目になったハナを見て、財前はより大きな声で笑う。

「お前が私にしたことに比べれば、なんてことないだろう。お前は私の『モノ』だからな」

 何も言い返せなくて、悔しい。
 ハナは先程、自分の目の前で行われたやりとりを思い出す。確かに、ハナは財前に買われた。
 労働力を前金で買われたというのが正しいのだろうが、どっちにしろ同じことだ。ハナは主に対して、ノーと言うことは許されない。

「鷹保だってお前を自分のモノだと所有して、着せ替え遊んでいたんだろ? 聞いたことがあるよ、鷹保の女中が異人ばかりなのは、鷹保の好みだとね」

 『違う』と言いたかった。彼は妹を探していただけだ。血の繋がった家族である妹とともにありたかっただけだ。
 けれど何も言えない。財前に言えることなど、何もない。

「お人形さんだったんだろ? 着せ替えて、見せびらかせたくなって、帝劇に連れ出すだなんて鷹保も阿呆だなあ」

 財前が卑下するような笑い声を上げて、ハナは彼が憎らしくなった。
 握りしめたこぶしを思いっきり彼の頬へ突き出したいが、そんなこと出来るわけもない。ハナはただそのこぶしを、ぷるぷると膝の上で震わせる他無かった。


 馬車が停まり、財前が降りる。どうやらここは財前邸らしい。ハナは財前についてくるよう言われた。
 半ば引きずられるようにしてついていくと、ハナは屋敷の奥にある、蔵のようなところに入れられた。入れられたというよりは、放り込まれたという方が正しい。

 蔵の中は寝転べるくらいの大きさの茣蓙ござが敷かれているだけで、他には何もない。
 出入り口は木の格子になっていて、ハナがそこに入ったことを確かめると、財前は格子戸を閉めカチャリと鍵をかけた。

「ハナちゃんのお部屋だよ、人形にはもったいないくらいだろう?」

 財前はニヤニヤと見下したような笑みを浮かべ、顔の横でつまんだ鍵をぶらぶらと掲げて見せた。

「ドロと埃まみれの鷹保邸の女中服の人形。いいねえ、まるで鷹保の物を横取りできた気分だよ」

 財前はケラケラ笑って、「人形とはいえ一人では寂しいだろうから、また様子を見に来るよ」と去っていった。

 日はすっかり沈んだ蔵の中。財前邸の屋敷の窓から漏れる光が格子状の戸から差し込んで、幾分明るい。
 ハナは茣蓙の上に膝を抱えて座り込んだ。村にいた時よりも、明るいからまだマシだ。
 財前に触れられると思っていたハナは、幽閉されているにも関わらず幾分安堵していた。

(このままここにいれば、『鷹保』様の噂も耳に入るかもしれない。それだけで、同じ空の下にいられるだけで、充分に幸せだから……)

 ハナは空を見上げた。格子状の戸から見上げた夜空は、財前邸の屋根の上に少しだけ覗いている。小さな星たちが見えて、ハナはほっと安堵の息を漏らした。


 翌朝、財前は朝食を持ってハナの前に現れた。

「ハ~ナちゃん」

 格子状の戸から中を覗く財前だったが、ハナは茣蓙の上で丸まったままでいた。
 朝食ならそこにおいておけばいい。財前とは顔を合わせたくはなかった。

「おやおや、主にそんな反抗的な態度でいいのかい? せっかく良いものを持ってきたというのに」

 その声に、ハナはちらりと格子戸の方を向いた。ハナははっとした。財前の手に握られているものが、朝日を反射してキラキラと輝いている。

「その靴……っ!」

 ハナは格子戸に駆け寄った。財前の手に握られている薄い青色の靴に、手を伸ばした。

「あの夜、帝劇で拾ったんだけど、そうか、ハナちゃんはこの靴に見覚えがあるのか」

 言われてハッとした。しまった、と思ったときにはもう遅かった。

「やっぱりあの夜の相手は、ハナちゃんだったんだねえ」

 バレてしまっては仕方ないと、ハナは声を上げた。

「返して下さい! それは、鷹保様に頂いた大切な――」

「返してほしいのか、なら言うことを聞くんだな」

 財前はそう言うと、パンをつまんでちぎった。

「食え。私の手から、直にな」

 財前はわざと格子の下の方からパンを差し入れた。犬のようにかがまなければ、口から食べることはできない。

「……もう少し、その手を上げてくださいませんか?」

 流石に四つん這いで貰い受けるのはと、ハナは下出に頼んだ。しかし財前は「この靴がどうなってもいいんだね?」とハナをあざ笑うだけだった。
 仕方なく、四つん這いになる。財前の手からパンを加えれば、その指ごと口の中に入れられた。舌先に指が触れてしまい、気持ち悪い。
 財前はそのまま手を抜き取ると次のパンをハナの口に運ぶ。全てをハナに食べさせると立ち上がり、まだ四つん這いのハナにを卑下するように見下ろした。

「あ、あの、靴を……!」

 ハナは懇願した。

「言いつけは守れたからな、褒美はやらないと」

 財前はハナに靴を差し出した。急いで取ろうと手を伸ばすけれど、財前はそれをポトリと落とした。

「ああ、しまった」

 どうやら、最初からそのつもりだったらしい。財前の足元には、ハナの朝食と思わしき黄色いスープを平皿によそったものが置かれていた。
 薄い青色の靴は、黄色いしぶきを上げその平皿の中へ落ちてゆく。同時にパリンと音がして、皿が割れる。黄色い液体が四方に飛び散って、靴は黄色く染まっていた。

「嘘……」

「ああ、お前の靴が私の大切な皿を割ってしまったのか。なんてことだ、残念だが今日はもう飯はなしだ」

 財前はケラケラと笑いながら去っていく。ハナはそのままにされた靴を格子戸から手を伸ばして拾い上げた。

「何てことを……」

 ハナは黄色くなってしまったその靴を、自身の着物の裾で拭き上げた。
 それから胸に抱きかかえる。ハナの頬を涙が伝った。

(隼助様との思い出は、ここにある。大丈夫よ、ハナ。生きるのよ、ハナ)

 ハナは自分に言い聞かせる。

(私はオフィーリアのようには死んだりしない。だって、希望があるから。同じ空の下に、隼助様がいらっしゃる。それだけで、私は――)

 ハナはそれから何日も、財前邸の檻のような蔵の中で過ごした。それでも、生きていたいと思った。
 隼助の、愛と希望のために。
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