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16 出生の真実

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 2つの山を越え、林を抜けた先にハナの育った小さな集落がある。ハナがそこへ着く頃には、もう日が柔らかくなってきていた。

(戻って、きた……)

 変わらない田畑、変わらない茅葺きの屋根、変わらない匂い、音。ハナは懐かしい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

(しっかりしなくちゃ。隼助様と、ここで共に暮らせるように)

 ハナは胸に手を当てて、ふう、と息を吐き出した。

(今の時間なら、皆畑の方かしら? それとも、タケノコ採りに出ているのかしら?)

 ハナは人のいない集落をキョロキョロと歩きながら、自分の育った家の方に向かって歩いた。

 ハナが幼い頃寝泊まりしていたのは、優しいおばあさんの家だった。おばあさんはハナの面倒をよく見ており、食事の世話もしてくれた。

 おばあさんは、ハナが生まれた時もその場にいたらしい。ハナの母親のことを「優しい綺麗な女性だった」と教えてくれたのも、おばあさんだった。
 そのおばあさんは、ハナが帝都に出る2ヶ月前に老衰で亡くなった。それからは、田畑の手伝いをしながら、おばあさんの家に一人で寝泊まりしていたのだ。

「ここ……」

 おばあさんの家の前に立った。瞬間に、違和感を感じた。かまど口のある方から、もくもくと煙がのぼっている。

(誰かが住んでいるのかしら……?)

 ハナはドンドンと、その戸を叩いた。

「ごめんくださーい」

 家の中に向かって声を張ると、ガラリと戸が開いた。

「お姉ちゃん……誰?」

 ハナも知らない、小さな女の子がそこにいた。ハナが驚き目を見張っていると、女の子の背後から声がする。

両一りょういちさんじゃないけ? そろそろ畑仕事さ終えて、休憩に返ってくる頃じゃい」

 声の主は、女の子の背後からぬるりと姿を表す。そして、ハナを見て固まった。

「……ハナ?」

 ハナも彼女を見て固まった。彼女は、村を出ていったはずのハナの幼馴染だった。

「こんにちは、久しぶりね!」

 ハナは笑顔で話しかけた。けれど、幼馴染の彼女は途端に眉をつり上げる。

「よそ者は出ていけ! はよ出ていけ! この村に立ち入るな!」

 一歩戸内に踏み入れようとしていた足を、思わず引っ込めた。

「異人なんて人じゃねえ!」

 彼女はそう言い捨てると、ハナを追い出しぴしゃりと戸を閉めた。

 あっという間の出来事に、ハナは呆然と立ち尽くした。

(……どういうこと? よそ者? 異人……?)

 ハナは自分の目が青いことを思い出した。
 それでも、自分が育ったこの村では、一度も言及されたことはなかったし、ましてや『異人』などと呼ばれたことも無かった。

(もしかしたら、彼女には『異人』さんに対して何か嫌な想い出があるのかもしれないわね)

 一瞬脳裏に隼助の母親が映ったが、ハナは心を入れ替え他の家を当たることにした。


 キョロキョロと周りを見回した。すると、路地の角から怪訝な目でこちらを覗くまだ5つくらいの少女と目が合った。

「ねえ、あなた……」

 言いかけると、彼女は走ってどこかへ行ってしまう。

「あ、待って……!」

 ハナは少女を追いかけた。


 追いかけ着いた先は畑だった。村の皆が休憩している。見知った顔があって、ハナは安堵の息をもらした。

「こんにちは。あ、あの……」

 ハナが何て言おうか口ごもっている間に、中年の女性たちがハナに向かって言った。彼女たちは、ハナが村にいた頃はよく野菜や米を分けてくれた人たちだ。

「何で戻ってきちまったんだい」

「え……?」

 まるで死んだ虫を見るような目を向けられて、ハナは呆然とした。

「まさか奉公先から逃げてきたんでねーだろうな?」

「おめえみたいな『異人』は役立たずだと、帝都でも捨てられちまったんじゃねえの?」

 誰かがそう言って、皆はケラケラと笑った。

「あ、あの……」

 ハナが会話に入ろうと口を開くと、彼らはハナのことを心底嫌そうに睨んだ。何人かは、ハナに軽蔑の笑みを向けた。

「分かってんだろう? お前はこの村から捨てられたんだよ」

「捨てられた……?」

「まさか。あの言葉を馬鹿正直に信じてたんでねえの?」

「ああ、『帝都での仕事を探してやった』ってやつかい? あれは傑作だったねえ、売り飛ばされただけだってのに」

「あっはっは! 信じていたとしてもよお、流石に就いた仕事で気付くだろうよ」

 ハナは信じられない思いで、彼らの口から飛び出す真実を聞いていた。

(嘘……。私、騙されていたの……?)

「あ、あの! ……それでも、皆さんは良くしてくれていましたよね? どうして、そんなこと……」

 疑いたくない、信じたい。
 そんな気持ちで聞いたのに、その想いはあっけなく消されていった。

「あのばあさんのせいだよ。お前を育てた、あのばあさん」

「え……?」

「あのばあさんの息子さ、異人を孕ませた~って村に手紙寄越して、自分は病気で戻れないから彼女を頼むとか言ってさ。それでばあさんは、言葉も通じない異人をかくまったのさ」

「それで生まれたのがお前だよ。お前の母親はね、産後の動けないときに誰かに殺されたって噂だ」

 それで、畑にいた全員がケラケラ笑った。

「だ、誰が! 私の、母を……」

「そんなことはどうだっていい。異人なんて、見ているだけでおっかないんだから」

「そん、な……」

 胸の中に、今まで感じたことのない真っ黒な感情が渦巻いた。悲しくて、悔しくて、怖くて、苦しくて、許せない。
 色々な思いがないまぜになって、鼻の奥がつんとした。涙をこぼすまいと、唇をぐっと噛んだ。

「あっこのばあさんが死んだんで、お前を売り飛ばしたのさ。こんな青い目でも、買ってくれるなんて帝都は心が広いと思ったさ」

「だが、結局は帝都でも役立たずだったってわけか」

 悔しくなって、拳を握った。

「……違う」

 震える唇で、かすかにそう発音した。何人かが、ケラケラ笑った。

「違います! 私は、役立たずで追い出されたわけでは――」

 大きな声が出た。けれど、言いかけた言葉は村人たちの大きな笑い声に消えていく。

「無様だねえ、あっはっは!」

 怒りと悔しさで身体が震えた。唇をきゅっと結んだけれど涙が溢れて、顔を上げることもできなくなった。

「でも、追い出されたわけでねーなら、もう一回くらい売れるんでねーか?」

 誰かがそう言った。皆が「そうじゃね」「そりゃいい」と、笑いながら同意した。
 すると、急にふわりと身体が浮いた。誰かがハナを抱き上げたらしい。

「嘘、嫌……っ!」

 ジタバタと手足を動かし抵抗するも虚しく、ハナは体格の良い青年に担がれそのまま何処かへ連れ去られた。


 しばらく担がれやってきたのは、村の一番奥の神社だった。境内の奥の、昔は神へ捧げる生贄を奉納する場所だったという小屋の中に、ハナはドスンと大きな音を立てて放りこまれた。

「痛……」

 古い木目の床のささくれが、腕に刺さったらしい。血が流れて、思わずそこを押さえた。

「おっと、『売り物』なんだから丁寧に扱えよ」

 誰かがそう言って、皆がケラケラ笑った。
 ハナがその場に力なくへたり込んでいると、突然戸がピシャリと閉められた。
 急に真っ暗になって、ハナは自分で自分を抱きしめた。

(小さい時に聞いたことがある。ここは中からは開けることができない。閉じ込められたのね、私……)


 ハナは小屋の隅で、膝を抱えて丸くなった。かなり古い小屋だ。奥の方は塵や埃を被っている。木の床は所々がささくれ立っていて、あるき回れば先程のようにうっかり怪我をしかねない。
 ハナは、安全な隅の方で丸くなっているのが得策だと考えたのだ。

 村に着いたときから薄暗かった空から、雨が降り出したらしい。ぽつ、ぽつと天井に雨だれの音がして、ハナは光の方を見つめた。
 薄暗い小屋の中で、少しだけ壁に穴が空いている場所がある。そこから漏れ入る光だけが、小屋の中の唯一の光源だ。

(まだ日は沈まないのね。ああ、私はこれから――)

 自分の未来を案じ、隼助に胸の内で謝罪した。
 せっかく村に帰してくれたのに、共に住む準備は疎か小さな小屋に閉じ込められてしまった。
 村人たちは、自分をまたどこかへ売り飛ばすつもりらしい。

 奉公先によっては、隼助とは二度と会えないかもしれない――。

 虚しくなって、涙が溢れた。じわりじわりと、目頭が熱くなる。けれど、身体は冷えていった。


 どのくらい泣いていたのだろう。ハナは小屋内にこぼれてくる光が無くなり、夜になったのだと悟った。
 外は相変わらず雨が降り続いている。突然、小屋の戸が開いた。皿に乗った握り飯だけが、戸から差し出される。
 腹は減らないが、そっと握り飯を手に取った。

「食べな。死んじまったら、困るからね」

 幼馴染の女の声だった。ハナは彼女の方を見ようとする。けれど、あっという間に皿を持った腕は戸から引き抜かれ、ピシャリと戸を閉められてしまった。

 握り飯は暖かかった。もう枯れ果てたはずの涙が、またハラハラとこぼれ落ちた。

(私ったら……)

 優しさじゃないかもしれない。けれど、その温かさが嬉しかった。同時に、気づいたことがある。

(孤独の中で差し出された温かさは、こんなにも嬉しいのね)

 隼助もきっと同じだったはずだ。
 だとしたら、兄の身代わりとして孤独に生きてきた彼を温めたのは一体何だったのだろう。それが自分だったのなら嬉しいと思い、同時に切なさで胸がいっぱいになる。

 外の雨はどんどん大きくなる。差し入れられた握り飯を無理やり咀嚼そしゃくし飲み込みながら、ハナは隼助とのことを思い出していた。
 彼との思い出は、胸にたくさんある。

 大金を空に放り、『譲れ』と助けてくれたのが全ての始まりだった。怖い笑みを貼り付けた、胸の内の分からない恐ろしい主。彼の手紙を拾い、怖くなって逃げ出したこともある。
 ガゼボの下で彼の秘密を知ってしまってから、距離が近づいた気がする。
 彼の優しさを、寂しさを、強かさを知る度に、どんどん好きになっていった。

 そこで、ふと思い出した。隼助は、探しものをしていた。
 ならば、隼助にとっての光は、きっとその探しものに違いない。隼助はきっと、探しものに温めてもらいたかったに違いない。

「隼助様の探しもの。……生き別れた、妹さん」

 無理に食べていた握り飯。ごくりと大きな塊を飲み込んでしまい、咀嚼そしゃくが止まっていたことに気づいた。
 しかし、ハナはすぐに今まで考えていたことに気を戻した。

『旦那様は、妹を探してらっしゃるの。腹違いの妹がいらっしゃるらしいわ。でね、どうやらその妹が異国人の風貌をしているんですって』

 ハナにとって初めだった、鷹保邸での夜会。それが始まる前に、同室の女中リサから聞いた話だ。夜会の後に会った隼助も妹探しは否定しなかったから、きっと本当のことなのだろう。

 腹違いの妹。彼女は、異国人の風貌をしているらしい。
 鷹保邸を出る前に聞いた話では、隼助本人が腹違いの妾の子であった。しかも、相手は異人。
 自分が田舎に戻り、掛けられた声も「異人」。

 ――ハナの母親は異人だった。隼助の母親も異人だった。隼助から本当の母親がどうなったのかは聞いていないが、妹を探しているところからすると、どこかに姿をくらましたのだろう。

 嫌な想像が、ハナの背中を冷たくする。

「隼助様と、私が、兄妹かもしれない――」

 握り飯はそれ以上喉を通らなくなった。
 
(もしかして、隼助様は知っていた――?)

 思い返せば『好きだ』も『愛してる』も、その声をかけてくれる隼助は優しくふわりと微笑んでいた。あれは、妹への敬愛の笑みだったのかもしれない。
 優しく頭を撫でる手のぬくもりも、隠れて交わした口づけも、妹への愛情かもしれない。
 妹と知ったから、自分を観劇に誘ってくれたのかもしれない。
 村に自分を帰したのだって、妹を思う愛情ゆえの行為だとしたら――。

 思えば思うほど、ハナは隼助の妹であるような気がしてくる。
 虚しさが胸を襲って、どんどん苦しくなる。けれど同時に安堵している自分もいた。

(このまま売り飛ばされてしまえば、隼助様と交わることもないわ。この恋心も、きっといつか忘れられる――)

 そう思いながら、残りの握り飯を頬張った。無理やり咀嚼して、無理やり飲み込んだ。すっかり冷めてしまった握り飯は、なんの味もしなかった。
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