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7 夜会での探しもの
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◇◇◇
ハナはその日から、ガゼボで鷹保と話をすることが多くなった。
庭の掃き掃除をしていると、決まって鷹保が「おひいさん」と声をかけてくる。主の話し相手を断れるわけもないハナは、ガゼボに誘われ、言われるがまま鷹保の隣に座り色々な話をした。
この東屋が西洋では「ガゼボ」という名だということも教えてもらった。
しかし、鷹保は自身については語らない。代わりに、そこに咲いている花の名や異国の道具の名を教えてくれた。
鷹保は花ひとつひとつに「花言葉」というものがあるということも教えてくれた。そういう話を聞く度に、帝都の人たちは洒落ているとハナは実感する。
ハナも話を振られるので、田舎での暮らしぶりや幼少の想い出を鷹保に話した。こんなことを聞いて楽しいのかという不安もあったが、鷹保はいつも笑顔で「ほう」と相槌を打ってくれた。
時々知らないことは聞いてくるので、きっと楽しんでくれているのだと思う。
そうして一週間が経ったある晩のこと、ハナは女中長に呼び出された。
(逃げ出したりはあれ以降していないし、庭の手入れもしっかり勤めてる。一体何かしら――?)
ハナは使用人棟の女中長の部屋を訪れた。執事長の部屋の隣の、小さな一人部屋だった。
「失礼致します、ハナです」
コンコンと戸を叩いてから開け、中に入ると女中長は小さな机の前で何か記しているところだった。
「お入り。戸は閉めてきなさい」
言われた通り、静かに戸を閉めてから中に入ると、女中長がこちらを向いたのでハナは身構える。
「お話というのは……?」
「ハナさん、最近お仕事は楽しいですか?」
思っていたのとはだいぶ違う質問に、ハナは一瞬驚くも、すぐに「はい!」と答えた。
「庭の手入れは田舎育ちの私にとって、とても相性がいいみたいです。雑草取りは大変ですが、周りの芝や花たちに元気になってもらうためには必要ですし。それに、鷹保様も優しく話しかけて――」
「それは、どういった経緯でそうなったのですか?」
突然言葉を遮られて、ハナは「え?」と黙った。
「旦那様は優しいお方。だからといって、その優しさを勘違いしてはいけません」
「それは、どういう……?」
ハナは言われている意味が分からず、首をかしげる。女中長は大きなため息をついてから「いいですか?」とハナに向き直った。
「私たちは女中、旦那様は私たち主です。一線は絶対に越えてはいけませんよ」
それで、ハナは女中長の言わんとしてる事をやっと理解した。
「ま、まさか! 公爵様である鷹保様と私なんかがどうにかなるなんて考えたこともありませんでした!」
ハナは思わず口早に言う。それで、女中長はふう、と息をついた。
「それならいいのです。このところ、旦那様と話すハナさんが楽しそうだったので気になったのです。わきまえているなら、よろしい」
ハナは安堵の息をもらしたが、胸がチクリと痛む気がした。
(――どうして? ……まさかね。鷹保様は公爵様、私はただの女中、なんだから)
自分のいだいた疑問に自分で答えていると、女中長は「それから、」と付け加える。
「一週間後に本邸で夜会が開かれます。多くの貴族の方が参加されるの。ハナさんにも給仕の手伝いをしてもらいたいのだけれど、失礼のないように明日からは給仕の仕事も覚えてもらいたくて」
ハナは初日に案内された本邸の大広間に、帝都の紳士淑女が集まる様を想像した。
自分とは永遠に無関係だと思っていた世界の給仕をするという事実に、武者震いをした。
「今後は、朝一番で庭の仕事を終わらせて、その後は本邸での夜会のマナーや給仕の仕方を覚えてもらいます」
全ての話が終わり、ハナは「失礼します」と女中長の部屋を後にする。
バタンと扉を閉めた後、胸がモヤモヤしていることに気づいた。
けれど、それ以上に夜会の給仕という大仕事を言いつけられた緊張で心臓がバクバクしている。
「失敗しないように、明日からも頑張らなくちゃ!」
ハナはそう呟いて、足早に自分の部屋に戻った。
「おかえりなさい。女中長、何だって?」
部屋に戻ると、ベッドに寝転び本を読んでいたリサが飛び上がり、野次馬のようにハナに訊ねた。
「来週行われる夜会で、給仕をするから明日からその仕事も覚えるようにって……」
「ああ、もうそんな時期なのね」
リサは再びベッドに寝転ぶ。
「2ヶ月に一回、夜会があるのよ、この屋敷」
「そうなんですね」と、ハナは寝支度を整えながらリサの話を聞いていた。
「夜会はすごいわよ! いろんな令嬢がいらっしゃるの! もうね、華やかなドレスに身を包んだ令嬢ばかりで、西洋のお姫様みたいなの! 私も一度でいいから、あんなドレス着てみたいなぁ……」
寝支度を整えベッドに腰掛ける。ベッドに寝転がったままのリサは、両手を胸の前で組む。その憧れに思いを馳せる姿は子供のようで、親近感が湧いた。
「夜会では、貴族の方々は何をなさるのでしょう……?」
ハナの純粋な疑問に、リサは思わず吹き出した。
「旦那様は公爵様。たくさんの貴族の方と交流をしながら、難しい政治のお話をされるのよ。まあ、私も良くは分からないんだけれど……令嬢たちは皆、ドレスを来て、グラスを掲げて、ダンスもあるの。とっても素敵よ!」
リサは「それから」と付け加える。
「旦那様はお優しい上に色男と帝都で騒がれるお方。帝都中のご令嬢が、一度でいいから抱かれたいと願う方なのよ。旦那様は、夜会毎に違うお相手を試しているらしいわ」
リサに意味深な笑みを向けられ、ハナの頬はポッと熱くなった。
「は、破廉恥ですっ!」
慌てるハナに、リサはクスクスと笑い続ける。
「でもね、本当は――」
リサは声をひそめ、ハナを手招きする。リサの方に寄ると、彼女はつぶやくように言った。
「旦那様は、妹を探してらっしゃるの。腹違いの妹がいらっしゃるらしいわ。夜会もそれが目的なんじゃないかって、私は思ってる」
「え……?」
ハナはリサの顔を見た。真剣な瞳に、嘘を言っているようには思えなかった。
「どうやらその妹が異国人の風貌をしているんですって。だから、旦那様は異国風の風貌の女中を雇っているのよ。妹かもしれないって。私やあなたも、そういうことだと思う」
(妹を探している――?)
ハナが難しい顔をしたので、リサは慌てて付け加えた。
「旦那様と執事長の会話を聞いてしまったの。多分、本当のことだと思うわ」
最後にリサは「誰にも秘密よ」と言うと、話は終わったと言わんばかりにごろりと寝返りを打つ。そのままうつぶせになり、先程読んでいた本にまた目を向けた。
ハナは仕方なくベッドに戻り、自身も布団を被った。
「明かり、消すわね」
リサがそう言って、部屋が暗くなる。
ハナは布団の中で、鷹保のことを考えた。
本心の読めない怖い笑みを浮かべる鷹保。けれど、ただの女中であるハナには親しげに話し相手を頼み、さらに妹探しをしているらしい。
そんな優しい一面を知るけれど、兄のことを話すときは寂しげに「過去のことは仕方ない」と言い、また帝都一の色男として夜会ごとに色々な淑女を試しているという。
(どれが本当の鷹保様なのだろう――?)
けれど、それを知ったところでハナにはどうしようもない。
ぐるぐる考えるよりは寝てしまえと、ハナはぎゅっと目をつぶった。
一週間が過ぎた。
ハナは毎朝はやくに庭の掃き掃除をすませ、日中は給仕の仕事を覚えるのに勤めた。執事長が優しく、女中長が厳しく、出迎え方から様々な作法まで教えてくれる。
覚えるのに必死だったハナは、ガゼボで鷹保の話し相手を頼まれることもなくなった。
アーモンドの花は満開になり、夜会の日が訪れた。日の沈んだ帝都の中、鷹保の屋敷の前にはひっきりなしに馬車が訪れる。
ハナはその様子を見る間もなく、大広間のテーブルに料理を並べていた。どれも見たことのない料理だったが、そんなことを気に留めている暇もない。
着飾った紳士淑女が歓談するなか、空になった皿やグラスを受け取っては調理場に運ぶ。
戻る途中に窓の外をちらりと見る。外はもう暗いのに、大広間の豪華な照明には煌々を明かりが灯る。
「ハナさん、もうほとんど料理もないからテーブルを片しましょう」
夜会の中ほどで、ハナはリサと共にテーブルを片付けた。大広間の隅にテーブルを運ぶと、不意にリサが言った。
「今日はダメね。日本人ばかりで、手がかりはなさそう」
その言葉に、ハナは鷹保の目的を思い出した。
(これは、妹を探すための夜会なんだ……!)
嫁探しというのは建前で、本当は妹を探しているらしい。
ハナはちらりと鷹保を見た。美しい令嬢を3人も侍らせ談笑する彼は、初めて見る正装姿だった。紺色の立て襟に、金色の飾り紐が肩で揺れる。
思わず見惚れていると、たまたま近くを通りかかった淑女たちが話しているのが聞こえた。
「鷹保様、今日も一段とお美しいわ」
「本当、西洋の王子様のよう。今夜は誰をお選びになるのかしら?」
ハナは肩を落とした。
(私はただの女中。鷹保様とは釣り合わないのよ)
そう思ってから、ハッとした。
(何を考えているの!? 私のような者が、公爵様とどうこうなろうだなんてなんて失礼な……!)
「ハナ、どうしたの? 顔が青いけれど」
次のテーブルを運ぼうと移動していたリサに言われ、ハナは慌てて「何でも無いです」と答えた。
大広間には、華麗な曲が流れ始める。紳士が淑女を誘い、舞踊を舞いはじめた。
(まあ……!)
初めて見るその光景に、ハナは心を奪われた。けれど、無意識に鷹保の姿を探してしまう自分がいる。
(いや、私、何で……)
「あとは片付けまでやることは無いから、使用人室で夜食をいただこう?」
リサに言われて、ハナは「はい」と答える。華やかな世界と隔離されて、ハナは安堵した。
やがて夜会が終了し、大広間の片付けを行った。
鷹保邸の使用人は少ないので、執事長の指示の下でてきぱきと皆が仕事をこなしても、どうしても夜中までかかってしまう。
女中たちは、どの方向にも失礼なく夜会を終わらせられたことに安堵しなから、自身の仕事をこなしていく。
ハナも片付けをしながら、夢のような世界を見れた嬉しさと、感じたことのない切なさに襲われていた。
(鷹保様は、今夜はどなたを選ばれたのかしら……?)
鷹保はきっと今頃、今日訪れたご令嬢の中のひとりと、帝都の街を謳歌している。その様子を思い浮かべると、余計に胸が痛くなる。
(そんなことどうでもいいじゃない! 私には関係ないわ!)
そう思うけれど、気になってしまい仕方ない。
気合を入れるようにふう、と息を吐き出すと、そのタイミングで女中長に声をかけられた。
「ハナさんはもうお上がりなさい。初めてで疲れたでしょう?」
ぼうっとしていたハナを気遣ってくれたらしい。ハナは身も入らない状態でいても仕方がないと厚意を受け入れ、一人で使用人棟に戻ることにした。
「ハナさん、戻るついでにこれを焼却炉まで持っていってくれないかい?」
料理人にごみの入った袋を手渡され、「はい」と受け取る。それで、ハナは裏口から焼却炉に向かい、庭を横切って使用人棟に戻ることになった。
3月も半ばを過ぎたが、夜はまだ風が冷たい。ハナは月明かりに照らされて散っていくアーモンドの花弁を眺めた。
「こうして見ると、本当に桜と区別がつかないわ」
そんなことを呟きながら、ガゼボの前を通り過ぎる。その時、金属の長椅子に紺色のズボンの膝と、月明かりを反射して輝く黒い靴を見つけた。
(まさか……?)
ハナは恐る恐る近づいた。けれどすぐに、近づいたことを後悔した。
案の定、鷹保だった。しかし、前のように眠ってはいなかったらしい。彼の顔を覗き込んだ瞬間に鷹保が目を開く。
目が合い、ハナの心臓が早鐘を打った。
「なんだ、おひいさんか」
鷹保は身体を起こした。
「お休みの所をすみません! こんな所で寝ていては、風邪を引いてしまうと思って……」
必死な言い訳だったが、鷹保は「そうだな」と相槌を打った。
「今日は、街には行かれなかったのですか……?」
ハナの問に、鷹保は苦笑を浮かべる。
「そうだねえ。良さそうな令嬢が、いなかったからね」
鷹保は口角を釣り上げる。白い歯が月明かりで光った。
「妹さんも、見つからなかったようで……」
その言葉に、鷹保はハッとハナを振り向く。けれどすぐに、諦めたようにため息を漏らした。
「知っていたのか、お前は」
今度はハナがハッとした。しまった、と思ったけれど言ってしまっては仕方ない。コクリとうなずくと、鷹保は視線を前に戻した。
「おひいさんには、何でもばれてしまうねえ」
諦めを帯びた瞳が優しく細められる。ハナがそれに見入っていると、鷹保が急にこちらを振り返った。
「でも、このことはもう私とおひいさんとの内緒だよ?」
今度は艶やかに微笑んで、人差し指を自身の口元に当てた。ハナがコクコクうなずくと、鷹保は満足したように立ち上がる。
「さあ、早く部屋にお戻り。本当に風邪をひいてしまっては大変だ」
鷹保は言いながら、別邸に脚を向ける。そのままヒラヒラと手を振りながら、別邸の中に入っていく。
「鷹保様、おやすみなさい」
何も気が利いたことが言えず、ハナは上ずる声でそう言った。鷹保のクスクス笑う声が聞こえたが、それ以上に自分の心臓の音の方が大きく聞こえた。
鷹保は、今夜は街に出なかった。
その事実だけで、ハナは安堵の気持ちでいっぱいになる。
けれど同時に、胸の奥がぎゅっとして、唾を飲み込むのも苦しくなる。
ハナは気づいてしまった。自分の中に芽生えた気持ちに。
そして、それは許されぬ恋だということに。
ハナはその日から、ガゼボで鷹保と話をすることが多くなった。
庭の掃き掃除をしていると、決まって鷹保が「おひいさん」と声をかけてくる。主の話し相手を断れるわけもないハナは、ガゼボに誘われ、言われるがまま鷹保の隣に座り色々な話をした。
この東屋が西洋では「ガゼボ」という名だということも教えてもらった。
しかし、鷹保は自身については語らない。代わりに、そこに咲いている花の名や異国の道具の名を教えてくれた。
鷹保は花ひとつひとつに「花言葉」というものがあるということも教えてくれた。そういう話を聞く度に、帝都の人たちは洒落ているとハナは実感する。
ハナも話を振られるので、田舎での暮らしぶりや幼少の想い出を鷹保に話した。こんなことを聞いて楽しいのかという不安もあったが、鷹保はいつも笑顔で「ほう」と相槌を打ってくれた。
時々知らないことは聞いてくるので、きっと楽しんでくれているのだと思う。
そうして一週間が経ったある晩のこと、ハナは女中長に呼び出された。
(逃げ出したりはあれ以降していないし、庭の手入れもしっかり勤めてる。一体何かしら――?)
ハナは使用人棟の女中長の部屋を訪れた。執事長の部屋の隣の、小さな一人部屋だった。
「失礼致します、ハナです」
コンコンと戸を叩いてから開け、中に入ると女中長は小さな机の前で何か記しているところだった。
「お入り。戸は閉めてきなさい」
言われた通り、静かに戸を閉めてから中に入ると、女中長がこちらを向いたのでハナは身構える。
「お話というのは……?」
「ハナさん、最近お仕事は楽しいですか?」
思っていたのとはだいぶ違う質問に、ハナは一瞬驚くも、すぐに「はい!」と答えた。
「庭の手入れは田舎育ちの私にとって、とても相性がいいみたいです。雑草取りは大変ですが、周りの芝や花たちに元気になってもらうためには必要ですし。それに、鷹保様も優しく話しかけて――」
「それは、どういった経緯でそうなったのですか?」
突然言葉を遮られて、ハナは「え?」と黙った。
「旦那様は優しいお方。だからといって、その優しさを勘違いしてはいけません」
「それは、どういう……?」
ハナは言われている意味が分からず、首をかしげる。女中長は大きなため息をついてから「いいですか?」とハナに向き直った。
「私たちは女中、旦那様は私たち主です。一線は絶対に越えてはいけませんよ」
それで、ハナは女中長の言わんとしてる事をやっと理解した。
「ま、まさか! 公爵様である鷹保様と私なんかがどうにかなるなんて考えたこともありませんでした!」
ハナは思わず口早に言う。それで、女中長はふう、と息をついた。
「それならいいのです。このところ、旦那様と話すハナさんが楽しそうだったので気になったのです。わきまえているなら、よろしい」
ハナは安堵の息をもらしたが、胸がチクリと痛む気がした。
(――どうして? ……まさかね。鷹保様は公爵様、私はただの女中、なんだから)
自分のいだいた疑問に自分で答えていると、女中長は「それから、」と付け加える。
「一週間後に本邸で夜会が開かれます。多くの貴族の方が参加されるの。ハナさんにも給仕の手伝いをしてもらいたいのだけれど、失礼のないように明日からは給仕の仕事も覚えてもらいたくて」
ハナは初日に案内された本邸の大広間に、帝都の紳士淑女が集まる様を想像した。
自分とは永遠に無関係だと思っていた世界の給仕をするという事実に、武者震いをした。
「今後は、朝一番で庭の仕事を終わらせて、その後は本邸での夜会のマナーや給仕の仕方を覚えてもらいます」
全ての話が終わり、ハナは「失礼します」と女中長の部屋を後にする。
バタンと扉を閉めた後、胸がモヤモヤしていることに気づいた。
けれど、それ以上に夜会の給仕という大仕事を言いつけられた緊張で心臓がバクバクしている。
「失敗しないように、明日からも頑張らなくちゃ!」
ハナはそう呟いて、足早に自分の部屋に戻った。
「おかえりなさい。女中長、何だって?」
部屋に戻ると、ベッドに寝転び本を読んでいたリサが飛び上がり、野次馬のようにハナに訊ねた。
「来週行われる夜会で、給仕をするから明日からその仕事も覚えるようにって……」
「ああ、もうそんな時期なのね」
リサは再びベッドに寝転ぶ。
「2ヶ月に一回、夜会があるのよ、この屋敷」
「そうなんですね」と、ハナは寝支度を整えながらリサの話を聞いていた。
「夜会はすごいわよ! いろんな令嬢がいらっしゃるの! もうね、華やかなドレスに身を包んだ令嬢ばかりで、西洋のお姫様みたいなの! 私も一度でいいから、あんなドレス着てみたいなぁ……」
寝支度を整えベッドに腰掛ける。ベッドに寝転がったままのリサは、両手を胸の前で組む。その憧れに思いを馳せる姿は子供のようで、親近感が湧いた。
「夜会では、貴族の方々は何をなさるのでしょう……?」
ハナの純粋な疑問に、リサは思わず吹き出した。
「旦那様は公爵様。たくさんの貴族の方と交流をしながら、難しい政治のお話をされるのよ。まあ、私も良くは分からないんだけれど……令嬢たちは皆、ドレスを来て、グラスを掲げて、ダンスもあるの。とっても素敵よ!」
リサは「それから」と付け加える。
「旦那様はお優しい上に色男と帝都で騒がれるお方。帝都中のご令嬢が、一度でいいから抱かれたいと願う方なのよ。旦那様は、夜会毎に違うお相手を試しているらしいわ」
リサに意味深な笑みを向けられ、ハナの頬はポッと熱くなった。
「は、破廉恥ですっ!」
慌てるハナに、リサはクスクスと笑い続ける。
「でもね、本当は――」
リサは声をひそめ、ハナを手招きする。リサの方に寄ると、彼女はつぶやくように言った。
「旦那様は、妹を探してらっしゃるの。腹違いの妹がいらっしゃるらしいわ。夜会もそれが目的なんじゃないかって、私は思ってる」
「え……?」
ハナはリサの顔を見た。真剣な瞳に、嘘を言っているようには思えなかった。
「どうやらその妹が異国人の風貌をしているんですって。だから、旦那様は異国風の風貌の女中を雇っているのよ。妹かもしれないって。私やあなたも、そういうことだと思う」
(妹を探している――?)
ハナが難しい顔をしたので、リサは慌てて付け加えた。
「旦那様と執事長の会話を聞いてしまったの。多分、本当のことだと思うわ」
最後にリサは「誰にも秘密よ」と言うと、話は終わったと言わんばかりにごろりと寝返りを打つ。そのままうつぶせになり、先程読んでいた本にまた目を向けた。
ハナは仕方なくベッドに戻り、自身も布団を被った。
「明かり、消すわね」
リサがそう言って、部屋が暗くなる。
ハナは布団の中で、鷹保のことを考えた。
本心の読めない怖い笑みを浮かべる鷹保。けれど、ただの女中であるハナには親しげに話し相手を頼み、さらに妹探しをしているらしい。
そんな優しい一面を知るけれど、兄のことを話すときは寂しげに「過去のことは仕方ない」と言い、また帝都一の色男として夜会ごとに色々な淑女を試しているという。
(どれが本当の鷹保様なのだろう――?)
けれど、それを知ったところでハナにはどうしようもない。
ぐるぐる考えるよりは寝てしまえと、ハナはぎゅっと目をつぶった。
一週間が過ぎた。
ハナは毎朝はやくに庭の掃き掃除をすませ、日中は給仕の仕事を覚えるのに勤めた。執事長が優しく、女中長が厳しく、出迎え方から様々な作法まで教えてくれる。
覚えるのに必死だったハナは、ガゼボで鷹保の話し相手を頼まれることもなくなった。
アーモンドの花は満開になり、夜会の日が訪れた。日の沈んだ帝都の中、鷹保の屋敷の前にはひっきりなしに馬車が訪れる。
ハナはその様子を見る間もなく、大広間のテーブルに料理を並べていた。どれも見たことのない料理だったが、そんなことを気に留めている暇もない。
着飾った紳士淑女が歓談するなか、空になった皿やグラスを受け取っては調理場に運ぶ。
戻る途中に窓の外をちらりと見る。外はもう暗いのに、大広間の豪華な照明には煌々を明かりが灯る。
「ハナさん、もうほとんど料理もないからテーブルを片しましょう」
夜会の中ほどで、ハナはリサと共にテーブルを片付けた。大広間の隅にテーブルを運ぶと、不意にリサが言った。
「今日はダメね。日本人ばかりで、手がかりはなさそう」
その言葉に、ハナは鷹保の目的を思い出した。
(これは、妹を探すための夜会なんだ……!)
嫁探しというのは建前で、本当は妹を探しているらしい。
ハナはちらりと鷹保を見た。美しい令嬢を3人も侍らせ談笑する彼は、初めて見る正装姿だった。紺色の立て襟に、金色の飾り紐が肩で揺れる。
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「本当、西洋の王子様のよう。今夜は誰をお選びになるのかしら?」
ハナは肩を落とした。
(私はただの女中。鷹保様とは釣り合わないのよ)
そう思ってから、ハッとした。
(何を考えているの!? 私のような者が、公爵様とどうこうなろうだなんてなんて失礼な……!)
「ハナ、どうしたの? 顔が青いけれど」
次のテーブルを運ぼうと移動していたリサに言われ、ハナは慌てて「何でも無いです」と答えた。
大広間には、華麗な曲が流れ始める。紳士が淑女を誘い、舞踊を舞いはじめた。
(まあ……!)
初めて見るその光景に、ハナは心を奪われた。けれど、無意識に鷹保の姿を探してしまう自分がいる。
(いや、私、何で……)
「あとは片付けまでやることは無いから、使用人室で夜食をいただこう?」
リサに言われて、ハナは「はい」と答える。華やかな世界と隔離されて、ハナは安堵した。
やがて夜会が終了し、大広間の片付けを行った。
鷹保邸の使用人は少ないので、執事長の指示の下でてきぱきと皆が仕事をこなしても、どうしても夜中までかかってしまう。
女中たちは、どの方向にも失礼なく夜会を終わらせられたことに安堵しなから、自身の仕事をこなしていく。
ハナも片付けをしながら、夢のような世界を見れた嬉しさと、感じたことのない切なさに襲われていた。
(鷹保様は、今夜はどなたを選ばれたのかしら……?)
鷹保はきっと今頃、今日訪れたご令嬢の中のひとりと、帝都の街を謳歌している。その様子を思い浮かべると、余計に胸が痛くなる。
(そんなことどうでもいいじゃない! 私には関係ないわ!)
そう思うけれど、気になってしまい仕方ない。
気合を入れるようにふう、と息を吐き出すと、そのタイミングで女中長に声をかけられた。
「ハナさんはもうお上がりなさい。初めてで疲れたでしょう?」
ぼうっとしていたハナを気遣ってくれたらしい。ハナは身も入らない状態でいても仕方がないと厚意を受け入れ、一人で使用人棟に戻ることにした。
「ハナさん、戻るついでにこれを焼却炉まで持っていってくれないかい?」
料理人にごみの入った袋を手渡され、「はい」と受け取る。それで、ハナは裏口から焼却炉に向かい、庭を横切って使用人棟に戻ることになった。
3月も半ばを過ぎたが、夜はまだ風が冷たい。ハナは月明かりに照らされて散っていくアーモンドの花弁を眺めた。
「こうして見ると、本当に桜と区別がつかないわ」
そんなことを呟きながら、ガゼボの前を通り過ぎる。その時、金属の長椅子に紺色のズボンの膝と、月明かりを反射して輝く黒い靴を見つけた。
(まさか……?)
ハナは恐る恐る近づいた。けれどすぐに、近づいたことを後悔した。
案の定、鷹保だった。しかし、前のように眠ってはいなかったらしい。彼の顔を覗き込んだ瞬間に鷹保が目を開く。
目が合い、ハナの心臓が早鐘を打った。
「なんだ、おひいさんか」
鷹保は身体を起こした。
「お休みの所をすみません! こんな所で寝ていては、風邪を引いてしまうと思って……」
必死な言い訳だったが、鷹保は「そうだな」と相槌を打った。
「今日は、街には行かれなかったのですか……?」
ハナの問に、鷹保は苦笑を浮かべる。
「そうだねえ。良さそうな令嬢が、いなかったからね」
鷹保は口角を釣り上げる。白い歯が月明かりで光った。
「妹さんも、見つからなかったようで……」
その言葉に、鷹保はハッとハナを振り向く。けれどすぐに、諦めたようにため息を漏らした。
「知っていたのか、お前は」
今度はハナがハッとした。しまった、と思ったけれど言ってしまっては仕方ない。コクリとうなずくと、鷹保は視線を前に戻した。
「おひいさんには、何でもばれてしまうねえ」
諦めを帯びた瞳が優しく細められる。ハナがそれに見入っていると、鷹保が急にこちらを振り返った。
「でも、このことはもう私とおひいさんとの内緒だよ?」
今度は艶やかに微笑んで、人差し指を自身の口元に当てた。ハナがコクコクうなずくと、鷹保は満足したように立ち上がる。
「さあ、早く部屋にお戻り。本当に風邪をひいてしまっては大変だ」
鷹保は言いながら、別邸に脚を向ける。そのままヒラヒラと手を振りながら、別邸の中に入っていく。
「鷹保様、おやすみなさい」
何も気が利いたことが言えず、ハナは上ずる声でそう言った。鷹保のクスクス笑う声が聞こえたが、それ以上に自分の心臓の音の方が大きく聞こえた。
鷹保は、今夜は街に出なかった。
その事実だけで、ハナは安堵の気持ちでいっぱいになる。
けれど同時に、胸の奥がぎゅっとして、唾を飲み込むのも苦しくなる。
ハナは気づいてしまった。自分の中に芽生えた気持ちに。
そして、それは許されぬ恋だということに。
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でもめげない。嫌われてはいないと思っていたから。
だから鬱陶しいと邪険にされても気にせずアタックし続けた。
彼がほんとに私の事が嫌いだったと知るまでは……。嫌われていないなんて言うのは私の思い込みでしかなかった。
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
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