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第二部 死闘
第38話 誰かの為に出来ること その2
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―――――――――――――――
残り時間――5時間04分
残りデストラップ――6個
残り生存者――7名
死亡者――3名
ゲーム参加不能者――2名
重体によるゲーム参加不能からの復活者――1名
―――――――――――――――
非常灯と落下せずに残った蛍光灯が輝くなか、なんとかして五十嵐は階段を下りてようやく四階にたどり着いた。瑛斗がどこに向かったのか最初は見当もつかなかったが、円城との会話を思い出して、行き先の見当が付いた。
さっきまでは地震と爆発、それに瑛斗の豹変に気が動転するだけだったが、今は冷静に状況を判断できるぐらいに落ち着きを取り戻した。だから瑛斗の行き先も分かったのである。
いつもは冷静にリーダーとして振る舞えるのに、少しでも自分の予想と異なる事態が起きてしまうと、冷静さを欠き、ひどくうろたえてしまう。それが自分の欠点であると、五十嵐は自覚していた。
このとんでもないゲームに参加することになったきっかけも、その性格が災いしてのことだった。
――――――――――――――――
話は三ヶ月前に遡る――。
五十嵐は自分が経営するIT企業の経営戦略会議の席上で、ひとりの女性社員を殴ってしまった。その女性社員が自分の意見に反論したからだった。
今まで自分に対して反論を言ってくる社員などひとりもいなかった。五十嵐のリーダーシップによって大きく成長した会社だったので、社員たちは五十嵐の意見が絶対だと思い込んでおり、五十嵐も知らないうちに、会社内に五十嵐の意見に反対してはいけないという雰囲気が出来上がっていたのだ。
いわば五十嵐はハダカの王様状態だった。そして五十嵐自身、自分の商才に絶対の自信を持っていた。
それが間違っていると気付いたのは、殴ってしまった女性社員が床の上に転がるのを見たときであった。つまり、気付いた時にはもう手遅れだったのである。
「私、社長のことを絶対に訴えますからっ!」
その女性社員はそう言い残して、会議室から出て行った。女性社員のブラウスの胸元には、真っ赤な血がこびりついていた。
室内になんともいえない重たい空気が立ち込めた。むろん、会議はすぐにお開きとなった。
一週間後――口元にガーゼを張った女性社員が、弁護士を連れて会社に出勤してきた。
弁護士は莫大な額の慰謝料を請求してきた。今の会社の状況からすると、経営を圧迫するほどの額であった。
だから、五十嵐はその要求を突っぱねた。
翌日、更なる悪夢が待ち受けていた。テレビのワイドショーにパワハラだと大きく報じられてしまったのである。経済誌に若手実業家としてインタビューを受けたことがあった五十嵐のスキャンダルは、格好のネタにされてしまったのである。
それからというもの、毎日マスコミに追われるようになり、当然、会社経営は上手くいかなくなり、テレビを見た得意先からは契約を切られ、倒産間近の状態に陥ってしまった。
あのとき、弁護士が示した賠償請求を受け入れていれば――。
いや、あのとき、女性社員の意見を聞き入れるだけの度量があったら――。
いや、そもそも自分自身の欠点を少しでも直す努力を怠らなかったら――。
言い出しても栓無いことぐらい分かりきっているが、どうしても悔やんでも悔やみきれないでいた。
そんなときに、あの男が会社にあらわれたのだった。死神の代理人――紫人である。
「どうやら、ずいぶんとお困りのようですが、わたくしの話を聞いていただけませんか? あなた様にとって、決して悪いお話ではないと思うのですが」
いつもなら、そんな胡散臭い話など聞く耳をもたないが、そのときは藁にもすがる思いで話を聞いてしまった。
「実は相手側の弁護士さんからも話を聞いております。先方様は慰謝料にプラスして、痕が残らずに傷を治してくれるのであれば、訴えを下げてもよいと言っておられます。わたくしどもの方でお金を用意することは出来ませんが、その女性の傷を完璧に治すことは出来ます。もちろん、それにはひとつ条件が御座いますが――」
そう言って紫人はこのゲームの話をしてきた。全ての話を聞き終えた五十嵐に、断る理由はなかった。
「――参加させてもらうことにする」
五十嵐が死神と契約をした瞬間である。
――――――――――――――――
そして現在――。
五十嵐はまさにそのゲームの中に身を置いている。しかし、その胸に宿る思いは、ゲームを始めた当初とは大きく違っていた。
始めは自分の過去の汚点を消すためにゲームに参加したはずが、今はそんなことどうでもよくなっていた。とにかく円城に追い付いて、一緒に薫子を救出する。それが一番の思いだった。
なぜ気持ちに変化があらわれたのか、自分でもよく分からない。
ただひとつ言えることは、仮に薫子の救出に行かずにゲームに勝ったとしても、それであの女性社員の傷が治ったとしても、きっと自分は後悔すると思った。ここで行動しないと、なにかとても大切な物を失ってしまう気がしたのだ。
『それ』がなんなのか分からないが、『それ』を失ってしまったら、きっと自分はダメな人間のまま終わってしまう気した。
だから、危険を承知で薫子の救出に向かうことにしたのである。
廊下の先に人影が見えた。思わず声を掛けそうになるのをとめて、代わりに手を大きく振って合図を送る。相手も気付いたようで、手を振り返してくる。
ようやく円城に追い付いた。
今から、やるべきことをやらないといけない。いつまでも逃げ続けてばかりいてはいけないから――。
――――――――――――――――
円城が今にもステレッチャーごと診察室に飛び込もうとしたとき、視界の隅に動く物体が入りこんできた。とっさに作業を一時中断して、そちらに目をやった。
天井の明かり下に、手を振る五十嵐の姿が見えた。こちらも手を振り、合図を送る。それから診察室を手で示して、そこに瑛斗がいることを伝える。
五十嵐が手を使って頭上で丸を作る。話が伝わったらしい。
円城が見ていると、五十嵐は音をたてないように慎重な足取りで、こちらに近寄ってきた。
お互いに顔を見合わせて、ほぼ同時にうなずきあった。言葉を発しなくとも、お互いの気持ちは分かったのである。
「このストレッチャーを使って、診察室に飛び込むつもりだ。それであの男が驚いた隙を突く」
円城は早口で自分が立てた作戦を説明した。
「作戦は円城さんにお任せします」
五十嵐はすぐに円城の作戦を飲み込んだ。
「それじゃ、君にはこのストレッチャーを押してもらいたい。今の私にはそれもひと苦労だからな」
「分かりました。円城さんはストレッチャーの上に乗ってください。ぼくがそのままストレッチャーを押すので」
「ああ、頼む。中に入ってあの男を見つけたら、私はストレッチャーの上からジャンプして飛び掛かる。君は薫子さんを保護してくれ。もしも怪我をしているようだったら、すぐに処置を頼む」
「処置といわれても、ぼくにはそんな知識がありませんが……」
「出血しているようだったら、その傷口を強く押さえるだけでいい。それだけでも大違いだから」
「分かりました。とにかくやってみます。ところで円城さんの方こそ、その傷で本当に大丈夫なんですか? なんなら、ぼくがあの男を――」
「いや、あの男は武器を持っているから、私が相手をするよ。さっきも言ったが、この傷のお返しもしなきゃならないしな」
円城はグルグル巻きにしたサージカルテープの上から、瑛斗にメスでやられた傷口を軽く叩いてみせた。
「そういうことならば、最初の作戦通りに行きましょう。あっ、ちょっと待ってください。もしかしたら、あれが使えるかもしれない――」
五十嵐の視線が天井のある物体を捉えていた。
円城は五十嵐の視線の先を追った。その物体を見て大きく首を縦に振り、五十嵐の案にのった。
「たしかにあれなら使えそうだ。あの男がデストラップの前兆だと間違って認識してくれたら、最高の引っ掛けになるぞ」
――――――――――――――――
お腹に突き刺したメスを、ゆっくりとへその方へと動かしていく。軽く刺したさきほどと異なり、出血の量が桁違いに多い。診察台の上にたちまち赤い池が出来上がる。
薫子は依然として気を失ったままである。
お腹を五分の一ほど切り開いたところで、一旦、手の動きを止めた。緊張の為か、それとも興奮状態の為か、つい刃先を奥深くに突き入れてしまいそうになるのだ。赤ちゃんを傷つけることだけは絶対にしてはならない。
ここで少し休憩を入れて、精神を落ち着かせる。
大きく三回深呼吸をした。
よし、これならいけるぞ。
瑛斗は再度メスをゆっくりと動かしていく。
そのとき、廊下の方からけたたましい音があがった。非常ベルの音が鳴り響いたのだ。
この神聖な儀式を邪魔されたくなかったので無視しようとしたが、そこで今自分がゲームに参加していることを思い出した。
もしかしたら、この音はデストラップの前兆かもしれない。だとしたら、無視し続けるわけにはいかなかった。
「ボクの人生で一番大事なときなのに」
ひとまず薫子のことは頭の隅に移動させる。腹に突き刺していたメスも慎重に抜いた。非常ベルとデストラップとの関連性を考えて、安全なようならすぐに儀式を再開すればいいだけだ。
火災発生、火、煙、一酸化炭素中毒――。
非常ベルから連想される危険事項の数々を脳裏に思い浮かべていた、まさにそのとき――。
残り時間――5時間04分
残りデストラップ――6個
残り生存者――7名
死亡者――3名
ゲーム参加不能者――2名
重体によるゲーム参加不能からの復活者――1名
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非常灯と落下せずに残った蛍光灯が輝くなか、なんとかして五十嵐は階段を下りてようやく四階にたどり着いた。瑛斗がどこに向かったのか最初は見当もつかなかったが、円城との会話を思い出して、行き先の見当が付いた。
さっきまでは地震と爆発、それに瑛斗の豹変に気が動転するだけだったが、今は冷静に状況を判断できるぐらいに落ち着きを取り戻した。だから瑛斗の行き先も分かったのである。
いつもは冷静にリーダーとして振る舞えるのに、少しでも自分の予想と異なる事態が起きてしまうと、冷静さを欠き、ひどくうろたえてしまう。それが自分の欠点であると、五十嵐は自覚していた。
このとんでもないゲームに参加することになったきっかけも、その性格が災いしてのことだった。
――――――――――――――――
話は三ヶ月前に遡る――。
五十嵐は自分が経営するIT企業の経営戦略会議の席上で、ひとりの女性社員を殴ってしまった。その女性社員が自分の意見に反論したからだった。
今まで自分に対して反論を言ってくる社員などひとりもいなかった。五十嵐のリーダーシップによって大きく成長した会社だったので、社員たちは五十嵐の意見が絶対だと思い込んでおり、五十嵐も知らないうちに、会社内に五十嵐の意見に反対してはいけないという雰囲気が出来上がっていたのだ。
いわば五十嵐はハダカの王様状態だった。そして五十嵐自身、自分の商才に絶対の自信を持っていた。
それが間違っていると気付いたのは、殴ってしまった女性社員が床の上に転がるのを見たときであった。つまり、気付いた時にはもう手遅れだったのである。
「私、社長のことを絶対に訴えますからっ!」
その女性社員はそう言い残して、会議室から出て行った。女性社員のブラウスの胸元には、真っ赤な血がこびりついていた。
室内になんともいえない重たい空気が立ち込めた。むろん、会議はすぐにお開きとなった。
一週間後――口元にガーゼを張った女性社員が、弁護士を連れて会社に出勤してきた。
弁護士は莫大な額の慰謝料を請求してきた。今の会社の状況からすると、経営を圧迫するほどの額であった。
だから、五十嵐はその要求を突っぱねた。
翌日、更なる悪夢が待ち受けていた。テレビのワイドショーにパワハラだと大きく報じられてしまったのである。経済誌に若手実業家としてインタビューを受けたことがあった五十嵐のスキャンダルは、格好のネタにされてしまったのである。
それからというもの、毎日マスコミに追われるようになり、当然、会社経営は上手くいかなくなり、テレビを見た得意先からは契約を切られ、倒産間近の状態に陥ってしまった。
あのとき、弁護士が示した賠償請求を受け入れていれば――。
いや、あのとき、女性社員の意見を聞き入れるだけの度量があったら――。
いや、そもそも自分自身の欠点を少しでも直す努力を怠らなかったら――。
言い出しても栓無いことぐらい分かりきっているが、どうしても悔やんでも悔やみきれないでいた。
そんなときに、あの男が会社にあらわれたのだった。死神の代理人――紫人である。
「どうやら、ずいぶんとお困りのようですが、わたくしの話を聞いていただけませんか? あなた様にとって、決して悪いお話ではないと思うのですが」
いつもなら、そんな胡散臭い話など聞く耳をもたないが、そのときは藁にもすがる思いで話を聞いてしまった。
「実は相手側の弁護士さんからも話を聞いております。先方様は慰謝料にプラスして、痕が残らずに傷を治してくれるのであれば、訴えを下げてもよいと言っておられます。わたくしどもの方でお金を用意することは出来ませんが、その女性の傷を完璧に治すことは出来ます。もちろん、それにはひとつ条件が御座いますが――」
そう言って紫人はこのゲームの話をしてきた。全ての話を聞き終えた五十嵐に、断る理由はなかった。
「――参加させてもらうことにする」
五十嵐が死神と契約をした瞬間である。
――――――――――――――――
そして現在――。
五十嵐はまさにそのゲームの中に身を置いている。しかし、その胸に宿る思いは、ゲームを始めた当初とは大きく違っていた。
始めは自分の過去の汚点を消すためにゲームに参加したはずが、今はそんなことどうでもよくなっていた。とにかく円城に追い付いて、一緒に薫子を救出する。それが一番の思いだった。
なぜ気持ちに変化があらわれたのか、自分でもよく分からない。
ただひとつ言えることは、仮に薫子の救出に行かずにゲームに勝ったとしても、それであの女性社員の傷が治ったとしても、きっと自分は後悔すると思った。ここで行動しないと、なにかとても大切な物を失ってしまう気がしたのだ。
『それ』がなんなのか分からないが、『それ』を失ってしまったら、きっと自分はダメな人間のまま終わってしまう気した。
だから、危険を承知で薫子の救出に向かうことにしたのである。
廊下の先に人影が見えた。思わず声を掛けそうになるのをとめて、代わりに手を大きく振って合図を送る。相手も気付いたようで、手を振り返してくる。
ようやく円城に追い付いた。
今から、やるべきことをやらないといけない。いつまでも逃げ続けてばかりいてはいけないから――。
――――――――――――――――
円城が今にもステレッチャーごと診察室に飛び込もうとしたとき、視界の隅に動く物体が入りこんできた。とっさに作業を一時中断して、そちらに目をやった。
天井の明かり下に、手を振る五十嵐の姿が見えた。こちらも手を振り、合図を送る。それから診察室を手で示して、そこに瑛斗がいることを伝える。
五十嵐が手を使って頭上で丸を作る。話が伝わったらしい。
円城が見ていると、五十嵐は音をたてないように慎重な足取りで、こちらに近寄ってきた。
お互いに顔を見合わせて、ほぼ同時にうなずきあった。言葉を発しなくとも、お互いの気持ちは分かったのである。
「このストレッチャーを使って、診察室に飛び込むつもりだ。それであの男が驚いた隙を突く」
円城は早口で自分が立てた作戦を説明した。
「作戦は円城さんにお任せします」
五十嵐はすぐに円城の作戦を飲み込んだ。
「それじゃ、君にはこのストレッチャーを押してもらいたい。今の私にはそれもひと苦労だからな」
「分かりました。円城さんはストレッチャーの上に乗ってください。ぼくがそのままストレッチャーを押すので」
「ああ、頼む。中に入ってあの男を見つけたら、私はストレッチャーの上からジャンプして飛び掛かる。君は薫子さんを保護してくれ。もしも怪我をしているようだったら、すぐに処置を頼む」
「処置といわれても、ぼくにはそんな知識がありませんが……」
「出血しているようだったら、その傷口を強く押さえるだけでいい。それだけでも大違いだから」
「分かりました。とにかくやってみます。ところで円城さんの方こそ、その傷で本当に大丈夫なんですか? なんなら、ぼくがあの男を――」
「いや、あの男は武器を持っているから、私が相手をするよ。さっきも言ったが、この傷のお返しもしなきゃならないしな」
円城はグルグル巻きにしたサージカルテープの上から、瑛斗にメスでやられた傷口を軽く叩いてみせた。
「そういうことならば、最初の作戦通りに行きましょう。あっ、ちょっと待ってください。もしかしたら、あれが使えるかもしれない――」
五十嵐の視線が天井のある物体を捉えていた。
円城は五十嵐の視線の先を追った。その物体を見て大きく首を縦に振り、五十嵐の案にのった。
「たしかにあれなら使えそうだ。あの男がデストラップの前兆だと間違って認識してくれたら、最高の引っ掛けになるぞ」
――――――――――――――――
お腹に突き刺したメスを、ゆっくりとへその方へと動かしていく。軽く刺したさきほどと異なり、出血の量が桁違いに多い。診察台の上にたちまち赤い池が出来上がる。
薫子は依然として気を失ったままである。
お腹を五分の一ほど切り開いたところで、一旦、手の動きを止めた。緊張の為か、それとも興奮状態の為か、つい刃先を奥深くに突き入れてしまいそうになるのだ。赤ちゃんを傷つけることだけは絶対にしてはならない。
ここで少し休憩を入れて、精神を落ち着かせる。
大きく三回深呼吸をした。
よし、これならいけるぞ。
瑛斗は再度メスをゆっくりと動かしていく。
そのとき、廊下の方からけたたましい音があがった。非常ベルの音が鳴り響いたのだ。
この神聖な儀式を邪魔されたくなかったので無視しようとしたが、そこで今自分がゲームに参加していることを思い出した。
もしかしたら、この音はデストラップの前兆かもしれない。だとしたら、無視し続けるわけにはいかなかった。
「ボクの人生で一番大事なときなのに」
ひとまず薫子のことは頭の隅に移動させる。腹に突き刺していたメスも慎重に抜いた。非常ベルとデストラップとの関連性を考えて、安全なようならすぐに儀式を再開すればいいだけだ。
火災発生、火、煙、一酸化炭素中毒――。
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