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第二部 ジェノサイド
第58話 悪の終焉とゲームの終演 その2 第十五の犠牲者
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――――――――――――――――
残り時間――7分
残りデストラップ――1個
残り生存者――5名
死亡者――11名
重体によるゲーム参加不能者――3名
――――――――――――――――
目の前に不意に現われた巨大な黒塊。しかも正確に真っ直ぐこちらに向かってきている。さらに加えて、尋常でないくらいの速さである。
「な、な、なんだよ……あれは? このままじゃ、ぶつかるぞっ!」
春元はすぐさま電気バスのシフトをバックに入れて、後進しようと試みたが間に合わなかった。
ゴズギュッ!
黒塊がバスのフロント部分を直撃した。
「タ、タ、タイヤ……なのか……?」
一瞬チラッと視界に入った黒塊の丸い形状から、その正体を瞬間的に察した。かなり大きなタイヤだ。そのタイヤがどういうわけか猛スピードで道を転がってきて、電気バスに正面衝突したのだ。
フロントにぶつかったタイヤはその衝撃で大きく上空に跳ね上がっていった。春元はタイヤの行方を追うように視線を上に動かした。すると――。
「マ、マ、マジかよ……」
空高く飛んでいったタイヤが一転、今度は落下の法則に従って空から真っ逆さまに落ちてきたのである。落下地点には春元たちが乗った電気バスがある。
「クソっ! また直撃コースじゃんかよっ!」
電気バスを発進させている暇はない。春元は咄嗟の判断で運手席から身を投げ出してタイヤから逃げることにした。
ゴズドゥンッ!
タイヤが電気バスの床に激突して、重量感を伴った音があがる。落下地点はまさに春元のすぐ脇だった。体を動かしていなければ、今ごろタイヤの下敷きになっていたところだ。そのままタイヤは電気バスの床を跳ねて転がっていく。そして最後尾の座席の上を上手い具合にジャンプして通過すると、そのまま外へと落ちていった。
「ふぅー、危なかったぜ……。まさに間一髪ってところだったな」
身に迫る脅威がなくなったのを確認すると、春元はヴァニラとイツカの元に駆け寄った。バス内をタイヤが走り抜けたので、万が一にも2人が怪我を負っている可能性があったのだ。
先にイツカの様子を確認する。
「――よし、どこにも異常はないな。イツカちゃん、あと少しでゲームが終わるから、それまで頑張ってくれよ」
次にヴァニラの様子を確認する。幸いにして、ヴァニラも怪我はしていなかった。
「良かった。目の前にタイヤが突然現われたときはどうなるかと思ったが、何事も無く避けることが出来たみたいだな。──ヴァニラ、もうちょっとだから我慢しててくれよな」
ヴァニラに優しく声を掛ける。ヴァニラの体に掛けていた春元のピンクのジャンパーが少しずれていたので、そっと掛け直した。ほんの気休め程度にしかならないが、苦しそうな表情を浮かべているヴァニラを見ていると、何かしてあげたくなるのだ。それが恋愛感情なのか、はたまた同情なのかは、春元自身でも分からない。
派手なピンクのジャンパーの胸元には、春元が応援しているアイドルの名前の刺繍がアルファベットで大きく入っている。
『エリムス』
春元が愛して止まない地下アイドルである。
このゲームが終わったら、また『エリムス』の応援活動に励まないとな。
そんなことをふと思っていると、唐突に違和感が走った。
『エリムス』
何度も耳で聞いた名前である。何度も目で見た名前である。何度も口に出して言った名前である。春元自身が『ある英単語』を元にして考え出した名前だったのだ。それがなぜか不思議と頭から離れない。
エリムス、エリムス、エリムス、エリムス、エリムス…………。
しばらく頭の中で『エリムス』という名前を呪文のように何度も唱えていると、出し抜けに脳内にパッと強い光が差し込んできた。
えっ……! ま、ま、待てよ……。こ、こ、これって……ぐ、ぐ、偶然なのか……? それとも、オレが深読みしているだけなのか……? でも、こんな偶然……有りえないよな……。だとしたら……『そういう意味』で合っているのか……? もしも、オレの考えが正しければ……美佳の正体は……美佳の正体は死――。
にわかには信じがたい解答が導き出された。自分で考えたにも関わらず、まだ信じきれずにいた。有りえないという思いと、もしかしたらという疑念がせめぎ合って、渦のように脳内を巡っていく。
「――でも、オレの考えが正解だったとしたら、スオウ君の身が心配だ……。よし、こうしちゃいられないぞ。早くスオウ君にこのことを教えないと!」
運転席に急いで戻る。巨大なタイヤの直撃を受けたが、動力系統に損傷はなく、すぐに電気バスは発進させることが出来た。
「スオウ君、まだ気を抜くなよ! 最後の最後にもうひと波乱起こるかもしれないぞっ!」
――――――――――――――――
道の先からこちらに向かって電気バスが走ってくるのが見えた。
「春元さーーーーーーんっ!」
スオウは地面にしゃがみ込んだまま、春元の運転する電気バスがやってくるのを待つことにした。
やっと終わったみたいだな……。
心中には達成感と安堵の気持ちがあった。
あとはゲーム勝者の賞金を受け取って、すぐに妹の移植手術の段取りをして──。
これからのことを順序立てて考えていると、聞いたことないような不気味な異音が聞こえてきた。
ギュグギギギギギギィィィィィーーーーーン。
重量のある物質が無理やり捻じ曲がる音。あえて言葉で形容するならば――途方も無い長い年月の間、重く閉ざされていた門が、何百年振りかに力付くで開けられようとしている音──と言ったらいいだろうか。
「なんだよ、この聞いたことのないような重い音は……?」
スオウは慌てて周囲を見回した。視界の中に異常は見られない。しかし──。
ギュグギギギギギギィィィィィーーーーーン。
不気味な軋み音は続いている。地を這うような重低音である。人の恐怖心を煽るような禍々しい音だった。
「嫌な予感がしてきたぞ……。まだゲームは終わっていないということなのか……?」
平穏な気持ちが一気に吹っ飛び、まだ見ぬ恐怖が胸の内を静かに侵食していく。
スオウはさらに注意深く周辺に警戒の視線を飛ばした。そこでスオウの視線がある一点で凍りついたように固定された。そこに音の出所があった。さきほどからずっと視界の中に入っていたのだが、あまりにも巨大過ぎて、目に入っていたにも関わらず、そうとは気付かなかったのである。
「あそこから音が漏れているのか……? でも、いったい何の音なんだ……?」
口から自然とつぶやきが漏れた。
スオウの目が捉えたもの──それは遊園地のシンボルともいえる巨大な観覧車だった。
「そういえば竜巻注意情報のメールを受け取ったけど、それと何か関係があるのか……?」
数時間前に市内全域に竜巻注意情報が出されたのを思い出した。強風によって観覧車が揺れているのかと思ったのだ。
だが、竜巻注意情報が出されたのは数時間前であり、今は微風すら吹いていない。
「じゃあ、この軋み音はどうして出ているんだ……?」
難問を前にして、首を軽く傾げた。そこで視界に違和感が走った。小首を傾げた状態で観覧車を見つめていると、おかしな点があることに気付いたのである。
「ん? どうして観覧車が傾いているんだ? おれが首を傾げているからか……? いや、違うな……えっ? これって、まさか──!」
慌てて首を元に戻した。斜めになっていた風景が元の形に戻る。しかし、観覧車だけは依然として傾いたままである。
「つまり……か、か、観覧車が……傾いて、いるっていう……ことなのか……?」
現実の光景を目の当たりにしながらも、まだ現実感が湧かなかった。なぜ、という疑問の方が大きかった。
観覧車を最初に目にしたのは、この坂道を登っていったときのことである。まだゲームも序盤の頃だ。
そうだ、思い出したぞ! この観覧車は立ち入りが禁止されていたんだ!
観覧車乗り場には、工事現場でよく見掛ける黄色と黒のロープが張られており、中に入ることが出来なくなっていた。近くには立て看板も設置されていて、老朽化の為閉鎖中、と表示されていたことを思い出した。
老朽化ということは、観覧車は長年の使用で耐久性が落ちていた可能性が高かった。稼動させるには危険な状態であったということだ。その観覧車に坂道の上から暴走してきたクレーン車が激突した。しかも観覧車を支えている鉄骨の支柱に直撃したのである。
いや、それだけじゃないぞ。さっきクレーン車は大爆発を起こしたんだ……。もしも、あの爆発の衝撃が観覧車の支柱に伝わっていたとしたら……。
最悪な予感が頭を過ぎる。
でも、それはおかしいぞ……。デストラップはさっきのクレーン車のタイヤのやつで、全部発動し終わったはずじゃないのか……? それとも死神がウソをついていて、デストラップはもっとあるっていうことなのか……?
頭が混乱してきた。差し迫った状況だという認識はあるが、まだ目の前の事態を受け入れられない自分がいる。
スオウが考え悩んでいる間にも、観覧車の傾きは徐々に大きくなりつつあった。数秒前までは注意して見ないと気付かなかったが、今はもうはっきりと傾いているのが分かるくらいなまでになっている。まるで悪夢が現実の世界にゆっくりと這い出してくるかような恐ろしい光景だった。
ゴギュウウウウウウウウーーーー!
先ほどとは明らかに異なる音がした。鉄骨製の支柱が限界にきているのだ。もしも、観覧車を支える支柱が耐え切れなくなったら──。
クソっ! そういうことかっ! おれはとんでもない勘違いをしていたんだっ!
スオウの頭に突然解答が舞い降りてきた。
スオウは足元に転がってきたホイールカバーを見たとき、クレーン車の大きなタイヤが転がってくるデストラップの前兆だと考えた。確かに間違ってはいなかったが、それには『続き』があったのだ。
転がってきたクレーン車のタイヤも、デストラップの前兆を示していたんだ! ホイールカバーとタイヤは二重のデストラップの前兆だったんだ!
ふたつの前兆が示すデストラップとは――。
ホイールカバーは丸くて転がりやすい。クレーン車のタイヤも丸くて転がりやすい。そして――。
「観覧車も……確かに『丸い』よな……」
スオウは驚愕の表情を浮かべたまま観覧車をじっと凝視した。
「ま、ま、まさか……この馬鹿でかい『輪』が……こ、こ、転がってくるのか……?」
呆然とつぶやく。
「いや、だとしたら……ここから逃げないと……。早く……逃げないと……。このままじゃ……観覧車に……押し潰されるぞ!」
今夜何度目かとなる死神の冷たい息吹を、スオウは背筋にぞわりと吹き掛けられた気がした。
そのとき、ついに乗客が乗り込む観覧車のゴンドラ部分が地面に接地した。それだけ大きく観覧車は傾いているということである。
いよいよ観覧車が地面を転がり始めようとしていた――。
――――――――――――――――
春元は外の異変に瞬時に気が付いた。電気バスのアクセルを少し緩めて、視界に入る光景を注視する。
最初は目の錯覚かと思った。余りにも非現実的な光景だったからである。あるいは長時間、緊張状態が続いているので、目が疲れてしまったのかとも考えた。
だが、肉眼に写る光景は間違いなく現実のものだった。
見上げるほどの大きさを誇る観覧車がゆっくりと、しかし確実に傾きつつあったのだ!
「なんなんだよ、いったい! 何が起こっているんだ? もう訳が分からねえよっ!」
春元が焦燥感にかられている間に、とうとう観覧車のゴンドラ部分が接地した。
「このままあの観覧車が転がりだしたら、確実に押し潰されて──」
そこで頭がひとつの解答にたどり着いた。
「そうか……。つまりこいつが……最後のデストラップだったんだ!」
やっと現実に起きている光景の真の意味を理解した。
「こいつはヤバイぞ! 早くスオウ君たちを救わないと、観覧車の回転に巻き込まれて、全員ぺしゃんこに潰されちまうちまうぞ!」
ビビッビッーーーー!
春元はこれでもかと派手にクラクションを鳴らしながら、電気バスのアクセルを強く踏み込んだ。
――――――――――――――――
ビビッビッーーーー!
前方から電気バスのクラクションが大音量で聞こえてきた。おそらく春元も観覧車の異変を察知したのだろう。クラクションを鳴らし続けながら電気バスが猛スピードでこちらに向かってくる。そこに――。
パアアアアアーーーンッ!
乾いた音が重なって聞こえてきた。
スオウの周辺の地面がザザッと砂煙を立てる。銃弾が地面を抉ったのだ。
「じょ、じょ、冗談、だろう……? あいつ……まだ、生きていたのか……? まさか……あの男、死神かよ……?」
スオウが驚いて背後を振り返ると、果たして、そこには阿久野の姿があった。
パアアアアアーーーンッ!
再び、銃声があがった。銃弾の着弾地点は、スオウの足元からかなり離れた地面である。
「――そうか、その首じゃ正確無比な射撃ってわけにはいかないみたいだな」
クレーン車の巨大タイヤの直撃を受けた阿久野の首は、九十度近く歪に曲がっており、頬が肩にくっつきそうなぐらいであった。その為、射撃の狙いが定まらないのだろう。
よし、これならあいつから逃げ切れるかもしれないぞ!
そう瞬時に心中で判断を下した。
「美佳さん、全力で走るぞ!」
スオウは地面にしゃがみこんだままの美佳の手を掴んで、力付くで強引に引き起こすと、電気バスに向かって走り出した。しかし、その足取りは走るというよりは、むしろ歩いているようにしか見えなかった。今のスオウの体には、銃弾を受けた美佳を支えながら走るだけの体力はなかったのである。
視界の先の電気バスに向かっているはずなのに、いっかな電気バスに近付かない。それほどまでにスオウの体力は落ちているということの現われだった。
春元さんが来るのを待った方がいいのか?
そんな考えも過ぎったが、背後にいる阿久野のことを考えると、少しでも阿久野から離れたかった。射撃の狙いが定まらないとはいえ、銃口を向けられていることに代わりはないのだ。万が一の可能性だって、無きにしも非ずである。
パアアアアアーーーンッ!
考えているそばから、また発砲音が木霊した。着弾位置はまたも地面だったが、先ほどと比べてスオウのいる位置に近付いていた。阿久野が曲がった首のことを計算に入れたうえで、狙いを修正して射撃してきたのだ。
あと何発か撃たれたら、確実に体に当てられるぞ……。
胸の内ににわかに焦りが生じてきた。そのとき──。
ドオグゥゴォォォォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!
大地を揺るがすほどの爆音が轟いた。観覧車の支柱部分が完全に切断し、支えを失った観覧車本体がとうとう地面の上に落下したのである。そして、地面の上をゆっくりと転がり始めた。
その先にはスオウと美佳がいる!
「クソっ! おれたちは観覧車の通り道にいるんじゃんかよっ! このままじゃ、本当に押し潰されるぞっ!」
観覧車に押し潰されるよりも先に、心が押し潰されるほどの恐怖が襲ってきた。
ビビッビッーーーー!
パアアアアアーーーンッ!
電気バスのクラクションがけたたましく響く。さらに銃声が木霊する。その間にも、地面の土を深く抉りながら観覧車が転がってくる。
バギュリッバギュリッ!
地面と観覧車本体との間に挟まったゴンドラ部分が、破壊音をあげながら潰れていく。さながら機械獣の最後の咆哮のごとき音だった。
スオウは美佳を支えたまま必死に走る。しかし、電気バスまではまだ遠い。むしろ背後から聞こえてくる観覧車の回転音の方が、徐々に近付きつつあるように感じられた。
ビビッビッーーーー!
パアアアアアーーーンッ!
けたたましいバスのクラクションと乾いた銃の発砲音。
ズゥゴオゥンッズゥゴオゥンッ!
バギュリッバギュリッ!
観覧車の回転音とゴンドラの潰れる音。
この世の地獄と化した園内の道を命懸けで走り続けるスオウの耳に、春元の叫び声が聞こえてきた。
「スオウくーーーーーーーーーーーーーーんっ!」
少し先で電気バスは停車していた。すぐそばには春元の姿もある。地面を転がる観覧車を見て、これ以上電気バスで近付くのは危険と春元が判断したのだろう。スオウも春元の判断は正しいと思った。電気バスの中にはイツカとヴァニラが乗っているのだ。2人を危険な目に合わすわけにはいかない。
「スオウくーーーーーーーーーーーーーーんっ!」
電気バスから降りた春元が慌てふためいた様子で両手を大きく振って、こちらに何事か必死に伝えようとしていた。
「春元さーーーーーーーーーーーーん! 逃げて下さーーーーーーーーーーーーーい! このままじゃ、倒れた観覧車にみんな巻き込まれまーーーーーーーーーーーーーーーーーす!」
スオウは大声で叫び返した。今の走る速さでは観覧車との競争に勝てそうもないと察していた。だとしたら、せめて春元たちだけでも無事に逃げ切って欲しかった。スオウたちが逃げてくるのをその場で待っていたら、春元たちまで回転する観覧車に巻き込まれてしまう恐れがあった。そういう事態だけは何としてでも避けなくてはならない。
「スオウくーーーーーーーーーーーーーん! よーーーーーーーく聞いてくれーーーーーーーーっ! 美佳は、し………が……だああああーーーーーーーーーーーーっ! いいか、美佳の正体は、し……がみなんだあああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
回転する観覧車の轟音に掻き消されてしまって、春元の声は細部が聞き取れなかった。美佳のことを何か言っているみたいなのは分かったが、この状況で何を伝えようとしているのか見当がまるで付かない。
「春元さーーーーーーーーん! それよりも、逃げてーーーーーーーーーーーーーーっ! 早く逃げてーーーーーーーーーーーーーーっ! おれたちのことはいいから、早く逃げて下さーーーーーーーーーーーーーーーいっ!」
春元の言葉も気にはなったが、今は逃げることが最重要であり、最優先すべきである。スオウは声が続く限り何度も春元に避難を呼びかけた。
「早く逃げてーーーーーーーーーーーーーーっ! 早く逃げて下さーーーーーーーーーーーーーーーいっ!」
「…………」
「早く逃げてーーーーーーーーーーーーーーっ! このままじゃ、共倒れになりまーーーーーーーーーーーーーーーすっ! 逃げて下さーーーーーーーーーーーーーーーいっ!」
「――分かったーーーーーーーーーーーーーーっ!」
ようやくスオウの思いが届いたのか、その場から離れることを躊躇する様子を見せていた春元も、何かを振り切るようにして、急いで電気バスの中に戻っていく。フロントをこちらに向けたままの電気バスが、今度は猛然と後退していく。
春元さん、イツカを──イツカを――頼みます……。イツカを……必ず助けて下さい!
胸の中で春元に最後のお願いをした。今スオウに出来ることはこれしかないのだ。
パアアアアアーーーンッ!
そんなスオウの切なる思いを打ち消すような乾いた銃声。着弾位置はスオウの足元付近。予想通り、阿久野が確実に狙いを修正してきた。
クソっ! どこまでしつこい男なんだ! お前の相手をしている暇はないんだよっ! 今はとにかく逃げるしかない! もう逃げるしかないんだっ!
スオウが再び右足を前に出そうとしたとき──。
パアアアアアーーーンッ!
スオウの右肩を灼熱の炎が貫いていった。人生で一度も感じたことの無い激痛に顔を激しく歪める。まさに今一歩前へと踏み出そうとしていた右足の力が急激に抜け落ちて、胸から地面に崩れ落ちていくスオウ。顔面を地面に強打して、頭の中で白い光がスパークする。しかしすぐに正気を取り戻して、地面に腹ばいになったままの状態で、阿久野の方に視線を飛ばした。
10メートルほど離れた位置に、その男はいた。不気味な角度に曲がった首の先に、歪んだ笑みを浮かべる阿久野の顔があった。この世のものとは思えないゾッとする姿だった。阿久野の背後には、巨大な観覧車がすぐそこまで迫っている。その光景はさながら、死者を地獄に運ぶ火の付いた車──火車《かしゃ》と地獄の悪鬼のごとき姿を思わせた。
「ごうばら……悪運あまじゃ……俺じ、味方ぎで……くれでいだ……みたいがだ……(どうやら、悪運はまだ俺に味方してくれていたみたいだな)」
首が変形したせいか、阿久野の言葉は所々濁音交じりになっていた。それがかえって恐ろしさと禍々しさを強調していた。
「…………」
地面に倒れこんだままの状態で、目を逸らすことなく、ただ阿久野の顔を睨み続けることしか出来ないスオウ。
観覧車はさらに着実に迫りつつあった。阿久野は自分の背後に迫り来る観覧車のことなど、まったく気にしていない様子である。あるいはタイヤで首を強打したときに聴覚をやられて、観覧車のことに気が付いていないだけなのかもしれない。いずれにしろ、今の阿久野はスオウを殺すことに狂信的なまでに執念を燃やしているのだけは確かだった。
「ごでべ、ごばえぼ、おばりだあああああああああああーーーーーーーーーーーーーー! じねええええええええええええええええええーーーーーーーーーー!(これで、お前も、終わりだあああああああああああーーーーーーーーーーーーーー! 死ねえええええええええええええーーーーーーーーーーーーー!)」
阿久野は銃口をスオウに向けると、これが最後だと言わんばかりに死の宣言を叫び放った。
しかし、銃声が響き渡る前に、別の音がスオウのすぐ近くであがった。
ピューフュルルルルゥゥーーー!
美佳の指笛である。
「――――!」
あれほどスオウを殺すことに妄執していた阿久野の視線が、一瞬宙を彷徨った。美佳が指笛を吹く動作でも見たのか、また野犬が襲い掛かってくると警戒したのだろう。
その一瞬が、まさに阿久野にとって命取りとなった。
阿久野のすぐ背後にまで迫っていた観覧車が、雪崩の如く阿久野に圧し掛かっていく。
異変を察したのか阿久野が首を無理やりに後方に向けようとする。しかし、首が歪に曲がっているため出来ない。
そして、次の瞬間──。
阿久野は回転する観覧車の下敷きになった。阿久野の体が呆気なく押し潰される。
地面と観覧車の間にいた阿久野がどうなったのかは、神のみぞ──いや、死神のみぞ知ることとなった。
だが、地獄はまだ続いている。
阿久野を地獄に送った観覧車が、さらに次の獲物を喰らうべく前方に転がって来る。
今度は……おれたちの……番かよ……。
スオウは指笛を吹いて危機を救ってくれた美佳の顔に素早く視線を向けた。果たして、肩を撃たれた自分の力で、美佳を伴って逃げることが出来るかどうか――。
「――わたしを置いて逃げて。あなたひとりならば、なんとかなるはずでしょ?」
まるでスオウの心の迷いを読んだかのように、美佳が早口でささやいてきた。
「えっ……」
思わず返す言葉に詰まってしまった。確かにスオウひとりならば、なんとか逃げ切れるかもしれなかった。しかし、それは同時に、美佳を見殺しにするということでもあるのだ。
だから、スオウはこう答えた。
「冗談言っている暇があったら、神様でも死神様でもいいから全力で祈ってくれよ!」
万事休すで、 八方塞がりで、絶体絶命で、危機的な最悪の状況の中で、地獄の一歩手前にいるにも関わらず、なぜかそんな軽口を言うことが出来た。
「今ならまだ逃げられるのよ? 妹さんを助けるんでしょ?」
美佳の言葉に今夜初めて人間らしい感情がこもった。
「――ひとりの命を救う為に、ひとりの命を見捨てることなんて、おれには絶対に出来ないから! それにここで君のことを見放したら、妹に顔向けが出来ないからな!」
スオウは美佳の顔を見つめて、はっきりとそう言い切った。
「──ありがとう」
今夜初めて美佳の顔に笑みが浮かんだ。乱れた前髪の奥から深い色をした綺麗な目が覗き、スオウの顔を優しく見つめていた。
「それじゃ、2人で逃げるぞ! 絶対に逃げ切ってみせるからなっ!」
スオウは美佳が立ち上がるのを手伝った。
右肩にはまだ灼熱の痛みがあった。コンバットナイフで斬られた右太ももからも激しく出血していた。
それでも足を前へと一歩踏み出した。
「うりゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!」
背後から迫ってくる死の恐怖に負けないほどの咆哮を放った。腹の底から魂の雄たけびを張り上げた。不思議と恐怖はすっかり消えていた。
数秒後──。
後方から迫ってきていた観覧車が、スオウと美佳の体に圧し掛かってきた──。
――――――――――――――――
結局、暴走した観覧車はイベント広場まで転がっていき、そこでようやく回転の勢いが弱まった。少しだけ右側に傾いたかと思ったら、そのまま今度は池の方に向かっていき、大きな水没音をあげながら池に飛び込んでいった。しばらく池の中を進んだ後、水の抵抗で前に進む力を全て失った観覧車は、盛大な水しぶきをあげながら水面に倒れていき、ゆっくりと水底に沈んでいった。
そして──今夜のデス13ゲームは終演となった。
生き残ったゲーム参加者のスマホにメールが届いた。
『 ゲーム退場者――3名 スオウ 美佳 阿久野
残り時間――0分
残りデストラップ――0個
残り生存者――2名
死亡者――12名
重体によるゲーム参加不能者――5名 』
「ひとりが死んで、2人が参加不能者になったのか……。スオウ君が生きててくれればいいが……」
春元はメールの文書を見つめながら、重たい声でつぶやいた。
ほどなくして生き残ったゲーム参加者のスマホに、紫人からの最後のメールが届いた。
『 最後のデストラップが発動しました。
同時にゲーム時間も0分となりました。
今夜のデス13ゲームはこれで終了となります。
現時点で生存されていられる参加者の皆様が勝者となります。
長時間、ご苦労様でした。
なお勝者の報酬については、準備が整い次第、順次入金の手続きに入らせていただきます。
勝者――2名
春元康
毒嶋櫻子
死神代理人 紫人 』
残り時間――7分
残りデストラップ――1個
残り生存者――5名
死亡者――11名
重体によるゲーム参加不能者――3名
――――――――――――――――
目の前に不意に現われた巨大な黒塊。しかも正確に真っ直ぐこちらに向かってきている。さらに加えて、尋常でないくらいの速さである。
「な、な、なんだよ……あれは? このままじゃ、ぶつかるぞっ!」
春元はすぐさま電気バスのシフトをバックに入れて、後進しようと試みたが間に合わなかった。
ゴズギュッ!
黒塊がバスのフロント部分を直撃した。
「タ、タ、タイヤ……なのか……?」
一瞬チラッと視界に入った黒塊の丸い形状から、その正体を瞬間的に察した。かなり大きなタイヤだ。そのタイヤがどういうわけか猛スピードで道を転がってきて、電気バスに正面衝突したのだ。
フロントにぶつかったタイヤはその衝撃で大きく上空に跳ね上がっていった。春元はタイヤの行方を追うように視線を上に動かした。すると――。
「マ、マ、マジかよ……」
空高く飛んでいったタイヤが一転、今度は落下の法則に従って空から真っ逆さまに落ちてきたのである。落下地点には春元たちが乗った電気バスがある。
「クソっ! また直撃コースじゃんかよっ!」
電気バスを発進させている暇はない。春元は咄嗟の判断で運手席から身を投げ出してタイヤから逃げることにした。
ゴズドゥンッ!
タイヤが電気バスの床に激突して、重量感を伴った音があがる。落下地点はまさに春元のすぐ脇だった。体を動かしていなければ、今ごろタイヤの下敷きになっていたところだ。そのままタイヤは電気バスの床を跳ねて転がっていく。そして最後尾の座席の上を上手い具合にジャンプして通過すると、そのまま外へと落ちていった。
「ふぅー、危なかったぜ……。まさに間一髪ってところだったな」
身に迫る脅威がなくなったのを確認すると、春元はヴァニラとイツカの元に駆け寄った。バス内をタイヤが走り抜けたので、万が一にも2人が怪我を負っている可能性があったのだ。
先にイツカの様子を確認する。
「――よし、どこにも異常はないな。イツカちゃん、あと少しでゲームが終わるから、それまで頑張ってくれよ」
次にヴァニラの様子を確認する。幸いにして、ヴァニラも怪我はしていなかった。
「良かった。目の前にタイヤが突然現われたときはどうなるかと思ったが、何事も無く避けることが出来たみたいだな。──ヴァニラ、もうちょっとだから我慢しててくれよな」
ヴァニラに優しく声を掛ける。ヴァニラの体に掛けていた春元のピンクのジャンパーが少しずれていたので、そっと掛け直した。ほんの気休め程度にしかならないが、苦しそうな表情を浮かべているヴァニラを見ていると、何かしてあげたくなるのだ。それが恋愛感情なのか、はたまた同情なのかは、春元自身でも分からない。
派手なピンクのジャンパーの胸元には、春元が応援しているアイドルの名前の刺繍がアルファベットで大きく入っている。
『エリムス』
春元が愛して止まない地下アイドルである。
このゲームが終わったら、また『エリムス』の応援活動に励まないとな。
そんなことをふと思っていると、唐突に違和感が走った。
『エリムス』
何度も耳で聞いた名前である。何度も目で見た名前である。何度も口に出して言った名前である。春元自身が『ある英単語』を元にして考え出した名前だったのだ。それがなぜか不思議と頭から離れない。
エリムス、エリムス、エリムス、エリムス、エリムス…………。
しばらく頭の中で『エリムス』という名前を呪文のように何度も唱えていると、出し抜けに脳内にパッと強い光が差し込んできた。
えっ……! ま、ま、待てよ……。こ、こ、これって……ぐ、ぐ、偶然なのか……? それとも、オレが深読みしているだけなのか……? でも、こんな偶然……有りえないよな……。だとしたら……『そういう意味』で合っているのか……? もしも、オレの考えが正しければ……美佳の正体は……美佳の正体は死――。
にわかには信じがたい解答が導き出された。自分で考えたにも関わらず、まだ信じきれずにいた。有りえないという思いと、もしかしたらという疑念がせめぎ合って、渦のように脳内を巡っていく。
「――でも、オレの考えが正解だったとしたら、スオウ君の身が心配だ……。よし、こうしちゃいられないぞ。早くスオウ君にこのことを教えないと!」
運転席に急いで戻る。巨大なタイヤの直撃を受けたが、動力系統に損傷はなく、すぐに電気バスは発進させることが出来た。
「スオウ君、まだ気を抜くなよ! 最後の最後にもうひと波乱起こるかもしれないぞっ!」
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道の先からこちらに向かって電気バスが走ってくるのが見えた。
「春元さーーーーーーんっ!」
スオウは地面にしゃがみ込んだまま、春元の運転する電気バスがやってくるのを待つことにした。
やっと終わったみたいだな……。
心中には達成感と安堵の気持ちがあった。
あとはゲーム勝者の賞金を受け取って、すぐに妹の移植手術の段取りをして──。
これからのことを順序立てて考えていると、聞いたことないような不気味な異音が聞こえてきた。
ギュグギギギギギギィィィィィーーーーーン。
重量のある物質が無理やり捻じ曲がる音。あえて言葉で形容するならば――途方も無い長い年月の間、重く閉ざされていた門が、何百年振りかに力付くで開けられようとしている音──と言ったらいいだろうか。
「なんだよ、この聞いたことのないような重い音は……?」
スオウは慌てて周囲を見回した。視界の中に異常は見られない。しかし──。
ギュグギギギギギギィィィィィーーーーーン。
不気味な軋み音は続いている。地を這うような重低音である。人の恐怖心を煽るような禍々しい音だった。
「嫌な予感がしてきたぞ……。まだゲームは終わっていないということなのか……?」
平穏な気持ちが一気に吹っ飛び、まだ見ぬ恐怖が胸の内を静かに侵食していく。
スオウはさらに注意深く周辺に警戒の視線を飛ばした。そこでスオウの視線がある一点で凍りついたように固定された。そこに音の出所があった。さきほどからずっと視界の中に入っていたのだが、あまりにも巨大過ぎて、目に入っていたにも関わらず、そうとは気付かなかったのである。
「あそこから音が漏れているのか……? でも、いったい何の音なんだ……?」
口から自然とつぶやきが漏れた。
スオウの目が捉えたもの──それは遊園地のシンボルともいえる巨大な観覧車だった。
「そういえば竜巻注意情報のメールを受け取ったけど、それと何か関係があるのか……?」
数時間前に市内全域に竜巻注意情報が出されたのを思い出した。強風によって観覧車が揺れているのかと思ったのだ。
だが、竜巻注意情報が出されたのは数時間前であり、今は微風すら吹いていない。
「じゃあ、この軋み音はどうして出ているんだ……?」
難問を前にして、首を軽く傾げた。そこで視界に違和感が走った。小首を傾げた状態で観覧車を見つめていると、おかしな点があることに気付いたのである。
「ん? どうして観覧車が傾いているんだ? おれが首を傾げているからか……? いや、違うな……えっ? これって、まさか──!」
慌てて首を元に戻した。斜めになっていた風景が元の形に戻る。しかし、観覧車だけは依然として傾いたままである。
「つまり……か、か、観覧車が……傾いて、いるっていう……ことなのか……?」
現実の光景を目の当たりにしながらも、まだ現実感が湧かなかった。なぜ、という疑問の方が大きかった。
観覧車を最初に目にしたのは、この坂道を登っていったときのことである。まだゲームも序盤の頃だ。
そうだ、思い出したぞ! この観覧車は立ち入りが禁止されていたんだ!
観覧車乗り場には、工事現場でよく見掛ける黄色と黒のロープが張られており、中に入ることが出来なくなっていた。近くには立て看板も設置されていて、老朽化の為閉鎖中、と表示されていたことを思い出した。
老朽化ということは、観覧車は長年の使用で耐久性が落ちていた可能性が高かった。稼動させるには危険な状態であったということだ。その観覧車に坂道の上から暴走してきたクレーン車が激突した。しかも観覧車を支えている鉄骨の支柱に直撃したのである。
いや、それだけじゃないぞ。さっきクレーン車は大爆発を起こしたんだ……。もしも、あの爆発の衝撃が観覧車の支柱に伝わっていたとしたら……。
最悪な予感が頭を過ぎる。
でも、それはおかしいぞ……。デストラップはさっきのクレーン車のタイヤのやつで、全部発動し終わったはずじゃないのか……? それとも死神がウソをついていて、デストラップはもっとあるっていうことなのか……?
頭が混乱してきた。差し迫った状況だという認識はあるが、まだ目の前の事態を受け入れられない自分がいる。
スオウが考え悩んでいる間にも、観覧車の傾きは徐々に大きくなりつつあった。数秒前までは注意して見ないと気付かなかったが、今はもうはっきりと傾いているのが分かるくらいなまでになっている。まるで悪夢が現実の世界にゆっくりと這い出してくるかような恐ろしい光景だった。
ゴギュウウウウウウウウーーーー!
先ほどとは明らかに異なる音がした。鉄骨製の支柱が限界にきているのだ。もしも、観覧車を支える支柱が耐え切れなくなったら──。
クソっ! そういうことかっ! おれはとんでもない勘違いをしていたんだっ!
スオウの頭に突然解答が舞い降りてきた。
スオウは足元に転がってきたホイールカバーを見たとき、クレーン車の大きなタイヤが転がってくるデストラップの前兆だと考えた。確かに間違ってはいなかったが、それには『続き』があったのだ。
転がってきたクレーン車のタイヤも、デストラップの前兆を示していたんだ! ホイールカバーとタイヤは二重のデストラップの前兆だったんだ!
ふたつの前兆が示すデストラップとは――。
ホイールカバーは丸くて転がりやすい。クレーン車のタイヤも丸くて転がりやすい。そして――。
「観覧車も……確かに『丸い』よな……」
スオウは驚愕の表情を浮かべたまま観覧車をじっと凝視した。
「ま、ま、まさか……この馬鹿でかい『輪』が……こ、こ、転がってくるのか……?」
呆然とつぶやく。
「いや、だとしたら……ここから逃げないと……。早く……逃げないと……。このままじゃ……観覧車に……押し潰されるぞ!」
今夜何度目かとなる死神の冷たい息吹を、スオウは背筋にぞわりと吹き掛けられた気がした。
そのとき、ついに乗客が乗り込む観覧車のゴンドラ部分が地面に接地した。それだけ大きく観覧車は傾いているということである。
いよいよ観覧車が地面を転がり始めようとしていた――。
――――――――――――――――
春元は外の異変に瞬時に気が付いた。電気バスのアクセルを少し緩めて、視界に入る光景を注視する。
最初は目の錯覚かと思った。余りにも非現実的な光景だったからである。あるいは長時間、緊張状態が続いているので、目が疲れてしまったのかとも考えた。
だが、肉眼に写る光景は間違いなく現実のものだった。
見上げるほどの大きさを誇る観覧車がゆっくりと、しかし確実に傾きつつあったのだ!
「なんなんだよ、いったい! 何が起こっているんだ? もう訳が分からねえよっ!」
春元が焦燥感にかられている間に、とうとう観覧車のゴンドラ部分が接地した。
「このままあの観覧車が転がりだしたら、確実に押し潰されて──」
そこで頭がひとつの解答にたどり着いた。
「そうか……。つまりこいつが……最後のデストラップだったんだ!」
やっと現実に起きている光景の真の意味を理解した。
「こいつはヤバイぞ! 早くスオウ君たちを救わないと、観覧車の回転に巻き込まれて、全員ぺしゃんこに潰されちまうちまうぞ!」
ビビッビッーーーー!
春元はこれでもかと派手にクラクションを鳴らしながら、電気バスのアクセルを強く踏み込んだ。
――――――――――――――――
ビビッビッーーーー!
前方から電気バスのクラクションが大音量で聞こえてきた。おそらく春元も観覧車の異変を察知したのだろう。クラクションを鳴らし続けながら電気バスが猛スピードでこちらに向かってくる。そこに――。
パアアアアアーーーンッ!
乾いた音が重なって聞こえてきた。
スオウの周辺の地面がザザッと砂煙を立てる。銃弾が地面を抉ったのだ。
「じょ、じょ、冗談、だろう……? あいつ……まだ、生きていたのか……? まさか……あの男、死神かよ……?」
スオウが驚いて背後を振り返ると、果たして、そこには阿久野の姿があった。
パアアアアアーーーンッ!
再び、銃声があがった。銃弾の着弾地点は、スオウの足元からかなり離れた地面である。
「――そうか、その首じゃ正確無比な射撃ってわけにはいかないみたいだな」
クレーン車の巨大タイヤの直撃を受けた阿久野の首は、九十度近く歪に曲がっており、頬が肩にくっつきそうなぐらいであった。その為、射撃の狙いが定まらないのだろう。
よし、これならあいつから逃げ切れるかもしれないぞ!
そう瞬時に心中で判断を下した。
「美佳さん、全力で走るぞ!」
スオウは地面にしゃがみこんだままの美佳の手を掴んで、力付くで強引に引き起こすと、電気バスに向かって走り出した。しかし、その足取りは走るというよりは、むしろ歩いているようにしか見えなかった。今のスオウの体には、銃弾を受けた美佳を支えながら走るだけの体力はなかったのである。
視界の先の電気バスに向かっているはずなのに、いっかな電気バスに近付かない。それほどまでにスオウの体力は落ちているということの現われだった。
春元さんが来るのを待った方がいいのか?
そんな考えも過ぎったが、背後にいる阿久野のことを考えると、少しでも阿久野から離れたかった。射撃の狙いが定まらないとはいえ、銃口を向けられていることに代わりはないのだ。万が一の可能性だって、無きにしも非ずである。
パアアアアアーーーンッ!
考えているそばから、また発砲音が木霊した。着弾位置はまたも地面だったが、先ほどと比べてスオウのいる位置に近付いていた。阿久野が曲がった首のことを計算に入れたうえで、狙いを修正して射撃してきたのだ。
あと何発か撃たれたら、確実に体に当てられるぞ……。
胸の内ににわかに焦りが生じてきた。そのとき──。
ドオグゥゴォォォォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!
大地を揺るがすほどの爆音が轟いた。観覧車の支柱部分が完全に切断し、支えを失った観覧車本体がとうとう地面の上に落下したのである。そして、地面の上をゆっくりと転がり始めた。
その先にはスオウと美佳がいる!
「クソっ! おれたちは観覧車の通り道にいるんじゃんかよっ! このままじゃ、本当に押し潰されるぞっ!」
観覧車に押し潰されるよりも先に、心が押し潰されるほどの恐怖が襲ってきた。
ビビッビッーーーー!
パアアアアアーーーンッ!
電気バスのクラクションがけたたましく響く。さらに銃声が木霊する。その間にも、地面の土を深く抉りながら観覧車が転がってくる。
バギュリッバギュリッ!
地面と観覧車本体との間に挟まったゴンドラ部分が、破壊音をあげながら潰れていく。さながら機械獣の最後の咆哮のごとき音だった。
スオウは美佳を支えたまま必死に走る。しかし、電気バスまではまだ遠い。むしろ背後から聞こえてくる観覧車の回転音の方が、徐々に近付きつつあるように感じられた。
ビビッビッーーーー!
パアアアアアーーーンッ!
けたたましいバスのクラクションと乾いた銃の発砲音。
ズゥゴオゥンッズゥゴオゥンッ!
バギュリッバギュリッ!
観覧車の回転音とゴンドラの潰れる音。
この世の地獄と化した園内の道を命懸けで走り続けるスオウの耳に、春元の叫び声が聞こえてきた。
「スオウくーーーーーーーーーーーーーーんっ!」
少し先で電気バスは停車していた。すぐそばには春元の姿もある。地面を転がる観覧車を見て、これ以上電気バスで近付くのは危険と春元が判断したのだろう。スオウも春元の判断は正しいと思った。電気バスの中にはイツカとヴァニラが乗っているのだ。2人を危険な目に合わすわけにはいかない。
「スオウくーーーーーーーーーーーーーーんっ!」
電気バスから降りた春元が慌てふためいた様子で両手を大きく振って、こちらに何事か必死に伝えようとしていた。
「春元さーーーーーーーーーーーーん! 逃げて下さーーーーーーーーーーーーーい! このままじゃ、倒れた観覧車にみんな巻き込まれまーーーーーーーーーーーーーーーーーす!」
スオウは大声で叫び返した。今の走る速さでは観覧車との競争に勝てそうもないと察していた。だとしたら、せめて春元たちだけでも無事に逃げ切って欲しかった。スオウたちが逃げてくるのをその場で待っていたら、春元たちまで回転する観覧車に巻き込まれてしまう恐れがあった。そういう事態だけは何としてでも避けなくてはならない。
「スオウくーーーーーーーーーーーーーん! よーーーーーーーく聞いてくれーーーーーーーーっ! 美佳は、し………が……だああああーーーーーーーーーーーーっ! いいか、美佳の正体は、し……がみなんだあああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
回転する観覧車の轟音に掻き消されてしまって、春元の声は細部が聞き取れなかった。美佳のことを何か言っているみたいなのは分かったが、この状況で何を伝えようとしているのか見当がまるで付かない。
「春元さーーーーーーーーん! それよりも、逃げてーーーーーーーーーーーーーーっ! 早く逃げてーーーーーーーーーーーーーーっ! おれたちのことはいいから、早く逃げて下さーーーーーーーーーーーーーーーいっ!」
春元の言葉も気にはなったが、今は逃げることが最重要であり、最優先すべきである。スオウは声が続く限り何度も春元に避難を呼びかけた。
「早く逃げてーーーーーーーーーーーーーーっ! 早く逃げて下さーーーーーーーーーーーーーーーいっ!」
「…………」
「早く逃げてーーーーーーーーーーーーーーっ! このままじゃ、共倒れになりまーーーーーーーーーーーーーーーすっ! 逃げて下さーーーーーーーーーーーーーーーいっ!」
「――分かったーーーーーーーーーーーーーーっ!」
ようやくスオウの思いが届いたのか、その場から離れることを躊躇する様子を見せていた春元も、何かを振り切るようにして、急いで電気バスの中に戻っていく。フロントをこちらに向けたままの電気バスが、今度は猛然と後退していく。
春元さん、イツカを──イツカを――頼みます……。イツカを……必ず助けて下さい!
胸の中で春元に最後のお願いをした。今スオウに出来ることはこれしかないのだ。
パアアアアアーーーンッ!
そんなスオウの切なる思いを打ち消すような乾いた銃声。着弾位置はスオウの足元付近。予想通り、阿久野が確実に狙いを修正してきた。
クソっ! どこまでしつこい男なんだ! お前の相手をしている暇はないんだよっ! 今はとにかく逃げるしかない! もう逃げるしかないんだっ!
スオウが再び右足を前に出そうとしたとき──。
パアアアアアーーーンッ!
スオウの右肩を灼熱の炎が貫いていった。人生で一度も感じたことの無い激痛に顔を激しく歪める。まさに今一歩前へと踏み出そうとしていた右足の力が急激に抜け落ちて、胸から地面に崩れ落ちていくスオウ。顔面を地面に強打して、頭の中で白い光がスパークする。しかしすぐに正気を取り戻して、地面に腹ばいになったままの状態で、阿久野の方に視線を飛ばした。
10メートルほど離れた位置に、その男はいた。不気味な角度に曲がった首の先に、歪んだ笑みを浮かべる阿久野の顔があった。この世のものとは思えないゾッとする姿だった。阿久野の背後には、巨大な観覧車がすぐそこまで迫っている。その光景はさながら、死者を地獄に運ぶ火の付いた車──火車《かしゃ》と地獄の悪鬼のごとき姿を思わせた。
「ごうばら……悪運あまじゃ……俺じ、味方ぎで……くれでいだ……みたいがだ……(どうやら、悪運はまだ俺に味方してくれていたみたいだな)」
首が変形したせいか、阿久野の言葉は所々濁音交じりになっていた。それがかえって恐ろしさと禍々しさを強調していた。
「…………」
地面に倒れこんだままの状態で、目を逸らすことなく、ただ阿久野の顔を睨み続けることしか出来ないスオウ。
観覧車はさらに着実に迫りつつあった。阿久野は自分の背後に迫り来る観覧車のことなど、まったく気にしていない様子である。あるいはタイヤで首を強打したときに聴覚をやられて、観覧車のことに気が付いていないだけなのかもしれない。いずれにしろ、今の阿久野はスオウを殺すことに狂信的なまでに執念を燃やしているのだけは確かだった。
「ごでべ、ごばえぼ、おばりだあああああああああああーーーーーーーーーーーーーー! じねええええええええええええええええええーーーーーーーーーー!(これで、お前も、終わりだあああああああああああーーーーーーーーーーーーーー! 死ねえええええええええええええーーーーーーーーーーーーー!)」
阿久野は銃口をスオウに向けると、これが最後だと言わんばかりに死の宣言を叫び放った。
しかし、銃声が響き渡る前に、別の音がスオウのすぐ近くであがった。
ピューフュルルルルゥゥーーー!
美佳の指笛である。
「――――!」
あれほどスオウを殺すことに妄執していた阿久野の視線が、一瞬宙を彷徨った。美佳が指笛を吹く動作でも見たのか、また野犬が襲い掛かってくると警戒したのだろう。
その一瞬が、まさに阿久野にとって命取りとなった。
阿久野のすぐ背後にまで迫っていた観覧車が、雪崩の如く阿久野に圧し掛かっていく。
異変を察したのか阿久野が首を無理やりに後方に向けようとする。しかし、首が歪に曲がっているため出来ない。
そして、次の瞬間──。
阿久野は回転する観覧車の下敷きになった。阿久野の体が呆気なく押し潰される。
地面と観覧車の間にいた阿久野がどうなったのかは、神のみぞ──いや、死神のみぞ知ることとなった。
だが、地獄はまだ続いている。
阿久野を地獄に送った観覧車が、さらに次の獲物を喰らうべく前方に転がって来る。
今度は……おれたちの……番かよ……。
スオウは指笛を吹いて危機を救ってくれた美佳の顔に素早く視線を向けた。果たして、肩を撃たれた自分の力で、美佳を伴って逃げることが出来るかどうか――。
「――わたしを置いて逃げて。あなたひとりならば、なんとかなるはずでしょ?」
まるでスオウの心の迷いを読んだかのように、美佳が早口でささやいてきた。
「えっ……」
思わず返す言葉に詰まってしまった。確かにスオウひとりならば、なんとか逃げ切れるかもしれなかった。しかし、それは同時に、美佳を見殺しにするということでもあるのだ。
だから、スオウはこう答えた。
「冗談言っている暇があったら、神様でも死神様でもいいから全力で祈ってくれよ!」
万事休すで、 八方塞がりで、絶体絶命で、危機的な最悪の状況の中で、地獄の一歩手前にいるにも関わらず、なぜかそんな軽口を言うことが出来た。
「今ならまだ逃げられるのよ? 妹さんを助けるんでしょ?」
美佳の言葉に今夜初めて人間らしい感情がこもった。
「――ひとりの命を救う為に、ひとりの命を見捨てることなんて、おれには絶対に出来ないから! それにここで君のことを見放したら、妹に顔向けが出来ないからな!」
スオウは美佳の顔を見つめて、はっきりとそう言い切った。
「──ありがとう」
今夜初めて美佳の顔に笑みが浮かんだ。乱れた前髪の奥から深い色をした綺麗な目が覗き、スオウの顔を優しく見つめていた。
「それじゃ、2人で逃げるぞ! 絶対に逃げ切ってみせるからなっ!」
スオウは美佳が立ち上がるのを手伝った。
右肩にはまだ灼熱の痛みがあった。コンバットナイフで斬られた右太ももからも激しく出血していた。
それでも足を前へと一歩踏み出した。
「うりゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!」
背後から迫ってくる死の恐怖に負けないほどの咆哮を放った。腹の底から魂の雄たけびを張り上げた。不思議と恐怖はすっかり消えていた。
数秒後──。
後方から迫ってきていた観覧車が、スオウと美佳の体に圧し掛かってきた──。
――――――――――――――――
結局、暴走した観覧車はイベント広場まで転がっていき、そこでようやく回転の勢いが弱まった。少しだけ右側に傾いたかと思ったら、そのまま今度は池の方に向かっていき、大きな水没音をあげながら池に飛び込んでいった。しばらく池の中を進んだ後、水の抵抗で前に進む力を全て失った観覧車は、盛大な水しぶきをあげながら水面に倒れていき、ゆっくりと水底に沈んでいった。
そして──今夜のデス13ゲームは終演となった。
生き残ったゲーム参加者のスマホにメールが届いた。
『 ゲーム退場者――3名 スオウ 美佳 阿久野
残り時間――0分
残りデストラップ――0個
残り生存者――2名
死亡者――12名
重体によるゲーム参加不能者――5名 』
「ひとりが死んで、2人が参加不能者になったのか……。スオウ君が生きててくれればいいが……」
春元はメールの文書を見つめながら、重たい声でつぶやいた。
ほどなくして生き残ったゲーム参加者のスマホに、紫人からの最後のメールが届いた。
『 最後のデストラップが発動しました。
同時にゲーム時間も0分となりました。
今夜のデス13ゲームはこれで終了となります。
現時点で生存されていられる参加者の皆様が勝者となります。
長時間、ご苦労様でした。
なお勝者の報酬については、準備が整い次第、順次入金の手続きに入らせていただきます。
勝者――2名
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毒嶋櫻子
死神代理人 紫人 』
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