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第二部 ジェノサイド
第57話 悪の終焉とゲームの終演 その1 第十五の犠牲者?
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――――――――――――――――
残り時間――16分
残りデストラップ――1個
残り生存者――5名
死亡者――11名
重体によるゲーム参加不能者――3名
――――――――――――――――
焦げ臭いにおいが鼻腔に感じられる。体全体に焼け付くような熱も感じる。そこで意識が現実の世界へと舞い戻ってきた。
お、お、おれは……い、い、生きて……いる、のか……?
体中に鈍痛があり、生きている心地がまるでしない。試しに目の前に自分の手を持ってきた。手のひらを何度か開いたり閉じたりしているのを見ている内に、ようやく生きているという実感が湧いてきた。
よ、よ、良かった……どうやら……なんとか、生き伸びた……みたい……だな……。
地面に倒れたままの状態で、今度は眼だけを左右に動かしてみた。すぐ傍に美佳の姿があった。さらに目を動かすと、すこし離れた場所で盛大に焚き火が燃えているのが見えた。そこが熱の発生源らしい。
電気バスの車体が大きな炎で包まれていた。スオウが予想した通り、電気バスはバッテリーの爆発を起こして、火災を発生させていた。
電気バスの車体は、真ん中辺りからきれいに真っ二つに切断していた。衝突の衝撃で捻じ曲がっていた車体が、バッテリー爆発の衝撃に耐え切れずに、引き裂かれてしまったのだろう。電気バスの周辺には飛ばされた座席や焦げたタイヤなど、色々なものが散乱しており、爆発の規模が窺い知れた。
メラメラとした炎の舌は周囲にも伸びていた。園内の木々にも飛び火が移って、あちらこちらで小火が発生している。
まあ、百点満点とはいかなかったけど……作戦通りには……なったかな……。
ぼんやりとそんなことを思った。だが、そこですぐに意識が切り替わった。
そうだ……あいつだ……! あの男のことを忘れていた! あいつはどうなったんだ? さっき届いたメールには、名前が書いていなかったけど……。
ぞわりと悪寒が背中を走り抜けた。あの爆発の衝撃の中、阿久野は生き残ったのだ!
「だめだ! ここにいたら危険だ! 逃げないと……」
スオウは覚束ない足に必死に力を込めて、なんとか地面から立ち上がった。幸い、歩くのが困難になるような深い傷や酷い怪我は負っていない。
よし、怪我はしていないみたいだ。ゲーム終了まで残り十数分。これなら最後までいけるかもしれないぞ。
スオウの心中に希望の灯りが宿った。その灯りの温もりに背中を押されるようにして、次の行動に移る。
「美佳さん、すぐに逃げよう!」
倒れていた美佳を揺り起こした。
「…………」
美佳が焦点の定まらない虚ろな眼差しをスオウに向けてくる。まだ爆発の衝撃の余韻が抜け切れていないようだ。だが、意識が完全に回復するまで待ってはいられない。
「美佳さん、まだ落ち着いていないと思うけど、すぐにここから逃げないとならない! おれが肩を貸すから、早く移動しよう!」
スオウは美佳の右手を自分の肩に回すと、美佳の体を持ち上げた。安全を確認すべく、振り返って炎に包まれるバスを観察する。
よし、大丈夫だ。あいつの姿はどこにも見当たらない。今なら安全に逃げられるぞ。
周囲に阿久野の脅威がないことを確認すると、美佳を伴ってゆっくりと歩き出した。地面を踏みしめるたびに、足に生じた鈍痛が体中を駆け巡っていくが、意識的に考えないようにした。今は逃げることが最優先事項である。体を休めるのは安全を確認してからでも遅くはない。
ここがこのゲ-ムの最後の正念場になりそうだな。
そんな思いが胸中に湧いてきた。逆に考えると、この険しい山さえ乗り越えれば、その先にはゴールが見えてくるはずである。
そのとき、不意に2人の体に眩い光がさっと向けられた。
ま、ま、まさか、あの男か……? あいつ、どこかに隠れていたのか?
心中に暗い恐怖が生まれた。だが、この状態では為す術がない。
スオウが恐る恐る視線を光源の方に向けると、そこにはこちらに向かってくる一台の電気バスの姿があった。
暗い恐怖は一瞬で消え失せて、代わりに温かい気持ちが胸中に満ちてきた。
「──春元さん……。春元さん、ちゃんと約束を守ってくれたんだ! 迎えに来てくれたんだ!」
スオウは光に向かってこれでもかと言わんばかりに左右に大きく手を振った。
――――――――――――――――
爆発の衝撃に巻き込まれない安全な位置まで電気バスを走らせて停めると、あとは神頼みをするしかなかった。
スオウ君、絶対に戻って来るんだぞ! イツカちゃんだって待っているんだからな!
指が白くなるほどハンドルをこれでもかと強く握り締めながら、ただただ必死に祈り続ける。
そのとき、後方から凄まじい爆音が轟いてきた。
「――――!」
春元は急いでバスから飛び降りると、坂の下で吹き上がる炎の塊を愕然とした面持ちで凝視した。
スオウ君が言っていたデストラップというのは、この爆発のことだったのか……?
スオウとの別れ際に話した内容を思い出した。
2人が爆発の前に外に逃げていればいいが……。この爆発の規模からすると、もしもバスの中に留まっていたら、一巻の終わりだぞ……。
不安と心配が入り混じった感情が、何度も頭を駆け巡る。
頼む、頼む、頼む……。生きていてくれ……生きていてくれ……生きていてくれ……。
春元の精一杯の祈りが通じたのか、はたまた単なる死神の気まぐれなのか、爆発からしばらくすると、空高く広がった紅蓮の炎を背にして立つ人影が、視界の先に浮かび上がってきた。
スオウ君……? スオウ君、なのか……? ダメだ。ここからじゃ判別出来ない。この目でしっかり確認しないと!
春元は電気バスの運転席に駆け戻ると、急いで電気バスをUターンさせた。そして、すぐに電気バスを前進させる。
――――――――――――――――
地獄の業火に身を焼かれる前に、爆発の衝撃で体ごと車外に投げ出されていた。束の間空中遊泳を楽しんだ後、引力に導かれて落ちた場所は、園内の生け垣の真上だった。緑の葉が生い茂る植物がクッション代わりになったのか、体に大きなダメージは受けなかった。
こうして阿久野は爆発したバスから奇跡的な生還を果たしたのだった。これを幸運と呼ばずして、何を幸運というのか。
いや、幸運じゃねえな……。ここまできたら……もはや、悪運と言った方がいいな……。
さながら植物に捕縛されたような状態だったが、戯言を言うだけの心理的余裕はあった。
生憎と、死神に連れて行かれるのはまだ先みたいだな……。だったら、やることをやって……きちんとけりをつけねえとな……。
体に絡まった植物の茎を強引に引き千切って、生け垣の中から這いずり出た。
爆発の前からあった肋骨と右足の痛みの他に、新たに左手に鈍痛があった。骨折まではしていないが、強打して捻挫したらしく、左手を動かすのは困難だった。
けっ、左手なんて死神にくれてやるよ。こっちは右手さえ使えればいいんだ。右手1本あれば、銃は使えるからな──。
右手をスーツに吊るしたホルスターに伸ばした。手にしっくりと収まるような拳銃のグリップの感触。さきほどまで持っていた拳銃は弾が切れてしまったし、何よりも電気バスが爆発した時に手の中からどこかへ飛んでいってしまった。
しかし、櫻子から奪った拳銃はしっかりとホルスターの中にあった。
へへへ、これさえあれば、まだまだ戦えるぜ……。
阿久野は拳銃を手にして、ゆっくりと前へ一歩踏み出した。
やれやれ、本当に公務員の仕事は激務だよな……。爆発に巻き込まれたっていうのに……こうして働かせるんだからな……。これじゃ、いくら残業手当を貰っても……割が合わねえよ……。
依然として好戦的な態度を崩さないまま、阿久野は我が道をひたすらに突き進む。
――――――――――――――――
「春元さーん! 春元さーん!」
何度も名前を連呼した。今すぐ電気バスまで走り出したい気分だったが、体が言うことをきかないので、大声を出してアピールした。
「美佳さん、助かったみたいだ。すぐに春元さんがバスで駆けつけてくれるはずだから」
隣を歩く美佳に嬉しい報告をする。
「うん……」
軽く頷いた美佳だったが、しかし、何の前触れもなく唐突に前のめりになり、体をよろけさせた。
パアアアアアーーーンッ!
乾いた音は後から聞こえてきた。
「美佳さんっ!」
スオウは地面に倒れそうになる美佳の体を必死に支えた。スカートから覗いた美佳の右太ももからは真っ赤な血が流れ出ている。何が起きたのかは明白だった。わざわざ背後を振り返って確認するまでもない。ここまでの正確な射撃の腕を持っている人間はひとりしかいない。
あの男……やっぱり生きていたのか……。
阿久野があの爆発から生き延びたのだと歯噛みする思いで察した。
わざと足を撃ってきやがったな……。
阿久野の狙いはすぐに読めた。こちらの動きを封じ込めた上で、止めを刺そうという魂胆なのだろう。刑事のくせに、やることがえげつなく悪どい。
「美佳さん、あの男の相手をしないとならなくなった。悪いけど、ここで座ってもらえるかい?」
スオウは美佳に声を掛けた。美佳を支えたままでは、あの悪の刑事と戦えない。
「――分かった」
拳銃で撃たれた箇所が痛むのか、美佳は珍しく顔をしかめながらその場にしゃがみ込んだ。
「もしも可能ならば、君は隙を見て逃げるんだ」
短く早口で指示を出すと、美佳の返事を聞く前に、ゆっくりと背後を振り返った。
ふらふらとした足取りでこちらに近付いてくる人影があった。
「あんたは本当に悪運の強い男だな!」
敢えて、スオウは強気な態度を見せた。気持ちで負けたくなかったのだ。
「俺は『悪』と手を組んだ刑事だからな。『悪運』だけは人一倍強いんだよ!」
炎を背にして立ち、拳銃を構える阿久野が軽口を叩く。
2人の距離はおよそ十数メートル。スオウには攻撃の術がない。さらには足を撃たれた美佳もいる。対して、阿久野は拳銃を手にしている。しかも射撃の腕前は正確無比を誇る。
せめて至近距離まで近付いてくれれば、あいつに飛び掛っていけるんだけど……。
狡賢い阿久野のことである、危険なことは絶対にしないはずだ。
電気バスは相変わらず燃え盛っている。火の勢いは一向に衰える気配がなく、電気バスに衝突されたセダンタイプの高級外車も炎で包まれようとしていた。
「さあ、そろそろ今夜の祭りも、ここらでお開きとしようぜ」
阿久野がぴったりと銃口をスオウに向けたまま、一歩ずつこちらに近付いてくる。
そのとき、再び世界に爆発音が轟き渡った――。
――――――――――――――――
銃声が聞こえた瞬間、春元は急ブレーキを踏んで電気バスを停車させた。視線の先に見えてきた新しい人影を見て、何が起きたのか瞬時に悟った。
スオウの後方に、拳銃を手にした阿久野の姿が現われたのだ。
「あいつ……まだ生き残っていたのかよ……」
このまま電気バスでスオウの元に近付いていったら、阿久野の恰好の的になってしまう。かといって、この場で停まっていても何も解決はしない。
「どうしたらいいんだ……? 何か名案はないのか……?」
前方を見詰めながら、必死に頭を働かせる。しかし、そんなに都合良く名案が思い浮かぶわけもなく、徒に時間だけが過ぎていく。
そして、再び春元の耳に爆発音が届いた――。
――――――――――――――――
電気バスに衝突されたセダンタイプの外車が激しく炎を噴き上げながら、ロケットのごとく上空に飛び上がっていった。数メートルほど飛んだところで半回転すると、今度は地面に真っ逆さまになって落下してくる。ガラスが砕け散る破砕音をBGMにして、ルーフとボンネットが紙のようにぐにゃりと潰れた。もはや車としての形状をすっかり失い、単なる鉄くずの塊が出来上がった。
「あの車……そうか、バスの炎が引火したのか!」
スオウは目の前で何事が起きたのかすぐに察した。電気バスを包んだ炎が、外車から漏れ出していたガソリンに引火したのだろう。それで外車が爆発を起こしたのだ。
外車からは黒煙が濛々と立ち昇っている。辺りには鼻を突くガソリンの刺激臭も広がる。
「こいつはいいぜ! 祭りの最後を彩る爆発ショーってところだな!」
阿久野はチラッと一度後方に素早く目を向けただけで、すぐにスオウの方に睨みを戻した。外車の爆発など一切気にする素振りを見せない。目の前のスオウを殺すことだけに集中しているのだ。
「こんなところでお互いにらめっこなんかしていないで、この場から逃げた方がいいんじゃないか? また爆発が起きるかもしれないだろう?」
スオウはダメは承知の上で、とりあえず言うだけ言ってみた。外車から出た炎は、次の獲物を狙っている。観覧車の支柱に激突して停まっているクレーン車にも炎が広がりつつあったのだ。
「逃げる必要はねえだろう? どうせお前は今ここで死ぬんだからな!」
阿久野が冷静に、そして冷酷に死刑判決を下す。
「クソ刑事が……」
スオウは銃口の先をじっと見詰めながら、逃げる算段を必死に熟考する。
あの外車は……確か慧登さんを追ってきたヤクザが乗っていた車だったよな……。あの外車の次にクレーン車が連鎖爆発を起こして、その衝撃に上手い具合にこの男が巻き込まれれば……。いや、クレーン車からここまでは距離がありすぎる。たとえ爆発が起きても、この男まで衝撃は届かないな……。だとしたら、この事態を切り抜けるにはどうしたらいいんだ……?
いよいよもって万策が尽きたかに思われた。残っているのは、一か八かで阿久野に飛び掛るしかない。そこで春元との会話を思い出した。
『命懸けの特攻はするなよ』
春元はそう言った。そして『絶対に生きろよ!』とも言ってくれた。その言葉の裏に込められた思いは、スオウにだって痛いぐらいに分かる。
そうだ、ここで春元さんの気持ちを台無しにするわけにはいかないんだ。春元さんだっておれとの約束を守って、危険を承知でバスで迎えに来てくれたんだからな。
スオウの背後には、春元が運転する電気バスが停まっている。おそらく春元は拳銃を構えた阿久野の姿を見て、こちらに近付けないでいるのだろう。
ここで諦めるわけにはいかない。きっとまだ何か手はあるはずだ。おれが見逃しているだけかもしれない。最後まで諦めずに頭をフル回転させるんだ! 奇策でも秘策でも妙策でも、この際なんでもいいから、頭から起死回生の策を搾り出すんだ!
スオウの脳内を神経伝達物質が猛スピードで駆け巡っていく。ギリギリの状況下で、頭だけが妙に冴え渡っていく。
「どうやら万事休すっていったところみたいだな」
阿久野が絶対に狙いを外さないであろう距離まで近付いてきた。その距離、およそ数メートル。スオウが飛び掛るには距離が有り過ぎるが、阿久野の射撃の腕前ならば百発百中の距離である。
「何か言い残すことはあるか? 俺だって高校生を殺すのは忍びないと思っているんだぜ。せめて遺言ぐらいはお情けで聞いてやるよ」
阿久野の言葉尻には勝者の響きがあった。自分の勝ちを信じて疑っていないのだ。
「悪いが、おれはまだ諦めていないからな!」
「分かった。それがおまえの遺言だな。ちゃんと聞いてやったぜ。──それじゃ、ここで大人しく死にやがれ!」
阿久野が引き鉄に掛けた指に力を込める。
次の瞬間──スオウの視界が真っ赤に染まった。
しかし、スオウが撃たれたわけではなかった。赤の正体は血ではない。スオウが予想していた通り、クレーン車が大爆発を起こしたのである。その炎で視界が赤一色に染まったのだ。
パアアアアアーーーンッ!
クレーン車の爆発音が残響するなか、乾いた発砲音が轟いた。スオウの左肩甲骨に灼熱の激痛が走り抜ける。阿久野が発砲したのだ。あと少し横に弾がずれていたら、確実に心臓は撃ち抜かれていただろう。おそらくクレーン車の爆発のせいで阿久野の狙いが外れたのだ。
一撃必殺は免れたが、着弾の衝撃で体が後方にもっていかれた。両足で踏ん張ろうとしたが、痛みの方が勝っていた。スオウはそのまま地面に倒れこんだ。苦痛で顔を歪めながらも、阿久野の様子を伺う。
「クソっ! 撃つ瞬間にジャマが入ったぜ! 狙いが僅かにズレちまったみたいだな。一瞬の痛みだけで殺してやろうと思ったのによ」
阿久野が拳銃を構えて、二撃目の準備に入る。その挙動はふてぶてしいくらい落ち着き払っている。
だが、スオウの目はそのとき、阿久野ではなく『別の物』をじっと注視していた。
地面を勢い良く転がってくる物体。銀色で丸い形状をしており、炎の明かりをキラキラと反射させている。大きな鍋の蓋のようにも見えるが、こんなところに鍋の蓋があるはずがない。そのままスオウの足元近くまで転がってきた。
阿久野の様子を伺いながら、その物体を手でさっと拾い上げた。
「これって――車のホイールか……?」
首を傾げつつ眺める。だが、すぐに自分の間違いに気付いた。
「いや、ホイールはタイヤが嵌っているやつだよな……。ていうことは、これは……そうか、ホイールカバーだ!」
スオウはなんとはなしに自分の胸元にホイールカバーを当ててみた。
「おいおい、そんなゴミを拾ってどうしようっていうんだ? まさか、銃弾を防ぐ盾代わりにでもするつもりか? そんなものはクソの役にも立たねえよ!」
阿久野が嘲笑ってきた。
阿久野が笑うのも分かる。目で見る限りホイールカバーはとても薄く、銃弾など簡単に貫通してしまいそうな形状をしているのだ。
これじゃ、有っても無くても同じだよな。
ホイールカバーを捨てようとした。だが、心の中で何かが引っ掛かった。それは直感といっても良かった。頭の隅に形の無いぼんやりとした考えが生まれていた。もう一度、手にしたホイールカバーをじっくりと観察する。
パアアアアアーーーンッ!
右手が物凄い衝撃で持っていかれた。阿久野がホイールカバーをわざと狙って銃で撃ってきたのだ。
「大人の忠告はしっかりと聞くもんだぜ。言っただろう、そんな紙みたいに薄っぺらなホイールカバーじゃ、銃弾は防げねえんだよっ!」
着弾の衝撃でスオウの手から弾かれたホイールカバーが、再び地面の上をコロコロと転がっていく。その様を目で追っていると――。
えっ、この状態って……そういう意味なのか――?
天啓が閃いた。光の衝撃が脳内を貫いた。意識の海から解答が浮かび上がってきた。
そうだ! このホイールカバーは前兆だったんだ! 最後のデストラップの前兆を示していたんだ!
スオウの頭の中でパズルのピーズが光の速さで組み合わさっていく。収まるべき場所にぴたりと嵌る。
「もう身を守るものはねえぜ。──さあ、今度こそ本当に死んでもらうからな」
阿久野が持つ拳銃の銃口からは、まだ紫煙が漂っている。
「お前はこの場で俺に殺される運命にあるんだよ!」
阿久野が声を張り上げる。
「おれは死なない! 絶対に死んでなんかたまるかよ!」
スオウは阿久野の怒号に動じることなく、阿久野の後方に目をやりながら、負けじと声を張り上げた。
「クソガキが! お前も明けることのない暗闇に堕ちやがれ!」
阿久野の指が引き鉄をまさに引こうとした瞬間──。
燃え盛るクレーン車から、炎を纏わり付かせた黒い塊が猛スピードで道を転がってきた。
刑事の勘か、それとも生存本能がそうさせたのか、何かを察した阿久野が背後を振り返ろうとする。だが阿久野の首の動きよりも、黒い塊のスピードの方が勝っていた。
ゴグブッ!
鈍い音をあげて、黒い塊が阿久野の後頭部を直撃する。
「危ないっ!」
スオウは咄嗟に地面目掛けて横っ飛びをして、目の前に迫ってきた黒い塊から紙一重のところで身を避けた。黒い塊は勢いを緩めることなく、そのまま道を転がっていく。
「――ふーっ、危なかったぜ……」
あとほんの数瞬、体を動かすのが遅かったら、スオウも阿久野と同じように黒い塊の直撃を受けていただろう。
「――あんたには神の鉄槌が下ったんだよ。いや、それとも死神の鉄槌だったのかもしれないけどな。これであんたの悪運も尽きたってことだ……」
地面にうつ伏せに倒れこむ阿久野の姿をじっと凝視する。阿久野の首はおよそ有りえないくらいの不自然な角度で曲がっていた。顔には信じられないというような表情が張り付いたままになっている。おそらく阿久野自身も、最後まで自分の身に何が起きたのか分からぬまま暗闇に堕ちていったのだろう。
阿久野の命を奪ったもの――それはクレーン車に取り付けられていた巨大なタイヤだった。
タイヤの直径は優に1メートルを越えている。重さで言えば数十キロ近い。それが猛スピードで転がってきて、阿久野の頭に直撃したのだ。その衝撃は計り知れない。
スオウはホイールカバーが転がっていく様を見て、それがデストラップの前兆であることに気が付いた。同時に、デストラップの正体がクレーン車に取り付けられているタイヤが転がってくることであるとも見抜いた。
何年か前に同じような事故の様子を捉えた動画を、ネットで見たことがあるのを思い出したのである。その動画は、高速道路を走っているトレーラーの巨大なタイヤが外れて、対向車に衝突するという内容だった。
果たして、スオウの予想は見事に的中して、絶体絶命のピンチから一転、間一髪のところで助かったのだった。
「一世一代の賭けだったけど、どうやら上手くいったみたいだな――」
最前から続いていた緊張がようやく解けた。スオウは大きく一回息を吐いた。
残り時間――16分
残りデストラップ――1個
残り生存者――5名
死亡者――11名
重体によるゲーム参加不能者――3名
――――――――――――――――
焦げ臭いにおいが鼻腔に感じられる。体全体に焼け付くような熱も感じる。そこで意識が現実の世界へと舞い戻ってきた。
お、お、おれは……い、い、生きて……いる、のか……?
体中に鈍痛があり、生きている心地がまるでしない。試しに目の前に自分の手を持ってきた。手のひらを何度か開いたり閉じたりしているのを見ている内に、ようやく生きているという実感が湧いてきた。
よ、よ、良かった……どうやら……なんとか、生き伸びた……みたい……だな……。
地面に倒れたままの状態で、今度は眼だけを左右に動かしてみた。すぐ傍に美佳の姿があった。さらに目を動かすと、すこし離れた場所で盛大に焚き火が燃えているのが見えた。そこが熱の発生源らしい。
電気バスの車体が大きな炎で包まれていた。スオウが予想した通り、電気バスはバッテリーの爆発を起こして、火災を発生させていた。
電気バスの車体は、真ん中辺りからきれいに真っ二つに切断していた。衝突の衝撃で捻じ曲がっていた車体が、バッテリー爆発の衝撃に耐え切れずに、引き裂かれてしまったのだろう。電気バスの周辺には飛ばされた座席や焦げたタイヤなど、色々なものが散乱しており、爆発の規模が窺い知れた。
メラメラとした炎の舌は周囲にも伸びていた。園内の木々にも飛び火が移って、あちらこちらで小火が発生している。
まあ、百点満点とはいかなかったけど……作戦通りには……なったかな……。
ぼんやりとそんなことを思った。だが、そこですぐに意識が切り替わった。
そうだ……あいつだ……! あの男のことを忘れていた! あいつはどうなったんだ? さっき届いたメールには、名前が書いていなかったけど……。
ぞわりと悪寒が背中を走り抜けた。あの爆発の衝撃の中、阿久野は生き残ったのだ!
「だめだ! ここにいたら危険だ! 逃げないと……」
スオウは覚束ない足に必死に力を込めて、なんとか地面から立ち上がった。幸い、歩くのが困難になるような深い傷や酷い怪我は負っていない。
よし、怪我はしていないみたいだ。ゲーム終了まで残り十数分。これなら最後までいけるかもしれないぞ。
スオウの心中に希望の灯りが宿った。その灯りの温もりに背中を押されるようにして、次の行動に移る。
「美佳さん、すぐに逃げよう!」
倒れていた美佳を揺り起こした。
「…………」
美佳が焦点の定まらない虚ろな眼差しをスオウに向けてくる。まだ爆発の衝撃の余韻が抜け切れていないようだ。だが、意識が完全に回復するまで待ってはいられない。
「美佳さん、まだ落ち着いていないと思うけど、すぐにここから逃げないとならない! おれが肩を貸すから、早く移動しよう!」
スオウは美佳の右手を自分の肩に回すと、美佳の体を持ち上げた。安全を確認すべく、振り返って炎に包まれるバスを観察する。
よし、大丈夫だ。あいつの姿はどこにも見当たらない。今なら安全に逃げられるぞ。
周囲に阿久野の脅威がないことを確認すると、美佳を伴ってゆっくりと歩き出した。地面を踏みしめるたびに、足に生じた鈍痛が体中を駆け巡っていくが、意識的に考えないようにした。今は逃げることが最優先事項である。体を休めるのは安全を確認してからでも遅くはない。
ここがこのゲ-ムの最後の正念場になりそうだな。
そんな思いが胸中に湧いてきた。逆に考えると、この険しい山さえ乗り越えれば、その先にはゴールが見えてくるはずである。
そのとき、不意に2人の体に眩い光がさっと向けられた。
ま、ま、まさか、あの男か……? あいつ、どこかに隠れていたのか?
心中に暗い恐怖が生まれた。だが、この状態では為す術がない。
スオウが恐る恐る視線を光源の方に向けると、そこにはこちらに向かってくる一台の電気バスの姿があった。
暗い恐怖は一瞬で消え失せて、代わりに温かい気持ちが胸中に満ちてきた。
「──春元さん……。春元さん、ちゃんと約束を守ってくれたんだ! 迎えに来てくれたんだ!」
スオウは光に向かってこれでもかと言わんばかりに左右に大きく手を振った。
――――――――――――――――
爆発の衝撃に巻き込まれない安全な位置まで電気バスを走らせて停めると、あとは神頼みをするしかなかった。
スオウ君、絶対に戻って来るんだぞ! イツカちゃんだって待っているんだからな!
指が白くなるほどハンドルをこれでもかと強く握り締めながら、ただただ必死に祈り続ける。
そのとき、後方から凄まじい爆音が轟いてきた。
「――――!」
春元は急いでバスから飛び降りると、坂の下で吹き上がる炎の塊を愕然とした面持ちで凝視した。
スオウ君が言っていたデストラップというのは、この爆発のことだったのか……?
スオウとの別れ際に話した内容を思い出した。
2人が爆発の前に外に逃げていればいいが……。この爆発の規模からすると、もしもバスの中に留まっていたら、一巻の終わりだぞ……。
不安と心配が入り混じった感情が、何度も頭を駆け巡る。
頼む、頼む、頼む……。生きていてくれ……生きていてくれ……生きていてくれ……。
春元の精一杯の祈りが通じたのか、はたまた単なる死神の気まぐれなのか、爆発からしばらくすると、空高く広がった紅蓮の炎を背にして立つ人影が、視界の先に浮かび上がってきた。
スオウ君……? スオウ君、なのか……? ダメだ。ここからじゃ判別出来ない。この目でしっかり確認しないと!
春元は電気バスの運転席に駆け戻ると、急いで電気バスをUターンさせた。そして、すぐに電気バスを前進させる。
――――――――――――――――
地獄の業火に身を焼かれる前に、爆発の衝撃で体ごと車外に投げ出されていた。束の間空中遊泳を楽しんだ後、引力に導かれて落ちた場所は、園内の生け垣の真上だった。緑の葉が生い茂る植物がクッション代わりになったのか、体に大きなダメージは受けなかった。
こうして阿久野は爆発したバスから奇跡的な生還を果たしたのだった。これを幸運と呼ばずして、何を幸運というのか。
いや、幸運じゃねえな……。ここまできたら……もはや、悪運と言った方がいいな……。
さながら植物に捕縛されたような状態だったが、戯言を言うだけの心理的余裕はあった。
生憎と、死神に連れて行かれるのはまだ先みたいだな……。だったら、やることをやって……きちんとけりをつけねえとな……。
体に絡まった植物の茎を強引に引き千切って、生け垣の中から這いずり出た。
爆発の前からあった肋骨と右足の痛みの他に、新たに左手に鈍痛があった。骨折まではしていないが、強打して捻挫したらしく、左手を動かすのは困難だった。
けっ、左手なんて死神にくれてやるよ。こっちは右手さえ使えればいいんだ。右手1本あれば、銃は使えるからな──。
右手をスーツに吊るしたホルスターに伸ばした。手にしっくりと収まるような拳銃のグリップの感触。さきほどまで持っていた拳銃は弾が切れてしまったし、何よりも電気バスが爆発した時に手の中からどこかへ飛んでいってしまった。
しかし、櫻子から奪った拳銃はしっかりとホルスターの中にあった。
へへへ、これさえあれば、まだまだ戦えるぜ……。
阿久野は拳銃を手にして、ゆっくりと前へ一歩踏み出した。
やれやれ、本当に公務員の仕事は激務だよな……。爆発に巻き込まれたっていうのに……こうして働かせるんだからな……。これじゃ、いくら残業手当を貰っても……割が合わねえよ……。
依然として好戦的な態度を崩さないまま、阿久野は我が道をひたすらに突き進む。
――――――――――――――――
「春元さーん! 春元さーん!」
何度も名前を連呼した。今すぐ電気バスまで走り出したい気分だったが、体が言うことをきかないので、大声を出してアピールした。
「美佳さん、助かったみたいだ。すぐに春元さんがバスで駆けつけてくれるはずだから」
隣を歩く美佳に嬉しい報告をする。
「うん……」
軽く頷いた美佳だったが、しかし、何の前触れもなく唐突に前のめりになり、体をよろけさせた。
パアアアアアーーーンッ!
乾いた音は後から聞こえてきた。
「美佳さんっ!」
スオウは地面に倒れそうになる美佳の体を必死に支えた。スカートから覗いた美佳の右太ももからは真っ赤な血が流れ出ている。何が起きたのかは明白だった。わざわざ背後を振り返って確認するまでもない。ここまでの正確な射撃の腕を持っている人間はひとりしかいない。
あの男……やっぱり生きていたのか……。
阿久野があの爆発から生き延びたのだと歯噛みする思いで察した。
わざと足を撃ってきやがったな……。
阿久野の狙いはすぐに読めた。こちらの動きを封じ込めた上で、止めを刺そうという魂胆なのだろう。刑事のくせに、やることがえげつなく悪どい。
「美佳さん、あの男の相手をしないとならなくなった。悪いけど、ここで座ってもらえるかい?」
スオウは美佳に声を掛けた。美佳を支えたままでは、あの悪の刑事と戦えない。
「――分かった」
拳銃で撃たれた箇所が痛むのか、美佳は珍しく顔をしかめながらその場にしゃがみ込んだ。
「もしも可能ならば、君は隙を見て逃げるんだ」
短く早口で指示を出すと、美佳の返事を聞く前に、ゆっくりと背後を振り返った。
ふらふらとした足取りでこちらに近付いてくる人影があった。
「あんたは本当に悪運の強い男だな!」
敢えて、スオウは強気な態度を見せた。気持ちで負けたくなかったのだ。
「俺は『悪』と手を組んだ刑事だからな。『悪運』だけは人一倍強いんだよ!」
炎を背にして立ち、拳銃を構える阿久野が軽口を叩く。
2人の距離はおよそ十数メートル。スオウには攻撃の術がない。さらには足を撃たれた美佳もいる。対して、阿久野は拳銃を手にしている。しかも射撃の腕前は正確無比を誇る。
せめて至近距離まで近付いてくれれば、あいつに飛び掛っていけるんだけど……。
狡賢い阿久野のことである、危険なことは絶対にしないはずだ。
電気バスは相変わらず燃え盛っている。火の勢いは一向に衰える気配がなく、電気バスに衝突されたセダンタイプの高級外車も炎で包まれようとしていた。
「さあ、そろそろ今夜の祭りも、ここらでお開きとしようぜ」
阿久野がぴったりと銃口をスオウに向けたまま、一歩ずつこちらに近付いてくる。
そのとき、再び世界に爆発音が轟き渡った――。
――――――――――――――――
銃声が聞こえた瞬間、春元は急ブレーキを踏んで電気バスを停車させた。視線の先に見えてきた新しい人影を見て、何が起きたのか瞬時に悟った。
スオウの後方に、拳銃を手にした阿久野の姿が現われたのだ。
「あいつ……まだ生き残っていたのかよ……」
このまま電気バスでスオウの元に近付いていったら、阿久野の恰好の的になってしまう。かといって、この場で停まっていても何も解決はしない。
「どうしたらいいんだ……? 何か名案はないのか……?」
前方を見詰めながら、必死に頭を働かせる。しかし、そんなに都合良く名案が思い浮かぶわけもなく、徒に時間だけが過ぎていく。
そして、再び春元の耳に爆発音が届いた――。
――――――――――――――――
電気バスに衝突されたセダンタイプの外車が激しく炎を噴き上げながら、ロケットのごとく上空に飛び上がっていった。数メートルほど飛んだところで半回転すると、今度は地面に真っ逆さまになって落下してくる。ガラスが砕け散る破砕音をBGMにして、ルーフとボンネットが紙のようにぐにゃりと潰れた。もはや車としての形状をすっかり失い、単なる鉄くずの塊が出来上がった。
「あの車……そうか、バスの炎が引火したのか!」
スオウは目の前で何事が起きたのかすぐに察した。電気バスを包んだ炎が、外車から漏れ出していたガソリンに引火したのだろう。それで外車が爆発を起こしたのだ。
外車からは黒煙が濛々と立ち昇っている。辺りには鼻を突くガソリンの刺激臭も広がる。
「こいつはいいぜ! 祭りの最後を彩る爆発ショーってところだな!」
阿久野はチラッと一度後方に素早く目を向けただけで、すぐにスオウの方に睨みを戻した。外車の爆発など一切気にする素振りを見せない。目の前のスオウを殺すことだけに集中しているのだ。
「こんなところでお互いにらめっこなんかしていないで、この場から逃げた方がいいんじゃないか? また爆発が起きるかもしれないだろう?」
スオウはダメは承知の上で、とりあえず言うだけ言ってみた。外車から出た炎は、次の獲物を狙っている。観覧車の支柱に激突して停まっているクレーン車にも炎が広がりつつあったのだ。
「逃げる必要はねえだろう? どうせお前は今ここで死ぬんだからな!」
阿久野が冷静に、そして冷酷に死刑判決を下す。
「クソ刑事が……」
スオウは銃口の先をじっと見詰めながら、逃げる算段を必死に熟考する。
あの外車は……確か慧登さんを追ってきたヤクザが乗っていた車だったよな……。あの外車の次にクレーン車が連鎖爆発を起こして、その衝撃に上手い具合にこの男が巻き込まれれば……。いや、クレーン車からここまでは距離がありすぎる。たとえ爆発が起きても、この男まで衝撃は届かないな……。だとしたら、この事態を切り抜けるにはどうしたらいいんだ……?
いよいよもって万策が尽きたかに思われた。残っているのは、一か八かで阿久野に飛び掛るしかない。そこで春元との会話を思い出した。
『命懸けの特攻はするなよ』
春元はそう言った。そして『絶対に生きろよ!』とも言ってくれた。その言葉の裏に込められた思いは、スオウにだって痛いぐらいに分かる。
そうだ、ここで春元さんの気持ちを台無しにするわけにはいかないんだ。春元さんだっておれとの約束を守って、危険を承知でバスで迎えに来てくれたんだからな。
スオウの背後には、春元が運転する電気バスが停まっている。おそらく春元は拳銃を構えた阿久野の姿を見て、こちらに近付けないでいるのだろう。
ここで諦めるわけにはいかない。きっとまだ何か手はあるはずだ。おれが見逃しているだけかもしれない。最後まで諦めずに頭をフル回転させるんだ! 奇策でも秘策でも妙策でも、この際なんでもいいから、頭から起死回生の策を搾り出すんだ!
スオウの脳内を神経伝達物質が猛スピードで駆け巡っていく。ギリギリの状況下で、頭だけが妙に冴え渡っていく。
「どうやら万事休すっていったところみたいだな」
阿久野が絶対に狙いを外さないであろう距離まで近付いてきた。その距離、およそ数メートル。スオウが飛び掛るには距離が有り過ぎるが、阿久野の射撃の腕前ならば百発百中の距離である。
「何か言い残すことはあるか? 俺だって高校生を殺すのは忍びないと思っているんだぜ。せめて遺言ぐらいはお情けで聞いてやるよ」
阿久野の言葉尻には勝者の響きがあった。自分の勝ちを信じて疑っていないのだ。
「悪いが、おれはまだ諦めていないからな!」
「分かった。それがおまえの遺言だな。ちゃんと聞いてやったぜ。──それじゃ、ここで大人しく死にやがれ!」
阿久野が引き鉄に掛けた指に力を込める。
次の瞬間──スオウの視界が真っ赤に染まった。
しかし、スオウが撃たれたわけではなかった。赤の正体は血ではない。スオウが予想していた通り、クレーン車が大爆発を起こしたのである。その炎で視界が赤一色に染まったのだ。
パアアアアアーーーンッ!
クレーン車の爆発音が残響するなか、乾いた発砲音が轟いた。スオウの左肩甲骨に灼熱の激痛が走り抜ける。阿久野が発砲したのだ。あと少し横に弾がずれていたら、確実に心臓は撃ち抜かれていただろう。おそらくクレーン車の爆発のせいで阿久野の狙いが外れたのだ。
一撃必殺は免れたが、着弾の衝撃で体が後方にもっていかれた。両足で踏ん張ろうとしたが、痛みの方が勝っていた。スオウはそのまま地面に倒れこんだ。苦痛で顔を歪めながらも、阿久野の様子を伺う。
「クソっ! 撃つ瞬間にジャマが入ったぜ! 狙いが僅かにズレちまったみたいだな。一瞬の痛みだけで殺してやろうと思ったのによ」
阿久野が拳銃を構えて、二撃目の準備に入る。その挙動はふてぶてしいくらい落ち着き払っている。
だが、スオウの目はそのとき、阿久野ではなく『別の物』をじっと注視していた。
地面を勢い良く転がってくる物体。銀色で丸い形状をしており、炎の明かりをキラキラと反射させている。大きな鍋の蓋のようにも見えるが、こんなところに鍋の蓋があるはずがない。そのままスオウの足元近くまで転がってきた。
阿久野の様子を伺いながら、その物体を手でさっと拾い上げた。
「これって――車のホイールか……?」
首を傾げつつ眺める。だが、すぐに自分の間違いに気付いた。
「いや、ホイールはタイヤが嵌っているやつだよな……。ていうことは、これは……そうか、ホイールカバーだ!」
スオウはなんとはなしに自分の胸元にホイールカバーを当ててみた。
「おいおい、そんなゴミを拾ってどうしようっていうんだ? まさか、銃弾を防ぐ盾代わりにでもするつもりか? そんなものはクソの役にも立たねえよ!」
阿久野が嘲笑ってきた。
阿久野が笑うのも分かる。目で見る限りホイールカバーはとても薄く、銃弾など簡単に貫通してしまいそうな形状をしているのだ。
これじゃ、有っても無くても同じだよな。
ホイールカバーを捨てようとした。だが、心の中で何かが引っ掛かった。それは直感といっても良かった。頭の隅に形の無いぼんやりとした考えが生まれていた。もう一度、手にしたホイールカバーをじっくりと観察する。
パアアアアアーーーンッ!
右手が物凄い衝撃で持っていかれた。阿久野がホイールカバーをわざと狙って銃で撃ってきたのだ。
「大人の忠告はしっかりと聞くもんだぜ。言っただろう、そんな紙みたいに薄っぺらなホイールカバーじゃ、銃弾は防げねえんだよっ!」
着弾の衝撃でスオウの手から弾かれたホイールカバーが、再び地面の上をコロコロと転がっていく。その様を目で追っていると――。
えっ、この状態って……そういう意味なのか――?
天啓が閃いた。光の衝撃が脳内を貫いた。意識の海から解答が浮かび上がってきた。
そうだ! このホイールカバーは前兆だったんだ! 最後のデストラップの前兆を示していたんだ!
スオウの頭の中でパズルのピーズが光の速さで組み合わさっていく。収まるべき場所にぴたりと嵌る。
「もう身を守るものはねえぜ。──さあ、今度こそ本当に死んでもらうからな」
阿久野が持つ拳銃の銃口からは、まだ紫煙が漂っている。
「お前はこの場で俺に殺される運命にあるんだよ!」
阿久野が声を張り上げる。
「おれは死なない! 絶対に死んでなんかたまるかよ!」
スオウは阿久野の怒号に動じることなく、阿久野の後方に目をやりながら、負けじと声を張り上げた。
「クソガキが! お前も明けることのない暗闇に堕ちやがれ!」
阿久野の指が引き鉄をまさに引こうとした瞬間──。
燃え盛るクレーン車から、炎を纏わり付かせた黒い塊が猛スピードで道を転がってきた。
刑事の勘か、それとも生存本能がそうさせたのか、何かを察した阿久野が背後を振り返ろうとする。だが阿久野の首の動きよりも、黒い塊のスピードの方が勝っていた。
ゴグブッ!
鈍い音をあげて、黒い塊が阿久野の後頭部を直撃する。
「危ないっ!」
スオウは咄嗟に地面目掛けて横っ飛びをして、目の前に迫ってきた黒い塊から紙一重のところで身を避けた。黒い塊は勢いを緩めることなく、そのまま道を転がっていく。
「――ふーっ、危なかったぜ……」
あとほんの数瞬、体を動かすのが遅かったら、スオウも阿久野と同じように黒い塊の直撃を受けていただろう。
「――あんたには神の鉄槌が下ったんだよ。いや、それとも死神の鉄槌だったのかもしれないけどな。これであんたの悪運も尽きたってことだ……」
地面にうつ伏せに倒れこむ阿久野の姿をじっと凝視する。阿久野の首はおよそ有りえないくらいの不自然な角度で曲がっていた。顔には信じられないというような表情が張り付いたままになっている。おそらく阿久野自身も、最後まで自分の身に何が起きたのか分からぬまま暗闇に堕ちていったのだろう。
阿久野の命を奪ったもの――それはクレーン車に取り付けられていた巨大なタイヤだった。
タイヤの直径は優に1メートルを越えている。重さで言えば数十キロ近い。それが猛スピードで転がってきて、阿久野の頭に直撃したのだ。その衝撃は計り知れない。
スオウはホイールカバーが転がっていく様を見て、それがデストラップの前兆であることに気が付いた。同時に、デストラップの正体がクレーン車に取り付けられているタイヤが転がってくることであるとも見抜いた。
何年か前に同じような事故の様子を捉えた動画を、ネットで見たことがあるのを思い出したのである。その動画は、高速道路を走っているトレーラーの巨大なタイヤが外れて、対向車に衝突するという内容だった。
果たして、スオウの予想は見事に的中して、絶体絶命のピンチから一転、間一髪のところで助かったのだった。
「一世一代の賭けだったけど、どうやら上手くいったみたいだな――」
最前から続いていた緊張がようやく解けた。スオウは大きく一回息を吐いた。
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