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第二部 ジェノサイド

第49話 悪の終わり? 第十四の犠牲者?

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 残り時間――53分  

 残りデストラップ――2個

 残り生存者――6名     
  
 死亡者――11名   

 重体によるゲーム参加不能者――2名

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 落下したジェットコースターの残骸が重なり合った一番下に、その遺体はあった。遺体の腹部から金属が飛び出している様は、悪夢に出てきそうな歪な光景である。だが、それが致命傷になったのではない。その証拠に遺体には、いたるところに出血を伴った銃痕が残っていた。この遺体は拳銃で射殺されたのである。

 正常な精神の持ち主ならば、即座に目を逸らしてしまうであろう壮絶な遺体を前にして、しかし、スマホのレンズを冷静に向ける人物がいた。

 まるで陽だまりの中、カメラ片手に四季折々の風景を撮影でもしているかのような、ごく自然な立ち振る舞いだった。だが彼女は四季の風景ではなく、『死期しき』の光景を撮影しているのだった。

 身を包んだ喪服に映えるような白皙の面立ちをした美女──櫻子である。

「腹部から突き出したこの金属が、まるで現代科学に喰い殺されたおろかな人間の在り様を表現しているようね。銃弾の痕がもっと規則正しい配列だったならば、よりいっそう美しさが際立っていたのに、本当にもったいない──」

 まるで芸術作品を選評するかのごときつぶやきである。しかし、そこにあるのは紛れもなく物言わなくなった遺体なのだ。芸術作品では断じてない。

「ゲーム終盤でこんな珍しい遺体に出会えるなんて、幸運以外の何物でもないわね」

 遺体を見付けたことを幸運と称する、狂気の持ち主である。

「――ゲーム参加者も残り6名。この遺体以上の素敵な遺体をまだ見られるかしら」

 ぞっとするようなことを平然と言いながら、スマホを操作して遺体の写真を丁寧にフォルダー別に保存していく。

「記録は済んだことだし、『必要な物』も頂いたから、もうここには用はないわね。次の遺体の場所を知らせてくれる親切な連絡メールはまだ来ていないから、少し園内を散策でもしようかしら」

 遊んでいたおもちゃに飽きた子供みたいに、ジェットコースターの残骸に紛れた遺体のことなどすっかり意識から切り離した表情を浮かべて、園内を静かに歩き出す。

 だが数歩も行かぬうちに、その歩みが唐突に止まった。

 氷のような怜悧な視線を園内の一角に向ける。

「――私にまだ何か用かしら?」

 問うという感じではない。その存在に気が付いたので便宜上声を発したまでという、そんな口調である。

「さっきみたいに上手く気配を隠して近付いたつもりなんだが、気付かれたんじゃ、しょうがないよな」

 ぼやき声とともに、暗闇からゆっくりと光の下に進んできたのは──。

「──お前はやっぱり常人とは少し違う精神の持ち主みたいだな」

 隙のない目で櫻子を見詰める男は──阿久野である。

 阿久野と櫻子──ゴーカートのサーキットコース上で会って以来の再会となった。

「なんだよ、もう少しくらい驚いてくれてもいいんだぜ」

 櫻子が顔色をまったく変えないことに、少し不満気な顔をする阿久野である。

「――――」

 櫻子は無言という返事。

「けっ、本当にお前は変わってるよな。刑事生活の長い俺でも、お前の本性はまったく読めねえよ。もっとも、その必要ももうないけどな。本当なら、お前のことなんて放っておいても良かったんだが、少しばかり事態がややこしくなっちまってな。だから、今夜この場所で俺の顔を見た連中は殺すことにした。──もちろん、それはお前も同じだぜ」

「――――」

 阿久野は自分の発した言葉に何も反応を返さない櫻子の態度に業を煮やしたのか、服の下から取り出した拳銃を櫻子に向ける。

「これでもまだダンマリを決め込むつもりか?」

「悪いけど、銃で撃たれた遺体はもう見飽きたの。出来たら、違う殺し方をしてくれないかしら」

 櫻子の返答は阿久野の予想の遙に上をいっていた。

「──お前……な、な、何言ってやがるんだ……」

 今夜、悪徳刑事の声に初めて動揺が混じった。

「射殺された遺体はそこに転がっているので見たから、見飽きたと言っただけのことよ。同じような遺体を二度見ても仕方がないでしょ?」

 櫻子は自分に向けられている銃口など気にする素振りすら見せずに、淡々と言葉を発していく。

「──さすが、かつて『毒娘』と呼ばれて世間を驚かせただけのことはあるな。本当に狂気染みた女だよ、お前は……」

 櫻子の言葉に動揺を隠せずにいながらも、構えた銃口だけはしっかりと狙いを定めたままでいるのは、さすが刑事であった。

「お前がどうして今夜ここにいるのか俄然興味が深まったが、これ以上話していてもきっと平行線を辿るだけで、埒があかないだろうからな。話はこの辺でお開きとしようぜ」

 阿久野は早急に話にピリオドを打つ。

 悪に堕ちた刑事と、狂気に染まった美女――。

 2人の話は始めから噛み合うことがなかったのだ。

「お前ぐらいの美貌だったら、もっと良い人生を送れていただろうにな。恨むならば、その狂った精神を恨みな」

 阿久野がゆっくりと引き鉄に掛けた指に力を込めていく。

 その銃口が突然、暗闇の方に向けられた。

 「誰だっ! そこにいるのは?」

 阿久野は鋭い声をあげながら続けざまに銃を発砲した。銃弾が街灯の届かない暗闇の茂みをバザッバザッと何度か揺らす。

 ほぼ同時に、ドサリという妙に重量感のある落下音が、阿久野のすぐ近くであがった。続けて、ゴロゴロという音を伴って、阿久野の足元まで地面を転がってきたのは──。

「おまえとこんなに早く再会出来るとは思わなかったぜ。てっきり地獄に墜ちたとばかり思っていたけどな」

 阿久野が親しげに声を掛けたのは、人の生首である。首の切断面はギザギザで、白い骨と血管が見えている。力尽くで無理やりに切り落とされたのが見て取れた。生首は恨みと苦痛が深く刻まれた表情を浮かべている。

 それは少し前に阿久野自身が自らの手で息の根を止めた──鬼窪の生首だった。

「おい、そこから出てきな! それとも喪服の美女を撃っちまってもいいのならば、そこにずっと隠れていてもいいんだぜ」

 阿久野の呼びかけに従ったのか、暗い茂みからひとりの人間が姿を現わした。

「けっ……」

 阿久野が嫌そうに舌打ちをひとつする。

「またぞろ、如何にも胡散臭いヤツのお出ましってわけかよ! この遊園地では今夜、仮装パーティーでも開かれているのか?」

 阿久野は心底うんざりしたという表情を浮かべた。阿久野と櫻子の前に現われたのは、顔中に真っ白い包帯を巻いた、見るからに不審極まりない身なりをした人物だったのだ。

 身長はそれほど高くない。その代わり、胸板とそこから伸びる二の腕には、ごつごつとした筋肉が付いているのが服の上からでも見てとれた。常日頃からしっかりとトレーニングをしているのだろう。筋肉の付き具合と骨格の形から、おそらく男性であると想像は出来たが、肝心の顔が隠れていて見えないので、表情を読み取ることは出来ない。

 阿久野は最初こそ闖入してきた怪しさ満点の包帯男に驚きの様子を見せたが、すぐに平常時の顔に戻った。刑事らしく、気持ちの切り替えが早いのだろう。しばらく闖入者を睨みつけるように観察すると、そこで合点がいったというように数回頷いた。

「──なるほどな。分かったぞ。さっきゴーカートのサーキットコース上に生首を投げてきたのも、お前の仕業だったってわけか?」

「…………」

 包帯男は無言である。顔に巻き付いた包帯の隙間から、暗く光る目だけを覗かせている。

「お前は差し詰め、そこにいる『毒娘』のボディガードってわけか?」

「…………」

 無言の解答。

「お前もお決まりのダンマリかよ。胸糞悪いやつだぜ。まあ、でもちょうどいい。園内にいる人間はすべて殺そうか考えていたところだったからな。そっちから出てきてくれたおかげで捜す手間が省けたぜ」

 2人の狂人を前にしても、強気な態度を変えない阿久野だった。それを可能にしているのが、手に持った拳銃の存在であることは言うまでもない。

「黙っているのは勝手だけどな、正体だけは教えてもらうぜ。──今すぐ顔に巻いたその包帯を取りやがれっ!」

 阿久野は銃口を包帯男に向けて、声高に命令する。

「…………」

 包帯男に動きはない。その場に突っ立ったままである。

「どうしてもその包帯を取るのが嫌だっていうのならば、先にこの『毒娘』を殺すまでだぜ?」

 再度、銃口を櫻子に振り向ける。

「さあ、どうする? お前で決めなっ!」

 阿久野の恫喝が功を奏したのか、それとも隠し通す意思など始めから無かったのか、包帯男が顔に両手を伸ばした。包帯の結び目を探し出すと、器用に解いていく。

 果たして、包帯の下から現われた顔は──。

「うぐ、ぐっ……お、お前……そ、その、か、か、顔は……いったい……」

 悪徳刑事の言葉に動揺が走ったのは、今夜二度目である。

 赤黒く焼け爛れた皮膚に、幾何学模様のごとく、顔面上をジグザクに走る幾つもの傷口。抜け落ちたのか、あるいは焼けてしまったのか、眉毛は両方とも生えていない。左右の目は、その位置が上下に大きくズレてしまっており、見るものに妙な不安感を募らせる。鼻は抉れたように斜めに曲がってしまっている。上唇は毟り取られたように欠けており、口を閉じているにも関わらず前歯が何本か覗いている。

 ホラー映画に出てくる殺人鬼やゾンビの方がまだマシな容貌だった。それほどまでに、包帯の下から現われた顔は異常過ぎるくらいの異相だったのだ。

 どうすれば人間の顔がここまで無残な形になるのか想像出来ない。ただ、常識外の出来事がこの包帯男の身に起きたことだけは分かる。

「──な、な、何者だ……お前……?」

 阿久野が低い声で詰問する。阿久野の心中の動揺を現わすように、銃口が左右にぶれている。長年刑事生活を送ってきた男でさえも、目の前の男の異相を見て、その精神が揺らいでしまっているのだ。

「──ぎざまは……じっでる、ばずだぜ……」

 包帯男の口から出てきた声にならない声。あるいは声ではなく、音と言った方がしっくりくるぐらいだった。それでも、あえて表現するならば──異世界を徘徊している怪物が無理やり日本語を喋っているかのようであった。

「──ぎざまは……ごぐのぼどを……じっでぐがずだぜ……」

 包帯男は声にならない声を繰り返す。


 ぎざまは――きさまは、

 ごぐのぼどを――ぼくのことを、

 じっでぐがずだぜ――知ってるはずだぜ。


「────!」

 包帯男の発した音を脳内で再生していた阿久野の顔が、瞬間冷凍したかのごとく凍り付いた。包帯男の音を解読し、理解したのである。

 阿久野の両目がこれ以上ないほどまでに大きく見開かれる。目尻はぴくぴくと細かく震えている。口は半開きのままで、二の句が告げない状態だ。冷静な刑事を一変させたのは――。

「だっご……ぎづいだぼが……」

 包帯男が、やっと気付いたのか、と言った。

「──ま、ま、まさか……お、お、お前……『あのとき』の……『あのとき』の……中学生、なのか……? そんな訳……ねえよな……。こんな……こんな、偶然が、あってたまるかよ……。でも、その瞳……その狂った瞳だけは……絶対に忘れはしねえ……。顔はまったく違うが……その瞳だけは……見違えるわけがねえからな……。そうか……あの紫人とかいうやつ……『あのときのこと』を知っていて……それで……今夜、俺をここに来させようと……仕向けやがったのか……」

 今夜三度目となる阿久野の動揺だったが、しかし、今回はすぐに立ち直った。大きく見開かれていた目に、次の瞬間、激しい憎悪に満ちた底無しの暗い光が灯る。そして素早く銃口を包帯男に向けると、何も言わずに引き鉄に掛けていた指に力を込める。


 パッアーーーーーーーーンッ!


 辺りに乾いた音が響き渡っていく。続けて、ドサッという何かが地面に倒れる音。

 倒れたのは、しかし包帯男ではなく、なぜか銃口を向けていた阿久野の方だった。

「──刑事のわりには脇が甘いわね。銃を持っているのが刑事ばかりだとは限らないのよ」

 右腕をきれいに水平に伸ばした姿勢で立っていたのは櫻子だった。白魚のような綺麗な指で、不似合いな無骨なモノを握っている。鈍く黒く光るモノは拳銃だった。死んだ鬼窪の遺体の傍に落ちていた拳銃である。櫻子は鬼窪の拳銃を拾って、隠し持っていたのだ。

「初めてこの手で人を殺したけれど、存外、呆気ないものなのね。もう少し感慨深い思いが溢れてくるものだとばかり思っていたのに、少しばかり残念だわ──」

 櫻子は拳銃で人を撃ったのにも関わらず、言葉に何の感情も乗せずに淡々と感想を述べた。

「人を殺したところで、何かが劇的に変わるわけじゃないのね。だったら、人の死をじっくり観察することに集中した方が、人生有意義に過ごせそうね」

 人を殺すことと人の死を観察することを、天秤に掛ける精神の持ち主である。

「そういえばもうすっかり忘れていたけれど、少し前にゴーカートのサーキットコース上で私のことを助けてくれたのは、あなただったみたいね。ちゃんとお礼を言わせて頂くわ。──さきほどは危ういところを助けて頂いて、ありがとうございました」

 喪服の美女が異相の男に対して、丁寧に頭を下げる。やっていることは正しいが、すぐ傍には拳銃で撃たれたばかりの刑事が倒れているのだ。この状況ですることではなかった。

「それからもうひとつ、私に遺体の場所を知らせてくれるメールを送ってきてくれたのも、あなたの仕業なんでしょ? どんな理由があって、私なんかにメールを送ってくれるのかは知らないけれど、併せて、お礼を言わせて頂くわ。──あなたのメールのお陰で、今夜は沢山の遺体を観察することが出来ました。本当にありがとうございました」

 遺体の場所を知らせてくれたことに対してお礼をするという、非常識極まりない態度である。

 そこで、喪服の美女の顔付きが一瞬で変わった。

 遺体を前にしたとき以外は、能面のごとく感情がなかった顔に、初めて感情らしい感情が浮かび上がった。

 冷酷無比──。

 人間の温もりを極限まで失くしたら、こんな表情になるだろうという顔だった。

「でも──ここであなたのことを殺しておいた方が、私にとってゲームは有利に進むのかしら?」

 櫻子が静かに銃口を包帯男に向けた。阿久野は包帯男の素顔を見て驚いていたが、櫻子はまったく驚いていない。これまで数多くの遺体を見てきた櫻子にしてみれば、包帯男の凄惨な顔など驚くに値しないのかもしれない。

「──ずぎじずでばじい」

 包帯男は向けられた銃口にたじろぐことなく、言葉にならない声を吐き出した。

「好きにすればいい、か──」

 包帯男の声を理解したのか、櫻子の顔からスッと表情が抜け落ちた。元の感情が一切こもっていない能面に戻る。構えていた銃を喪服の内ポケットに無造作に仕舞う。

「どうやら、あなたとは少し話をした方が良さそうね。あなた自身についても少しだけ興味がわいてきたわ」

「どればごかっだ……」

 それはよかった、と包帯男がつぶやいた。

「ここじゃなんだから、少し場所を変えて、話の続きでも──」

 言い掛けた櫻子の言葉が、途中で止まった。鋭い視線を地面に倒れている阿久野に向ける。

「気のせいかしら。今少し動いた様な気がしたけれども──」

 仕舞ったばかりの拳銃を取り出しと、何も言わずに阿久野に向けて続けざまに発砲した。阿久野の体が着弾の衝撃を受けて、ビクビクと動く。しかし、人間的な動きは見られない。あくまでも着弾に対しての物理的な反応のみである。

「──やっぱり私の気のせいだったみたいね」

 何事も無かったかのように、ゆっくりと拳銃を仕舞う櫻子。その間、包帯男はピクリとも動かずにいた。

 櫻子が狂気の人であるとするならば、この包帯男もまた同じように狂心の人に他ならなかった。

 狂った者同士にしか分かり合えぬ魂の共感があったのか、2人はそろって歩き出した――。
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