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第二部 ジェノサイド
第35話 忍び寄る罠
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――――――――――――――――
残り時間――3時間21分
残りデストラップ――5個
残り生存者――12名
死亡者――7名
――――――――――――――――
外観の派手さに比べて『ゾンビ病棟』の中は至って普通だった。病棟の名前が付いている通り、施設内は廃棄された病院をイメージされた造りになっていた。入り口から入っていくと、中には病院でよく見かける待合室があり、その少し奥にはちゃんと受け付けが設置されていた。
待合室の床上にはソファが乱雑に転がっており、壁にはベッタリと赤い鮮血に見立てたペンキがそこかしこに塗られていた。しかもご丁寧に、苦し紛れに手で壁を引っかいたような跡まで描かれている。いかにもここで只事ではない何かが起きたと連想させる。
しかし、この手の施設の肝となるのは人間が演じるゾンビなので、そのゾンビ役がいない今の状態では、怖さは九割減といった感じだった。
「せっかく覚悟を決めて、こうして気合を入れて入ってきたのに、なんだかがっかりな感じだね」
中に入った当初こそイツカは怖がっていたが、すぐに見慣れたようで、今はじっくりと観察でもするかのように施設内の設備を見ている。
「まあ、人がいないオバケ屋敷なんて、どこもこんなものだよ」
スオウはイツカが怖がる様子を見せないのでホッとしつつも、心のどこかでちょっとだけ残念がっていた。カッコイイところを見せる場面がなくなったからである。
「薄暗いのはしょうがないとしても、身を隠すにはもってこいの場所ね」
ヴァニラが受け付けの机上に倒れこんでいる女性の頭をツンツンと突く。
女性の目は極限まで見開かれており、口からは大量に出血していた。髪はボサボサで、首筋にはメスが何本も突き刺さっている。むろん、本物の人間ではない。精巧に作られた人形である。ゾンビにやられた状態を表現しているのだろう。おどろおどろしいBGMと、目を眩ませる照明でもあればこの人形も怖く感じただろうが、今はただの動かない人形でしかなく、ヴァニラの暇つぶしの遊び相手になってしまっている。
「ていうか、肝心のゾンビちゃんが一匹もいないじゃん。どこにいるの? 隠れているのかな? それとも、もっと奥の方に行かないと出てこないのかな? アタシの必殺キックで倒したかったのになあ。これじゃ『ゾンビ病棟』じゃなくて、ただの廃病院じゃん」
「だから、さっきから言ってるだろう。これはゾンビゲームじゃないんだぞ」
ヴァニラをたしなめるのは、いつでも春元の役目である。
「あんたはアタシのキックの威力がどれほどのものか知らないから、そう言うのよ。いつゾンビのデストラップが発動するとも知れないのよ? 準備しておくに越したことはないでしょ?」
「いや、ヴァニラさん、さすがにゾンビのデストラップはないと思いますよ」
スオウは真面目に答えた。
「えっ? スオウ君、どうしてそう言えるの?」
「だって、ゾンビは想像上のモンスターですから、実際に襲ってくることはないと思いますけど。もしもここで本物のゾンビが襲ってきたら、それってルール違反ですよ」
「いい、そういう甘い考えはダメよ。何が起こるか分からないのがこのゲームでしょ?」
「いや、まあ、そうですけども……」
「いいわ、せっかくだから、もしもゾンビが襲ってきても、ちゃんと撃退出来るように、今ここでアタシの芸術的なキックを見せてあげるから」
「おいおい、冗談だよな?」
途端に、春元がぎょっとした表情をした。
「いい、いくわよっ!」
ヴァニラが待合室の壁の端まで下がったかと思うと、そこから勢い良く走り出した。
「マ、マジかよっ!」
暴走するヴァニラを止める役目の春元も、あたふたと対応に戸惑っている。
「うりゃああああああっ!」
ヴァニラは威勢の良い低い掛け声をあげると、床の上のソファを踏み台代わりにして、空中に鋭角的にジャンプした。おみ足はピンッと一直線に伸びきっている。理想的な跳び蹴りの姿勢だった。
だが、最後が決まらなかった。
「痛ああああっ!」
ヴァニラは着地時に足首を捻ったらしく、リノリウムの床に膝小僧をしたたかに強打してしまったのである。
「ほら、言わんこっちゃない」
春元がヴァニラの元に駆け寄る。なんだかんだ言いつつも、ヴァニラのことを心配しているのだ。
「大丈夫か?」
「うん、まあ、これくらい大丈夫よ。『野球部時代』はホームベース上でキャッチャーと何度も激突したことがあるからね」
「でも、膝小僧から血が出ているぞ」
「ちょっと床で擦っちゃったみたい。でも、このくらいの出血なら、すぐに止まるから平気よ」
ヴァニラは心配ないという風に首を振って見せた。
「あの、応急処置ってほどじゃないですけど、良かったらこれを使って下さい」
イツカがポケットから可愛らしいハンカチを取り出して、ヴァニラの膝小僧にあてがった。
「ありがとう、イツカちゃん。それで、アタシのキックはどうだった? ちゃんと足は伸びていたかな?」
「そっちの方の心配をしているのかよ」
口ではぼやきつつも、春元はヴァニラの元気な様子を見てひと安心したらしい。
「とにかく、外の追っ手に注意しながら、しばらくこの場所で静かに待機しよう。オレは外が見える位置に移動するから、何か異変とかデストラップの前兆に気が付いたときは、すぐに伝えに来てくれ。そうだな、スオウ君に連絡役を頼んでもいいかな?」
「ええ、構いませんけど」
春元を抜かした4人の中では自分が一番適役だと、スオウ自身もそう考えていた。
「それじゃ、少しの間休憩をとって、体をしっかりと休ませておくようにな」
それだけ言い残して、春元は『ゾンビ病棟』の入り口の方に戻っていった。
「お言葉に甘えて、おれたちは少し休憩しよう」
スオウは当たり前のようにイツカの隣に移動した。イツカのそばにいるだけで、溜まった疲れが取れていく気がするのだ。
ソファに座ったヴァニラは自分の手でハンカチを押さえながら、高さは良かったけど角度が悪かったのかな、などとぶつぶつ呟いている。先ほどのキックのことを反省しているようだ。
美佳は壁に貼ってある入園者への案内ポスターをじっと見つめていた。
『ゾンビウィルスが病棟内に飛散して、大量のゾンビが発生しました。現在、この病棟は閉鎖されております。それでも中に入るようでしたら、ゾンビと戦う覚悟で入ってください!』
ポスターは入園者を怖がらせる文面で埋め尽くされていた。
各々がひとときの休憩に浸っていた頃──。
しかし、このときすでに誰もが予想しない形で、新たなデストラップの影は忍び寄っていたのだった。
――――――――――――――――
極度の方向音痴を隠したまま、慧登は行き当たりばったりに『巨大迷宮』の中を進んでいく。足を踏み出すたびに脇腹に鈍痛が走るが、玲子が肩を貸してくれているお陰で、なんとか歩くことは出来た。肉体的な助けだけではない。精神的にも玲子が傍にいるだけで力が沸いてきた。
出口までの道筋は皆目検討が付かないが、なぜか玲子と一緒ならば出口に辿りつける気がした。
「右と左、どっちに向かう?」
分かれ道に差し掛かるたびに、玲子が慧登に訊いてくる。
「うーん、右に行こうか」
考えがあるわけではない。ただ勘だけを頼りに慧登は答えた。
そうやって30分近く『巨大迷宮』内を彷徨い続けた。しかし、不思議と道に迷っている気はしなかった。とにかく、前へ前へという気持ちがあったので、かえって気が紛れたのかもしれない。
何度か行き止まりに突き当たったが、玲子は慧登を責めることなかった。
「大丈夫。元の道に戻って、違う道を進もう」
その度に玲子は慧登に優しく声を掛けてくれた。だから、慧登も気が落ち込むことなく進んでこれた。
そして──。
「ねえ、慧登君、あの表示ってもしかしたら──」
玲子が指差す壁には、大きく二文字の漢字が書かれていた。
『出口』
「やったーっ!」
痛みも忘れて、思わず体で喜びを表現してしまった。
「痛たた……」
鈍痛に顔をしかめるが、嬉しさがこみ上げてくるのを止められない。
「ほら、あたしが言った通りでしょ!」
玲子もまたとびきりの笑顔を浮かべている。
「それじゃ、外に出ようか」
「ああ、そうしよう。もう金輪際、俺はこの手の迷宮には入らないからな」
玲子の手助けを借りながらも、慧登はようやく『ミノタウロス』の棲家である『巨大迷宮』から脱出したのだった。
二人は出口に設置されていたベンチにそろって腰を下ろした。過度の緊張が解けて、心がホッと休まる。
「少し休んだら迷子センターに向かおうか」
玲子は園内マップを広げて、場所の再確認をしていた。
「うん、まずはそこを目指そうか。だいぶ痛みは引いたけど、さすがに走るまでにはまだいかないから」
慧登は座ったままの姿勢で、腰を少し捻って状態を確かめてみた。脇腹の痛みはしっかりとある。
「無理はダメだからね。痛み止めを飲んで、それからちゃんと様子を見ないと。ゲームだってもう終盤なんだから、この危機をなんとしてでも乗り切って、2人で勝利を掴まないと」
「うん、分かったよ」
なんだか、姉に叱られるダメな弟みたいな気分だった。それほど年が離れていないはずなのに、玲子はやけに大人っぽく見えた。もちろん外見もそうだが、それ以上に中身が大人染みているように思うのだ。
そういえば、玲子さんはなんでこのゲームに参加したんだろう? ルックスは完璧だし、何不自由ないように見えるけれど……。
今更ながらにそんな疑問を感じた。それだけではない。
なんで玲子さんは危険を冒してまで、俺のことを助けに来てくれたんだろう? さっきは話は後回しって言われたけれど……。
隣に座る玲子の横顔を見つめる。しかし、その表情から何も読み解くことは出来なかった。
まっ、いいか。そのへんの事情はこのゲームが終わったときに、ゆっくり聞かせてもらおう。
「ん? どうかしたの? あたしの顔になんか付いてる? あっ、もしかして返り血でも付いてた?」
慧登の視線に気付いたのか、玲子が慌てた様子で顔に手をやる。
「あっ、いや、その……何も付いてないから、大丈夫だから」
玲子以上に慌てふためいて首を大きく振る慧登だった。
――――――――――――――――
静かな『ゾンビ病棟』内に、スマホのメール着信音が何十にも重なるようにして響き渡った。そこにいた4人のスマホに、同時にメールが届いたのだ。
「おっと、びっくりさせるなよ!」
まったりと休息時間に身を置いていたスオウは、その音に背筋をしゃんとさせた。
「きっと紫人からよね?」
イツカはさっそく顔に緊張の色を浮かべている。
「まあ、そうだろうね」
「またゲーム脱落者が出たってことだね。玲子さんと慧登さん、大丈夫かな。2人じゃなきゃいいけど……」
分かれたとはいえ、一緒に行動していた人間の死を知らせるメールは受け取りたくないのが人情というものだろう。それはスオウとて同じ気持ちだった。
「とにかく、メールを開いてみるよ」
スオウは届いたメールを開いた。
『 ゲーム退場者――1名 ヒカリ
残り時間――3時間13分
残りデストラップ――4個
残り生存者――12名
死亡者――7名 』
「――今度はヒカリだったよ」
メールにはよく知る男の名前が載っていた。
「ヒカリさんか……」
玲子と慧登ではなかったが、だからといって喜ぶというわけにもいかない2人だった。
思い返してみれば、この遊園地に来て最初に遭遇したゲーム参加者がヒカリだった。ヒカリは園内の入り口で、大声を出しながら係員と揉めていた。ほんの数時間前の出来事であるが、それが遠い昔の記憶のように感じる。
結局、レストランでの話し合いで、方向性の違いから分かれることになり、以後、会わぬままになっていた。慧登の話では、スオウたちと分かれてからも自分勝手にやっていたようだが、だからといって、死んでもしょうがないという理由にはならない。
「あいつとは気は合いそうになかったけど、死んだとなるとやっぱり悲しくなるな……」
ぼんやりとヒカリのことを考えていると、唐突に思い出したことがあった。
「あっ、そうか! やっと思い出したよ!」
「スオウ君、どうしたの? 急に大声を上げて?」
「ほら、イツカには話しただろう? ヒカリに初めて会ったときに、どこかで見掛けた覚えがあるって」
「そういえば、そんなこと言ってたね。わたしはてっきり芸能人なのかなって思ったんだけど、違うの?」
「まあ、芸能人って言えなくもないけど……。厳密に言うと、ヒカリっていうのは、ネット上の有名人なんだよ」
「そうなんだ。わたしはあんまりネットの動画を見ないから知らないけれど……」
イツカは興味無さげな様子だった。
「おれも動画は見たことないんだけど、かなり過激な生配信をしていたらしくて、警察に逮捕されたことがあるんだよ。それをテレビのニュースで見たことを思い出したんだ。だから、どこかで見た覚えがあったんだな……」
今さら思い出したところでヒカリは帰ってこないが、気持ちの上では納得出来た。
「そういえば、ヴァニラさんはヒカリのこと知っていました? ヴァニラさんはそういうの詳しそうだけど──」
ソファで横になり、休憩をしているヴァニラに訊いてみた。
「ん? ヴァニラさん……? あれ、寝ちゃったのかな?」
ヴァニラからの返事がなかった。
「ねえ、ヴァニラさん? おれの話、聞いていました?」
再度質問したが、やはりヴァニラからの返事はない。
「ねえ、まさかとは思うけど、さっきの傷が悪化したとか……」
イツカがスオウの肩を手で揺すってきた。
「いや、でも膝からの出血はたいしたことなかったし、仮にもっと重い、例えば骨折とかだったら返事くらいは出来ると思うんだけど……」
そのとき、スオウの背筋にぞわりと寒気が走った。得もいえぬ恐怖に囚われた。
何かを見過ごしている気がしたのだ。重要な何かを──。
「イツカ、ここに入って来てから、デストラップの前兆ってあったかな?」
「えっ? スオウくんはヴァニラさんがデストラップに掛かったって──」
「いや、おれの思い違いならいんだけど、さっきまであれだけ元気だったのに、ヴァニラさんの返事がないというのは、どう考えてもおかしいよ」
「たしかにそれはそうだけど……」
「ヴァニラさん、寝ているだけですよね? ねえ、ヴァニラさん……?」
スオウは立ち上がると、恐る恐るヴァニラの元に近寄っていった。
スオウの視界に入ったヴァニラの様子は──。
残り時間――3時間21分
残りデストラップ――5個
残り生存者――12名
死亡者――7名
――――――――――――――――
外観の派手さに比べて『ゾンビ病棟』の中は至って普通だった。病棟の名前が付いている通り、施設内は廃棄された病院をイメージされた造りになっていた。入り口から入っていくと、中には病院でよく見かける待合室があり、その少し奥にはちゃんと受け付けが設置されていた。
待合室の床上にはソファが乱雑に転がっており、壁にはベッタリと赤い鮮血に見立てたペンキがそこかしこに塗られていた。しかもご丁寧に、苦し紛れに手で壁を引っかいたような跡まで描かれている。いかにもここで只事ではない何かが起きたと連想させる。
しかし、この手の施設の肝となるのは人間が演じるゾンビなので、そのゾンビ役がいない今の状態では、怖さは九割減といった感じだった。
「せっかく覚悟を決めて、こうして気合を入れて入ってきたのに、なんだかがっかりな感じだね」
中に入った当初こそイツカは怖がっていたが、すぐに見慣れたようで、今はじっくりと観察でもするかのように施設内の設備を見ている。
「まあ、人がいないオバケ屋敷なんて、どこもこんなものだよ」
スオウはイツカが怖がる様子を見せないのでホッとしつつも、心のどこかでちょっとだけ残念がっていた。カッコイイところを見せる場面がなくなったからである。
「薄暗いのはしょうがないとしても、身を隠すにはもってこいの場所ね」
ヴァニラが受け付けの机上に倒れこんでいる女性の頭をツンツンと突く。
女性の目は極限まで見開かれており、口からは大量に出血していた。髪はボサボサで、首筋にはメスが何本も突き刺さっている。むろん、本物の人間ではない。精巧に作られた人形である。ゾンビにやられた状態を表現しているのだろう。おどろおどろしいBGMと、目を眩ませる照明でもあればこの人形も怖く感じただろうが、今はただの動かない人形でしかなく、ヴァニラの暇つぶしの遊び相手になってしまっている。
「ていうか、肝心のゾンビちゃんが一匹もいないじゃん。どこにいるの? 隠れているのかな? それとも、もっと奥の方に行かないと出てこないのかな? アタシの必殺キックで倒したかったのになあ。これじゃ『ゾンビ病棟』じゃなくて、ただの廃病院じゃん」
「だから、さっきから言ってるだろう。これはゾンビゲームじゃないんだぞ」
ヴァニラをたしなめるのは、いつでも春元の役目である。
「あんたはアタシのキックの威力がどれほどのものか知らないから、そう言うのよ。いつゾンビのデストラップが発動するとも知れないのよ? 準備しておくに越したことはないでしょ?」
「いや、ヴァニラさん、さすがにゾンビのデストラップはないと思いますよ」
スオウは真面目に答えた。
「えっ? スオウ君、どうしてそう言えるの?」
「だって、ゾンビは想像上のモンスターですから、実際に襲ってくることはないと思いますけど。もしもここで本物のゾンビが襲ってきたら、それってルール違反ですよ」
「いい、そういう甘い考えはダメよ。何が起こるか分からないのがこのゲームでしょ?」
「いや、まあ、そうですけども……」
「いいわ、せっかくだから、もしもゾンビが襲ってきても、ちゃんと撃退出来るように、今ここでアタシの芸術的なキックを見せてあげるから」
「おいおい、冗談だよな?」
途端に、春元がぎょっとした表情をした。
「いい、いくわよっ!」
ヴァニラが待合室の壁の端まで下がったかと思うと、そこから勢い良く走り出した。
「マ、マジかよっ!」
暴走するヴァニラを止める役目の春元も、あたふたと対応に戸惑っている。
「うりゃああああああっ!」
ヴァニラは威勢の良い低い掛け声をあげると、床の上のソファを踏み台代わりにして、空中に鋭角的にジャンプした。おみ足はピンッと一直線に伸びきっている。理想的な跳び蹴りの姿勢だった。
だが、最後が決まらなかった。
「痛ああああっ!」
ヴァニラは着地時に足首を捻ったらしく、リノリウムの床に膝小僧をしたたかに強打してしまったのである。
「ほら、言わんこっちゃない」
春元がヴァニラの元に駆け寄る。なんだかんだ言いつつも、ヴァニラのことを心配しているのだ。
「大丈夫か?」
「うん、まあ、これくらい大丈夫よ。『野球部時代』はホームベース上でキャッチャーと何度も激突したことがあるからね」
「でも、膝小僧から血が出ているぞ」
「ちょっと床で擦っちゃったみたい。でも、このくらいの出血なら、すぐに止まるから平気よ」
ヴァニラは心配ないという風に首を振って見せた。
「あの、応急処置ってほどじゃないですけど、良かったらこれを使って下さい」
イツカがポケットから可愛らしいハンカチを取り出して、ヴァニラの膝小僧にあてがった。
「ありがとう、イツカちゃん。それで、アタシのキックはどうだった? ちゃんと足は伸びていたかな?」
「そっちの方の心配をしているのかよ」
口ではぼやきつつも、春元はヴァニラの元気な様子を見てひと安心したらしい。
「とにかく、外の追っ手に注意しながら、しばらくこの場所で静かに待機しよう。オレは外が見える位置に移動するから、何か異変とかデストラップの前兆に気が付いたときは、すぐに伝えに来てくれ。そうだな、スオウ君に連絡役を頼んでもいいかな?」
「ええ、構いませんけど」
春元を抜かした4人の中では自分が一番適役だと、スオウ自身もそう考えていた。
「それじゃ、少しの間休憩をとって、体をしっかりと休ませておくようにな」
それだけ言い残して、春元は『ゾンビ病棟』の入り口の方に戻っていった。
「お言葉に甘えて、おれたちは少し休憩しよう」
スオウは当たり前のようにイツカの隣に移動した。イツカのそばにいるだけで、溜まった疲れが取れていく気がするのだ。
ソファに座ったヴァニラは自分の手でハンカチを押さえながら、高さは良かったけど角度が悪かったのかな、などとぶつぶつ呟いている。先ほどのキックのことを反省しているようだ。
美佳は壁に貼ってある入園者への案内ポスターをじっと見つめていた。
『ゾンビウィルスが病棟内に飛散して、大量のゾンビが発生しました。現在、この病棟は閉鎖されております。それでも中に入るようでしたら、ゾンビと戦う覚悟で入ってください!』
ポスターは入園者を怖がらせる文面で埋め尽くされていた。
各々がひとときの休憩に浸っていた頃──。
しかし、このときすでに誰もが予想しない形で、新たなデストラップの影は忍び寄っていたのだった。
――――――――――――――――
極度の方向音痴を隠したまま、慧登は行き当たりばったりに『巨大迷宮』の中を進んでいく。足を踏み出すたびに脇腹に鈍痛が走るが、玲子が肩を貸してくれているお陰で、なんとか歩くことは出来た。肉体的な助けだけではない。精神的にも玲子が傍にいるだけで力が沸いてきた。
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「右と左、どっちに向かう?」
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「うーん、右に行こうか」
考えがあるわけではない。ただ勘だけを頼りに慧登は答えた。
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何度か行き止まりに突き当たったが、玲子は慧登を責めることなかった。
「大丈夫。元の道に戻って、違う道を進もう」
その度に玲子は慧登に優しく声を掛けてくれた。だから、慧登も気が落ち込むことなく進んでこれた。
そして──。
「ねえ、慧登君、あの表示ってもしかしたら──」
玲子が指差す壁には、大きく二文字の漢字が書かれていた。
『出口』
「やったーっ!」
痛みも忘れて、思わず体で喜びを表現してしまった。
「痛たた……」
鈍痛に顔をしかめるが、嬉しさがこみ上げてくるのを止められない。
「ほら、あたしが言った通りでしょ!」
玲子もまたとびきりの笑顔を浮かべている。
「それじゃ、外に出ようか」
「ああ、そうしよう。もう金輪際、俺はこの手の迷宮には入らないからな」
玲子の手助けを借りながらも、慧登はようやく『ミノタウロス』の棲家である『巨大迷宮』から脱出したのだった。
二人は出口に設置されていたベンチにそろって腰を下ろした。過度の緊張が解けて、心がホッと休まる。
「少し休んだら迷子センターに向かおうか」
玲子は園内マップを広げて、場所の再確認をしていた。
「うん、まずはそこを目指そうか。だいぶ痛みは引いたけど、さすがに走るまでにはまだいかないから」
慧登は座ったままの姿勢で、腰を少し捻って状態を確かめてみた。脇腹の痛みはしっかりとある。
「無理はダメだからね。痛み止めを飲んで、それからちゃんと様子を見ないと。ゲームだってもう終盤なんだから、この危機をなんとしてでも乗り切って、2人で勝利を掴まないと」
「うん、分かったよ」
なんだか、姉に叱られるダメな弟みたいな気分だった。それほど年が離れていないはずなのに、玲子はやけに大人っぽく見えた。もちろん外見もそうだが、それ以上に中身が大人染みているように思うのだ。
そういえば、玲子さんはなんでこのゲームに参加したんだろう? ルックスは完璧だし、何不自由ないように見えるけれど……。
今更ながらにそんな疑問を感じた。それだけではない。
なんで玲子さんは危険を冒してまで、俺のことを助けに来てくれたんだろう? さっきは話は後回しって言われたけれど……。
隣に座る玲子の横顔を見つめる。しかし、その表情から何も読み解くことは出来なかった。
まっ、いいか。そのへんの事情はこのゲームが終わったときに、ゆっくり聞かせてもらおう。
「ん? どうかしたの? あたしの顔になんか付いてる? あっ、もしかして返り血でも付いてた?」
慧登の視線に気付いたのか、玲子が慌てた様子で顔に手をやる。
「あっ、いや、その……何も付いてないから、大丈夫だから」
玲子以上に慌てふためいて首を大きく振る慧登だった。
――――――――――――――――
静かな『ゾンビ病棟』内に、スマホのメール着信音が何十にも重なるようにして響き渡った。そこにいた4人のスマホに、同時にメールが届いたのだ。
「おっと、びっくりさせるなよ!」
まったりと休息時間に身を置いていたスオウは、その音に背筋をしゃんとさせた。
「きっと紫人からよね?」
イツカはさっそく顔に緊張の色を浮かべている。
「まあ、そうだろうね」
「またゲーム脱落者が出たってことだね。玲子さんと慧登さん、大丈夫かな。2人じゃなきゃいいけど……」
分かれたとはいえ、一緒に行動していた人間の死を知らせるメールは受け取りたくないのが人情というものだろう。それはスオウとて同じ気持ちだった。
「とにかく、メールを開いてみるよ」
スオウは届いたメールを開いた。
『 ゲーム退場者――1名 ヒカリ
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「――今度はヒカリだったよ」
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「ヒカリさんか……」
玲子と慧登ではなかったが、だからといって喜ぶというわけにもいかない2人だった。
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「あいつとは気は合いそうになかったけど、死んだとなるとやっぱり悲しくなるな……」
ぼんやりとヒカリのことを考えていると、唐突に思い出したことがあった。
「あっ、そうか! やっと思い出したよ!」
「スオウ君、どうしたの? 急に大声を上げて?」
「ほら、イツカには話しただろう? ヒカリに初めて会ったときに、どこかで見掛けた覚えがあるって」
「そういえば、そんなこと言ってたね。わたしはてっきり芸能人なのかなって思ったんだけど、違うの?」
「まあ、芸能人って言えなくもないけど……。厳密に言うと、ヒカリっていうのは、ネット上の有名人なんだよ」
「そうなんだ。わたしはあんまりネットの動画を見ないから知らないけれど……」
イツカは興味無さげな様子だった。
「おれも動画は見たことないんだけど、かなり過激な生配信をしていたらしくて、警察に逮捕されたことがあるんだよ。それをテレビのニュースで見たことを思い出したんだ。だから、どこかで見た覚えがあったんだな……」
今さら思い出したところでヒカリは帰ってこないが、気持ちの上では納得出来た。
「そういえば、ヴァニラさんはヒカリのこと知っていました? ヴァニラさんはそういうの詳しそうだけど──」
ソファで横になり、休憩をしているヴァニラに訊いてみた。
「ん? ヴァニラさん……? あれ、寝ちゃったのかな?」
ヴァニラからの返事がなかった。
「ねえ、ヴァニラさん? おれの話、聞いていました?」
再度質問したが、やはりヴァニラからの返事はない。
「ねえ、まさかとは思うけど、さっきの傷が悪化したとか……」
イツカがスオウの肩を手で揺すってきた。
「いや、でも膝からの出血はたいしたことなかったし、仮にもっと重い、例えば骨折とかだったら返事くらいは出来ると思うんだけど……」
そのとき、スオウの背筋にぞわりと寒気が走った。得もいえぬ恐怖に囚われた。
何かを見過ごしている気がしたのだ。重要な何かを──。
「イツカ、ここに入って来てから、デストラップの前兆ってあったかな?」
「えっ? スオウくんはヴァニラさんがデストラップに掛かったって──」
「いや、おれの思い違いならいんだけど、さっきまであれだけ元気だったのに、ヴァニラさんの返事がないというのは、どう考えてもおかしいよ」
「たしかにそれはそうだけど……」
「ヴァニラさん、寝ているだけですよね? ねえ、ヴァニラさん……?」
スオウは立ち上がると、恐る恐るヴァニラの元に近寄っていった。
スオウの視界に入ったヴァニラの様子は──。
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が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。
だが、「呪い」は実在した。
「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。
凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。
そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。
「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか?
誰がこの「呪い」を生み出したのか?
そして彼らはなぜ、呪われたのか?
徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。
その先にふたりが見たものは——。

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