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第一部 インサイド
第18話 燃え尽きた命
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――――――――――――――――
残り時間――9時間37分
残りデストラップ――9個
残り生存者――11名
死亡者――2名
――――――――――――――――
目の前で世界がメラメラと燃えていた。無論、現実の世界ではない。小さな世界の話である。
「きっとこの火が遠くから見えていたんだな」
慧登は目の前で燃え盛っている炎を呆然と見つめた。炎はパチパチという生易しい音ではなく、ゴーゴーという空気をかき乱すぐらいの轟音を伴っていた。慧登は『ミニチュア王国』の日本ゾーンを眺めていたが、これ以上奥に進んで行くのは無理そうであった。ここにいても頬にあたる風が熱いくらいなのだ。
「こんなに燃えているんじゃ、ここに平岩さんはもういないかもしれないな。もしかしたら、もう違う場所に移動しているかも――」
慧登は炎の勢いからそう判断した。
「…………」
慧登の隣に立つ玲子は炎に美麗な顔を照らされたまま、燃え盛るミニチュア群をじっと見つめている。
「おい、いつまで火なんか見てるつもりだよ! じいさんがここにいないのならば、さっさと次の場所に移動だ! それともあのじいさんは、この火で火葬でもされたのか!」
いつもの調子がやっと戻ってきたのか、ヒカリが苛立たしげに声を荒げさせた。手にしたスマホは炎の方に向けられている。
「──分かったよ。それじゃ、次の場所に移動するか」
慧登はマップを広げて、確認を始めた。これ以上ヒカリに騒がれては面倒だと思ったのである。
「えーと、ここから一番近いアトラクションは──」
慧登が指先をマップ上で動かしていると──。
バサッシュッ!
昇り龍のように天を目指して伸びていた燃えあがる炎の中から、人の形をした何かが起き上がった。火で燃える両手でもって、喉のあたりを必死に掻き毟っているのが確認出来る。だが、誰の目から見ても、すでに手遅れであると分かった。
「まさか……これって平岩さんなの……?」
あまりの驚愕の事態に玲子は体が凍り付いてしまったようで、その場で生きる彫像と化してしまっている。
「玲子さん、離れないとダメだっ!」
慧登は虚ろな眼差しで人の形をした炎を見つめている玲子の服を強く引っ張った。慧登の腕の中に、玲子の体がすっぽりと入る。
燃え盛る人の形をしたモノが、慧登の方に顔の部分を向けた。もっとも、顔も炎に包まれており、表情の判別をすることはもはや出来なかった。それでも慧登はそこに、恨めしげにこちらを見つめてくる視線を感じた。
炎の塊と化した人間が一歩前へと足を踏み出した。さらに一歩前へと進む。そこまでが限界だったらしい。炎の塊が急にゆらゆらと前後に動き始めた。さらに一度大きく反り返ったかと思うと、次の瞬間、支えをなくした柱のように、そのまま地面に向かって垂直に倒れた。あたりに小さな火花がパッと飛び散る。
そして、炎の人間は一切の動きを止めた。
「ウソでしょ……ウソでしょ……。また人が……死んだの……?」
玲子は今にも失神しそうなほど顔色が悪い。さきほどの幸代の件から間を置かずに起きた悲劇を前にして、かなりの心理的ダメージを受けているみたいだった。
「──残念だけど、多分……平岩さんだと思う……」
慧登は重たい声で冷静に事実を告げた。
「クソがっ……」
ヒカリがスマホを手にしたまま、今夜何度目かとなるお約束のセリフを吐き捨てた。櫻子と違って、さすがに遺体にスマホを向けたりすることはない。
その場にいた全員のスマホがメール受信音を上げた。
『 ゲーム退場者――1名 平岩哲夫
残り時間――9時間34分
残りデストラップ――9個
残り生存者――10名
死亡者――3名 』
燃え続ける炎とともに、こうしてまたひとり、ゲームの犠牲者が生まれたのだった。
――――――――――――――――
坂の上に巨大なクレーン車と大型トラックが停まっているのが見えた。おそらく、明日から遊園地にある施設の解体作業が始まるのだろう。その為の作業車がもう園内に搬入されているのだ。大型トラックの荷台には、足場を組む為に使われると思われる鉄パイプが山のように積まれている。
「この急な坂道を自転車で登るのは、かなり大変かもしれないな」
坂を見上げる春元の額には、うっすらと汗が浮いている。戦力外の漕ぎ手が約1名いる為、その分、倍に頑張っているのだろう。
「迷子センターはこの坂道の上にあるみたいだから、自転車を降りて歩いて行きますか?」
前に乗っているので必然的にスオウがチームリーダーのようなポジションになっていた。
「このくらいの坂道ならば、高校時代の部活で毎日のように走っていたから大丈夫よ。任せておいて!」
今までずっとサドルに座っていただけのヴァニラなので、その言葉には説得力が皆無であった。
「な、な、なによ……みんなしてアタシのことを、そんな白い目で見つめて……。ひょっとして、今さらながらにアタシの魅力に気が付いたの?」
「──で、どうしますか、春元さん?」
スオウはヴァニラの言葉をキレイにスルーした。
「そうだな──」
春元が思案気に首をかしげたとき、坂の上からカランコロンという妙に甲高い音が降ってきた。
スオウは音の方に警戒の目を向けた。この状況で聞こえてくる不自然な音は、デストラップの前兆である可能性が高いからである。自転車のハンドルを握る手に思わず力が入る。
坂道を転がってきたのは、一本の鉄パイプであった。留めていた紐が緩んだのか、トラックの荷台から落ちてきたのだろう。自転車の脇でピタッと鉄パイプが止まった。
これってもしかしたら、鉄パイプの山が坂から落ちてくるっていうデストラップの前兆なのか?
スオウの胸に緊張感が走る。
「ねえ、スオウ君、この鉄パイプって……」
言葉に出さなくとも、イツカが言いたいことは分かった。イツカもデストラップの前兆を疑っているのだ。
スオウは自転車から降りようかと迷った。自転車に乗ったままでは、動きが制限されてしまうのだ。サドルから腰を浮かしかけたとき、服のポケットから甲高い音が鳴り響いた。
スマホのメール受信音である。
スオウのスマホだけでなく、全員のスマホが同時に鳴った。それはつまり、紫人からのメールが届いたことを意味していた。
「とりあえず今は鉄パイプの件は置いといて、メールの中身を確認するのが先だな。どこかでまたデストラップが発生した可能性が高いからな」
慎重な声振りで春元が言う。春元もまた、鉄パイプをデストラップの前兆と疑っているらしい。
「わたしがメール見るね」
イツカが皆の返事を聞く前に、スマホを取り出して、メールを開く。視線がスマホの画面を上下する。その表情がすぐに曇った。それだけで何が書かれていたのか、大体の予想は出来た。
「──平岩哲夫さんが……犠牲になったみたいです……」
言葉少なに報告するイツカ。
「──分かった。ありがとう」
春元の声も重い。
「これで3人目ね。早く再集合して、デストラップの対策を練らないと、このままじゃ本当に全滅しかねないわよ。アタシたちも急いで行動しないと!」
ヴァニラが暗く沈んだ雰囲気を振り払うように大きな声で言った。
「そうだな、ヴァニラの言う通りだな。平岩さんには悪いが、今は立ち止まっている場合ではないからな。──よし、自転車で一気にこの坂を駆け上がって、迷子センターに向かうとしよう!」
「そういうことなら、今度はアタシが2人分漕いでいくから」
ヴァニラが春元の言葉にのる形で、ペダルに足をのせた。
「分かりました。それじゃ、ヴァニラさんの合図で発車しますね」
スオウものり良く応じる。暗く落ち込んでいても、何も始まらないのだ。今は前に向かって進むしかない。
「オッケー。みんな行くわよ。発車──えっ? あれ?」
ヴァニラが唐突に素っ頓狂な声をあげた。
「なんだよ、せっかく士気が高まっていたところなのに」
春元がすかさずツッコミを入れる。
「しょうがないでしょ! だって、いくら踏み込んでも、ペダルに力が入らないんだから!」
スオウはヴァニラの足元に目をやった。ヴァニラは一生懸命ペダルを漕いでいるのだが、タイヤはいっかな動いていない。
「ひょっとしたら──」
スオウは自分でもペダルを踏み込んでみた。すぐに力無い反応が返ってくる。高校への通学に自転車を使用しているスオウには、お馴染みの反応であった。
「ヴァニラさん、たぶん自転車のチェーンが外れたんだと思います」
「えっ? どうしてよ? さっきまでちゃんと動いていたはずでしょ?」
「分かったぞ。誰かさんがいきなり力強く漕ぎ始めたから、その勢いに負けてチェーンが外れたんだな」
春元が鋭い指摘をする。
「それだとまるでアタシが悪いみたいな言い方じゃない!」
「まるでじゃなくて、当然のつもりで言ったんだけどな」
2人がまたイチャついているようにしか見えない口ゲンカを始めそうな雰囲気になったので、スオウは慌てて口を挟んだ。
「とにかく2人とも一度自転車から降りてください。あっ、イツカも降りてくれるかな?」
「うん、分かった。チェーンを直すんだね?」
「ああ、外れたチェーンを直すくらいならば、通学中に何回もやっているから任せてくれよ」
「それじゃ、ここはスオウ君に任せるとしようか」
「スオウ君、頼んだわね」
春元が自転車から降りるのに続いて、ヴァニラも降りる。
「4人乗りの自転車のチェーンを直すのは初めてだけど……まあ、なんとかなると思うから」
スオウは自転車を降りた3人に目をやった。
「3人はそのへんにあるベンチにでも座って待っててください」
「わたしも何か手伝おうか?」
イツカが優しく声を掛けてきてくれた。
「大丈夫、大丈夫」
スオウはさっそくその場にしゃがみこむと、チェーン直しに取り掛かった。
まずはチェーンを後ろの車輪の歯車に噛み合わせる。次に余ったチェーンのいち部分を、前の車輪の歯車に噛み合わせ、少しずつペダルを手で回していく。こうすれば残りのチェーンは勝手に歯車に噛み合わさっていく。最後にサドルに乗って、ひと漕ぎ試してみる。踏み込んだ足に、しっかりと反応が返ってきた。
「よし、これで大丈夫だな──」
スオウは3人に向けてオッケーのサインを出そうとしたが、そこで突然背筋に薄ら寒いものを感じて、体が硬直してしまった。それは動物的な本能ともいえる勘で、大切な何かを見逃していると察したのである。
待った。おれは何かを見逃している気がする……。とても大事な何かを絶対に見逃している……。それは……それは……そうか!
不安の原因に思い当たった。
おれは自転車のチェーンを直すことばかりに気がいってしまって、『これ』自体が何を意味しているのか、まったく考えていなかったんだ! もしかしたら、本当のデストラップの前兆は、鉄パイプが転がってきたことじゃなくて、自転車のチェーンが外れたことなのかもしれない……。だとしたら──。
「春元さん、ここは危ない!」
たった今感じた不吉な予感を、春元に大声で告げた。
「えっ? 何を言って──おい、スオウ君、坂の上を見るんだっ!」
春元の声が途中から怒鳴り声に変わった。
スオウは咄嗟に坂の上に目を向けた。クレーン車と大型トラックが停まっている。さきほど見た光景と何も変わりは──あった。
あのクレーン車、あんなに大きかったか……?
目に入ってくる光景に違和感があった。クレーン車の大きさが変わったように見えたのだ。いや、違う。今も大きさが変わり続けている。それが意味することはひとつだけである。
クレーン車が坂道を少しずつスピードを上げながら降りてきているのだ。だから、徐々に大きくなって見えてきたのだ!
「なんなんだよっ!」
スオウは逃げる為に自転車から飛び降りられ──なかった。左足のパンツの裾が、チェーンと歯車の間にがっちりと食い込んで、足が動かせなかったのである。
「おい、こんなときに冗談だろう!」
引っ掛かっていない右足で、自転車を何度も蹴りつける。しかし、なかなかパンツの裾は食い込みから外れない。これが普通の自転車ならば、持ち上げて移動すれば済むのだが、4人乗りの大きな自転車ではそういうわけにもいかない。
スオウがぐたぐたしている間にも、クレーン車は音をあげながら坂道を下ってくる。スピードはさらに増していて、もはや走っているといってもいいくらいだった。
「ふざけんなよっ!」
スオウは目の前に迫ってくるクレーン車の恐怖と対峙しながら、必死に足を動かし続けた。クレーン車の大きさからいって、ぶつかったら命がないのは分かりきっている。
「おれは、おれは……絶対に妹を助けるんだっ! こんなところで死ぬわけにはいかないんだよっ!」
歯車の部分を踵で思い切り強く蹴りつけた。ブチッという布が切れる音があがり、スオウの足の戒めが解かれた。すぐに全速力で自転車から離れる。
途端に、なぜか周囲の景色がスローモーションで動いているように見え始めた。まるでスマホで撮る連続写真のように、ひとつひとつの動きが鮮明に感じる。
「スーオーウーくーん!」
イツカの悲痛な叫び声も、妙に間延びして聞こえる。
スオウは道の横に広がる芝生の上に体ごと飛び込んだ。その自分の体の動きすらもスローモーションで動いているように感じられた。
すぐ背後でガジャンという金属が押し潰される音があがり、ゴオーという重量級の走行音が後に続いた。
次の瞬間、スローモーションで見えていた世界に現実のスピードが戻ってきた。
か、か、間一髪だったな……。
スオウがホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、大地を揺るがすような爆音があたりに轟き渡った。
驚いて音のした方に目をやると、観覧車を支える鉄骨部分にクレーン車がめり込むようにして突っ込んでいるのが見えた。クレーンの部分と鉄骨とが前衛芸術作品のごとく複雑に絡まりあっている。衝突の衝撃の凄まじさが、形になって現われていた。
スオウだけではなく、春元たち3人もクレーン車の事故現場を呆然と見つめていた。
「──いったい何が起こったんですか?」
スオウには目の前の惨事の原因が皆目見当がつかなかった。
「スオウ君、さっきの外れた自転車のチェーンがデストラップの前兆だったというのは、もう分かっているよな?」
視線はまだクレーン車に向けたまま、春元がスオウに話しかけてきた。
「ええ、それは予想出来ましたが……でも、なんでクレーン車が……?」
「スオウ君はまだ車の免許を持っていないだろうから分からないかもしれないが、テレビで見たことはないか? パーキングブレーキを止め忘れた車が、坂道を暴走するという事故のニュースを」
「それなら見たことあります。えっ、それじゃ……さっきの自転車のチェーンは──」
「おそらく、クレーン車のパーキングブレーキが『外れて』、坂道を暴走することの前兆を示していたんだと思う」
「そう……だったんだ……」
「すまないな。車の免許を持っているオレが、もっと早くにそのことに気付くべきだった。他の入園者がいなくなって、大掛かりなデストラップを仕掛けてくるとは思っていたが、まさかここまでのものとは思いもしなかったからな……」
春元はそこでいったん言葉を切ると、気持ちを入れ替えるように一度大きく息をついた。そして、さらに言葉を続けた。
「とにかく、スオウ君が無事で良かった。今回のデストラップについてしっかり再考したいところだが、今は当座の目的地である迷子センターに急ごう」
春元の言葉に、スオウたち3人はそろってうなずいた。
残り時間――9時間37分
残りデストラップ――9個
残り生存者――11名
死亡者――2名
――――――――――――――――
目の前で世界がメラメラと燃えていた。無論、現実の世界ではない。小さな世界の話である。
「きっとこの火が遠くから見えていたんだな」
慧登は目の前で燃え盛っている炎を呆然と見つめた。炎はパチパチという生易しい音ではなく、ゴーゴーという空気をかき乱すぐらいの轟音を伴っていた。慧登は『ミニチュア王国』の日本ゾーンを眺めていたが、これ以上奥に進んで行くのは無理そうであった。ここにいても頬にあたる風が熱いくらいなのだ。
「こんなに燃えているんじゃ、ここに平岩さんはもういないかもしれないな。もしかしたら、もう違う場所に移動しているかも――」
慧登は炎の勢いからそう判断した。
「…………」
慧登の隣に立つ玲子は炎に美麗な顔を照らされたまま、燃え盛るミニチュア群をじっと見つめている。
「おい、いつまで火なんか見てるつもりだよ! じいさんがここにいないのならば、さっさと次の場所に移動だ! それともあのじいさんは、この火で火葬でもされたのか!」
いつもの調子がやっと戻ってきたのか、ヒカリが苛立たしげに声を荒げさせた。手にしたスマホは炎の方に向けられている。
「──分かったよ。それじゃ、次の場所に移動するか」
慧登はマップを広げて、確認を始めた。これ以上ヒカリに騒がれては面倒だと思ったのである。
「えーと、ここから一番近いアトラクションは──」
慧登が指先をマップ上で動かしていると──。
バサッシュッ!
昇り龍のように天を目指して伸びていた燃えあがる炎の中から、人の形をした何かが起き上がった。火で燃える両手でもって、喉のあたりを必死に掻き毟っているのが確認出来る。だが、誰の目から見ても、すでに手遅れであると分かった。
「まさか……これって平岩さんなの……?」
あまりの驚愕の事態に玲子は体が凍り付いてしまったようで、その場で生きる彫像と化してしまっている。
「玲子さん、離れないとダメだっ!」
慧登は虚ろな眼差しで人の形をした炎を見つめている玲子の服を強く引っ張った。慧登の腕の中に、玲子の体がすっぽりと入る。
燃え盛る人の形をしたモノが、慧登の方に顔の部分を向けた。もっとも、顔も炎に包まれており、表情の判別をすることはもはや出来なかった。それでも慧登はそこに、恨めしげにこちらを見つめてくる視線を感じた。
炎の塊と化した人間が一歩前へと足を踏み出した。さらに一歩前へと進む。そこまでが限界だったらしい。炎の塊が急にゆらゆらと前後に動き始めた。さらに一度大きく反り返ったかと思うと、次の瞬間、支えをなくした柱のように、そのまま地面に向かって垂直に倒れた。あたりに小さな火花がパッと飛び散る。
そして、炎の人間は一切の動きを止めた。
「ウソでしょ……ウソでしょ……。また人が……死んだの……?」
玲子は今にも失神しそうなほど顔色が悪い。さきほどの幸代の件から間を置かずに起きた悲劇を前にして、かなりの心理的ダメージを受けているみたいだった。
「──残念だけど、多分……平岩さんだと思う……」
慧登は重たい声で冷静に事実を告げた。
「クソがっ……」
ヒカリがスマホを手にしたまま、今夜何度目かとなるお約束のセリフを吐き捨てた。櫻子と違って、さすがに遺体にスマホを向けたりすることはない。
その場にいた全員のスマホがメール受信音を上げた。
『 ゲーム退場者――1名 平岩哲夫
残り時間――9時間34分
残りデストラップ――9個
残り生存者――10名
死亡者――3名 』
燃え続ける炎とともに、こうしてまたひとり、ゲームの犠牲者が生まれたのだった。
――――――――――――――――
坂の上に巨大なクレーン車と大型トラックが停まっているのが見えた。おそらく、明日から遊園地にある施設の解体作業が始まるのだろう。その為の作業車がもう園内に搬入されているのだ。大型トラックの荷台には、足場を組む為に使われると思われる鉄パイプが山のように積まれている。
「この急な坂道を自転車で登るのは、かなり大変かもしれないな」
坂を見上げる春元の額には、うっすらと汗が浮いている。戦力外の漕ぎ手が約1名いる為、その分、倍に頑張っているのだろう。
「迷子センターはこの坂道の上にあるみたいだから、自転車を降りて歩いて行きますか?」
前に乗っているので必然的にスオウがチームリーダーのようなポジションになっていた。
「このくらいの坂道ならば、高校時代の部活で毎日のように走っていたから大丈夫よ。任せておいて!」
今までずっとサドルに座っていただけのヴァニラなので、その言葉には説得力が皆無であった。
「な、な、なによ……みんなしてアタシのことを、そんな白い目で見つめて……。ひょっとして、今さらながらにアタシの魅力に気が付いたの?」
「──で、どうしますか、春元さん?」
スオウはヴァニラの言葉をキレイにスルーした。
「そうだな──」
春元が思案気に首をかしげたとき、坂の上からカランコロンという妙に甲高い音が降ってきた。
スオウは音の方に警戒の目を向けた。この状況で聞こえてくる不自然な音は、デストラップの前兆である可能性が高いからである。自転車のハンドルを握る手に思わず力が入る。
坂道を転がってきたのは、一本の鉄パイプであった。留めていた紐が緩んだのか、トラックの荷台から落ちてきたのだろう。自転車の脇でピタッと鉄パイプが止まった。
これってもしかしたら、鉄パイプの山が坂から落ちてくるっていうデストラップの前兆なのか?
スオウの胸に緊張感が走る。
「ねえ、スオウ君、この鉄パイプって……」
言葉に出さなくとも、イツカが言いたいことは分かった。イツカもデストラップの前兆を疑っているのだ。
スオウは自転車から降りようかと迷った。自転車に乗ったままでは、動きが制限されてしまうのだ。サドルから腰を浮かしかけたとき、服のポケットから甲高い音が鳴り響いた。
スマホのメール受信音である。
スオウのスマホだけでなく、全員のスマホが同時に鳴った。それはつまり、紫人からのメールが届いたことを意味していた。
「とりあえず今は鉄パイプの件は置いといて、メールの中身を確認するのが先だな。どこかでまたデストラップが発生した可能性が高いからな」
慎重な声振りで春元が言う。春元もまた、鉄パイプをデストラップの前兆と疑っているらしい。
「わたしがメール見るね」
イツカが皆の返事を聞く前に、スマホを取り出して、メールを開く。視線がスマホの画面を上下する。その表情がすぐに曇った。それだけで何が書かれていたのか、大体の予想は出来た。
「──平岩哲夫さんが……犠牲になったみたいです……」
言葉少なに報告するイツカ。
「──分かった。ありがとう」
春元の声も重い。
「これで3人目ね。早く再集合して、デストラップの対策を練らないと、このままじゃ本当に全滅しかねないわよ。アタシたちも急いで行動しないと!」
ヴァニラが暗く沈んだ雰囲気を振り払うように大きな声で言った。
「そうだな、ヴァニラの言う通りだな。平岩さんには悪いが、今は立ち止まっている場合ではないからな。──よし、自転車で一気にこの坂を駆け上がって、迷子センターに向かうとしよう!」
「そういうことなら、今度はアタシが2人分漕いでいくから」
ヴァニラが春元の言葉にのる形で、ペダルに足をのせた。
「分かりました。それじゃ、ヴァニラさんの合図で発車しますね」
スオウものり良く応じる。暗く落ち込んでいても、何も始まらないのだ。今は前に向かって進むしかない。
「オッケー。みんな行くわよ。発車──えっ? あれ?」
ヴァニラが唐突に素っ頓狂な声をあげた。
「なんだよ、せっかく士気が高まっていたところなのに」
春元がすかさずツッコミを入れる。
「しょうがないでしょ! だって、いくら踏み込んでも、ペダルに力が入らないんだから!」
スオウはヴァニラの足元に目をやった。ヴァニラは一生懸命ペダルを漕いでいるのだが、タイヤはいっかな動いていない。
「ひょっとしたら──」
スオウは自分でもペダルを踏み込んでみた。すぐに力無い反応が返ってくる。高校への通学に自転車を使用しているスオウには、お馴染みの反応であった。
「ヴァニラさん、たぶん自転車のチェーンが外れたんだと思います」
「えっ? どうしてよ? さっきまでちゃんと動いていたはずでしょ?」
「分かったぞ。誰かさんがいきなり力強く漕ぎ始めたから、その勢いに負けてチェーンが外れたんだな」
春元が鋭い指摘をする。
「それだとまるでアタシが悪いみたいな言い方じゃない!」
「まるでじゃなくて、当然のつもりで言ったんだけどな」
2人がまたイチャついているようにしか見えない口ゲンカを始めそうな雰囲気になったので、スオウは慌てて口を挟んだ。
「とにかく2人とも一度自転車から降りてください。あっ、イツカも降りてくれるかな?」
「うん、分かった。チェーンを直すんだね?」
「ああ、外れたチェーンを直すくらいならば、通学中に何回もやっているから任せてくれよ」
「それじゃ、ここはスオウ君に任せるとしようか」
「スオウ君、頼んだわね」
春元が自転車から降りるのに続いて、ヴァニラも降りる。
「4人乗りの自転車のチェーンを直すのは初めてだけど……まあ、なんとかなると思うから」
スオウは自転車を降りた3人に目をやった。
「3人はそのへんにあるベンチにでも座って待っててください」
「わたしも何か手伝おうか?」
イツカが優しく声を掛けてきてくれた。
「大丈夫、大丈夫」
スオウはさっそくその場にしゃがみこむと、チェーン直しに取り掛かった。
まずはチェーンを後ろの車輪の歯車に噛み合わせる。次に余ったチェーンのいち部分を、前の車輪の歯車に噛み合わせ、少しずつペダルを手で回していく。こうすれば残りのチェーンは勝手に歯車に噛み合わさっていく。最後にサドルに乗って、ひと漕ぎ試してみる。踏み込んだ足に、しっかりと反応が返ってきた。
「よし、これで大丈夫だな──」
スオウは3人に向けてオッケーのサインを出そうとしたが、そこで突然背筋に薄ら寒いものを感じて、体が硬直してしまった。それは動物的な本能ともいえる勘で、大切な何かを見逃していると察したのである。
待った。おれは何かを見逃している気がする……。とても大事な何かを絶対に見逃している……。それは……それは……そうか!
不安の原因に思い当たった。
おれは自転車のチェーンを直すことばかりに気がいってしまって、『これ』自体が何を意味しているのか、まったく考えていなかったんだ! もしかしたら、本当のデストラップの前兆は、鉄パイプが転がってきたことじゃなくて、自転車のチェーンが外れたことなのかもしれない……。だとしたら──。
「春元さん、ここは危ない!」
たった今感じた不吉な予感を、春元に大声で告げた。
「えっ? 何を言って──おい、スオウ君、坂の上を見るんだっ!」
春元の声が途中から怒鳴り声に変わった。
スオウは咄嗟に坂の上に目を向けた。クレーン車と大型トラックが停まっている。さきほど見た光景と何も変わりは──あった。
あのクレーン車、あんなに大きかったか……?
目に入ってくる光景に違和感があった。クレーン車の大きさが変わったように見えたのだ。いや、違う。今も大きさが変わり続けている。それが意味することはひとつだけである。
クレーン車が坂道を少しずつスピードを上げながら降りてきているのだ。だから、徐々に大きくなって見えてきたのだ!
「なんなんだよっ!」
スオウは逃げる為に自転車から飛び降りられ──なかった。左足のパンツの裾が、チェーンと歯車の間にがっちりと食い込んで、足が動かせなかったのである。
「おい、こんなときに冗談だろう!」
引っ掛かっていない右足で、自転車を何度も蹴りつける。しかし、なかなかパンツの裾は食い込みから外れない。これが普通の自転車ならば、持ち上げて移動すれば済むのだが、4人乗りの大きな自転車ではそういうわけにもいかない。
スオウがぐたぐたしている間にも、クレーン車は音をあげながら坂道を下ってくる。スピードはさらに増していて、もはや走っているといってもいいくらいだった。
「ふざけんなよっ!」
スオウは目の前に迫ってくるクレーン車の恐怖と対峙しながら、必死に足を動かし続けた。クレーン車の大きさからいって、ぶつかったら命がないのは分かりきっている。
「おれは、おれは……絶対に妹を助けるんだっ! こんなところで死ぬわけにはいかないんだよっ!」
歯車の部分を踵で思い切り強く蹴りつけた。ブチッという布が切れる音があがり、スオウの足の戒めが解かれた。すぐに全速力で自転車から離れる。
途端に、なぜか周囲の景色がスローモーションで動いているように見え始めた。まるでスマホで撮る連続写真のように、ひとつひとつの動きが鮮明に感じる。
「スーオーウーくーん!」
イツカの悲痛な叫び声も、妙に間延びして聞こえる。
スオウは道の横に広がる芝生の上に体ごと飛び込んだ。その自分の体の動きすらもスローモーションで動いているように感じられた。
すぐ背後でガジャンという金属が押し潰される音があがり、ゴオーという重量級の走行音が後に続いた。
次の瞬間、スローモーションで見えていた世界に現実のスピードが戻ってきた。
か、か、間一髪だったな……。
スオウがホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、大地を揺るがすような爆音があたりに轟き渡った。
驚いて音のした方に目をやると、観覧車を支える鉄骨部分にクレーン車がめり込むようにして突っ込んでいるのが見えた。クレーンの部分と鉄骨とが前衛芸術作品のごとく複雑に絡まりあっている。衝突の衝撃の凄まじさが、形になって現われていた。
スオウだけではなく、春元たち3人もクレーン車の事故現場を呆然と見つめていた。
「──いったい何が起こったんですか?」
スオウには目の前の惨事の原因が皆目見当がつかなかった。
「スオウ君、さっきの外れた自転車のチェーンがデストラップの前兆だったというのは、もう分かっているよな?」
視線はまだクレーン車に向けたまま、春元がスオウに話しかけてきた。
「ええ、それは予想出来ましたが……でも、なんでクレーン車が……?」
「スオウ君はまだ車の免許を持っていないだろうから分からないかもしれないが、テレビで見たことはないか? パーキングブレーキを止め忘れた車が、坂道を暴走するという事故のニュースを」
「それなら見たことあります。えっ、それじゃ……さっきの自転車のチェーンは──」
「おそらく、クレーン車のパーキングブレーキが『外れて』、坂道を暴走することの前兆を示していたんだと思う」
「そう……だったんだ……」
「すまないな。車の免許を持っているオレが、もっと早くにそのことに気付くべきだった。他の入園者がいなくなって、大掛かりなデストラップを仕掛けてくるとは思っていたが、まさかここまでのものとは思いもしなかったからな……」
春元はそこでいったん言葉を切ると、気持ちを入れ替えるように一度大きく息をついた。そして、さらに言葉を続けた。
「とにかく、スオウ君が無事で良かった。今回のデストラップについてしっかり再考したいところだが、今は当座の目的地である迷子センターに急ごう」
春元の言葉に、スオウたち3人はそろってうなずいた。
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都市伝説と呪いの田舎ホラー
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
煩い人
星来香文子
ホラー
陽光学園高学校は、新校舎建設中の間、夜間学校・月光学園の校舎を昼の間借りることになった。
「夜七時以降、陽光学園の生徒は校舎にいてはいけない」という校則があるのにも関わらず、ある一人の女子生徒が忘れ物を取りに行ってしまう。
彼女はそこで、肌も髪も真っ白で、美しい人を見た。
それから彼女は何度も狂ったように夜の学校に出入りするようになり、いつの間にか姿を消したという。
彼女の親友だった美波は、真相を探るため一人、夜間学校に潜入するのだが……
(全7話)
※タイトルは「わずらいびと」と読みます
※カクヨムでも掲載しています
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